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一流に触れて、一流になる

 質の高い芸術作品に触れることによって、私たちはとても大きな精神的高揚を得られますね。たとえば、美術館で数々のすぐれた作品を目の当たりにして、外に出てくる人たちは、みんな一様にいい顔をしています。または、感動的な映画やコンサートを観終えた後なども、みんな晴々しい表情をしています。そういう体験が日常的に続くと、たぶん、その人の顔つきそのものが、いい感じになってくるんだと思います。

 私たちがふだん気軽に触れることのできる芸術作品といえば、やはり音楽が筆頭でしょう。そして、いろんなジャンルの音楽があるなか、少しでも多くのファンができたらいいなと思うのが、クラシック音楽であります。なぜクラシック音楽かというと、きわめて普遍的だということ、つまり、200数十年もの長きにわたって万民に愛され続けてきたという厳然たる歴史的事実があるからです。まさに人類の宝物といっていい存在です。

 この”普遍性”というのはたいへん貴重な価値だと思いますよ。たとえば、当代にミリオンセラーの大ヒットを飛ばした流行曲が、この先200年も歌い継がれ、聴き続けられるかというと、どんなもんでしょう。たいていはすぐに飽きられ、忘れ去られてしまいます。ところが、今あるクラシック音楽はそうはならず、時代が変わっても、人々の琴線にしみついて離れなかった。やはり、言葉では言い尽くせない味わいや奥深さがあるんだと思います。

 こうした芸術に親しく接していれば、だんだんと自らを精神的な高みにおけることができます。たとえば、品のある人と付き合っていると自分も品がよくなってくる、一流の人と接していると自分もそのようになってくる、あるいはそう思えてくる。それと同じで、一流の芸術に接していても、そんなふうになってくるんですね。自然に”一流感”というものがただよってくる。すると、ふだんの生活の中でも、何かにつけて目線が上がってきて、豊かな精神状態を保てるようになる。大げさに聞こえるかもしれませんが、こうした効用は少なからずあると思います。

 ぜひ皆さまも、クラシック音楽を、人生の”栄養源”にしてまいりましょー。

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クラシック音楽が分かるとは?

 よく「クラシック音楽が分かる」とか「分からない」などという言い方がされますね。ベートーヴェンの曲が分かるとか、難しくてよく分からないとか。この「分かる」「分からない」とは、いったいどういう意味なのか。不肖私、分かっているつもりでも、長らく分からないでおりました。そうしたら、指揮者の金聖響さんが著書の中でこんなふうにおっしゃっています。

 ―― ベートーヴェンの『運命交響曲』がハ短調で始まりハ長調で終わる交響曲で、アレグロ、アンダンテ、スケルツォ、フィナーレと続く4楽章構成で、スペインで反ナポレオンの蜂起が起こったころに完成した作品で・・・・・・といった知識を身につけると、ベートーヴェンの『交響曲第5番ハ短調作品67』を「ワカッタ」あるいは「ワカルヨウニナッタ」といえるのでしょうか?

 音楽の構造を分析して知ることもひとつの方法でしょうし、歴史的背景を知ることも「ワカッタ」ような気持ちになる手助けをしてくれます。が、「音楽をワカル」ということは、突き詰めて考えると、その音楽に「馴染む」ことであり、「慣れる」ことだといえるのではないでしょうか。

 サザン・オールスターズが1978年に『勝手にシンドバッド』でデビューしたとき、多くの年輩評論家は「ナンダ、コレは!?」と驚き、「ワケがワカラン」という人が多かったといいます。「胸騒ぎの腰つき」という歌詞も歌い方(発音)も、過去には存在しない耳慣れないモノだったから「ワカラン」となったのでしょう。ビートルズやエルビス・プレスリーがデビューしたときも、同様の「ワカラン」という強い拒絶反応が、お年寄りを中心に沸き起こったといいます。お年寄りというのは、過去に長年親しんできた耳慣れた音楽の印象を強く記憶に残しているものですからね。――


 何のことはない、つまり「馴染む」「慣れる」ことなんですよ。それまで小難しく考えてプレッシャーさえも感じていましたが、実は単純なことなんですね。何だかとても救われる思いがいたしました。

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コンサートホールのこと

 クラシック音楽を聴くとき、耳で聴こえる音だけを追っかけていてはダメだとも言われます。ある人によれば、クラシック音楽は、単に五線譜に書かれた音の連なりだけで構成されているのではなく、作曲家(楽曲)、楽器、演奏者(演奏法)、ホール、聴衆の5つが一体となった総合芸術だって。

 作曲家とその作品は常に不変の存在ですが、作曲家と聴衆である私たちの間に演奏者がいて、それぞれの楽器や演奏法がある。そして、それら全部を包み込む「ホール」という空間がある。こうした存在のすべてを知らなければ、あるいは感じ取らなければ、クラシック音楽の緻密で壮大な芸術性に近づくのは難しいというんです。ずいぶんなるほどなお話です。

 とりわけ、ホールの重要性はとても強く認識しています。オーディオ・ファンの立場からは(といっても自分の感性のみを頼りにしている非理論派ですが)、とにかくホールで実際に感じた「音」を理想に掲げ、自らのリスニング環境の向上に日々注力しておるところです。そして、ホールに響き渡る音のみならず、ホールが醸し出す雰囲気もメチャクチャ重要視し、参考にしています。私にとっては、部屋とその雰囲気づくりは、機器の音づくりと五分五分の大事な要素かもしれません。

 関西住まいの私がよく行くホールは、ザ・シンフォニーホール(大阪市北区・1704席)、それからフェスティバルホール(同市北区・2700席)、兵庫国際会館(神戸市中央区・2112席)、梅田芸術劇場(大阪市北区・1905席)あたりです。中でもクラシック音楽専用につくられたザ・シンフォニーホールは、かのカラヤンも絶賛したというだけあって、音響はたいへん素晴らしいです。フェスティバルホールも、多目的ホールながら雰囲気が大好きです。残り二つは、まーふつうですかね。

 優秀なホールでの音を耳にしますと、やっぱりクラシック音楽はそれなりの空間で聴くべきもんだよなーと、つくづく痛感します。だって、音の響き、空気の震え、気流の動きなどは一定以上の空間でなければ感じ取れないし、さらには、決して耳からだけでなく、目や体全体でも味わうもの、すなわち「体感」だと思っていますから。

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フォーレの《レクイエム》

 ショパンは亡くなる前に「私が死んだらモーツァルトのレクイエムで送ってほしい」と言い残し、実際の葬儀ではその希望どおりにモーツァルトのレクイエムが奏でられるなか、多くの参列者に見送られたといいます。ショパンはさぞや満足し、心安らかに天国に召されたことと思います。皆さまには、ご自分の葬儀で流してほしいと思う音楽がおありでしょうか、あるとしたらどんな曲でありましょうか。

 ところでレクイエムは「安息を」という意味の鎮魂歌であり、キリスト教の死者のためのミサとしてすでに中世に成立していました。本来はそうした実用の音楽だったわけですが、その後、オーケストラを伴った芸術音楽としても作曲され、数々の作品が生み出されました。その中で三大レクイエムとして知られるのが、モーツァルト、ヴェルディ、フォーレの作品でありますね。

 そして、ここで触れたく思いますのが、フォーレのレクイエムです。フォーレはドビュッシーやラヴェルの少し先輩にあたるフランスの作曲家です。レクイエムを作曲したきっかけは父母の相次いだ死によるともいわれますが、彼が残したスケッチには「私のレクイエムは、特定の人物や出来事を意識して書いたものではない」と記されており、「あえて言えば、自分自身の楽しみのため」とも。

 また、初演時には、曲調が斬新すぎることや、死者のミサには必須とされた『怒りの日』の典礼文を欠いていたために、異教徒的だとか、死の恐ろしさが表現されていないなどの批判を浴びたといいます。これに対してフォーレが語ったのは、「私のレクイエムは、死に対する恐怖感が表現されていないと言われ、この曲を死の子守歌と呼んだ人もいます。しかし、私には、死はそのように感じられるのであり、それは苦しみというより、むしろ永遠の至福の喜びに満ちた開放感に他ならないのです」

 そんなわけで、フォーレのレクイエムは「死」という重い題材の音楽であるにもかかわらず、辛く悲しい気持ちを癒すというより、穏やかで明るい静かさに満ちています。ここに込められた死生観といいますか、「死」に対して抱く想いは、不肖私もフォーレと同じようにありたく思うところです。すなわち「死」とは永遠の安らぎ、休息である、と。もっとも、あくまで順調に天寿を全うできての話ですけどね。

 愛聴盤は、もはや定番といってよい、ミシェル・コルボ指揮、ベルン交響楽団ほかによる1972年の録音です。女声合唱とソプラノ・ソロ、少年合唱、ボーイ・ソプラノが用いられ、実際の教会でのミサを思わせるような敬虔な演奏です。また、とても50年近くも前とは思えないほど、繊細で透明感あふれる優秀録音だと思います。静かな夜の時間に、じっくり耳を傾けてはいかがでしょうか。

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ベートーヴェンの《交響曲第5番》

 クラシック音楽ファンならずとも、誰もが知っているベートーヴェンの交響曲第5番『運命』。あの単純ともいえるダダダダーンの出だし、実は演奏する側、とくに指揮者にとってはなかなか一筋縄ではいかないそうです。金聖響さんによれば、

―― まず最初にフォルテッシモで♪ダダダダーン! ダダダダーン!と4つの音を2度、弦楽器とクラリネットで鳴り響かせますが、まず、この音を合わせるのが難しい。至難の業です。カラヤンがベルリン・フィルを振った映像でも、イチ、ニ、サン、ン♪ダダダダーンと、3回棒を振ってからオーケストラに音を出させています。バーンスタインがウィーン・フィルを振った映像でも、「イチッ、ニッ、ン♪ダダダダーン」と、音の出る前に2度振っています。ここで「ン」といったのは、最初の音が出る前に、八分休符があるからですが、その前に指揮棒を1回振り上げるだけでダダダダーンと、すぐにオーケストラが入るのは無理でしょうね。それでは、絶対に揃いません。――

 そういうもんなんですねー。素人は全く気にせずに聴いているわけですが、聴くと弾くとでは大違い。こうした実際の演奏者の方のお話ってのは、なかなか興味深いものです。

 ところで、同じく金聖響さんが語っていたエピソードですが、何十年も前に、作家の五木寛之さんが、ある大女優との対談で、「どんな音楽が好きですか?」と尋ねたら、「ベートーヴェンの運命交響曲です」との答えが返ってきて、五木さんは「えっ」と声を上げて驚いたそうです。次の言葉が出なかったって。その大女優とは、吉永小百合さんだそうです。

 金聖響さんもこの話を聞いてずいぶん驚き、なぜかというと、クラシック音楽を少しでも好きな人なら、たしかにベートーヴェンの音楽は必ず聴いているだろうし、心をふるわせたこともあるだろうけど、ふつうは「運命交響曲が好き」との答えはまず返ってこないそうです。あまりに有名すぎる曲なので、真正面からはなかなか言いにくいもの。まして女性で女優さんなら、ドビュッシーとかラヴェルとか、シベリウスとかサティなんて答えるほうが格好いいし、似合っている。

 それを吉永さんは、何のてらいもためらいもなくベートーヴェン、しかも『運命』と堂々と答えた。さすがに大女優の大女優たるゆえんだと、たいへん感じ入ったそうです。こういうの、やはり自分に自信がある吉永さんならではの、素直で自然な反応だったのでしょうね。あえて自分を飾り立てる必要なんて、さらさらない!

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