万葉集【巻第四】

 巻第四は、巻第三とともに、巻一・ニを継ぐ意図で構成されています。天平以前の古い歌をまず掲げ、次いで天平の歌を配列しています。私的な歌である相聞歌のみで、天平に入ってからは大伴氏関係の歌が中心となっています。
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486 舒明天皇の御製歌

山の端(は)にあじむら騒ぎ行くなれど吾はさぶしゑ君にしあらねば

【意味】
 山の稜線にあぢ鳥が鳴き騒ぐ声が聞こえてくるけれど、私は寂しい、あなたがいらっしゃらないので。

【説明】
 「あぢ鳥」はカモ科のトモエガモとされます。

488・489 額田王(ぬかたのおほきみ)と鏡王女(かがみのおほきみ)の歌

488
君待つと我が恋ひをればわが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く
489
風をだに恋ふるは羨(とも)し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ

【意味】
〈488〉あの方がいらっしゃるのを待って恋い慕っていると、私の家の戸口のすだれを動かして、ただ秋風が吹くばかり・・・。

〈489〉風が吹くだけでいらっしゃったのかと思うほど待ち焦がれるなんてうらやましい。風にさえそう思えるのなら、何を嘆くことがありましょうか。待つ人がいない私はもっと辛いのに・・・。

【説明】
 風を題材にした優雅な恋の歌です。488は額田王が天智天皇を思い慕い、天皇の訪れがないのを嘆く歌。いっぽう489では、姉の鏡王女が、天皇の訪れを期待できるだけあなたの方が幸せだと言って嫉妬しています。姉妹で一人の男性を愛してしまったのか・・・。
 『万葉集』の恋歌、中でも女性による歌に典型的に多いのが、恋人を待っていることを訴える歌です。当時は女性の家を男性が訪れるという結婚の形をとっていたためですね。晩年の額田王についての詳細は不明ですが、娘の十市皇女に先立たれ、孤独な最期を迎えたといわれます。終焉の地は奈良県桜井市にある粟原(おうばら)寺と伝えられます。

495 田部櫟子の歌

朝日影(あさひかげ)にほへる山に照る月の飽(あ)かざる君を山越しに置きて

【意味】
 朝日の光が届く山に照る月のように、見飽きることのないあなたを、山の向こうに残したままで・・・。

【説明】
 「朝日影にほへる山に照る月の」は、「飽かざる」を導く序詞。

496・497 柿本人麻呂の歌

496
み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なす心は思へど直(ただ)に逢はぬかも
497
(いにしへ)にありけむ人もわがごとか妹に恋ひつつ寝(い)ねかてずけむ

【意味】
〈496〉熊野の海辺に群がって生えている浜木綿のように、幾重にも心で恋しても、じかに逢うことのできない恋よ。

〈497〉昔の人たちも私と同じように、妻を恋い慕って寝つけなかったのだろうか。

【説明】
 496の「み熊野の浦の浜木綿」は「百重なす」を導く序詞。「熊野」は現在の和歌山県の南部と三重県の一部にあたります。海岸一帯が、今でも浜木綿の群生地として有名です。

500 碁檀越(ごのだんをち)の妻の歌

神風(かむかぜ)の伊勢の浜荻(はまをぎ)折り伏せて旅宿(たびね)やすらむ荒き浜辺に

【意味】
 今ごろ私の主人は、伊勢の浜の荻を寝床に折り敷いて、旅の宿りをしているのでしょうか、荒々しい浜辺で。

501〜503 柿本人麻呂の歌

501
娘子(をとめ)らが袖(そで)布留(ふる)山の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひき我(われ)
502
夏野(なつの)行く牡鹿(をしか)の角(つの)の束(つか)の間も妹(いも)が心を忘れて思へや
503
玉衣(たまきぬ)のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来(き)にて思ひかねつも

【意味】
〈501〉少女たちが袖を振る、布留の石上神宮の垣、その古い垣のように昔から変わらず、ずっとあなたを思っていた。

〈502〉夏の野をゆく若い牡鹿の生え変わる角のように、ほんのわずかな間も、妻の心を忘れることがあろうか。

〈503〉美しい衣のさいさいしずみ、家の妻にろくに物も言わずに出てきてしまい、恋しさに耐えかねている。

【説明】
 自分を思う妻への感謝の気持ちを込めた歌です。501は、娘子らが袖を振る、布留の山とかけています。「布留」はいまの奈良県天理市布留町で、石上(いそのかみ)神社の周辺。「娘子らが袖布留山の瑞垣の」は、「久しき」を導く序詞。503の「さゐさゐ」の意味は不明です。

504 柿本人麻呂の妻の歌

君が家にわが住坂(すみさか)の家道(いへぢ)をも吾は忘れじ命死なずは

【意味】
 私が住む、あなたの住坂の家への道も、あなたと共に忘れられません、命が続く限り。

【説明】
 人麻呂と離別したあとの歌か。「君が家にわが」は「住坂」を導く序詞。「住坂」は奈良県宇陀市の墨坂。

505・506 安倍女郎(あべのいらつめ)の歌

505
今更(いまさら)に何をか念(おも)はむうち靡(なび)きこころは君に寄りにしものを
506
わが背子は物な思ひそ事(こと)しあらば火にも水にもわれ無けなくに

【意味】
〈505〉今さら何をためらいましょう、私の心はあなたにすっかりなびいて、ぞっこんなのですから。

〈506〉愛しい私のあなた、心配事などなさいますな、何かあったら、たとえ火の中、水の中にも私は入りましょう。

507 駿河采女(するがのうねめ)の歌

敷妙(しきたへ)の枕ゆくくる涙にそ浮宿(うきね)をしける恋の繁(しげ)きに

【意味】
 枕からこぼれ落ちる涙が溢れ、私は水に浮ぶ気持ちで寝ています、あなたの恋の噂が絶えないので。

【説明】
 駿河采女は駿河出身の采女ながら、伝未詳。「敷妙の」は「枕」にかかる枕詞。

511 當麻麻呂の妻の歌

我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張(なばり)の山を今日か越ゆらむ

【意味】
 私のあの人は、どの辺りを行っているのだろう。名張の山を今日にでも越えているのだろうか。

512 草嬢の歌

秋の田の穂田(ほだ)の刈りばかか寄りあはばそこもか人の我(わ)を言(こと)成さむ

【意味】
 秋の田の穂田を刈る分担。お互いに近寄っていったら、そんなことぐらいで、他の人は私たちのことを噂するでしょうね。

513 志貴皇子(しきのみこ)の歌

大原のこの市柴(いつしば)の何時しかと吾が念(も)ふ妹に今夜(こよひ)逢へるかも

【意味】
 大原のこの神聖ないつ柴のように、いつ逢えるかと願っていたあなたに、今夜は逢えたことだ。

【説明】
 「大原のこの市柴の」は、「何時」を導く序詞。志貴皇子は天智天皇の皇子、持統天皇の弟。

514 阿倍女郎(あべのいらつめ)の歌

わが背子(せこ)が着せる衣(ころも)の針目(はりめ)落ちず入りにけらしもわが情(こころ)さへ

【意味】
 あなたに縫ってさしあげる着物の針目は、すっかり仕上がりました、糸といっしょに私の心も縫い込んで。

【説明】
 阿倍女郎は、持統・文武朝ころの女性ですが、伝未詳。この歌は、中臣東人に贈った歌で、東人に贈る着物に添えたとみられています。

515 中臣東人(なかとみのあづまひと)の歌

独り宿(ね)て絶えにし紐(ひも)をゆゆしみとせむすべ知らにねのみしそ泣く

【意味】
 あなたと離れ、独りで寝ていると、取れてしまった紐が不吉で、どうしたらよいか分からず泣いています。

517 大伴安麿(おほとものやすまろ)の歌

神樹(かむき)にも手は触(ふ)るとふをうつたへに人妻と言へば触れぬものかも

【意味】
 罰が下るという神木にも触れるというのに、あなたが人妻だからといってまだ手に触れていない。こんなに心で願いながら・・・。

【説明】
 大伴安麿は旅人、坂上郎女の父、家持の祖父。壬申の乱で吉野方として参戦し功を挙げ、天武政権では重んぜられました。

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518 石川郎女(いしかはのいらつめ)の歌

春日野(かすがの)の山辺(やまへ)の道を恐(おそり)なく通ひし君が見えぬころかも

【意味】
 春日野の険しい道を、恐れることなく通ってくださったあなたなのに、このごろはちっともお見えにならないのですね。

【説明】
 「春日野」は、平城京の東の丘陵地。その東にある山が春日山。

521 常陸娘子(ひたちのをとめ)の歌

に立つ麻手(あさで)刈り干し布さらす東女(あづまをみな)を忘れたまふな

【意味】
 庭に植えた麻を刈り干したり、布にしてさらす東国の女だからとて、決して忘れないでください。

【説明】
 都から按察使(納税の検査をする役人)として来た男に、東国の遊行女婦(うかれめ・遊女のこと)が、別れ際に贈った歌。
 遊行女婦は、官人たちの宴席で接待役として周旋し、華やぎを添えました。ことに任期を終え都へ戻る官人のために催された餞筵(せんえん)で、彼女たちのうたった別離の歌には、数多くの秀歌があります。その生業として官人たちの枕辺にもあって、無聊をかこつ彼らの慰みにもなりました。しかし、そうした一面だけで遊行女婦を語ることはできません。彼女たちは、「言ひ継ぎ」うたい継いでいく芸謡の人たちでもあったのです。

528・529 大伴坂上郎女の歌

528
千鳥鳴く佐保の川門(かはと)の瀬を広み打橋(うちはし)渡す汝(な)が来(く)と思へば
529
佐保河(さほがは)の岸のつかさの柴な刈りそね在りつつも春し来たらば立ち隠(かく)るがね

【意味】
〈528〉千鳥が鳴いている佐保川の渡し場の瀬が広く、渡りにくいので橋板を架けます。あなたがいらしゃると思って。

〈529〉佐保川の岸の上の柴は刈らないでください、春になったら隠れて恋ができるように。

530・531 聖武天皇と海上女王の歌

530
赤駒の越ゆる馬柵(うませ)の標(しめ)(ゆ)ひし妹が心は疑ひもなし
531
梓弓(あづさゆみ)爪引(つまび)く夜音(よおと)の遠音(とほと)にも君が御幸(みゆき)を聞かくし好しも

【意味】
〈530〉赤駒が飛び越えてしまうかもしれない柵を縄でしっかり結び固めておくように、私は固い約束を結んだのだから、あなたの心に少しも疑いはない。

〈531〉梓弓を爪弾く夜半の弦音が遠くから響いてくるように、君のお出ましのお噂を遠くからでもお聞きするのはうれしいことです。

【説明】
 530は聖武天皇が海上女王(うなかみのおおきみ)に贈った歌。531は海上女王がそれに答えた歌。海上女王は志貴皇子の娘、光仁天皇の姉妹で、聖武天皇の夫人となりました。

533 大伴宿奈麿(おほとものすくなまろ)の歌

難波潟(なにはがた)潮干(しほひ)の波残(なご)り飽くまでに人の見る児(こ)をわれし羨(とも)しも

【意味】
 難波潟の引き潮に残された波が一面に泡立つように、思う存分逢うことのできる他人の女性たちがうらやましい。

537・540 高田女王(たかたのおほきみ)の歌

537
(こと)清くいたくも言ひそ一日(ひとひ)だに君いし無くは痛(たへがた)きかも
540
我が背子にまたは逢はじかと思へばか今朝の別れのすべなかりつる

【意味】
〈537〉言葉だけのきれいごとを言わないでください。私は一日とて、あなたがいらっしゃらないのは耐えられないのです。

〈540〉あなたとはもう二度と逢えないのでしょうか。今朝の別れがどうしようもなくやるせないのです。

和歌の前に平等な日本人 〜渡部昇一氏の著書から引用
 
 ――古代の日本人たちは、(中略)詩、すなわち和歌の前において平等だと感じていたように思われる。われわれの先祖が歌というものに抱いていた感情はまことに独特なものであって、よその国においてはあまり例がないのではないかと思われる。
 たとえば上古の日本の社会組織は、明確な氏族制度であった。天皇と皇子の子孫は「皇別」、建国の神話と関係ある者は「神別」、帰化人の子孫は「蕃別」と区別されたほかに、職能によって氏族構成員以外の者も区別されており、武器を作る者は弓削部、矢作部とか、織物を作るのは服部とか錦織部というふうであった。これは一種のカースト制と言うべきであろう。このカースト制の実体はよくわからないし、現在のインドのように厳しかったかどうかもわからない。しかしカーストはカーストである。
 ところが、このカーストを超越する点があった。それが和歌なのである。
 『万葉集』を考えてみよう。これは全20巻、長歌や短歌などを合わせて4500首ほど含まれている。成立の過程の詳細なところはわかっていないが、だいたい巻ごとに編者があり、その全体をまとめるのに大伴家持が大きな役割を果たしていたであろうと推察される。大伴氏の先祖である天忍日命(アメノオシヒノミコト)は、神話によれば、高魂家より出て天孫降臨のときは靭負部をひきいて前衛の役を務めるという大功があり、古代においては朝臣の首位を占め、最も権力ある貴族であった。
 その大伴氏が編集にたずさわっていたとすれば、カースト的偏見がはいっていたとしてもおかしくないはずである。それがそうではないのだ。この中の作者は誰でも知っているように、上は天皇から下は農民、兵士、乞食に至るまではいっており、男女の差別もない。また地域も、東国、北陸、九州の各地方を含んでいるのであって、文字どおり国民的歌集である。
 一つの国民が国家的なことに参加できるという制度は、近代の選挙権の拡大という形で現れたと考えるのが普通である。選挙に一般庶民が参加できるようになったのは新しいことであるし、女性が参加できるようになったのはさらに新しい。しかしわが国においては、千数百年前から、和歌の前には万人平等という思想があった。
 『万葉集』に現れた歌聖として尊敬を受けている柿本人麻呂にせよ山部赤人にせよ、身分は高くない。特に、柿本人麻呂は、石見国の大柿の股から生まれたという伝説があり、江戸時代の川柳にも「九九人は親の腹から生まれ」(百人一首に人麻呂がはいっていることを指す)などというのがある。これは人麻呂が素性も知れ微賤の出身であることを暗示しているが、この人麻呂は和歌の神様になって崇拝されるようになる。
 このように和歌を通じて見れば、日本人の身分に上下はないという感覚は、かすかながら生き残っていて、現在でも新年に皇居で行われる歌会始には誰でも参加できる。
 毎年、皇帝が詩の題、つまり「勅題」を出して、誰でもそれに応募でき、作品がよければ皇帝の招待を受けるというような優美な風習は世界中にないであろう。

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各巻の概要

巻第一
 巻第一は、雄略天皇の時代から寧楽(なら)の宮の時代までの歌が収められている。雑歌のみで、万葉集形成の原核となったものが中心。天皇の御代の順に従って配列されている。
 
巻第二
 巻第ニは、仁徳天皇の時代から元正天皇の時代までの相聞・挽歌が収められている。巻第一と揃いの巻と考えられ、巻第一と同様、部立てごとに天皇の御代に従って歌が配列されている。このため勅撰ではないかとする説もある。
 
巻第三
 巻第三は、巻第四とともに、巻一・ニを継ぐ意図で構成されている。拾遺の歌と天平の歌を収め、雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の三つの部立となっている。譬喩歌というのは、物にたとえて作者の心情を述べる歌で、あくまで表現技巧上の分類。
 
巻第四
 巻第四は、巻第三とともに、巻一・ニを継ぐ意図で構成されている。天平以前の古い歌をまず掲げ、次いで天平の歌を配列している。私的な歌である相聞歌のみで、天平に入ってからは大伴氏関係の歌が中心となっている。
 
巻第五
 巻第五は、巻第六とともに主に天平の歌を収める雑歌集。とくに大伴旅人と山上憶良の、九州の大宰府在任時代の作を中心として集めた特異な巻になっている。
 
巻第六
 巻第六は、巻第五とともに主に天平の歌を収める雑歌集。巻第五が大伴旅人と山上憶良の、九州の大宰府在任時代の作を中心として集めた巻であるのに対し、巻第六は奈良宮廷をおもな舞台として詠まれた歌が中心となっている。
 
巻第七
 巻第七は、雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の三つの部立となっている。おおむね持統朝から聖武朝ごろの歌ながら、柿本人麻呂歌集や古歌集から収録した歌を含んでいることから、作者名や作歌事情等が不明なものが多くなっている。
 
巻第八
 巻第八は、四季に分類された雑歌と相聞歌からなっている。舒明朝〜天平十六年までの歌で、作者群は巻第四とほぼ同じ。
 
巻第九
 巻第九の歌は、おもに『柿本人麻呂歌集』、『高橋虫麻呂歌集』や『古歌集』などから収録され、雄略天皇の時代から天平年間までのもの。雑歌・相聞歌・挽歌の三部立によって構成されている。
 
巻第十
 巻第十は、巻第八と同様の構成、すなわち、四季に分類した歌をそれぞれ雑歌と相聞に分けている。作者や作歌年代は不明で、もとは民謡だったと思われる歌や柿本人麻呂歌集から採られた歌もある。
 
巻第十一
 巻第十一は、『万葉集』目録に「古今相聞往来歌類の上」とあり、巻第十二と姉妹編をなしている。柿本人麻呂歌集や古歌集から採られた歌が多く、もとは民謡だったと思われる歌が大部分で、作者・作歌年代も不明。
 
巻第十ニ
 巻第十ニは、「古今相聞往来歌類の下」の巻で、巻第十二と姉妹編をなしている。柿本人麻呂歌集から採られた歌も多く、民謡的色彩が強く、作者・作歌年代も不明。
 
巻第十三
 巻第十三は、作者および作歌年代の不明な長歌と反歌を集めたもので、部立は雑歌・相聞・問答歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の五つからなっている。
 
巻第十四
 巻第十四は、主として東国諸国で詠まれた作者不明の歌を集めている。国名の明らかなものと不明なものに大別し、更にそれぞれを部立ごとに分類しているが、整然とは統一されていない。
 
巻第十五
 巻第十五は、物語性を帯びた二つの歌群からなる。前半は遣新羅使らの歌、後半は中臣宅守と狭野弟上娘子との相聞贈答の歌が収められている。天平八年から十二年ごろまでの作歌。
 
巻第十六
 巻第十六は、巻第十五までの分類に収めきれなかった歌を集めた付録的な巻。伝説的な歌やこっけいな歌などを集めている。
 
巻第十七〜二十
 巻第十七〜二十は、大伴家持の歌日誌というべきもので、家持の歌を中心に、その他の関係ある歌もあわせて収めている。巻第十七には、天平2年から20年までの歌を、巻第十八には天平20年から天平勝宝2年まで、巻第十九には天平勝宝2年から5年まで、巻第二十には同5年から天平宝字3年までの歌を収めている。
 とくに巻第二十には防人歌を多く載せており、これは、家持の手元に集められてきたものを家持が記録し、取捨選択したものと考えられている。