万葉集【巻第十】

 巻第十は、巻第八と同様の構成、すなわち、四季に分類した歌をそれぞれ雑歌と相聞に分けています。作者や作歌年代は不明で、もとは民謡だったと思われる歌や柿本人麻呂歌集から採られた歌もあります。
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1812 『柿本人麻呂歌集』から

ひさかたの天(あま)の香具山(かぐやま)このゆふへ霞たなびく春立つらしも

【意味】
 天の香具山に、この夕暮れ、霞がたなびいている。どうやら、春になったらしいな。

【説明】
 「ひさかたの」は「天」の枕詞。香具山は、畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)とともに大和三山の一つ。なお、この歌を本歌として、『新古今集』に「ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山かすみたなびく」(巻第一・2、後鳥羽上皇)という歌があります。
 斉藤茂吉によれば、「この歌はあるいは人麿自身の作かも知れない。人麿の作とすれば少し楽に作っているようだが、極めて自然で、佶屈でなく、人心を引き入れるところがあるので、有名にもなり、後世の歌の本歌ともなった」。

1814・1817・1818 『柿本人麻呂歌集』から

1814
いにしへの人の植ゑけむ杉が枝(え)に霞(かすみ)たなびく春は来ぬらし
1817
今朝行きて明日には来なむと云ひしがに朝妻山に霞(かすみ)たなびく
1818
子等(こら)が名に懸(か)けのよろしき朝妻の片山ぎしに霞たなびく

【意味】
〈1814〉昔の人が植えたのだろう、その杉の枝に霞がたなびいている、春が来たようだ。

〈1817〉朝になると、早くまた来ましょうといって出かける女ともいうべき名の、朝妻山に霞がかかっているよ。

〈1818〉朝妻という名はよい名だ、思う人に名づけたらよい。その朝妻山の崖の辺に霞がかかっているよ。

【説明】
 1817の「朝妻」は、奈良県御所市朝妻。聖徳太子が建立した葛城寺のあたり。

1819・1821 作者未詳歌

1819
うち靡(なび)く春立ちぬらし我が門(かど)の柳の末(うれ)に鴬(うぐひす)鳴きつ
1821
春霞(はるかすみ)流るるなべに青柳(あをやぎ)の枝くひもちて鶯(うぐひす)鳴くも

【意味】
〈1819〉春になったらしい。家の門にある柳の梢(こずえ)で、たった今ウグイスが鳴いたよ。

〈1821〉春霞が流れるにつれて、青柳の枝をくわえたウグイスが鳴いている。

【説明】
 国内によく植えられているしだれ柳は、古く中国から渡来。春から夏、細長い葉が茂ると「青柳」と呼びます。

1827・1828 作者未詳歌

1827
春日(かすが)なる羽(は)がひの山ゆ佐保(さほ)の内へ鳴き行くなるは誰(た)れ呼子鳥(よぶこどり)
1828
答へぬにな呼び響(と)めそ呼子鳥(よぶこどり)佐保の山辺(やまへ)を上り下りに

【意味】
〈1827〉春日の羽がいの山から佐保に向かい、鳴きながら飛んでいくのは、誰を呼ぶ呼子鳥なのだろう。

〈1828〉誰も答えないのに、響くほどに鳴くな呼子鳥、佐保の山の辺りを上り下りして。

【説明】
 「春日なる羽がひの山」の所在は不明。「呼子鳥」はカッコウともヒヨドリともいわれます。

1830 作者未詳歌

うち靡(なび)く春さり来れば小竹(しの)の末(うれ)に尾羽(をは)打ち触れて鶯(うぐひす)鳴くも

【意味】
 春がやってくると、小竹の先に尾や羽を触れながら、鶯が鳴きだすよ。

【説明】
 「うちなびく」は「春」にかかる枕詞。

1833〜1835 作者未詳歌

1833
梅の花降り覆(おほ)ふ雪を包み持ち君に見せむと取れば消(け)につつ
1834
梅の花咲き散り過ぎぬしかすがに白雪庭に降りしきりつつ
1835
今さらに雪降らめやもかぎろひの燃ゆる春へとなりにしものを

【意味】
〈1833〉梅の花を降り隠すように覆った雪を包み持ち、あの人に見せようとするのですが、手に取るそばから消えてゆきます。

〈1834〉梅の花は散ってしまいました。なのに、庭に白雪が降りしきっています。

〈1835〉今さら雪なんか降るものか、かげろうが燃える春になったのだから。

【説明】
 題詞「詠雪」。

1839 作者未詳歌

君がため山田の沢にゑぐ摘むと雪消(ゆきげ)の水に裳(も)の裾(すそ)濡れぬ

【意味】
 あなたのために、山田の沢でゑぐを採っていると、冷たい雪解けの水で裳の裾が濡れてしまいましたよ。

【説明】
 「ゑぐ」が万葉集に登場するのは、この歌と巻十一・2760の2首。「黒グワイ」とするのが有力ですが、ほかに芹(せり)・クワイ・オモダカではないかとする説があります。黒グワイは、池や沼など底が浅く泥になっているところに生え、太目のイグサのような姿をしています。

1846〜1848 作者未詳歌

1846
霜枯れの冬の柳は見る人のかづらにすべく萌えにけるかも
1847
浅緑(あさみどり)染め懸けたりと見るまでに春の柳は萌(も)えにけるかも
1848
山の際に雪は降りつつしかすがにこの川楊(かはやぎ)は萌えにけるかも

【意味】
〈1846〉霜で枯れた冬の柳は、見る人の髪飾りにしたらよいほどに、芽が出ています。

〈1847〉まるで浅緑色に染めた糸をかけたように、春の柳が芽吹いている。

〈1848〉山間に雪が降っていますが、この川楊は芽吹いています。もう春ですね。

【説明】
 柳を詠む歌。1848の「川楊」は、ねこやなぎ。

1854・1855 作者未詳歌

1854
(うぐひす)の木(こ)伝ふ梅のうつろへば桜の花の時かたまけぬ
1855
桜花(さくらばな)時は過ぎねど見る人の恋ふる盛りと今し散るらむ

【意味】
〈1854〉鶯が木から木へと伝っていく梅の花が散り始めると、いよいよ桜の花が咲く頃がやってくる。

〈1855〉桜の花は、まだ散る時ではないのに、愛でてくれる人がいるうちにと思って、今散ってしまうのだろうか。

【説明】
 「さくら」の名前の由来については、花の咲くようすがいかにもうららかなので「さきうら」と呼び、それが「さくら」に転化したという説や、『古事記』に出てくる木花之開耶姫(このはなのさくやひめ)の「開耶(さくや)」が起源になったなど、さまざまあります。
 なお、万葉集で詠まれている桜の種類は「山桜」です。「ソメイヨシノ」は江戸末期に染井村(東京)の植木屋によって作り出された品種で、葉が出る前に花が咲き、華やかに見えることからたちまち全国に植えられ、今の桜の名所の主役となっています。

1860・1861 作者未詳歌

1860
花咲きて実はならねとも長き日(け)に思ほゆるかも山吹(やまぶき)の花
1861
能登川の水底さへに照るまでに三笠の山は咲きにけるかも

【意味】
〈1860〉花は咲いても実はならないけれど、長い間待っていた山吹の花よ。

〈1861〉能登川の水底まで輝くほどに、三笠山の桜が咲いているという。

【説明】
 春日、御笠山を中心にして、能登川、率(いざ)川、吉城(よしき)川、佐保川の4つの川があります。三笠山は奈良市東方、春日山の一峰。笠の形をしています。

1869・1870・1872 作者未詳歌

1869
春雨に争ひかねて我が宿の桜の花は咲きそめにけり
1870
春雨はいたくな降りそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも
1872
見わたせば春日の野辺(のへ)に霞(かすみ)立ち咲きにほへるは桜花かも

【意味】
〈1869〉春雨がせかすように降るので、我が家の庭の桜の花が咲いたよ。

〈1870〉春雨よ、そんなに強く降らないでおくれ、桜の花をまだ見ていないので、散ってしまっては惜しいではないか。

〈1872〉はるか遠くを見渡すと、春日野の辺りに霞が立ち、花が一面に咲いている。あれは桜の花だろうか。

1879・1883 作者未詳歌

1879
春日野(かすがの)に煙(けぶり)立つ見ゆ娘子(をとめ)らし春野のうはぎ摘(つ)みて煮(に)らしも
1883
ももしきの大宮人(おほみやひと)は暇(いとま)あれや梅をかざしてここに集(つど)へる

【意味】
〈1879〉春日野に煙が立ち上るのが見えるよ。 若い娘たちが集まって春の野のうはぎを摘んで煮ているのだろうな。

〈1883〉大宮人たちは暇(いとま)があるからだろうか、梅をかざしてここに集まっている。

【説明】
 1879の題詞は「詠煙」、1883の題詞は「野遊(春の日に野山に出て遊ぶ催し)」とあります。1879の「うはぎ」は嫁菜(よめな)のことで、当時から代表的な春の摘み草であり、食用にされていまし。1883の「ももしきの」は「大宮」にかかる枕詞。「大宮人」は宮中に仕える人のこと。なおこの歌は、『新古今集』に山部赤人の歌として、下の句を変えて収められています。「ももしきの大宮人は暇あれや桜かざして今日も暮らしつ」(104)。

1884・1885 作者未詳歌

1884
冬過ぎて春し来(きた)れば年月(としつき)は新たなれども人は古(ふ)りゆく
1885
(もの)(みな)は新たしきよしただしくも人は古(ふ)りにしよろしかるべし

【意味】
〈1884〉冬が過ぎて春がやってくると、年月は新しくなるけれども、人は古くなっていく。

〈1885〉物というものはみな新しいものがよいが、人は古くなるのがよろしかろうぞ。

【説明】
 1884では、年は新しくなっても人間は古くなっていきますね、と歌い、1885では、いやいや物のほうは新しいのがよいが、人間は古くなっていくのがいいんだ、と否定している。

1887 作者未詳歌

春日(かすが)なる三笠の山に月も出(い)でぬかも佐紀山(さきやま)に咲ける桜の花の見ゆべく

【意味】
 春日の三笠の山に月が出ないだろうか、佐紀山に咲いている桜の花が見えるように。

【説明】
 山というよりは丘のような佐保山と佐紀山の裾は、かつて平城山(ならやま)と呼ばれ 大宮人の憩いの場でした。

1891・1895・1896 『柿本人麻呂歌集』から

1891
冬こもり春咲く花を手折(たを)り持ち千(ち)たびの限り恋ひわたるかも
1895
春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)
1896
春さればしだり柳のとををにも妹は心に乗りにけるかも

【意味】
〈1891〉冬こもっていた春、その春咲く花を手折っては、限りなく恋し続けることだよ。

〈1895〉春が来ると、まず咲き出す三枝(さきくさ)のように、無事でいたなら後に逢えるのだから、そんなに恋しがらないでおくれ、わが妻よ。

〈1896〉春が来て芽吹くしだれ柳が、たわたわと枝を垂らすように、愛しいあの娘が私の心にずっしりと乗りかかってきて、心がいっぱいなんだ。

【説明】
 1895の「さきくさ(三枝)」は、枝が三つに分かれている植物のことだといわれ、三椏(みつまた)、山百合、笹百合、沈丁花などのうちのどれかではないかとされますが、はっきりしません。

1903 作者未詳歌

我が背子に我(あ)が恋(こ)ふらくは奥山の馬酔木(あしび)の花の今盛りなり

【意味】
 私のよい人に恋する心は、奥山のあしびの花のように、今が真っ盛りです。

【説明】
 あしびの花は、スズラン状の小さなつぼみをつけて咲く花で、この花が集まって咲くと、その周りは真っ白になります。

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各巻の概要

巻第一
 巻第一は、雄略天皇の時代から寧楽(なら)の宮の時代までの歌が収められている。雑歌のみで、万葉集形成の原核となったものが中心。天皇の御代の順に従って配列されている。
 
巻第二
 巻第ニは、仁徳天皇の時代から元正天皇の時代までの相聞・挽歌が収められている。巻第一と揃いの巻と考えられ、巻第一と同様、部立てごとに天皇の御代に従って歌が配列されている。このため勅撰ではないかとする説もある。
 
巻第三
 巻第三は、巻第四とともに、巻一・ニを継ぐ意図で構成されている。拾遺の歌と天平の歌を収め、雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の三つの部立となっている。
 譬喩歌というのは、物にたとえて作者の心情を述べる歌で、あくまで表現技巧上の分類。
 
巻第四
 巻第四は、巻第三とともに、巻一・ニを継ぐ意図で構成されている。天平以前の古い歌をまず掲げ、次いで天平の歌を配列している。私的な歌である相聞歌のみで、天平に入ってからは大伴氏関係の歌が中心となっている。
 
巻第五
 巻第五は、巻第六とともに主に天平の歌を収める雑歌集。とくに大伴旅人と山上憶良の、九州の大宰府在任時代の作を中心として集めた特異な巻になっている。
 
巻第六
 巻第六は、巻第五とともに主に天平の歌を収める雑歌集。巻第五が大伴旅人と山上憶良の、九州の大宰府在任時代の作を中心として集めた巻であるのに対し、巻第六は奈良宮廷をおもな舞台として詠まれた歌が中心となっている。
 
巻第七
 巻第七は、雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の三つの部立となっている。おおむね持統朝から聖武朝ごろの歌であるが、柿本人麻呂歌集や古歌集から収録した歌を含んでいることから、作者名や作歌事情等が不明なものが多くなっている。
 
巻第八
 巻第八は、四季に分類された雑歌と相聞歌からなっている。舒明朝〜天平十六年までの歌で、作者群は巻第四とほぼ同じ。
 
巻第九
 巻第九の歌は、おもに『柿本人麻呂歌集』、『高橋虫麻呂歌集』や『古歌集』などから収録され、雄略天皇の時代から天平年間までのもの。雑歌・相聞歌・挽歌の三部立によって構成されている。
 
巻第十
 巻第十は、巻第八と同様の構成、すなわち、四季に分類した歌をそれぞれ雑歌と相聞に分けている。作者や作歌年代は不明で、もとは民謡だったと思われる歌や柿本人麻呂歌集から採られた歌もある。
 
巻第十一
 巻第十一は、『万葉集』目録に「古今相聞往来歌類の上」とあり、巻第十二と姉妹編をなしている。柿本人麻呂歌集や古歌集から採られた歌が多く、もとは民謡だったと思われる歌が大部分で、作者・作歌年代も不明。
 
巻第十ニ
 巻第十ニは、「古今相聞往来歌類の下」の巻で、巻第十二と姉妹編をなしている。柿本人麻呂歌集から採られた歌も多く、民謡的色彩が強く、作者・作歌年代も不明。
 
巻第十三
 巻第十三は、作者および作歌年代の不明な長歌と反歌を集めたもので、部立は雑歌・相聞・問答歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の五つからなっている。
 
巻第十四
 巻第十四は、主として東国諸国で詠まれた作者不明の歌を集めている。国名の明らかなものと不明なものに大別し、更にそれぞれを部立ごとに分類しているが、整然とは統一されていない。
 
巻第十五
 巻第十五は、物語性を帯びた二つの歌群からなる。前半は遣新羅使らの歌、後半は中臣宅守と狭野弟上娘子との相聞贈答の歌が収められている。天平八年から十二年ごろまでの作歌。
 
巻第十六
 巻第十六は、巻第十五までの分類に収めきれなかった歌を集めた付録的な巻。伝説的な歌やこっけいな歌などを集めている。
 
巻第十七〜二十
 巻第十七〜二十は、大伴家持の歌日誌というべきもので、家持の歌を中心に、その他の関係ある歌もあわせて収めている。巻第十七には、天平2年から20年までの歌を、巻第十八には天平20年から天平勝宝2年まで、巻第十九には天平勝宝2年から5年まで、巻第二十には同5年から天平宝字3年までの歌を収めている。
 とくに巻第二十には防人歌を多く載せており、これは、家持の手元に集められてきたものを家持が記録し、取捨選択したものと考えられている。