万葉集【巻第四】

486〜540552〜626631〜695 ・710〜792 →万葉集トップ

710 安都扉娘子の歌

み空行く月の光にただ一目 相(あひ)見し人の夢(いめ)にし見ゆる

【意味】
 遥かな空を渡る月の光りの中で、ただ一目お逢いしただけの人が、夢の中に現れます。

【説明】
 安都扉娘子は遊行女婦。遊女だって恋をする。しかし彼女たちの恋は、やわやわとはかなく悲しい。

712 丹波大女娘子の歌

味酒(うまさけ)を三輪の祝(はふり)がいはふ杉手触りし罪か君に逢ひがたき

【意味】
 三輪の神官がまつる神聖な杉に手を触れるようなことをしたというのかしら、あの人にお逢いしたいのに、お逢いできない。

【説明】
 丹波大女娘子は遊行女婦。「味酒の」は「三輪」にかかる枕詞。

714・715ほか 大伴家持の歌

714
心には思ひわたれどよしをなみ外(よそ)のみにして嘆きぞ我がする
715
千鳥(ちどり)鳴く佐保(さほ)の川門(かはと)の清き瀬を馬うち渡しいつか通はむ
716
夜昼(よるひる)といふ別(わ)き知らず我(あ)が恋ふる心はけだし夢(いめ)に見えきや
720
むらきもの心砕けてかくばかり我が恋ふらくを知らずかあるらむ

【意味】
〈714〉心の中では貴女をずっと思い続けているのに、逢う術がないので外から見るばかりで、私は嘆くばかりです。

〈715〉いつも千鳥が鳴く佐保川、その川門の清らかな浅瀬を馬で渡り、貴女のもとへ通うことができるのは何時のことでしょう。

〈716〉夜昼となく恋しく思う私の気持ちは、もしや、貴女の夢に現れたでしょうか。

〈720〉こんなにも心が砕けるほど私が恋しく思っていることを、貴女は知らずにいるのだろうか、そんなはずはないのに。

【説明】
 家持が娘子に贈る歌7首のうちの4首。715の「川門」は、川幅が狭くなった所。

大伴家持について
 718?〜785年。大伴旅人の長男。万葉集後期の代表的歌人で、歌数も集中もっとも多く、繊細で優美な独自の歌風を残した。
 少壮時代に内舎人・越中守・少納言・兵部大輔・因幡守などを歴任。天平宝字3年(759)正月の歌を最後に万葉集は終わっている。その後、政治的事件に巻き込まれたが、中納言従三位まで昇任、68歳?で没した。
 家持の作歌時期は、大きく3期に区分される。第1期は、年次の分かっている歌がはじめて見られる733年から、内舎人として出仕し、越中守に任じられるまでの期間。この時期は、養育係として身近な存在だった坂上郎女の影響が見受けられ、また多くの女性と恋の歌を交わしている。
 第2期は、746年から5年間におよぶ越中国守の時代。家持は越中の地に心惹かれ、盛んに歌を詠んだ。生涯で最も多くの歌を詠んだのは、この時期である。
 第3期は、越中から帰京した751年から、「万葉集」最後の歌を詠んだ759年までで、藤原氏の台頭に押され、しだいに衰退していく大伴氏の長としての愁いや嘆きを詠っている。

722 大伴家持の歌

かくばかり恋ひつつあらずは石木(いはき)にもならましものを物思はずして

【意味】
 恋にこれほど苦しみ続けるのではなく、いっそ石ころか木切れにでもなれたらいいのに。物思い一つせずにいて。

729〜731 大伴坂上大嬢が大伴家持に贈った歌

729
玉ならば手にも巻かむをうつせみの世の人なれば手に巻きかたし
730
逢はむ夜はいつもあらむを何すとかその宵(よひ)逢ひて言(こと)の繁(しげ)きも
731
我が名はも千名(ちな)の五百名(いほな)に立ちぬとも君が名立たば惜しみこそ泣け

【意味】
〈729〉あなたが玉であったなら、緒に通して腕に巻き、肌身離さずいようものを。この世の人だから、手に巻くことは難しい。

〈730〉お逢いできる夜は他にいくらもあったでしょうに、どういうわけか、あの晩お逢いしただけで、ひどく噂が立ってしまったことです。

〈731〉私の名は千も五百も噂になってかまいませんけれど、あなたの名が一度でも立ってしまうと、惜しくて泣くことでしょう。

732 大伴家持の歌

今しはし名の惜しけくもわれは無し妹によりては千(ち)たび立つとも

【意味】
 いや、今はもう名など私は惜しくはない、愛しいあなたのためなら、たとえ千遍も噂が立とうとも。

735・736 大伴坂上大嬢と大伴家持の歌

735
春日山(かすがやま)(かすみ)たなびき心ぐく照れる月夜にひとりかも寝む
736
月夜(つくよ)には門(かど)に出で立ち夕占(ゆふけ)問ひ足占(あしうら)をそせし行かまくを欲(ほ)

【意味】
〈735〉春日山に霞がかかって気の詰まってくるように、照っている月を見ながら、今夜は独りで寝るのでしょうか。

〈736〉月夜には門のところに出て行って、夕占で吉凶を問い、また足占いで正否を占いました、あなたのもとへ行きたいと。

【説明】
 735は、大伴坂上大嬢が大伴家持に贈った歌。736は、それに家持が答えた歌。「春日山」は平城京の東にある山。

737・739 大伴家持と坂上大嬢の歌

737
かにかくに人は言ふとも若狭道(わかさぢ)の後瀬(のちせ)の山の後も逢はむ君
739
後瀬山 後も逢はむと思へこそ死ぬべきものを今日までも生けれ

【意味】
〈737〉いろいろと人は言いますが、若狭道の後瀬山のように、後にきっとあなたとお逢いしましょうね。

〈739〉後瀬山のように、後に逢おうと思うからこそ、死ぬことなく今日まで生きているのです。

【説明】
 737は、後に家持と結婚した坂上大嬢(さかのうえのおおおとめ)の歌。739は、家持が答えた歌。「後瀬山」は、福井県小浜市の南にある山。

741・743・744 大伴家持の歌

741
(いめ)の逢(あひ)は苦しかりけり覚(おどろ)きてかき探れども手にも触れねば
743
我が恋は千引(ちびき)の石(いは)を七(なな)ばかり首に懸(か)けむも神のまにまに
744
(ゆふ)さらば屋戸開け設(ま)けて我れ待たむ夢(いめ)に相見に来(こ)むとふ人を

【意味】
〈741〉夢での逢瀬とは、苦しいものだ。目が覚めるとあなたの姿は無く、いくら手探りしても触れることさえ出来ないのだから。

〈743〉私の恋は、千人引きの大石を七つも首にかけるほど重く切なかろうとも、神のご意思のままに。

〈744〉夜になるとわが家の戸を開けて私は待とう。夢の中で逢いに来ようというあなたのことを。

【説明】
 家持が坂上大嬢に贈った歌15首のうちの3首。坂上大嬢は大伴坂上郎女の娘で、家持の妻となった女性です。

747・748 大伴家持の歌

747
我妹子が形見の衣(ころも)下に着て直(ただ)に逢ふまでは我れ脱(ぬ)かめやも
748
恋ひ死なむそこも同じぞ何せむに人目(ひとめ)人言(ひとごと)言痛(こちた)み我がせむ

【意味】
〈747〉あなたの形見の衣を下に着ていて、じかに逢うまでは、私は脱ぎなどしない。

〈748〉恋い死ぬことは、人目をはばかりあなたに逢わずにいる苦しみと同じです。どうして人目やうわさを私が煩わしく思ったりしようか。

【説明】
 家持が坂上大嬢に贈った歌15首のうちの2首。坂上大嬢は大伴坂上郎女の娘で、家持の妻となった女性です。

749〜751 大伴家持の歌

749
夢にだに見えばこそあらめかくばかり見えずしあるは恋ひて死ねとか
750
思ひ絶えわびにしものを中々に何か苦しく相見そめけむ
751
相見ては幾日(いくか)も経ぬをここだくもくるひにくるひ思ほゆるかも

【意味】
〈749〉せめて夢にでもあなたが見えればいいのに。これほど見えないということは、恋に死ねというのでしょうか。

〈750〉あなたへの思いが一度は断たれて、気が抜けたように暮らしていたものを、どうして私は、なまじ逢い始めてしまい、再び苦しい思いをしているのだろうか。

〈751〉逢瀬の日から幾日も経っていないのに、どうしてこれほど狂わんばかりに心が乱れるのだろうか。

【説明】
 家持が坂上大嬢に贈った歌15首のうちの3首。

760 大伴坂上郎女の歌

うち渡す竹田の原に鳴く鶴(たづ)の間(ま)無く時なしわが恋(こ)ふらくは

【意味】
 広々とした竹田の原に鳴く鶴のように、絶え間のないことです、あなたをいとおしく思うことは。

【説明】
 大伴坂上郎女が、娘の大嬢(おおおとめ)に贈った歌。「竹田」は現在の奈良県橿原市竹田町。この辺りは大伴氏の領地でした。「うち渡す竹田の原に鳴く鶴の」は、「間無く」を導く序詞。

762・764 大伴家持と紀女郎の歌(1)

762
神さぶと否とにはあらねはたやはたかくして後(のち)にさぶしけむかも
764
百歳(ももとせ)に老い舌(した)(い)でてよよむとも我はいとはじ恋は増すとも

【意味】
〈762〉年を取りすぎているとかいないとかの問題ではないのですが、こんな年上の身で恋の炎に巻かれては、後で淋しいことになりますから。

〈764〉あなたが百歳になり、口から舌をだらりと出し、腰が曲がろうとも、恋心は増すことはあっても、決して嫌いになったりなんかしませんよ。

【説明】
 夫の裏切りに傷ついた紀女郎(きのいらつめ)でした(巻第四 643〜645)が、そんな彼女のもとへ、年下の大伴家持が急接近してきます。762は紀女郎、764は家持の歌。かくして、二人の恋愛は始まりました。

765・768 大伴家持の歌

765
一重(ひとへ)山隔れるものを月夜(つくよ)よみ門(かど)に出で立ち妹か待つらむ
768
今知らす久迩(くに)の都に妹に逢はず久しくなりぬ行きて早見な

【意味】
〈765〉山一つ隔てて異郷の地にあるというのに、あまりによい月夜だから、愛しいあの人は今ごろ門口に立って私を待っていることだろう。

〈765〉新たに天皇がお治めになる久邇の都にあり、あなたと逢えなくなって久しくなりました。行って早く顔が見たい。

【説明】
 久邇京に在って、奈良の都に留まる坂上大嬢を思って詠んだ歌。

769 大伴家持の歌

ひさかたの雨の降る日をただ独り山辺(やまへ)に居ればいぶせかりけり

【意味】
 雨の降るうっとうしい日に一人きりで山近くにいると、ほんとうに気が晴れず重苦しいものです。

【説明】
 題詞に「大伴家持の紀女郎(きのいらつめ)に報(こた)へ贈れる歌」とあります。

776〜781 大伴家持と紀女郎の歌(2)

776
(こと)(で)しは誰(た)が言(こと)なるか小山田(をやまだ)の苗代(なはしろ)水の中淀(なかよど)にして
777
我妹子(わぎもこ)が宿のまがきを見にいかばけだし門(かど)より返してむかも
778
うつたへに籬(まがき)の姿見まく欲(ほ)り行かむと言へや君を見にこそ
779
板葺(いたぶき)の黒木(くろき)の屋根は山近し明日の日取りて持ちて参(ま)ゐ来む
780
黒木(くろき)取り草も刈りつつ仕(つか)へめどいそしきわけとほめむともあらず
781
ぬばたまの昨夜(きぞ)は帰しつ今夜(こよひ)さへ我れを帰すな道の長手(ながて)

【意味】
〈776〉始めに言い寄ってこられたのはどなたでしたっけ。最近は山の田の苗代の水のように、淀んでらっしゃるのね。

〈777〉あなたの家の垣根を見に行っても、きっと家には入れてくれなくて、門から追い返すのでしょう。

〈778〉必ずしも垣根を見たくて行くのではありません、家のご主人様のお顔こそが見たいのです。

〈779〉(籬は出来たようですが、屋根の板葺はまだのようですね。)葺き板用の黒木の屋根でしたら、私の家は山に近いので、明日にも持って参りましょう。

〈780〉黒木を取って来たり雑草を刈ったりしてお仕えしても、冷たい貴女からは、仕事熱心な奴だと誉めてさえ頂けそうにありません。

〈781〉昨日の夜は私を帰しましたね。今夜こそは帰さずに泊めてください、遠い道をやって来るのですから。

【説明】
 776は紀女郎、777〜781は家持の歌。776の「中淀」は、水が淀んで流れないところのこと。水がゆっくり流れるようにすれば、その間に水が温まるので、中淀は山間部の田の苗代には必要なものでした。ここでは、二人の付き合いが中だるみ状態になっていることを表しています。777以下は、ちょっとすねて見せた紀女郎に、家持が答えた歌。紀女郎はたまに、訪ねてきた家持を追い返すことがあったのでしょうか。

782 紀女郎の歌

風高く辺(へ)には吹けども妹がため袖さへ濡れて刈れる玉藻(たまも)

【意味】
 風が高くて海辺にも吹いていたけど、あなたのために袖まで濡らして採ってきた藻ですよ。

【説明】
 友人へのお土産に海藻を採ってきた時の歌。

783〜785 大伴家持の歌

783
をととしの先つ年より今年まで恋ふれどなぞも妹に逢ひかたき
784
うつつにはさらにもえ言はず夢(いめ)にだに妹(いも)が手本(たもと)を卷き寝(ぬ)とし見ば
785
我がやどの草の上白く置く露(つゆ)の身も惜しからず妹に逢はずあれば

【意味】
〈783〉一昨年のそのまた前の年から今年に至るまで、ずっと恋し続けているのに、どうして貴女になかなか逢えないのでしょうか。

〈784〉現実には、そうしたいなどととても口に出して言えないけれど、せめて夢にでもあなたの腕を枕に寝られれば、それだけで十分です。

〈785〉たとえ庭の草の上に白く置いている露のようにはかなく消えようと、私の命は惜しくありません、もし貴女にお逢いできないのなら。

【説明】
 娘子に贈る歌3首。

786・788 大伴家持の歌

786
春の雨はいやしき降るに梅の花いまだ咲かなくいと若みかも
788
うら若み花咲きかたき梅を植ゑて人の言(こと)(しげ)み思ひぞ我がする

【意味】
〈786〉春雨はしきりに降っているものの、我が家の梅の花はまだ咲いていません、若すぎるからなのでしょうか。

〈788〉まだ若くて、花が咲くかどうか分からない梅を植えていますが、人の噂がうるさくて、どうしたものかと困っています。

【説明】
 藤原久須麻呂(ふじわらのくずまろ・仲麻呂の子)が家持の娘を息子の嫁にほしいと言ったのに対し、家持は娘の成長を待ってほしいと婉曲に断ったもののようです。まだ幼い娘を「梅の花」にたとえています。

790 大伴家持の歌

春風の音にし出(いで)なばありさりて今ならずとも君がまにまに

【意味】
 春風の音のように噂になったら、やっとあなたは思い通りになることでしょう。

792 藤原久須麻呂の歌

春雨を待つとにしあらし我がやどの若木の梅もいまだふふめり

【意味】
 春雨を待っているのでしょうか、我が家の庭の若い梅もまだつぼみのままです。

【説明】
 藤原久須麻呂(ふじわらのくずまろ)は仲麻呂(恵美押勝)の子。758年の恵美押勝の乱で殺されました。
 この歌は、大伴家持の歌「春の雨はいやしき降るに梅の花いまだ咲かなくいと若みかも」(巻第四-786)への返歌。両家の子女の結婚をめぐって父親同士が交わした歌で、「梅の花」は家持の娘、「若木の梅」は久須麻呂の息子にたとえています。久須麻呂が家持の娘を息子の嫁にほしいと言ったのに対し、家持は娘の成長を待ってほしいと婉曲に断ったもののようです。

万葉集トップ 巻第一 巻第二 巻第三 巻第四 巻第五 巻第六 巻第七 巻第八 巻第九 巻第十 巻第十一 巻第十二 巻第十三 巻第十四 巻第十五 巻第十六 巻第十七 巻第十八 巻第十九 巻第二十

このページの先頭へ 次へ


三大歌集の比較