私の読書感想文

管理人が書いた、あまのじゃく?な読書感想文をご紹介します。
みなさんの宿題の参考にしていただいても結構ですが、決して先生にほめられる内容ではありませんし、まして賞状など絶対に受け取れません。その点、ご了承願います。アハハ・・・。

私の読書感想文  

芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を読んで

 カンダタの行いを、お釈迦(しゃか)様はお許しにならなかった。大泥棒(おおどろぼう)のカンダタがかつて小さな蜘蛛(くも)の命を救ったのを思い出され、最後に彼にあたえたチャンスだったのに。

 お釈迦様はそのとき、カンダタにどのような行いを望んでおられたのだろう。地獄(じごく)に落ちて血の池でもがき苦しみ、希望も何も失いかけていたところに、すーっと差しのべられた一本の細い蜘蛛の糸。千載一遇(せんざいいちぐう)の助けとばかりに、必死にその糸にすがりついたカンダタ。しかし、自分の後から、アリの群れのように糸をのぼってくる多くの罪人たちの姿を見つけ、「下りろ!」と叫んでしまった。

 そのとたんにプツリと切れてしまった糸は、お釈迦様の怒りの気持ちのあらわれに他ならない。でも、ちょっと思い悩(なや)んでしまう。私がカンダタだったらどうしただろう。この場合、カンダタと反対の行いは、みんなでいっしょになって上へのぼろうとすることだろう。お釈迦様がカンダタに望んでおられた行いは、そうしたものだったのだろうか。

 でも、私がカンダタであっても、そうした行いができる自信は全くない。他の罪人たちがのぼってくるのを許していたら、自分も間違いなく助からないからだ。カンダタは、何も他人を押しのけてのぼってきたわけではない。生きるか死ぬかの危急(ききゅう)に臨(のぞ)み自分が助かりたいと思うのは、選択の余地のないごく当たり前の人間の気持ちだろう。それなのに、瞬時(しゅんじ)に断(だん)を下されなければならないほど許されない行いだったのだろうか。

 私には、お釈迦様がカンダタの”ふつうにある人間の素直(すなお)な心”をもてあそんだとしか思えない。もっとも、この物語のお釈迦様はほんとうのお釈迦様ではない。ほんとうのお釈迦様だったら、このようなことは決してなさらないと思う。

森鴎外の『高瀬舟』を読んで

 いわゆる「安楽死(あんらくし)」の問題をテーマにした作品だ。医療技術の進歩によって、患者(かんじゃ)の死期を極限まで延ばすことが可能となり、ときには植物人間として生き長らえられるようになった今の時代、誰もが直面しかねない大きな難しい問題だ。

 しかし、この作品が書かれた時代に「安楽死」が社会問題として広く認識されていたとは思えず、かなりセンセーショナルな作品だったのではないだろうか。あるいは、当時の多くの人にはピンと来なかったかもしれない。

 「安楽死」の典型例は、不治の病にもだえ苦しむ肉親の姿にいたたまれず、懇願(こんがん)に応えてやむなく命を絶つというものだろう。わが国の裁判では、これまで無罪とされた「安楽死」の例はない。最近の判例(平成7年横浜地裁)では、安楽死が許される場合の4つの要件が示されている。

 第一に患者が耐(た)え難い肉体的苦痛に苦しんでいること、第二に患者の死が避けられずその末期がせまっていること、第三に患者の肉体的苦痛を除去(じょきょ)・緩和(かんわ)するために方法を尽くし他に手段がないこと、そして第四に生命の短縮(たんしゅく)を承諾する患者の明示の意思表示があることとされている。これらの要件のうち、どれか一つ欠いても安楽死とは認められない。

 しかし、自分の肉親が激しい苦痛にもだえ苦しむ姿を目の当たりにして、冷静でいられる人間は希有(けう)だろう。むしろ患者以上の苦悶(くもん)を味わい、うろたえるのではないか。そうした場合に、いちいち4つの要件を満たしているかどうかなどと考えて安楽死を施(ほどこ)すなどできるわけがない。

 そういうことを慮(おもんぱか)ってか、当該(とうがい)裁判所も「これらの要件について、安楽死が許容されるための現段階における一考察である」とし、「将来の状況を見通しつつ確立された普遍(ふへん)のものとしての安楽死の許容要件を示すことは困難である」とのコメントを残している。人間の心と行動を単純に類型化することの難しさの所以(ゆえん)だろう。

 ところで、弟殺しの罪人・喜助に対する罪状認否(ざいじょうにんぴ)と量刑はいかなる過程をたどってなされたのか。詳しくは書かれていないが、「高瀬舟に乗る罪人の過半は、いわゆる心得(こころえ)違いのために、おもわぬ科を犯した人であった。ありふれた例をあげてみれば、当時相対死といった情死をはかって、相手の女を殺して、自分だけ生き残った男というような類である」との記述から、喜助は罪一等減ぜられた気配がある。

 喜助のとった行動と、自殺を図って息も絶え絶えとなった弟の状態をつぶさに読んでいくと、何と前掲(ぜんけい)の裁判所が示した4つの要件をみごとにクリアしている。そうして作者は、高瀬舟に同乗した同心の庄衛兵に「オオトリテエ(権威)にしたがうほかない」と言わしめ、きわめて高度な問題提起をしている。江戸時代が過ぎて間もないあの時代にだ。まことに驚くほかない。

夏目漱石の『坊っちゃん』を読んで

 作者自身の松山中学校時代の体験をもとに書かれたという。全篇(ぜんぺん)を通して一人称で書かれていることもあり、氏名すらうかがい知ることのできない「坊っちゃん」。そして、これが江戸っ子の気風というのか、下女の清(きよ)が「真っすぐで好いご気性だ」と言うとおり、竹を割ったような性格と無欲恬淡(むよくてんたん)さには驚かされる。

 一般には、痛快な正義漢の活躍(かつやく)として評価されるものの、一方ではあまりの傍若無人(ぼうじゃくぶじん)、直情径行(ちょくじょうけいこう)、思慮や情愛のなさに、暗鬱(あんうつ)な思いがしないではない。とくに親子の間、そして兄弟間の情愛などはみじんも感じられず、坊っちゃんの性格がああだったからそうなったのか、家族間がそうだったからああなったのかは分からないが、とても寒々とした思いがする。

 彼の協調性のなさもそういうところから来ているのか、周りにいたら大変困惑する人物だ。彼のようなふるまいは、一匹狼的な人間の集団では存在感を示すことはできようが、ふつうの組織の中では害悪以外の何ものでもない。

 無欲恬淡さも、裏を返せば行き当たりばったりで意欲や気概(きがい)のなさに通ずる。とくに「どうせきらいなものなら何をやっても同じことだと思ったが、幸い物理学校の前を通りかかったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった」という話や、「卒業してから八日目に校長が呼びにきたから、何か用だろうと思って、出かけていったら、四国辺りのある中学校で数学の教師がいる。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を言うと教師になる気も、田舎へ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようというあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席(そくせき)に返事をした」などという話は、生き方の指針すら持っていない証しであり、このような人間が教師になるなど言語道断だ。実際、教育に熱を入れたようすもない。

 それから、子供のころからずっと可愛がってくれた清に対して、どうにも冷たすぎる。まだ封建時代の名残をとどめていた時代だから、あれで普通なのかもしれないが、何ともやりきれない。しかし、清の存在だけは、この作品を読んでいて、ふっと心を和(なご)ませてくれる。

壺井栄の『二十誌の瞳』を読んで

 ”時世時節(ときよじせつ)”という言葉がある。「その時々の巡(めぐ)り合わせ」という意味であり、作品中でも大石先生のお母さんが、娘との会話の中で使っている。

 二十四の瞳の子どもたちが多感な時期に巡り会った時世はといえば、日本の国がたいへんな激動期にあり、戦争の影によって国民が深く暗い谷間の奥底に押し込められていったような時代だ。

 それでも、大石先生がはじめて岬(みさき)の分校に赴任(ふにん)してきた時の二十四の瞳たちは、みんな同じに光り輝いていた。それぞれに家庭環境などの違いはあったにせよ、みんなが同じ価値観をもち、同じところから自分たちの将来を夢見ていた。いつの時代にも、子どもたちの純真で生き生きとした心のありようは同じだなと感じる。

 しかし、戦争の荒波は、それからの彼らの運命を翻弄(ほんろう)した。戦場に駆(か)り出された男の子たちは、そのうち三人が還(かえ)らぬ人となった。生きて還った磯吉は視力を失った。女の子のなかには紅灯(こうとう)の巷(ちまた)へ連れ出された者もいた・・・・・・。

 ラストの大石先生を囲んだ歓迎会のシーンは感動的だ。見えない目で、昔撮ったみんなの写真の一人一人を指差していく磯吉(いそきち)。その指先が少しずつずれているのに、「そう、そう。そうだわ」と明るい声で相づちを打つ大石先生。

 二十四の瞳の全員がこの場に勢ぞろいはできなかったが、みんなの心が一度にあのころに戻ることのできたひと時だった。しかし、現実と夢多かったあのころとのあまりのギャップに、やがて涙せずにいられなかった彼ら・・・・・・。

 時世時節とはいえ、彼らが受けた試練(しれん)や境遇(きょうぐう)はあまりに過酷(かこく)だった。しかし、それに背を向けるでなく打ちひしがれるでもなく、懸命(けんめい)に生きている彼らの姿がとても印象的だ。自分たちを待ち受ける運命をきちんと見据え、つねに前向きに、ひたむきに生きようとする姿勢は、感動的で眩(まぶ)しいほどだ。

 彼らには、彼らのかけがえのない人生があった。暗さばかりでなく、そういう明るさがずいぶん引き立つ。だからこそ、よけいに辛(つら)く悲しい思いが強くなる。

森鴎外の『山椒太夫』を読んで

 ゆたかな情景描写と時代の情緒(じょうちょ)あふれる文章に、どんどん惹(ひ)きこまれていく作品だ。

 この小説のルーツは、中世末から近世初めにかけて庶民の間に流行した『さんせう太夫』という説教節だそうだ。母親との再会をはたす感動的な結末ながら、原作では、厨子王を逃がした安寿に厳しい拷問(ごうもん)が行われたことや、出世して丹波の国司となった厨子王が、山椒太夫一族への復讐(ふくしゅう)としてノコギリびきの残酷(ざんこく)な刑に処する模様が語られているという。

 二人に課せられた苛酷な労働や安寿に対する拷問などの話からは、当時、人身売買がふつうに行われていた事実や、その買主の残虐非道(ざんぎゃくひどう)な姿が浮かび上がってくる。また、厨子王の復讐談(ふくしゅうだん)は、抑圧(よくあつ)に苦しめられていた中世社会の庶民の”解放”への強い願望が察せられるところだ。

 鴎外によって、原作のモチーフは一変させられた。国司に出世した厨子王によって人買いを禁じられた山椒太夫一族が更に栄えていくさまは、やや興醒(きょうざ)めの感はあるものの、恩人の曇猛律師を僧都(そうず)に任じ、安寿をいたわった小萩を故郷に返してやり、また、安寿が入水した沼のほとりに尼寺を建立するなどの徳目の施しが、やがて厨子王を母親との再会へと導いていく。

 山椒太夫一族を罰しなかったのは、人買いは何も彼らだけの悪事ではなく、当時のふつうの社会現象だったという冷静な判断か。それに、原作のままだと、厨子王の単なる意趣(いしゅ)返しという薄っぺらい物語になってしまう。

 まあ、そんなことより、『山椒太夫』を読み終えてひたすら思うことは、安寿のこよなき存在感とその魅力に尽きる。少女でありながら終始ただよわせる大人びた憂(うれ)い、同時に凛(りん)とした気丈(きじょう)さを兼ねそなえた安寿は、鴎外の作品のなかでもっとも魅力的な女性像と評される。

 かの『野菊の墓』では、主人公が恋人の民子を「野菊のような人」と称していた。民子が野菊なら、私は、安寿のイメージにぴったりなのは、「ひとりしずか」の花ではないかと思う。

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P R

読書で仮想体験!

 私たちが実際に体験できることには限界があります。自分がいる世界とはまったく別世界の体験をしたり、多くの複雑な事象を、自力で知識を体系化して纏め上げたりするのは、とても困難です。

 その点、本にはさまざまな経験や知識が詰まっており、読み手は、読書によってこれらの経験や知識を自分のものとして獲得することができます。たとえば、「世界的な自動車メーカーの社長が、自社の経営危機に際し如何なる判断を下したか」「独自の技術をもつ町工場の社長が、自社の技術をどのようにアピールして世界進出を果たしたか」など、自分自身ではできないような貴重な体験が、読書を通じて仮想体験できるわけです。

 それから、読書によって、「長い年月を経て先人たちによって体系化された論理」や「歴史から得られた教訓」なども、確立した知識として容易に得られます。とくに歴史モノ、歴史小説などは、読み物として楽しいうえに、私たちの人生のあらゆるシーンに役立つ、さまざまな示唆が含まれています。まさに、「賢者は歴史に学ぶ」。

読書でストレス解消!

 ストレス解消に最も効果があるのは、カレーを食べることと読書することだそうですよ。カレーを食べるとクルクミンという成分が血液の流れを活発にしてくれるから。それでは読書はなぜストレス解消に効果的なのか?

 まずは、読書とは本の世界に入っていくことであり、脳の中を別の世界にしてしまうという仮想体験である。その別世界に浸ることで、現実の様々な負の感情や思考をいったん脳の中から追い出すことができる。そして、本を読んで想像することで、実際に経験したときのように脳が活性化する。実験で読書中の脳の様子をMRIで観察したところ、脳内に新しい神経回路さえ生まれたといいますから驚きです。

 テレビや映画では決してそんな現象は起きないそうです。テレビや映画で得られるのは、あくまで受身的情報であるのに対し、読書は自ら読む能動的行為ですからね。文字を捉えて文脈や行間を読み、さらにはイメージに変換する。そうした作業が活性化につながる。

 ただし、これは脳にとってけっこう負荷のかかる作業ですからね。あくまで自分なりのペースでこなしていく。ここんとこが肝心だろうと思います。だって同じ文字を読むのに、たとえば国語の試験の長文問題を読むときなど、ストレスの極致に至ってしまいますもんね。