受験と教育のコラム

まことに僭越ながら、不肖私の遠い過去の受験体験と、自らの子育てを経ていろいろ感じたことを綴ってみたく思います。よっぽどお暇なときにでも読んでいただければ幸甚です。

受験と教育のコラム  

入学試験の合格者数

 関西の私立中学校では、受験当日に、多くの場合アンケートをとられます。アンケートの内容はいろいろですが、どの学校でも必ずある質問が、「ほかにも受験する学校がありますか?」というものです。

 これは、学校側が合格者数を決定する際に参考にするための質問です。受験生に併願校の有無や学校名を答えさせて、合格発表後の入学辞退者の数を予測するためです。とくにライバル校の多い学校だと、合格者の数をどのあたりに設定したらいいのかとても悩ましいところとなります。年度によって、一人の受験生が併願できる学校の数が変わる場合もありますからなおさらです。

 いつだったか私の仕事上で、学校関係者と話をする機会があったので、これについては何か秘訣があるのかと尋ねてみましたら、「そんなものはない。あったら教えて欲しい」という答えでした。この予測が狂ってしまうとエライ目にあうそうです。

 しかし、受験生側の心理としては、アンケートの質問に対しては、「受験するのはこの学校だけ」と回答したいところです。裏切り者?のように思われたくありませんからね。でも、本当は全体の合格者数アップのためには、併願校の名前をどしどし書いたほうがよいのかもしれません。

うまい暗記方法?

 何かうまい暗記方法がないかとの悩みの声をよく聞きます。これには、十把一からげ的にうまくできる方法などありません。根気よくコツコツやっていくより他ないと思います。

 ただ、その際にできる工夫はあります。よく「五感を使う」といわれますが、極力多くの感覚を使って覚えるのがよいのです。たとえば、ただ参考書をじっと見つめて覚えようとしても、その場合、脳ミソは視覚しか使っていないことになります。ですから、あとで思い出そうとしても、脳ミソは視覚のルートしかたどれません。ところが、声に出しながら書いて覚えるようにすれば、その他の感覚も加わってきます。思い出すときにもいくつかの感覚のルートをたどれますから忘れにくい、というわけです。

 また、そのときのインパクトが強いほど記憶に残りやすいでしょうから、声を出すにしてもボソボソと小さい声ではなく、大きな元気のある声を出すほうが効果的です。そして、同じ調子を続けるのではなく、歌のようにリズムをつけるのもよいでしょう。体を動かしながら覚えるともっとよいと言う人もいます。

 以上の方法は科学的・医学的に正しいのかどうかは知りません。しかし、経験上まちがいなく効果のあがる方法だと思っています。私の息子たちも、試験前には、もううるさいほど騒がしくやっていますが、けっこううまくいっているようです。みなさんも試されてはいかがでしょうか。

エスカレータ校

 私立中学校の中でも、大学までエスカレーターで上がれる学校の人気が高くて、偏差値もかなり高いようです。しかし、そういう学校に行くのは、個人的にはちょっと賛成しかねるところです。

 それらの学校は、入るときは難しいのですが、入った後は中・高一貫のみの進学校と比べて勉強への熱の入れようは月とスッポンほども違います。そういう学校の卒業生に聞いたところでは、その学校では「楽しく充実した学園生活」がモットーで、いろいろな行事やクラブ活動ばかり盛んで、勉強はあまり力を入れてしないそうです。入る前のあの偏差値の高さはいったい何のためだったのかと思います。

 私が賛成しない理由の一つは、人間というもの、青年時代の一時期には必死で勉強するべきだと思うからです。大学受験のための勉強が真の勉強かと言われれば、若干疑問なしとはしないものの、中・高校でも遊ぶ、大学でも遊ぶのでは、決してバランスの取れた人間にはならない気がするのです。

 もう一つの理由は、小学生の段階で早くも大学の行き先まで決めてしまっていいものか、ということです。確かにそれらの大学は有名校に数えられてはいますが、もっと上はいくらでもあります。現に、途中で進路方針を変えて独学に励んで国立大学を受けて合格した子もいます。もちろんその余地が残されていますからどうこう言う必要はないのかもしれませんが、学校自体は大学受験用の鍛え方をしてくれませんから、極めて非効率・不合理です。

ノートの大切さ

 小学生の頃はそれほどでもありませんが、中学生以上になると、ノートの取り方やまとめ方が上手かどうかが、成績アップのためにはとても大切だといわれます。

 息子が通っている学校(中・高一貫の私学)の先生も、「入学したときは下のクラスでも、学年が進むにつれてどんどん上のクラスに上がっていく子は、ノートのまとめ方が素晴らしい」とおっしゃっています。

 うちの次男がどうやったかと言いますと、授業中は、とにかく先生の話の一字一句をもらすまいと、話し言葉をそのまま走り書きしたそうです。話すスピードに遅れないようにせっせと書かなくてはなりませんから、当然、字は汚いし文字の並びもグチャグチャです。そして、家に帰って、別のノートにきれいに整理して書き直すのです。

 それだけ時間が余分にかかるわけですが、そうすることで、ポイントがよく頭に入ると言っています。話し言葉をそのまま書くのがミソだと思います。さて成績はどこまでアップするやらしないやら・・・。

無念の親子

 毎年、1月下旬には多くの私立中学校の入試があり、翌日には早くもいくつかの学校の合格発表があります。何年か前のその日、ちょうど強い寒波がやってきて身も凍るような厳しい寒さとなり、受験生の子どもたちにはたいへん気の毒なコンディションでした。

 その翌日の午後2時ごろ、私は仕事の都合で外出していまして、JR環状線の某駅の構内で、合格発表を見に行った帰りの4人の家族連れに出会いました。それも、無念にも不合格だった子の家族です。

 なぜそれが分かったかというと、男の子にお父さんがさかんに声をかけているのが聞こえてきたからです。

「大丈夫、どうってことない、3年後にリベンジしたらいいんだ、お前ならできる!」

 男の子は悔しさと悲しさを抑えきれないのでしょう。手の甲であふれる涙を何度も拭いながら、どんどん前を歩いていきます。追いすがるお父さん。そして、その後ろから何ともやるせない表情でついていくお母さんと妹・・・。

 これは辛い光景でした。それまで2年も3年も家族ぐるみでがんばってきたのに、わずか2日間の出来事であっけなく打ち砕かれてしまった夢と希望。しゃくりあげながら前を歩いていく男の子の顔は見えませんでしたが、彼が受けた心の傷の深さはいかばかりでしょうか。

 そういう姿に接すると、まだ生まれて10年ちょっとしか経っていない子どもたちが受ける試練としては、あまりに過酷なような気がしてきます。いったん中学受験を目指すからには、きちんとした目標意識を植えつけてまっしぐらに努力させる必要があります。しかし、だめだったときの、「大丈夫、どうってことない」という励ましの言葉とのギャップをいかに埋めるかは、実際にはたいへん難しいと思います。

受験の失敗原因トップ15

 大学受験した先輩たちが語る、「受験の失敗原因ベスト15」という資料が手元にあります。実はある学校の進路指導部が生徒たちに配布したものなんですが、ここに来てくれた受験生のみなさんにも知ってもらいたいと思い、ここでこっそりご紹介します。

@ 模擬試験の復習をしなかった。
A 問題演習量が少なく、応用が利かなかった。
B 英単語の暗記不足。
C 受験生としての自覚の不足。
D 集中力がなく、すぐにテレビやラジオに流れた。
E 緊張感がなく、いろいろな誘惑に負けた。
F 暗記ものをしっかり覚え切れなかった。
G 苦手科目を後回しにして、結局克服できなかった。
H 問題集・参考書をたくさん買ったが、結局やりこなせなかった。
I 苦手科目を最後まで真剣に取り組まなかった。
J 心理面での弱さ。
K 生活のリズムが不規則だった。
L 独りよがりの学習。
M 生活習慣を朝型にできなかった。
N 多くの情報に振り回され、自分の勉強法を確立できなかった。

私学の生き残り競争

 少子化への危機感から、私立の学校・大学の生き残り競争は熾烈を極めているようです。有名校とされる中・高一貫校も、あの手この手で生徒数の確保に懸命です。校舎の改築、男女共学への変更、なかには広い範囲の地域から通学できるように毎日の始業時刻を遅らせる学校もあるといいます。

 しかし何といっても、その学校の人気をもっとも左右するのは、東大・京大などの一流大学への進学者数でしょう。私の息子たちが通っている私学でも、校長先生や先生方の意気込みは尋常ではありません。まことに頼もしい状況であり、高い目標に向けて先生と生徒がまっしぐらに進むのはよいとしても、最近ちょっと気になる話を耳にしました。

 同じ関西にあるライバル校ですが、その学校では、東大・京大への進学者数を増やすのに拘るあまり、「医学部進学の禁止令」が出されたとか。大学名のみにこだわり、生徒の本来の希望を押さえ込み、学部は農学部でもどこでもいいからとにかく東大・京大を受験しろという方針らしいのです。医学部だとどうしても東大・京大以外の大学に分散してしまい、進学実績を示すリストの見ばえが悪くなってしまうからです。

 そこまでやるのは如何なものでしょう。気持ちは分かりますが、どこか間違っている気がしてなりません。生徒の夢や希望を無視するなど、教育現場の方たちが行っていいものでしょうか。聞けば、その学校では、学業成績が落ちるとクラブ活動も強制的にやめさせられるそうです。生徒は学校の奴隷ではありません。

受験地獄の反動?

 大学生の学力低下が叫ばれています。その克服のため、卒業できる条件をうんと厳しくし、勉強しない学生は卒業させない方針を打ち出している大学が現れているとか。それ自体は好ましいとは思いますが、そちらを厳しくするのであれば、大学受験のほうを緩和してあげないと若者たちが可哀想すぎます。

 受験地獄も一時なら耐えうるでしょうが、最近は中学受験も過熱する一方ですから、彼らにとって苦労する期間があまりに長いように感じます。どこかで息切れしてしまわないか心配です。何ごとも「腹八分」がよいのです。多くの大学生が勉強しないのは、それまでに腹いっぱい詰め込みすぎるからでしょう。もう飽和状態になって辟易しているのです。

 大学時代はくさるほど時間があります。私の大学時代はそれほど勉強したとは思いませんが、それでも好きな科目はとても余裕をもってじっくり勉強できました。また、興味のある問題にはとことん集中できましたから、楽しく充実もしていました。そして、そういう勉強の仕方で学んだことはしっかり身について、今でもよく覚えているものです。

 大学生が勉強しないのは、あまりに過酷な受験競争の反動という面があると思います。勉強する環境としては申し分ないはずです。それを、大学までもがんじがらめにして地獄のように厳しくしてしまうと、そういう良い面が失われてしまうばかりか、ひょっとして今度は社会人になって遊ぶ学生が出てくるかもしれません。

ウンコにまみれた中学受験

 私の次男が中学受験したときの出来事です。学校は電車で1時間以上もかかる遠方でした。当日は、朝暗いうちから私が一緒に出かけていきました。ところが、途中で大変な事件が発生したのです。何と、次男がウンコを漏らしてしまったのです。

 電車に乗っていて降りる駅に近づいた頃、突然「おなかが痛い、トイレに行きたい」と言い出しました。緊張と寒さから下痢を引き起こしてしまったようです。

 大急ぎで駅のトイレに駆け込み、私は荷物を持って外で待っていました。しかし、なかなか出てきません。10分くらい経ったでしょうか。ようやく出てきた次男の顔は、普通ならスッキリしているはずなのに、何か深刻な顔つきでありました。どうしたのかと尋ねたら、「漏らした」といいます。先客がいて、待っているうちに我慢しきれなくてパンツの中に出してしまったのです。ズボンのお尻を見ると直径30センチくらいの大きな染みがついています。パンツはどうしたのかと聞いたら、トイレに捨てたと言います。

 大事な受験を前に何たる事だと呆然となりました。新しいズボンとパンツを買おうにも、早朝なのでまだどこの店も開いていません。どうしようかと思っていたら、本人は「大丈夫」と言います。幸いオーバーのような上着を着ていましたので、お尻の染みは隠れて見えません。気になるのは臭いです。

 仕方なく学校まで歩いてたどり着きましたが、本番直前のこの気持ちの動揺は致命的だと思いました。まともな精神状態で試験に臨むことはできないはずです。この2年間の苦労が、たかがウンコのために水泡に帰すのかと思うと残念でなりませんでした。

 ところが結果は、何と合格でした。ウンが離れなかったとしか言いようがありません。臭いはどうだったのかと心配しましたが、「後ろの席の子は、欠席だったから大丈夫」と本人は言っています。本当でしょうか。

とんでもないミス

 センター試験で大失敗をしてしまった受験生の話を聞きました。英語の自己採点をしていて、解答を記入する欄が1行ずつズレてしまっていたのが分かったのです。その生徒は京大合格は間違いなしと言われていたらしいのですが、信じがたいほどの初歩的なミスです。それに気づいて愕然としたときの彼の気持ちを思うと、何ともやりきれません。本来、ああいう形式の試験では、記入欄の間違いにいちばん気をつけるはずですが、過信していたのでしょうか。

 私の長男は、中学受験のとき、2科目目の試験の最中に急に体調が悪くなって吐きそうになり、途中でギブ・アップする寸前だったといいます。何とか持ちこたえたものの、会場を退出すれば、それで一巻の終わりだったわけです。

 次男の場合は、前項でもご紹介しましたが、試験当日の本番直前にウンコをもらしてしまい、散々のコンディションで試験に臨むはめになりました。このように、いったい何が起こるか分からないのが入学試験です。それまでずっと苦労してきたことが、何でもないケアレス・ミスや突発的な体調の異変などでフイにしてしまうのは、悔やんでも悔やみきれません。

 いずれの場合も、極度の精神的な緊張が影響したと言えましょう。ふだん当たり前にやっていることができなくなり、また、体の調子が突然狂ってしまうのだと思います。

 どうか受験生の皆さん、心を平静に保ち、且つ、細心の注意と準備をして本番に臨んでください。フレー、フレー、すべての受験生(ただし、このサイトを見にきてくれた方のみ)。

ペットの死

 子供の情操教育の大切さがよく言われますが、私は、犬や猫などの動物をペットとして飼うことがもっとも効果的な方法ではないかと思っています。ただ可愛がればいいというものではなく、忍耐強いしつけやお世話が必要ですし、何より一つの命を育むことから得られる優しさ、気配り、思いやりといった豊かな情緒は、何ものにも優る気がします。

 もの言えぬ生き物に相対することの難しさ、そして、努力が実って気持ちが通じ合ったときの喜び、こういったものは、他ではなかなか味わうことができません。

 また、可愛がっていたペットの”死”による別れ――これも、辛いけれども、きちんと直面しなくてはならない大切な試練です。楽しいことばかりに目を向けるのではなく、そういう悲しく辛い部分があるのも併せて受け容れて動物に接しなくてはなりません。

 けれども、”死”を単に辛く悲しいという捉え方をするのはどうかと思います。きちんと天寿を全うし、安らかに死んだのであれば、それはそれで大いなる喜びとすべきではないでしょうか。限りあるのが命ですから、動物にとっても、その命を全うし、まして可愛がってくれたご主人に看取られて終わるのは最高の幸せでしょう。ですから、見送る側も、「これまでありがとう、よかったね」と、きっぱりとした充足感をもって臨むべきだと思うのです。

 動物を飼いたいけれども、死ぬから嫌だという人がよくいます。しかし、そういうふうに考えれば、可愛いペットの死にも、むしろ清々しい気持ちで向き合えるのではないでしょうか。

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