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故事・ことわざの解読

→あ行/か行さ行た行な・は行ま行~

故事・ことわざの解読

あ行

圧巻(あっかん)

昔、中国の科挙(かきょ:官吏登用試験)のとき、もっともよい成績の答案を、ほかの答案のいちばん上に載せたことから、ほかの巻を圧する、すなわち書物や催し物などでもっともすぐれている部分を意味することばとなりました。

石に漱(くちすす)ぎ流れに枕す

晋の孫楚が山野に隠れ住み自由な生活をするのに、「石に枕し流れに漱ぐ」と言おうとして「石に漱ぎ流れに枕す」と言い間違えたのを人に指摘され、石に漱ぐのは歯を磨くため、流れに枕するのは耳を洗うためと、うまく言い逃れました。そこから、負け惜しみの強いことを意味するようになったもので、「さすが」を「流石」と書くのも、この故事にちなんでおり、「さすがにうまく言い逃れた」という意味を含んでいます。夏目漱石のペンネームはここから取ったものです。

いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)

菖蒲と杜若はよく似た花で美しく、どちらがどちらだか区別がつきにくい。昔、源三位頼政(げんさんみよりまさ)が鳥羽院から菖蒲前(あやめのまえ)という美女を賜わるとき、同じような美女を3人並べた中から当人を当てよと命じられ、困り果てて「五月雨(さみだれ)に沼の石垣水(いわがきみず)こえて、いずれかあやめ引きぞわずらう」という歌を詠み、院の御感(ぎょかん)を得たという話が元になっています。

いたちごっこ

「いたちごっこ」とは、いったいどのような「ごっこ」? 実はイタチのオスとメスは果てしない堂々めぐりの追いかけっこをして戯れるのです。うーん、本当のいたちごっこって、なかなかいいじゃありませんか。

一富士、二鷹、三なすび

夢に見ると縁起がよいものを順に並べたもの。とくに初夢についていいます。江戸時代のことわざであり、その理由は、徳川家康の好物をただ並べただけという説が有力です。

一気呵成(いっきかせい)

「呵」は、筆に息を吹きかけること、「呵成」は息を吹きかけるだけで完成することで、もとは、文章などを一息に書き上げる意味です。

一炊(いっすい)の夢

盧生という若者が、邯鄲(かんたん)という町のある宿屋で不思議な枕を借りて昼寝をしたところ、良い妻を得、出世して諸侯となり富み栄え、子どもにも恵まれ八十歳を越えるまで長生きした夢を見ました。目覚めてみると、宿屋の主人があわを一炊きするほどのごく短い時間しかたっていませんでした。というわけで、栄枯盛衰のはかなさの意味に使われることばです。「邯鄲の夢」ともいいます。

韋編三絶(いへんさんぜつ)

何度も繰り返し、熱心に本を読むことのたとえ。また、学問に熱心なことのたとえ。孔子が『易経』を愛読してなめし革(=韋)のとじ紐が何度も切れたことから。

有頂天

「得意の絶頂」の意。もとは仏教で色界・欲界の最高所とするサンスクリット語「bhava-agra」の漢訳。これが「天の最上に登りつめる」「絶頂を極める」の意味に転じ、近世以降になって現在の意味に転じました。

海千山千

海に千年、山に千年住んで年をとった蛇は竜になるといわれたことに由来します。

烏有(うゆう)に帰す

「烏」はカラスのことではありません。「烏(いずく)んぞ有らんや」と読み、「どうしてあるだろうか、いやない」という反語的な表現、つまり「全く何もないという意味です。とくに火災で丸焼けになって何もかもなくなる場合に使われます。

屋上屋を架す

原文は「魏晋巳来、著す所の諸子、理重なり事復し、・・・・・・なお屋下に屋を架し、牀上(しょうじょう)に牀を施すがごときのみ」(魏・晋以来、いろいろな人たちが著した書物は、道理も事実も重複していて、まるで屋根の下に屋根をつくり、寝台の上に寝台を設けるようだ)となっており、「屋上」ではなく「屋下」なのです。どうやら日本に伝わってきたときに、下が上になってしまったようです。

小田原評定

多くの意見が入り乱れ、なかなか結論が出ないことのたとえ。1590年に、豊臣秀吉が小田原城を包囲したとき、城中では城主のの北条氏政や氏直らが、腹心らと和戦いずれにするかで談合したものの、100日に及んでもそれが決まらなかったことから出た言葉です。

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か行

隗(かい)より始めよ

中国の戦国時代。燕(えん)の国の昭王が、賢者を国に招こうとして側近の臣の郭隗(かくかい)に「どうしたらよいか」と尋ねました。隗は、
「昔ある国の王が一日千里の駿馬(しゅんめ)を探し求めましたが三年かかっても得ることができませんでした。そこである家来が死馬の骨を五百金で買いました。そうすると、死馬の骨でさえそんな高価で買ってくれるのなら、よい馬はどれほどの値段で買ってくれるのだろうのかという噂がわっと広まり、すぐに一日千里の馬が三頭も手に入ったといいます。王様は、まずこの隗(自分)を重用してごらんなさい。そうすれば、あんな隗でさえ重用されるのならと、もっと優秀な人材がたくさん集まってきます」と答えました。
昭王は、隗を後見役に就かせたところ、ぞくぞく人材が集まり、国を富強にすることができたという故事に由来することばです。

臥薪嘗胆(がしんしょうたん)

呉(ご)王の夫差(ふさ)が越(えつ)に対する恨みを忘れないように薪(たきぎ)の上に寝たことと、越王の勾践(こうせん)が呉から受けた恥を忘れないように苦い肝(きも)を嘗(な)めたという故事です。復讐のためあるいは将来の成功のため長い間苦労するたとえとして使われることばです。

画竜点睛(がりょうてんせい)

有名な絵師が竜の絵を描き、ひとみ(睛)を入れると飛び去ってしまうと言って入れなかったのをうそだと言われたので、それではとひとみ(睛)を描き入れると雷鳴電光とともに竜が天に舞い昇ったという故事によります。

管鮑(かんぽう)の交わり

春秋時代のはじめごろ、斉に住んでいた管仲(かんちゅう)と鮑叔牙(ほうしゅくが)は、若いころからお互いの才能を認め合う親友でした。やがて二人は長じてそれぞれ別の公子に仕えるようになりました。ところが、内乱が起こり、鮑叔牙が仕えていた公子が位に就いて斉の桓公(かんこう)となり、その命をねらったとして管仲が首をはねられそうになります。
しかし、鮑叔牙は管仲との友情を忘れず、また彼の能力を知っていたので、桓公に助命を願い出ます。桓公は信頼する臣下・鮑叔牙の意見を容れて管仲を許し召抱えます。その後、管仲は手腕をいかんなく発揮し、斉は他の諸侯に先駆けて覇(は)を唱えました。

九牛の一毛

これは『史記』の編者である司馬遷(しばせん)のことばで、しかもチンポコを切り取られるという刑罰(官刑)に関わりがあるといいますから驚きます。
司馬遷(前145~86年)は、知人の李稜(りりょう)が匈奴討伐に敗れ降伏したとき、ひとり彼を弁護したためにこの刑を受けることとなりました。この恥辱の刑を受けた者の多くは自殺してしまうほどのものでしたから、遷も一時は自殺を考えました。しかし「世間の人は、私に対する処刑など九牛の一毛くらいにしか感じていないだろう」と思い直し、その後も生き長らえ、中国で最初の紀伝体史書『史記』を完成させたのでした。

牛耳を執(と)る

「牛耳(ぎゅうじ)る」とも言いますが、ことばのイメージからは、牛の耳を引っ張りまわすように強引にリードするというふうな意味にとられがちです。たしかに仲間の上に立って思うままに指図するという意味に使われますが、実はこのことばは、古代中国で同盟の誓いを立てる場合に、盟主となる者がいちばん先に牛の耳を裂いて血をすすったことに由来します。決して牛の耳を引っ張るわけではないのです。

株(くいぜ)を守る

旧習を固守して融通が利かないという意味で、ウサギが偶然に木の切り株にぶつかって死んだのを見て、またぶつからないだろうかと、毎日切り株を見張って暮らしたという愚かな宋の国の農夫の話です。「守株(しゅしゅ)」とも言います。

蛍雪(けいせつ)

苦労して学問に励むこと。古代中国・晋の車胤(しゃいん)は、貧乏で灯火の油が買えず蛍(ほたる)を集めてその光で読書し、孫康(そんこう)は貧しくて油がないので雪明かりで読書し、共に貧乏に負けずに勉強をした故事によります。

桂馬(けいま)の高上がり

人は実力不相応な地位に上がると、思わぬ失敗を招くというたとえ。将棋の駒の桂馬は、駒を一つ飛び越して斜め前に進むことができ、独特な働きをするものの、前後や左右に動けないので、あまり前に出過ぎると、頭に歩(ふ)を打たれてむざむざ死んでしまう場合が多いことから。

鶏鳴狗盗(けいめいくとう)

つまらないことしかできない人のたとえ。また、つまらないことでも何かの役に立つことがあるというたとえ。中国の戦国時代、秦の昭王に捕らえられた斉の孟嘗君(もうしょうくん)が、犬のように盗みをはたらく食客と、鶏の鳴きまねのうまい食客の働きで脱出し、無事に逃げ帰ったという故事から。

逆鱗(げきりん)に触れる

「逆鱗」とは何か。韓非子が言い出しっぺのようですが、竜の喉(のど)の下に逆さについたウロコ、すなわち逆鱗があり、人がこれに触れると殺されてしまうというものです。

月下氷人(げっかひょうじん)

なぜ「月下氷人」が仲人を意味することばとなったのでしょう。これは「月下老」と「氷人」の二つの故事から合成されたといいます。
唐の韋固が旅をしている途中、月夜の晩に宋城の南の村である老人に出会いました。その老人は、袋に持った赤い縄で世の中の男女の縁を結ぶという人でした。韋固が「私の妻もどこかにいますか」と尋ねると、「宋城の北門で野菜売りをしている陳婆さんが抱いている赤ん坊だ」と言われました。韋固はがっかりして立ち去りましたが、十数年後、官吏になった韋固は太守の娘と結婚しました。妻の身の上を聞いてみると、実は太守は養父で宋城の北門の野菜売りの陳婆さんの娘だったのです。
また、晋の令狐策が、氷の上で氷の下の人と話をしたという夢を見て、それを占いの名人に占ってもらったところ、それはあなたが結婚の仲人をする前兆だと言われました。彼は後にその予言どおりに結婚の仲人をしました。

健全なる精神は健全なる身体に宿る

精神と身体は一体であり、身体が健全であると精神も健康であるということ。ローマの詩人ユヴェナリスの「健全な身体に健全な身体があるように祈るべきである」という語に基づきます。英訳文は「A sound mind in a sound body.」

紅一点

王安石の詩にある「万緑叢中紅一点」が語源で、晩春の多くの青葉のなかに、ただ一輪紅い花が咲いているという意味です。そしてこの紅い花は、石榴(ザクロ)の花です。

コロンブスの卵(たまご)

前例がないことに挑戦する難しさを意味する言葉。ある人がコロンブスに対し「アメリカの発見ぐらい誰にでも出来る」と言ったので、コロンブスが「卵を立ててみよ」と言った。そんなことはできないと言うと、コロンブスは卵のしりをつぶして立てて見せ、アメリカ発見もこれと同じだと言った故事から。

沽券(こけん)に関わる

「沽券」とは、土地・家屋などの所有・売買を証明する文書のことです。転じて、人間の体面や信用の意味となっています。

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さ行

去る者は日々に疎(うと)し

出典は『文選』で、人生のはかなさを歌った詩の一節です。すなわち「去る者」は「死んだ人」のこと、そして「疎し」は「忘れる」の意味ですから、職場を去った人などに対して使うことばではありません。

三顧(さんこ)の礼

『三国志』の蜀(しょく)の劉備(りゅうび)が諸葛孔明(しょかつこうめい)を軍師として迎えたときのこと。劉備は吹雪の中、孔明の草庵を訪ねましたが、二度までもすっぽかされてしまいます。劉備の義兄弟の関羽や張飛は腹を立てましたが、劉備は、どうしてもこの人物は必要だから会えるまでは何度でも行くと言い、三度訪ねてやっと会うことができました。そして劉備と孔明は、生涯にわたる君臣関係を結んだのです。

死馬(しば)の骨を買う

すぐれた人材を集めるために、つまらないものでも優遇することのたとえ。昔、一日に千里を走る名馬を求めに行った使者が、大金を払って死んだ名馬の骨を買って来ました。その行動に王は怒りましたが、使者は「死んだ馬の骨に大金を投じれば、必ず生きた名馬を売りに来る者が現れるでしょう」と言いい、その言葉通り、一年も経たないうちに王のもとに名馬の売り手が三人も集まってきたという故事によります。

杓子定規(しゃくしじょうぎ)

なぜ「杓子」と「定規」なのでしょう。杓子はお汁などをすくう道具ですが、昔の杓子は柄が曲がっていました。それを定規に使おうとしてもどだい無理なことから、融通や応用の利かないことを意味することばになったようです。

弱冠(じゃっかん)

男子の二十歳のことです。昔、男の二十歳を「弱」といい、元服して冠をかぶったのでこのように言われます。「若冠」と書いたら間違いです。

酒池肉林(しゅちにくりん)

大きな池に白砂利をしき酒をたたえ、池の周りには丘にみたてた肉の山、林のかわりに乾肉を並べ、大勢の美女が舞い、飲めや歌えの大宴会。

助長

今では「助成」の意味にも使われますが、本来は、いらぬ力添えをしてかえって害する意味です。宋国の人が稲の苗の成長を早めようと、その穂先を引っ張り、かえって枯らしてしまったという話からきています。

象牙の塔

フランスのサント・ブーブが、現実社会から離れて学術に没頭している学者を評して言ったことば。日本では、研究熱心のあまり日露戦争が起きたことも知らなかった明治物理学の祖、長岡半太郎という学者が「象牙の塔」の代表的存在とされているようです。

糟糠(そうこう)の妻

「糟糠」は酒のかすと糠(ぬか)。そんな粗末な食べ物を食べながら、貧しい時から連れ添って共に苦労してきた妻。宋弘が言うには、「貧乏時代の友は忘れてはいけない、貧乏時代の妻は離縁してはいけない」ということです。

尊王攘夷(そんのうじょうい)

漢民族は、自国の文明と政治力に対する強い自信と自負から、自分の国を「中華」と呼び、四方の異民族を東夷西戎北狄南蛮(とういせいじゅうほくてきなんばん)と呼んで蔑視するようになりました。その後の中国の歴史のなかで、夷狄(おもに騎馬民族)があらわれて敵対してきたとき、それを排撃する行動は「攘夷」と呼ばれました。春秋戦国時代には、「周の文王を尊敬して夷狄を討ち払う」という意味で「尊王攘夷」が諸侯の間で叫ばれます。日本の幕末に巻き起こった尊王攘夷運動は、この故事を引用したものでした。

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た行

大器晩成

出典は『三国志』と『後漢書』です。中国三国時代の宰相林氏と後漢の将軍馬援が、若いころに将来大器となるであろう素質を見出され、従兄や兄から「あわてずにじっくりと大成せよ」と教えられたといいます。
つまり、大人物といえども、その素質が短時日にあらわれてくるものではなく、着実に自己を磨いていかなければならないという意味を含むものです。決して大人物はじっとしていればいつか必ず芽が出るということではありません。

他山の石

『詩経』に「他山の石 以て玉を攻(をさ)むべし」とあり、よその山から出た粗悪な石でも自分の玉を磨くのに役立てることができるという意味です。そこから、人の誤まった言動も、それを参考にして自分の修養の助けとなるというときに使います。注意しなければならないのは、「他山の石」は悪いものですから、「あなたの行動を他山の石として、がんばります」などと面と向かって言ってはなりません。

多士済済(たしせいせい)

出典は『詩経』で、原文は「済々たる多士」です。「済々」は「せいせい」と読むのが正当です。
周の文王は、善政をしき人民に慕われた王様ですが、賢人を広く求めて登用し、よく彼らの進言を聞き入れました。そのため、志を持った多くの人材が諸国からやってきて、文王のまわりは有能な文官・武官だらけとなったのです。そして、そのようすを形容したのがこのことばです。

蛇足(だそく)

昔、楚の国で幾人かの者が酒を賭けて、ヘビの絵を早く描きあげる競争をしました。早く出来上がった者がつい調子に乗って不要な足まで描いてしまったためにヘビとは認められず、酒をもらいそこなったという故事です。

駄目(だめ)を押す

囲碁の世界から出た言葉で、このほか「一目置く」「岡目八目」「定石」「大局観」などもそうです。囲碁は、黒石と白石で陣地取りをするゲームですが、やっているうちにどちらの陣地でもない場所(目)が出てきます。これを「駄目」といいます。そこにわざわざ石を置いて勝利を確かなものにすることを「駄目を押す」と言ったのです。

たらふく食う

「たらふく」は鱈腹、すなわちタラのおなか。タラはたいへん食い意地の張った魚でその腹の中には何でも入っていることから、ただ満腹になるだけでなくガツガツ食うことをいいます。

断腸の思い

中国の『世説新語』に書かれている伝説からきています。子を失って、その悲しみのあまり死んでしまった母猿の腹を割いてみたところ、腸が細かくちぎれていたというものです。

天高く馬肥ゆ

出典は『漢書・匈奴伝』です。もともとの意味は現在使われているのとは随分違っています。匈奴はずっと漢民族の中国を脅かし続けた北狄です。代々の王朝はその防衛に苦労してきましたが、匈奴が襲ってくるのは冬の食糧を確保しなくてはならない晩秋のころでした。そして、「晴れ渡った秋空、匈奴の馬たちも腹いっぱい草を食べて肥ったことだろう。そろそろ草も枯れる。まもなく我々の収穫を奪いにくるぞ」というのが、このことばの本来の意味です。秋を迎えたすがすがしさを喜ぶどころではないのです。

桃源郷(とうげんきょう)

晋のころ、武陵の漁師が小舟で川を上っていき、水源地の山の小さな穴をくぐりました。すると、山の向こうに桃の花の咲き乱れる美しい山里がありました。そこに住む人々もみな善良で、まるでこの世の別天地のようでした。聞けば、何百年も前の秦の時代に乱世を逃れた人たちの仙境だといいます。漁師は数日間滞在して帰ってきて、太守を案内してこの仙境を探しましたが、再びその入り口を見つけることができなかったのです。

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な・は行

無い袖(そで)は振れぬ

おカネがたくさん入っている袖は、その重みでぶらんぶらんと振ることはできるが、空っぽではヒラヒラするばかりで振ることもできない!

なしの礫(つぶて)

「なし」は「無し」ではなく「梨」と書きます。もっとも、「無し」に語呂合わせしたものですから、いちいち目くじら立てる必要もないでしょうか。

為せば成る

出典は、米沢藩主・上杉鷹山が家臣に示した歌、「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」。

南船北馬

絶えずあちこちを旅行する意味ですが、中国南部は川や湖沼が多くて船が、北部は陸地ばかりですから馬がいちばんの交通機関だったことからいわれたことばです。

濡れ衣を着る

「無実の罪をおわされる」意味で使われていますが、この「濡れる」はもともと「男女の情事」のことです。したがって、この諺の本来の意味は、「情事はかりそめのうちに気をつけないと、体を任せてしまってからでは後戻りできなくなるよ」というような、女心を心配したものなんです。

寝耳に水

寝ていたら耳に水が入ってきたというわけではなく、安らかに寝ていたら、突然大水が出て「水だ!」という叫び声が聞こえた、という意味です。

嚢中(のうちゅう)の錐(きり)

中国の戦国時代、趙の皇族で宰相だった平原君(へいげんくん)は、実に三千人の食客を養っていました。あるとき、使者として楚の国に援助を求めにいくこととなり、頼りになりそうな人物20人を選りすぐって伴として連れて行くことにしました。
しかし、19人まではそろったのですが、あと1人がどうしても見つかりません。困っていたら、末席の毛遂(もうすい)という男が「ぜひ私を」と進み出てきました。平原君が「君は私のもとに来て3年になるが、格別の才能があるとは聞いていない」と言うと、毛は「それは先生が錐を袋の中に入れようとなさらないからです。袋に入れてくだされば突き出ると思います」と答えました。
平原君が伴に加えて楚の国に連れていきますと、毛は果たして外交上の大功を立てたのです。

伯仲(はくちゅう)

兄弟の順序を「伯・仲・叔・季」といい、「伯」は長兄、「仲」は次兄のことで年齢が近いので、優劣がつけにくい場合に使われるようになりました。

白眉(はくび)

三国時代、蜀の馬氏に五人のすぐれた子どもがいて、とくに長兄の馬良が最もすぐれていました。その馬良の眉に白い毛がまじっていたので、世の人が五人兄弟のうち白眉がいちばんよいと評判を立てた故事によります。

馬耳東風

「東風」とは春風のことです。春風が吹くと人は喜びますが、馬には何の感動もないという意味です。

破竹の勢い

竹を割るとき、最初の節を割ると、あとはたやすく次々に割れていくことから、猛烈な勢いのたとえに使われます。

破天荒(はてんこう)

中国の荊州(今の湖北省)では、官吏登用試験を受けて合格した者がなく、「天荒」(人知が開けない土地)と呼ばれていました。しかし、劉蛻(りゅうぜい)がはじめて合格し、人々は彼のことを「天荒を破る者」と呼びました。

顰(ひそみ)に倣(なら)う

善し悪しを考えず、むやみに人を真似することのたとえ。「顰」は眉をしかめること。中国春秋時代、越の西施という美人が胸を病んで苦しみ、苦痛で顔をしかめているのを美しいと思った町の醜女が、それを真似て村中を歩いたものの、そのあまりの醜さに人々が耐えきれなかったという逸話から来ています。なお、人の言動を見習うことを謙遜して言う意味にも使われます。

皮肉

皮肉とは、文字どおり骨ではない皮膚や肉のことですが、もともとは仏教の根本原理に関係のない枝葉末節ばかり論ずることを言ったことばです。

瓢箪(ひょうたん)から駒が出る

出典は『宇治拾遺物語』です。スズメを救った老婆がお礼にもらった瓢箪の種をまいて育てたら、瓢箪の実の中からおコメが出てきたというお話です。この「コメ」が、いつのころからなぜ「コマ」になったのかは定かではありませんが、いくら意外なところから意外な事物が現れるたとえとはいえ、瓢箪の実から本物の馬が出てくるなんて度を超えていますものね。

貧者の一灯

貧者が苦しい生活の中でやりくりして神仏に供える一つの灯明のことで、至誠をもってする行いの貴さをいう言葉。紀元前5世紀ごろのインドでの話が由来で、阿闍世王は、あるとき、仏になれるように、お布施として、祇園精舎から王宮までの道に何万もの灯りをともした。それを見た一人の貧しい女が、自分も供養したいと思い、髪を切って売り、わずかなお金を手に入れて一つの灯りを献じた。すると、にわかに強風が吹き、万灯はみな消えてしまったのに、彼女の献灯のみ消えず、夜明けまで照らし続けた。

笛吹けど踊らず

『新約聖書・マタイ伝』が出典。キリストがいくら福音を説いてもパリサイ人、ユダヤ教徒は信じようとしないことを嘆いたことばです。

覆水 (ふくすい) 盆に返らず

本来は、離婚した夫婦の仲は再び元通りにはならないという意味で、これは次の故事にもとづきます。呂尚(のちの太公望)が若いころ、貧乏なのに働かず読書ばかりしていたので、妻馬氏が愛想をつかして離縁して去ってしまいました。後に出世して諸侯となったとき、去った妻が復縁を求めてきましたが、太公望は盆に入っている水をこぼし、その水をもとに返すことができたら願いを聞いてやろうと言って断ったというものです。

冬来たりなば春遠からじ

イギリスの詩人シェリーの作品『西風に寄せる賦』にあることばです。原文は、If Winter comes,can Spring be far behind?

洞ヶ峠を決める

日和見(ひよりみ)主義の代名詞。洞(ほら)ヶ峠は京都と大阪の間にある峠です。天正10年の山崎の合戦のとき、筒井順慶が洞ヶ峠に陣取って形勢を観望し、豊臣秀吉と明智光秀の双方に色目を使って動かなかった故事によります。

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ま行~

満を持す

もともとは、弓を十分に引き絞ってそのまま構えている、という意味です。『史記』の「漢の矢まさに尽きんとす。広すなわち士をして満を持して発するなからしむ」に由来します。

三日天下

明智光秀が織田信長を倒して天下を取ったのは、実際は三日ではなく十二日間でした。

やはり野におけ蓮華草(れんげそう)

江戸時代中期の俳人瓢水(ひょうすい)が、遊女を身請けしようとしていた友人を諌(いさ)めるのに使ったことばです。何とも趣のある諫言だと思いませんか?

山を張る

この言葉のほかにも「ヤマカン」とか「ひとヤマ当てる」のヤマは山師の山です。昔の山師はそれこそカンだけで地下の鉱脈を探り当てていましたから。

病 膏肓(こうこう)に入る

不治の病にかかること。転じて、あることに夢中になって、手のつけようもないことにもたとえます。「膏」は心臓の下、「肓」は横隔膜の上で、膏と肓の間は、治療のための鍼(はり)や薬が届かない最深部とされました。中国春秋時代、晋の景公が病気になり、病気の精が二人の子供となって膏と肓に逃げこんだので、病気が治らなかったという逸話から来ています。

夜郎自大(やろうじだい)

「夜郎」とは、中国・漢の時代、西南にいた異民族のことをいいます。その地域でお山の大将をを決め込んでいて、隣の漢が広大な領土と強大な力をもつ国であるのを知らずに戦って敗れたのでした。自分の力量を知らずに威張る人を戒める言葉です。

唯我独尊(ゆいがどくそん)

釈迦が生まれた時に言ったとされる、「天上天下唯我独尊」ということばに基きます。もともとは人格の尊厳を説いたものですが、現在では、自分だけが優れていると自負する意味に使われているのはちょっと残念な気がします。

粒粒辛苦(りゅうりゅうしんく)

「粒粒」はご飯の一粒一粒のこと。それらはすべてお百姓さんの苦労の賜物であるという意味です。

領袖(りょうしゅう)

「派閥の領袖」という言われ方をよく耳にします。集団のかしらという意味ですが、「領袖」というのは着物の領(えり)と袖(そで)のことです。領と袖をつかむと着物が持ち上がるので、領や袖のように人々を引き連れる人というわけです。

 

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西洋のことわざ Ⅰ

◆恋も人生も、すぐ冷める。
 
◆冗談で人が知れる。
 
◆一冊の本は、一年の旅行にも勝る。
 
◆高慢な人は損ばかりする。
 
◆悪い職人はいつも道具をけなす。
 
◆食卓は歳をとらない。・・・大勢で食卓を囲みおしゃべりを楽しむことが元気の源という意味。
 
◆にんじんは煮えてしまった・・・「万事休す」
 
◆一冊の本しか読まない者は怖い。
 
◆最善のものを希望せよ。しかし最悪のものに備えよ。
 
◆馴れ馴れしさは侮りを生む。

◆言うこととすることの間には、海が横たわっている。・・・「言うは易く行うは難し」
 
◆暇になると、心で悪魔が動き出す。
 
◆子供には魚を与えるより、魚の釣り方を教えろ。
 
◆書くことは正確な人をつくる。
 
◆追従は友をつくり、真実は敵を生む。
 
◆慈愛は家庭に始まる。
 
◆お人よしは多くの人の負担になる。

◆一足の靴に両足を入れるな。・・・同じ場所に二人の恋人を呼ぶなといこと。
 
◆自由にさせておくと、よい妻でもダメになる。
 
◆知識のない熱心さは光のない火である。
 
◆新しいものはすべて美しく見える。
 
◆人は深い傷を負っても治るが、悪評を立てられると命取り。
 
◆4月の雨は5月に花を咲かせる。
 
◆中身のない袋はまっすぐに立たない。
 
◆陽気な心は長生きをもたらす。
 
◆短さはウィットの魂だ。・・・冗談は短いものほどよいということ。
 
◆早起きの鳥は虫を捕まえる。・・・「早起きは三文の徳」
 
◆ダイヤモンドより、歯のほうを1000倍も大事にすべきだ。
 
◆愛と戦争では全てのことが正当化される。
 
◆東でも西でも、家が一番。
 
◆どんな喜びも、その背に苦しみを背負っている。
 
◆生きるために食べろ、食べるために生きるな。
 
◆なんでも出来る人には、すぐれた芸はない。
 
◆恋する者には、バラの花も棘(とげ)なしに見える。
 
◆泣きながら習うと、やがて笑いながら稼ぐ。
 
◆判断を下すには、左右同じような耳を持つ必要がある。
 
◆苦難にあるときの友人は真実の友人。
 
◆健全な心は健全な肉体に宿る。
 
◆誰と付き合うかでその人がどんな人かは分かる。
 
◆賢者への言葉は一言で足りる。
 
◆恋を望む者に友情を与えることは、渇きで死にそうな者にパンを与えることだ。
 
◆こぼしたミルクを嘆いても仕方がない・・・「腹水盆に返らず」
 
◆運のいい人のためには、おんどりでさえ卵を産む。
 
◆衣服が人をつくる。
 
◆1オンス分の予防は、1ポンド分の治療の価値がある。 
◆怠け者は泥棒と同じだ。
 
◆神は毎週支払わないが、最後には支払う。
 
◆知っていることのすべてを語るな。聞いたことのすべてを信じるな。できることのすべてを為すな。
 
◆吠えないイヌと、無口な者には用心せよ。
 
◆一日一個のリンゴは医者を遠ざける。
 
◆表紙から本はわからぬ。
 
◆時間が過ぎ去っていくのではない。われわれが過ぎ去っていくのだ。

西洋のことわざⅡ

◆阿呆と金はすぐに分かれる。
 
◆少しぐらい病気があったほうが長生きする。
 
◆同じ羽の鳥は集まる。・・・「類は友を呼ぶ」
 
◆光るもの全て金ならず。
 
◆悲観的な人は単によく知っている楽観的な人だ。
 
◆罪の意識は告発者を必要としない。
 
◆行動は言葉より雄弁に語る。
 
◆悪人に囲まれた善人は、最も悪人に見えるものだ。
 
◆ポット一杯のミルクは1滴の毒で台無しになる。
 
◆みんなの仕事は誰の仕事でもない。
 
◆ローマは一日にしてならず。
 
◆わが家の暖炉は、隣の家の暖炉よりあたたかい。
 
◆子どもたちには、黄金よりもむしろ良心という立派な遺産を残すべきである。
 
◆大工の良し悪しは切りくずを見ればわかる。
 
◆40歳になってもバカなやつは全くのバカである。
 
◆偉い人と大きな川の近くに住むものではない。
 
◆財布が軽けりゃ心が重い。
 
◆良妻と健康とは男の最上の富である。
 
◆生ける犬は死せるライオンにまさる。
 
◆一葉落ちて天下の秋を知る。
 
◆詩人は生まれるもので、作られるものではない。
 
◆メロンと女の中味はなかなか分からない。
 
◆男の年は気持ち通り、女の年は顔つき通り。
 
◆賢者は時に考えを変えるが、愚者は決して変えない。
 
◆欲しがる子供、尾を振る犬に物を与えると、犬はよい犬になり、子供は悪い子になる。
 
◆狼に羊の番をさせるな。
 
◆助言は誰にでもしてやれ、しかし誰の保証人にもなるな。
 
◆友人と酒は古いのに限る。
 
◆悪人にほめられるのはそしられたのと同じである。
 
◆博打と女と酒は笑いながら男を破滅させる。
 
◆最大の憎しみは最大の愛から生ずる。
 
◆くじゃくは羽は美しいが、足は汚い。
 
◆物を受け取る娘は自分を売る者であり、物を与える娘は身をまかせる者である。
 
◆親牛を見たことのない者は、子牛を見て大きな獣だと思う。
 
◆どの鳥にとっても自分の巣が一番よい。
 
◆料理人が多すぎると、スープがうまくできない。
 
◆貧困は夫婦喧嘩のもと。
 
◆太陽はすべての物を同じように照らす。
 
◆遠くでなら我々を明るく照らす火も、近くでは火傷をさせる。
 
◆子どもが生まれたら犬を飼いなさい。子どもが赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう。子どもが幼年期の時、子どもの良き遊び相手となるでしょう。子どもが少年期の時、子どもの良き理解者となるでしょう。そして、子どもが青年になった時、自らの死をもって子どもに命の尊さを教えるでしょう。

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