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モーツァルトの努力

 モーツァルトが、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』の公演を1ヵ月後に控えたとき、親しい友人に対して、作曲、そして自分自身について語った言葉が残っています。

 ―― 「ヴォルフガング、忘れちゃいけないよ。皆が君のような才能の持ち主ではないんだ。君にとっては何もかもが簡単すぎるんだ」と人は言うのです。「簡単だって?」と僕は言い返しました。みんながそんなふうに僕のことを思っているのです。ヨーロッパ中の宮廷を周遊していた小さな子供のころから、ぼくはずっと同じことを言われ続けてきました。目隠しをしてピアノを弾いたこともありますし、いろんな試験をやらされました。でも、こういったことは、長い時間をかけて練習すれば、簡単にできるようになるものです。

 僕が幸運に恵まれていることは認めます。しかし、作曲となると、それはまるっきり別の問題です。親しい友であるあなたには誓って言いますが、長年にわたって、僕ほど作曲に長い時間と膨大な思考を注いできた人は他に誰もいません。有名な巨匠の作品はすべて念入りに研究しました。作曲家であるということは、精力的な思考と何時間にも及ぶ努力を意味するのです。――

 いかがでしょう、天才、神童と称されるモーツァルトの音楽といえば、誰もが感じてしまうほどの自然そのもののようで、まるで無為のうちにできたように感じられる音楽が大半ですが、決してそういうことではないんですね。普通の人には想像もできない、まさに天才的な努力を重ねていたのでしょうね。

 また、1784年にモーツァルトが友人に宛てた手紙には、彼の音楽を聴く人々にたいして、彼がどのような思いで曲を作っていたかが垣間見える文章が残されています。

 ―― 新しいコンチェルトはかなり特別な曲です。たとえ素人でも「なぜかとても耳に心地よい」と感じられるように作曲し、全体を通してすばらしい楽節を散りばめました。そのすばらしさを論理的に分析できるのは音楽通だけでしょう。作曲家としては常に聴衆のことを考えるべきであり、味気ない、あるいは難しすぎる曲を作ってはならないのです。だって、100人の聴衆がいても、通(つう)といえるのは10人くらいにすぎませんから。――

 ああ、なんと優しいモーツァルトでありましょうか。天才でありながら、私らのような凡百への心配りを決して忘れずにいてくれたんですね。


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