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論語とフランス革命

 『論語』をはじめとする儒教の教えは、後世の歴史にさまざまな影響を与えましたが、その例の一つがフランス革命だとする、驚くべき見解があります。現代の民主主義や人権思想の源流とされるフランス革命に対し、封建思想の典型のような『論語』。およそ結びつきそうもない両者ですが、実は意外なつながりがあったというのです。

 それによると、そもそものきっかけは、キリスト教の宣教師たち、日本史でもおなじみのフランシスコ=ザビエルが所属していたイエズス会士らの布教活動にあったとされます。彼らは積極的に東アジアに進出し、熱心にキリスト教の布教に努めるとともに、世界各地の”知の遺産”を集める活動にも力を注ぎました。

 宣教師たちは、とりわけ『論語』や『孫子』などの中国古典を次々に翻訳し、母国に伝えていきました。その結果、フランスの貴族の間で中国ブームが巻き起こり、たとえば、ルイ14世は中国服を着てパーティーに出席したといいますし、マリー・アントワネットの書庫には中国古典を紹介した書物が数多く収められていたといわれます。

 ところが、皮肉にもこれがフランス革命の下地になっていきます。当時のヨーロッパでは、国王の権威は「王権神授説」によって支えられていました。つまり、「王の権利は神から付与されているのであって、王は神に対してのみ責任を負い、神以外の何人によっても拘束されず、国王のなすことに民衆は何ら抵抗できない」とする考え方です。過酷な政策が当然のように実施され、フランス国民は悲惨な状況に追い詰められていきました。

 一方、『論語』などの儒教系の古典には、王朝の交替、つまり”革命”を是とする思想がありました。王であることは確かに天から命じられているものの、その天命は民衆の支持によって決まってくる。民衆が見放せば、その王朝の天命が失われてもよい、とされていたのです。『孟子』にも次のような言葉があります。

―― 天の視るはわが民の視るにより、天の聴くはわが民の聴くによる(天は民衆を目として見、天は民衆を耳として聴く)。――

 モンテスキューやヴォルテールといった当時のフランスの知識人たちは、この考え方にたいへん驚き、そして自国にもこのような思想を取り入れるべきだと考えました。彼らは、王権神授説に対抗する思想的根拠を、儒教系の革命思想のなかに見出したのです。

 そして1789年、バスティーユ監獄の襲撃が勃発、フランス革命が始まります。『論語』や儒教系の古典は、最初は宣教師による知の戦略として紹介され、たちまち貴族の間に広まったものの、それが結局、自らを滅ぼす革命への思想的な背景を作り出してしまったのです。世界の歴史の意外なところで意外な影響を及ぼした古典、それが『論語』というわけです。いかがでしょうか、まことに目からうろこが落ちるようなお話ですね。


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