万葉集【巻第七】

 巻第七は、雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の三つの部立となっています。おおむね持統朝から聖武朝ごろの歌ですが、柿本人麻呂歌集や古歌集から収録した歌を含んでいることから、作者名や作歌事情等が不明なものが多くなっています。
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1068 『柿本人麻呂歌集』から

(あめ)の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠る見ゆ

【意味】
 天の海に雲の白波が立ち、その海を月の船が漕ぎ渡り、星の林に隠れていくのが見える。

【説明】
 巻七の雑歌の冒頭に収められている「天(あめ)を詠む歌」です。七夕の歌であると思われますが、月の船を漕いでいるのは月人壮士(つきひとおとこ)。つまり宇宙人?
 『柿本人麻呂歌集』は、万葉集編纂の際に材料となった歌集の一つ。人麻呂自身の作のほか、他の作者の歌や民謡などを集めています。

1073・1074 作者未詳歌

1073
玉垂(たまだれ)の小簾(をす)の間通しひとり居て見る験(しるし)なき夕月夜(ゆふづくよ)かも
1074
春日山おして照らせるこの月は妹(いも)が庭にも清(さや)けかりけり

【意味】
〈1073〉玉垂のすだれの隙間ごしに、月の光が本当に美しい。一人ぼっちでは見る甲斐もないこの夕月よ。

〈1074〉春日山の一面に照り渡っているこの月は、私の恋人の庭にもさやかに照っていることだよ。

【説明】
 「月を詠む」歌。1073の「玉垂」は玉を緒に貫いて垂らしたもの。1074の「春日山」は奈良市東部にある山で、一帯を照らす月明かりの中、愛しい女の家にやって来たら、その庭にも月の光がさやかに差し込んでいた、その感慨を詠んだ歌です。

1077・1078 作者未詳歌

1077
ぬばたまの夜(よ)渡る月を留(とど)めむに西の山辺(やまへ)に関もあらぬかも
1078
この月のここに来たれば今とかも妹が出で立ち待ちつつあるらむ

【意味】
〈1077〉夜空を渡る月が美しい。あれを押しとどめるために、西の山辺に関所でもないものだろうか。

〈1078〉今、月がここまで出てきているから、あの娘は外に出て、今か今かと私が来るのを待っているだろうなあ。

【説明】
 7世紀半ば、宮廷社会に誕生した和歌は、国家機構の整備にともなって増加した官人たちや、その生活を支える庶民たちに広まり、やがて各地に波及していきました。7世紀末に造営された藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が営まれるようになると、機内の国々を中心に、その他の地域からも多くの人々が都に集まり、また各地との往来も盛んになりました。このため、宮廷社会に始まった和歌は、中・下級官人たちや庶民へと急速に広まっていきましたが、その時期は7世紀末〜8世紀、とくに奈良朝の時代です。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半が中・下級官人たちや都市周辺部の庶民たちの歌とみることができ、地名などからみて機内圏のものであることがわかります。

1087・1088 『柿本人麻呂歌集』から

1087
穴師川(あなしがは)川波立ちぬ巻向(まきむく)の弓月(ゆつき)が岳に雲居立てるらし
1088
あしひきの山川の瀬の響(なる)なへに弓月(ゆつき)が嶽(たけ)に雲立ち渡る

【意味】
〈1087〉穴師川に川波が立っている。巻向の弓月が岳に、雲がわき立っているらしい。

〈1088〉山中を流れる川の瀬音が高まるにつれて、弓月が岳一面に雲が湧き立ちのぼっていく。

【説明】
 題詞に「雲を詠む」とある2首。「穴師川」は巻向川の別名。「弓月が岳」は奈良県巻向山の最高峰。「あしひきの」は「山」にかかる枕詞。「山川」は山の中を流れる川。

1089 作者未詳歌

大海(おほうみ)に島もあらなくに海原(うなばら)のたゆたふ波に立てる白雲

【意味】
 大海には島一つ見えない、そして漂う波の上には白雲が立っている。

【説明】
 伊勢従駕の作と左注にあります。大きな風景を、幅があって弛みのない表現で歌っています。

1090・1091 作者未詳歌

1090
我妹子(わぎもこ)が赤裳(あかも)の裾(すそ)のひづちなむ今日の小雨に我れさへ濡れな
1091
通るべく雨はな降りそ我妹子(わぎもこ)が形見の衣(ころも)我れ下(した)に着(け)

【意味】
〈1090〉妻の赤い裳裾を濡らしているだろう今日の小雨に、私も濡れよう。

〈1091〉下着まで通りほど雨よ降らないでくれ。愛しい彼女の形見の衣を下に着ているのだから。

【説明】
 1091の「形見」は今の意味とは少し異なり、その人のことを思い出させてくれる大事な品物のことです。通い婚時代の恋人や夫婦が、別れてまた逢うまでの間、互いに下着を交換して着ることがあったのを指しています。

1092〜1094 『柿本人麻呂歌集』から

1092
鳴る神の音のみ聞きし巻向(まきむく)の桧原(ひはら)の山を今日見つるかも
1093
三諸(みもろ)のその山なみに子らが手を巻向山(まきむくやま)は継ぎしよろしも
1094
我が衣(ころも)色取り染めむ味酒(うまさけ)三室(みもろ)の山は黄葉(もみち)しにけり

【意味】
〈1092〉噂にだけ聞いていた巻向の桧原の山を、今日見ましたよ。

〈1093〉三輪山の山続きに美しい山が見える。それがあの可愛い人の手を巻くという名の巻向山なのか、うまくつながっているなあ。

〈1094〉三輪山はすっかり紅葉してしまった。あの山に入っていったら、自分の着物までも真っ赤になるだろう。

【説明】
 「巻向」は、奈良県桜井市の穴師(あなし)・巻向を中心とした一帯。1092の「桧原」は桧(ひのき)の生える原の意。1093の「三輪山は、桜井市の南東にそびえる山。別に真穂御諸山(まほみもろやま)といいます。1094の「味酒」は「三輪」の枕詞。

1095 作者未詳歌

三諸(みもろ)つく三輪山見れば隠口(こもりく)の泊瀬(はつせ)の桧原(ひはら)思ほゆるかも

【意味】
 神を祀る奥深い三輪山の檜原を見ると、渓谷深く同じように繁っている初瀬の檜原を思い出す。

【説明】
 「三諸つく」は三輪山にかかる枕詞。三輪山は奈良県桜井市の南東にそびえる山で、別に真穂御諸山(まほみもろやま)といいます。「隠口の」は初瀬にかかる枕詞。「初瀬」は古代大和朝廷の聖地であり、葬送の地でもありました。天武天皇の時代に長谷寺が創建され、今なお信仰の地であり続けています。
 「桧(ひ)」はヒノキが略されたもので、もとは「火の木」の意味です。大昔の人がこの木をこすり合わせて火を起こしたことに由来します。日本特産の常緑樹で、山林の代表ですね。

1096 作者未詳歌

いにしへのことは知らぬを我れ見ても久しくなりぬ天(あま)の香具山(かぐやま)

【意味】
 昔のことは何も知らないが、天の香具山よ、私が見始めてからでも、ずいぶんと年月を経たものだ。

【説明】
 「香具山」は大和平野の南部に横たわる大和三山の一つ。香具山にのぼると、耳成山(みみなしやま)と畝傍山(うねびやま)が左右に見えます。

1098 作者未詳歌

紀路(きぢ)にこそ妹山(いもやま)ありといへ玉櫛笥(たまくしげ)二上山(ふたかみやま)も妹こそありけれ

【意味】
 紀州には妹山という名高い山がある、という人の噂だが、大和の二上山にだって男山と女山が並んでいて、女山はあるのだ。

【説明】
 二上山は大和国原の真西にあり、男嶽(おだけ・515m)と女嶽(めだけ・474m)と頂上が二つに分かれています。フタカミは二つの神の意で、古くから神の山としてながめられていました。

1100・1101 『柿本人麻呂歌集』から

1100
巻向(まきむく)の穴師(あなし)の川ゆ行く水の絶ゆることなくまたかへり見む
1101
ぬばたまの夜さり来れば巻向(まきむく)の川音(かはと)高しも嵐かも疾(と)

【意味】
〈1100〉巻向の穴師を流れ行く水がとぎれないように、自分もこれきりでなく、また見に来よう。

〈1101〉暗闇の夜がやってくると、巻向川の川音が高くなった。嵐が来ているのだろうか。

【説明】
 「巻向」は、奈良県桜井市の穴師(あなし)・巻向を中心とした一帯。「巻向川」は、弓月が岳と穴師山の間を流れる川。

1102 作者未詳歌

大君(おほきみ)の御笠(みかさ)の山の帯(おび)にせる細谷川(ほそたにがは)の音のさやけさ

【意味】
 御笠山が、帯のように引きまわしている細い谷川、その川音があざやかに聞こえてくる。

【説明】
 春日、御笠山を中心にして、能登川、率(いざ)川、吉城(よしき)川、佐保川の4つの川があります。いずれもみそぎの川で、この歌は率川を詠んだ歌とされます。

1105・1107ほか 作者未詳歌

1105
音に聞き目にはいまだ見ぬ吉野川 六田(むつた)の淀(よど)を今日見つるかも
1107
泊瀬川(はつせがは)白木綿花(しらゆふはな)に落ちたぎつ瀬を清(さや)けみと見に来しわれを
1108
泊瀬川流るる水脈(みを)の瀬を早みゐで越す波の音の清(きよ)けく

【意味】
〈1105〉噂に聞いているばかりでまだ一度も見たことのなかった、吉野川の六田の大淀を、今日初めて見たよ。

〈1107〉泊瀬川は、白い木綿の花が咲いたように白波を立てて流れる瀬が清らかだと、私は見に来ました。

〈1108〉泊瀬川の流れが速く、堰(せき)を越えていく波の音が清らかだ。

【説明】
 1105の「六田」は奈良県吉野町の六田で、現在は「むだ」と呼ばれています。「淀」は、ちょうど川の流れが緩やかになっているところ。1107・1108の「泊瀬川」は、奈良県桜井市、三輪山のそばを流れる初瀬川。「初瀬」は古代大和朝廷の聖地であり、葬送の地でもありました。天武天皇の時代に長谷寺が創建され、今なお信仰の地であり続けています。

1112 作者未詳歌

はねかづら今する妹をうら若みいざ率川(いさかは)の音のさやけさ

【意味】
 今初めて自分と逢引する愛人は、若くてなよなよとしている。早く逢いたいと心がはやる。それにまた、率川の音がさわやかに聞こえてきて、心地よい晩だ。

1118・1119 『柿本人麻呂歌集』から

1118
いにしへにありけむ人も吾(わ)が如(ごと)か三輪(みわ)の檜原(ひばら)に挿頭(かざし)折りけむ
1119
行く川の過ぎにし人の手折らねばうらぶれ立てり三輪の桧原は

【意味】
〈1118〉昔の人も私と同じように、三輪の桧原(ひばら)の檜(ひのき)を手折って、山葛(やまかずら)として頭にかざしていたのでしょう。

〈1119〉昔の人たちが手折ってくれなかったので、力なく立っている、三輪の桧原は。

【説明】
 1118の、桧葉をかざすというのは三輪の神への信仰の行為でした。「桧原」は桧(ひのき)の生えている原。1119の「行く川の」は「過ぐ」にかかる枕詞。桧原山で、神事に参加するしるしに桧葉のかざしを採り、山里から選ばれた女性が集まったと考えられます。

960 大伴旅人の歌

隼人(はやひと)の湍門(せと)の磐(いはほ)も年魚(あゆ)走る吉野の滝になほ及(し)かずけり

【意味】
 隼人の瀬戸の岩のすばらしさも、鮎の走り泳ぐ吉野の急流にはやはり及ばない。

【説明】
 現在の鹿児島県阿久根市の黒の瀬戸を歌った歌。

965・966 遊行女婦、児島が大伴旅人に贈った歌

965
(おほ)ならばかもかも為(せ)むを恐(かしこ)みと振り痛(た)き袖(そで)を忍びてあるか
966
倭道(やまとぢ)は雲隠りたり然(しか)れどもわが振る袖を無礼(なめ)しと思ふな

【意味】
〈965〉貴方様がふつうのお方であったなら、袖を振るなりなんなりともいたしましょうが、御身分を考え、恐れ多いことと袖をおさえています。

〈966〉大和路は雲の彼方ですから貴方の目には触れないでしょうが、どうか私の振る袖を無礼だとお思いにならないで。

【説明】
 「冬十二月、大宰帥大伴卿の京に上る時に、娘子の作る歌二首」。大宰府に赴任していた大伴旅人が、大納言遷任となり、大和へ旅立つ日。水城(みずき)を吹き渡る冷たい風の中にはかすかに雪の香りも漂っていた。大勢の見送りの役人たちに交ざって、美しい遊行女婦、児島の姿がありました。居並ぶ役人の面前で、彼女が詠んだ送別歌が、この2首です。
 965の「凡ならば」は、平凡とか普通とかの意味。相手の大伴旅人がもし普通の人であったなら、の意と解されていますが、自分がこんな立場の人間でなかったら、ともとれます。

967・968 大伴旅人が遊行女婦、児島の歌に答えた歌

967
倭道(やまとぢ)の吉備(きび)の児島を過ぎて行かば筑紫の児島思ほえむかも
968
ますらをと思へる吾(われ)や水茎(みづくき)の水城(みづき)のうへに涕(なみだ)(のご)はむ

【意味】
〈967〉大和路の吉備の児島を過ぎる時には、きっと筑紫の児島を思い出すことだろう。

〈968〉立派な男子だと思っているこの私が、お前との別れに、水城の上で涙を拭うとは・・・。

【説明】
 大伴旅人が、大宰府から大和へ旅立つ日。大勢の見送りの役人たちに交ざって、美しい遊行女婦、児島の姿がありました。居並ぶ役人の面前で、彼女は2首の送別歌を詠みました(965・966)。ここの2首は、それに答えて旅人が作った歌です。
 967の「吉備の児島」は、備前国児島郡で、今は倉敷市に編入されている児島のこと。968の「水茎の」は、音の類似性から「水城」にかけた枕詞。

978 山上憶良が重病となった時の歌

万代(よろづよ)に年は来(き)(ふ)とも梅の花絶ゆることなく咲き渡るべし

【意味】
 男子たるもの、このまま空しく世を去ってよいものか。いつのいつの代までも語り継がれるほど立派な名を立てないまま。

【説明】
  左注に、「山上憶良が重病となった時、藤原朝臣八束が河辺朝臣東人を使者として容態を尋ねに来させた。憶良は返事を終え、しばらくして涙をぬぐい、悲しみ嘆いて、この歌を口ずさんだ」とある歌。
 憶良は大伴旅人に後れて奈良に帰京し、天平5年、74歳で没したと推定されています。この歌は天平5年の作、つまり彼の死の直前の歌です。

979 大伴坂上郎女の歌

我が背子が着(け)る衣(きぬ)薄し佐保風(さほかぜ)はいたくな吹きそ家に至るまで

【意味】
 私のあの人の着ている衣は薄いの。佐保の風はきつく吹かないでね、家にあの人が帰りつくまでは。

【説明】
 大伴坂上郎女の家を、甥の家持が訪ねてきました。帰り際に、家持にあたえた歌がこの歌です。「我が背子」は、一般には「わたしの夫」とか「わたしの恋人」ということになりますが、あえてユーモラスに表現したのでしょうか。それとも・・・・・・。
 「佐保風」は、佐保に吹く風という意味。佐保は、平城京の北に広がる地のうち、その東側の地。ここに大伴氏の邸宅がありました。したがって、「佐保風」とは、家を出てすぐに家持に吹きつけてくる風、ということになります。

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歌人ピックアップ

笠金村
 生没年不明。奈良時代中期の歌人で、身分の低い役人だったらしい。「万葉集」に45首を残し、そのうち作歌の年次がわかるものは、715年の志貴皇子に対する挽歌から、733年のの「贈入唐使歌」までの前後19年にわたるものである。とくに巻6は天武天皇朝を神代と詠う笠金村の歌を冒頭に据えている。自身の作品を集めたと思われる「笠朝臣金村歌集」の名が万葉集中に見える。
 
山部赤人
 生没年不明。奈良時代初期〜中期に作歌活動をした宮廷歌人だったらしい。旅人・憶良より少しおくれ、高橋虫麻呂とほぼ同時期の人で、古くから人麻呂と並び称せられている。叙景歌にすぐれ、清純温雅な作風。
 
大伴旅人 
 665〜731年。大伴安麻呂の長男で、母は巨勢郎女(こせのいらつめ)。左将軍・中納言を経て養老4年(720年)に征隼人持節大将軍として乱を平定、神亀5年(728年)ごろ大宰帥として下向。同年夏に同行してきた妻を失い、天平2年(730年)冬、大納言となり京に戻る。同3年、従二位で没した。
 山上憶良らと共に筑紫歌壇の中心的存在であり、歌作も九州時代のものが多い。
 
遊行女婦
 娘子(おとめ)と呼ばれ、万葉集に秀歌を残している人たちの多くは遊行女婦(うかれめ)たちだろうといわれている。その殆どは出身国の名がつくだけで、どのような生い立ちの女性であるか定かではない。当時は、身分の高い女性のみ「大嬢」とか「郎女」「女郎」などと呼ばれ、その上に「笠」「大伴」などの氏族名がついた。
 遊行女婦は、官人たちの宴席で接待役として周旋し、華やぎを添えた。ことに任期を終え都へ戻る官人のために催された餞筵(せんえん)で、彼女たちのうたった別離の歌には、多くの秀歌がある。その生業として官人たちの枕辺にもあって、無聊をかこつ彼らの慰みにもなった。しかし、そうした一面だけで遊行女婦を語ることはできない。彼女たちは、「言ひ継ぎ」うたい継いでいく芸謡の人たちでもあった。

三大歌風の比較

万葉集
@歌を呪術とする意識が残り、対象にはたらきかける積極的な勢いが、力強く荘重な調べとなる。
A実感を抑えず飾らず大胆率直に表現する。簡明にして力強く、賀茂真淵は「ますらをぶり」と評する。
B日常生活そのままでないにしても、現実の体験に即して歌うことが多く、具象的、写実的で印象が鮮明。
C用語、題材についてすでに雅俗を分かつ意識が生じているが、なお生活に密着したものが比較的多く、素朴、清新の感をもって訴えかける。時に粗野。
D五七調で、短歌は二句切れ、四句切れが多く、重厚な調べ。後期には七五調も現れる。歌謡の名残をとどめ音楽的効果をねらった同音同語の反復もある。
E素朴な枕詞、序詞を多用。ほかに掛詞、比喩、対句を使用。
F率直に表現するため、断言的な句切れが多い。終助詞による終止、詠嘆「も」「かも」を多用。
 
古今集
@宗教や政治を離れ、歌それ自体が目的となり、洗練された表現により美の典型をひたすら追求する。
A感情を生のまますべてを表すことを避け、屈折した表現をとる。その婉曲さが優美繊細の効果を生む。
B日常体験から遊離した花鳥風月や恋・無常など、情趣化された世界を機知に富んだ趣向や見立てにより表現する。理知がまさり、時に観念の遊戯に陥る。
C優雅の基準にかなう題材を雅かなことばで詠ずるため、流麗であるが、単調となる弊がある。
D七五調で、三句切れが多く、流暢な調べとなる。
E掛詞、縁語の使用が多い。それらが観念的な連想を生み、虚実あるいは主従二様のイメージを交錯させ、纏綿たる情緒を楽しませる。掛詞がさらに進んでことばの遊戯となったものが物名であり、それで一巻をなす。ほかに枕詞、序詞、比喩、擬人法などを用いる。
F理知的に屈折した表現をとるため、推量、疑問、反語による句切れが多い。助動詞による終止が目立つ。詠嘆の終助詞は「かな」を用いる。
 
■新古今集
@乱世の現実を忌避し、王朝に憧れる浪漫的な気分が支配し、唯美的、芸術至上主義的な立場に立つ。
A世俗的な感情を拒否し、「もののあはれ」という伝統的な感覚を象徴的な手法で縹渺とただよわせる。幽玄余情の様式を完成するが、時に晦渋に陥る。
B客観的具象的な世界を浪漫的な心情風景に再構成し、現実を超えた絵画あるいは物語のごとき世界をつくる。
C選び抜かれた素材を言語の論理性を超えた技巧によって表現し、幽玄妖艶の美、有心の理念を追求する。
D七五調で、三句切れが多く、また初句切れも目立つ。
E掛詞、縁語、比喩はかなり用いられるが、枕詞、序詞の使用は著しく減少する。古歌の句を借用しただけの単純な本歌取りは古今集にもみられるが、新古今集では高度な表現技法にまで磨かれ、物語的な情緒を醸し出す象徴の手法として用いられる。
F体言止めを多く用いる。