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蕪村の俳句集

春の句夏の句 / 秋の句 / 冬の句

秋の句

朝顔や一輪(いちりん)深き淵(ふち)のいろ

すがすがしく朝顔が咲いている。その中の一輪は、底知れぬ淵のような深い藍色をして、まことに美しい。〔季語〕朝顔

硝子(びいどろ)の魚おどろきぬ今朝の秋

ガラスの器の中の魚が、何かに驚いて急に動いた。折しも立秋の朝、冷たく澄んだ水に、魚も敏感になっているようだ。〔季語〕今朝の秋

三径の十歩に尽きて蓼(たで)の花

十歩も歩けば行き止まる狭い庭ながら、小径は手入れもなく、白い蓼の花が侘しく咲いてる。(「三径」は隠者の家の狭い庭。陶淵明の『帰去来辞』にある「三径荒ニ就ケドモ松菊ナホ存ス」を踏まえる。)〔季語〕蓼の花

恋さまざま願(ねがい)の糸も白きより

少女たちがこれから経験するであろうさまざまな恋は、その願いを込めた白い糸から始まる。(「願の糸」は、七夕祭りに少女たちが諸芸の上達と恋の成就を願って糸束を飾ったもの。)〔季語〕願の糸

秋かぜのうごかして行(ゆく)案山子(かがし)かな

秋風が案山子を動かして吹き抜けてゆく。(前書「雲裡房つくしへ旅だつとて、我に同行をすすめけるに、えゆかりざりければ」。雲裡房を秋風に、自分を案山子に譬え、旅に同行したいができない、と言っている。)〔季語〕案山子

もの焚(たい)て花火に遠きかかり舟

港のかかり舟では何かを焚いている火が見える。その遠くに花火が上がっている。(「かかり舟」は沖に停泊している舟。)〔季語〕花火

花火せよ淀の御茶屋の夕月夜

花火をせよ。淀の御茶屋から見る夕月夜にはよく合うだろうから。〔季語〕花火

染あえぬ尾のゆかしさよ赤蜻蛉(あかとんぼ)

尾までは赤に染め切っていないゆかしさよ、赤蜻蛉。(完璧ではない美に心惹かれて詠んだ句。)〔季語〕赤蜻蛉

なかなかにひとりあればぞ月を友

自分は独りぼっちであるが、だからこそ、月を友として楽しむことができる。〔季語〕月

いな妻(づま)や浪(なみ)もてゆへる秋津(あきづ)しま

遠くで稲妻が光ると、それはとても大きく、海岸に打ち寄せる波が、この秋津島(日本のこと)を結いまとめて浮かび上がせるかのようだ。〔季語〕朝顔

四五人に月落ちかかる踊(おどり)かな

夜も更けて、月は西に落ちかかっている。その光を浴びて、四、五人の男たちがまだ踊り続けていることだよ。〔季語〕踊

湯泉(ゆ)の底にわが足見ゆるけさの秋

朝の温泉にひたって、その透き通った湯の底に、青白くほっそりした自分の足が見える。辺りはすでに初秋の気配だ。〔季語〕けさの秋

月天心(つきてんしん)貧しき町を通りけり

夜半の月が中空に輝いている。その月の光を浴びながら、貧しい家々の立ち並ぶ町を通ると、どの家からも灯りは洩れず、ひっそりと寝静まっている。(「月天心」は、中国、宋の邵康節〈しようこうせつ〉の詩「清夜吟」の一節「月天心に到る処」を踏まえている。)〔季語〕月

桜なきもろこしかけてけふの月

桜がないという唐土(中国)までも照らし出す、今宵の名月よ。〔季語〕けふの月

白露や茨(いばら)の刺(はり)にひとつづつ

秋も深くなり、あたり一面に露が降りている。いばらに近づいてみれば、その鋭い刺(とげ)の先の一つ一つに露の玉がくっついて輝いている。〔季語〕露

灯篭(とうろう)を三たびかかげぬ露ながら

亡き友の新盆にあたり、灯篭をかかげたが、数えてみるともう三度目になる。露に濡れた灯篭を見ると、なおいっそう悲しさがこみあげる。〔季語〕灯篭

鳥羽殿(とばどの)へ五六騎いそぐ野分(のわき)かな

野分が吹き荒れる中、五、六騎の武者たちが鳥羽殿に向かって一目散に駆けていく。その後を追うように、野分はなお激しく吹きつのっている。(鳥羽上皇崩御を機に起こった保元・平治の乱に想を得たとされる句。ここでの「鳥羽殿」は建物の鳥羽離宮のこと。)〔季語〕野分

客僧の二階下り来る野分(のわき)かな

悟りを開いているはずの客僧が二階から下りてくるほどの、すさまじい野分だよ。〔季語〕野分

うつくしや野分(のわき)のあとのたうがらし

野分に吹きさらされた後の、真っ赤な唐辛子の実が、ことに美しく見える。〔季語〕唐辛子

(せき)の燈(ひ)をともせば消る野分(のわき)かな

関所の燈を点せばすぐに消えてしまう、激しい野分の風よ。〔季語〕野分

落穂(おちぼ)拾ひ日あたる方(かた)へあゆみ行く

刈田で農夫たちが落穂拾いをしている。寒い山陰からだんだんと日の当たる方へと歩いていっている。〔季語〕落穂

秋の灯(ひ)やゆかしき奈良の道具市(どうぐいち)

暮れきった古都奈良のとある路傍に、灯をかかげた古道具の市が出ている。仏都にふさわしく、仏像や仏具など古い趣の感じられる品々が並んでいる。〔季語〕秋の灯

茨野(いばらの)や夜(よ)はうつくしき虫の声

茨の生い茂った野原が夜になると、まるで虫かごになったように、美しい虫の声をひびかせている。〔季語〕虫の声

虫売のかごとがましき朝寝かな

虫売りの男が、恨みがましく言い訳をして朝寝をしていることよ。(「かごとがましき」は恨みがましく。虫が一晩中鳴いて眠れなかったからと言い訳をしている。)〔季語〕虫売

鬼すだく戸隠(とがくし)のふもとそばの花

鬼が集まって騒ぐという戸隠山のふもとに、白い蕎麦の花が咲いている。(「すだく」はたくさん集まる意。「戸隠」は鬼女紅葉の伝説がある信州の戸隠山。)〔季語〕そばの花

飛入りの力者(りきしゃ)あやしき角力(すまい)かな

勝ち抜き相撲に、素性の知れぬ男が飛入りに出てきて、若者たちを次々に倒していく。見物人は、あれは天狗の化身ではないかと怪しんでいる。〔季語〕角力

夕露や伏見の角力(すまい)ちりぢりに

夕べに露が降りるころ、伏見の角力が終わって人々はちりぢりに帰って行く。(「伏見の角力」は伏見稲荷で行われる勧進相撲。)〔季語〕角力

(まく)まじき角力(すまい)を寝ものがたりかな

あの相撲は負けるはずがなかったのにと、寝物語に妻に向かって愚痴っている。(相撲見物に行った蕪村が、負けて悔しそうにしていた力士の心情をくみ取って詠んだ句。)〔季語〕角力

秋風(あきかぜ)や干魚(ひうお)かけたる浜庇(はまびさし)

浜辺にある漁師の家々の軒先に干魚をかけて干している。吹き始めた秋風に、かさかさと音を立てて揺れていることだ。(「浜庇」は浜辺にある家。)〔季語〕秋風

秋風(しゅうふう)や酒肆(しゅし)に詩うたふ漁者(ぎょしゃ)樵者(しょうしゃ)

秋風が吹くなか、ひなびた居酒屋で、仕事を終えた漁師や木こりたちが、鼻歌を歌いながら酒を飲んでいる。〔季語〕秋風

身にしむや亡妻(なきつま)の櫛(くし)を閨(ねや)に踏む

秋の冷気が漂う寝室で、何か堅いものを踏んだ。手に取ってみると、亡き妻がいつも使っていた櫛だ。妻がすぐそばに戻ってきているようだ。(この時、蕪村の妻が亡くなったという事実はない。蕪村の虚構の作)〔季語〕身にしむ

柳散り清水(しみず)(か)れ石(いし)処々(ところどころ)

柳は散り、川の清水は涸れて、石がところどころに姿を現している。(前書「遊行柳〈ゆぎょうやなぎ〉のもとにて。「遊行柳」は下野〈しもつけ〉にあり、その昔、西行法師が詠み、奥の細道の旅中、芭蕉も詠んだという柳。その風流はもうすっかり失われていると嘆いている。)〔季語〕柳散る

山茶花(さざんか)の木間(このま)見せけり後(のち)の月

後の月の光に照らされて、ふだんは見えない山茶花の木の隙間が見えることだ。(「後の月」は陰暦9月の十三夜の月。)〔季語〕柳散る

小鳥来る音うれしさよ板庇(いたびさし)

今年の秋も、わが家に渡り鳥が帰ってきたようだ。庇の上を歩く音がするうれしさよ。〔季語〕小鳥来る

村百戸菊なき門(かど)も見えぬかな

村の百戸の家々、菊がない門はどこにも見当たらない。〔季語〕菊

紅葉見や用意かしこき傘(かさ)弐本(にほん)

紅葉見物の楽しい日、もったいなくも用意していただいた傘二本。〔季語〕紅葉見

朝霧や村千軒の市(いち)の音

朝霧が立ち込めていて見通しがきかないが、すでに一日は始まったらしく、家が千軒もあるような市のざわめきが聞こえる。〔季語〕朝霧

おのが身の闇(やみ)より吠えて夜半(よわ)の秋

夜の闇のような黒犬が、秋の夜半の闇におびえて吼えている。(黒犬の絵を讃して詠んだ句。闇におびえて吠える黒犬は、自身の傷ましい心の投影か。)〔季語〕夜半の秋

(かど)を出れば我も行く人秋のくれ

門を一歩出ると、別に旅に出るわけでもないのに、旅人のような心持ちになってしまう秋の夕暮れである。〔季語〕秋の暮

(かど)を出て故人に逢ひぬ秋の暮

門を出て、たまたま旧知の人に出逢ったが、その顔にも、どことなく生活の寂しさが暗く漂っている。〔季語〕秋の暮

(にしき)する秋の野末(のずえ)の案山子(かがし)かな

紅葉の錦に彩られる秋の野の果てに、さびしげに立つ案山子だよ。〔季語〕案山子

壁隣(かべどなり)ものごとつかす夜寒かな

隣と薄い壁を隔てただけの侘しい我が家、隣から何やらごそごそ音がする。夜寒が身にしみる。〔季語〕夜寒

猿どのの夜寒(よさむ)(とい)ゆく兎(うさぎ)かな

山に住む猿を訪ねて、寂しい夜寒の道を兎が急いでいる。(前書「山家」。山に住む人のもとへと急ぐ自分の姿を、猿を訪ねる兎のようだと言っている。)〔季語〕夜寒

冬近し時雨(しぐれ)の雲も此所(ここ)よりぞ

冬が近い。時雨を降らす雲もこれからやって来るのだろう。(前書「祖翁の碑前に詣で」。洛東に芭蕉庵を訪ねた時の句。)〔季語〕冬近し

あちらむきに鴫(しぎ)も立(たち)たり秋の暮

無愛想にも、あちらむきに鴫が立っている、秋の暮れ。〔季語〕秋の暮

山は暮れて野は黄昏(たそがれ)の薄(すすき)かな

遠くの山々はすでに暮れてしまったが、近くに見える野はまだ暮れなずんでいてほの明るい。薄が風にゆれている。〔季語〕薄

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冬の句

尼寺や十夜(じゅうや)に届く鬢葛(びんかずら)

尼寺の尼のもとに、縁のあった男から鬢葛が届き、折しも、十夜の念仏に入る日だった。(前書「鎌倉誂物」。鎌倉へ届けるよう注文した品の意。世俗から離れようとする女と、未練がましい男を詠んだ句。「十夜」は浄土宗の念仏修行。「鬢葛」はサネカズラから抽出した整髪料。縁切り寺として名高い東慶寺は臨済宗のため十夜念仏を行わないが、それとみなして詠んだ句か。)〔季語〕十夜

(くす)の根を静(しずか)にぬらす時雨(しぐれ)かな

時雨が降ってきた。楠の大樹は、はじめのうちは繁った枝葉にさえぎられて、その下陰は乾いていたが、だんだんと幹から根元へとぬれてきた。〔季語〕時雨

易水(えきすい)にねぶか流るる寒さかな

戦国時代の中国、荘士が悲壮な決意で旅立ったという易水に、真っ白な葱(ねぎ)が流れている。そのさまは何とも寒さが身に沁みる。(易水は中国河北省を流れる川。)〔季語〕寒さ

(おの)入れて香(か)におどろくや冬木立

冬木立の中にやって来て、枯木と思って斧を打ち込んだ。ところが、新鮮な木の香りが匂ってきて驚いた。〔季語〕冬木立

蒲公英(たんぽぽ)の忘れ花あり路(みち)の霜

咲くはずのない蒲公英の花、道には白い霜。(「忘れ花」は時節を過ぎて咲く花。)〔季語〕忘れ花

おし鳥に美をつくしてや冬木立

鴛鴦の(おしどり)の羽の色に美を尽くしてしまったからか、殺風景な冬木立であるよ。(前書「鴛見(おしみ)」)〔季語〕冬木立

行年や芥(あくた)流るるさくら川

一年が過ぎて行く。芥が桜川を流れて行く。(前書「つくばの山本に春を待つ」。さくら川は、茨城県の筑波山の西を流れて霞ヶ浦に入る桜川。)〔季語〕行年

梅さげた我に師走の人通り

梅の枝を持っている私が、せわしく行き交う師走の人通りを歩いている。〔季語〕師走

こがらしや何に世わたる家五軒

こがらしが吹きすさぶ荒れた野に、こんなところでいったい何を生業として世を渡っているのか、五軒の家が寄り添うようにかたまっている。〔季語〕こがらし

(こがらし)や広野にどうと吹起る

こがらしが広い野にどうと音を立てて吹き起こる。〔季語〕凩

蕭条(しょうじょう)として石に日の入(いる)枯野かな

冬の夕日がひっそりと石に射している。寒々とした枯野のさびしさよ。〔季語〕枯野

初冬(はつふゆ)や日和(ひより)になりし京はづれ

どんよりと曇る日の多い初冬の京都、そんなある日、郊外にさしかかると、急に晴れて青空が見えてきた。〔季語〕初冬

(いそ)ちどり足をぬらして遊びけり

波が寄せては返す磯辺で、千鳥が遊んでいる。波が寄せるたびに逃げるけれど、つい足が波に濡れてしまう。それを楽しんでいるかのようだ。〔季語〕磯ちどり

しぐるるや鼠(ねずみ)のわたる琴(こと)の上

外では時雨が降っている。座敷に置いてある琴の上を鼠が渡って、さらさらと音を立てた。〔季語〕時雨

うづみ火や終(つい)には煮(に)ゆる鍋のもの

火鉢の炭は灰にうずまっている。その上にかけてある小さな鍋はいつ煮えるとも分からないが、まあそのうち煮えるだろう。〔季語〕うづみ火

霜百里(しもひゃくり)舟中(しゅうちゅう)に我(われ)月を領(りょう)

冷え込む夜舟が進む川の両岸には、月光の下一面に霜がおりている。見上げれば、空は広く月を遮るものは何もない。まるで自分が月を統率しているようだ。(舟に乗って大阪から京へ帰ってくる途中に詠んだ句)〔季語〕霜

深草の傘しのばれぬ霰(あられ)かな

深草少将の傘がしのばれる、霰の降る大きな音に。(「深草」は深草少将。小野小町から百夜通ってきたら身を許すと約束されたが、九十九夜目に亡くなってしまった。その無念さに思いを馳せた句。)〔季語〕霰

御火焚(おほたき)や霜うつくしき京の町

冬の朝、京の町の方々で御火焚を焚いている。その焚き火に霜がきらきらと映えて美しい。(「御火焚」は、陰暦11月に社前に火を焚く神事。)〔季語〕御火焚

愚に耐(たへ)よと窓を暗くす竹の雪

愚者とし生きてよ、と竹に積もる雪が窓を暗くする。(前書「貧居八詠」)〔季語〕雪

宿かせと刀(かたな)投げ出す吹雪かな

外は吹雪。旅人が家にころがりこんできて、宿を貸してくれというより早く、刀を投げ出して腰を下ろしたことだよ。〔季語〕吹雪

腰ぬけの妻うつくしき火燵(こたつ)かな

ふだんはかいがいしく働いている妻が、炬燵に入ると動けなくなってしまった。その姿が愛らしい。〔季語〕火燵

水鳥や提灯(ちょうちん)遠き西の京

暗い池のほとりにたたずむと、水鳥の音がかすかに聞こえてくる。はるか西の京あたりに目を向けると、提灯の明かりが動いており、それも遠くかすかである。〔季語〕水鳥

寒月や衆徒(しゅと)の群議の過ぎて後(のち)

明日の戦いの評定を終えた僧兵たちが去っていった。そのあとには寒々とした冬の月が中空に輝いている。〔季語〕寒月

(ねぶか)(こう)て枯木(かれき)の中を帰りけり

町で買った一束のねぎをぶら下げて、弱い日の光を受けた冬木立の中を一人で帰ってきたことだよ。〔季語〕葱

(こがらし)や碑(いしぶみ)をよむ僧一人

凩が吹きつける中、僧が一人、碑文を読んでいる。〔季語〕凩

みのむしの得たりかしこし初時雨(はつしぐれ)

初時雨が降り出していろんなものが雨に濡れるなか、蓑虫だけは蓑を着ているので、得たりかしこしと得意そうだ。〔季語〕初時雨

寒菊(かんぎく)や日の照る村の片ほとり

村全体に日が照っているなか、とある一隅にも、寒菊が日差しを受けてつつましく咲いている。〔季語〕寒菊

炭うりに鏡見せたる女かな

炭売りの男に「自分の顔を見てご覧」と言って鏡を見せた女よ。〔季語〕炭うり

待人(まちびと)の足音遠き落葉かな

ずっとお待ちしている人がいよいよ来たようで、その人らしい足音が聞こえてきたが、落葉を踏んで近づいてくるその足音はまだ遠くかすかだ。〔季語〕落葉

水仙(すいせん)や寒き都のここかしこ

寒い京の冬ながら、水仙の花があちらこちらに寒さに耐えて咲いている。〔季語〕水仙

西吹けば東にたまる落葉かな

西風が吹くと、落ち葉が、力なく東の方に吹きつけられて溜まってしまう。〔季語〕落葉

(くれ)まだき星の輝く枯野(かれの)かな

暮れるにはまだ時間がある時分、空には星がぽつぽつと出てきたが、枯野は残照を受けてほのかに明るさが漂っている。〔季語〕枯野

みどり子の頭巾(ずきん)眉深(まぶか)きいとほしみ

母親に背負われた幼児が、寒さよけの頭巾をかぶっているが、その頭巾が大きいものだから顔の上半分が隠れそうになっている。それでも、頭巾の奥の目はぱっちりと開いている。そのかわいいこと。(「みどり子」は幼児のこと)〔季語〕頭巾

雪の暮(くれ)(しぎ)はもどつて居(い)るやうな

雪が降り積もった沼のあたりに鳥の羽音がする。どこかに飛び立っていたのが、夕暮れになって戻ってきたようだ。〔季語〕雪の暮

物書いて鴨(かも)に換え(かへ)けり夜の雪

書を書いて、食料の鴨と換えたものだよ、降りしきる夜の雪。(前書「王義之」。東晋の書家、王義之が『道徳経』を書写して鵞鳥〈がちょう〉に交換したという故事を踏まえている。)〔季語〕雪

古池に草履(ぞうり)沈みてみぞれかな

古池に草履が沈んでおり、さらにみぞれが降ってきた。〔季語〕みぞれ

草も木も小町が果(はて)や鴛(おし)の妻

美しかった草も木も小町のなれの果てのように、枯れて色褪せている。そんな生き方とは違い、鴛鴦(おしどり)の妻は、くすんだ姿であっても夫に寄り添い、ずっと幸せに暮らしている。〔季語〕鴛

我も死して碑(ひ)に辺(ほとり)せむ枯尾花(かれおばな)

私もいずれは死ぬであろうが、その時はどうか、枯尾花に囲まれたこの碑のほとりに葬ってほしいものである。(前書「金福寺芭蕉翁墓」。京都の金福寺にある芭蕉碑の前で詠んだ句。)〔季語〕枯尾花

大雪と成けり関の戸ざし比(ごろ)

大雪となってきたよ、関所の戸を閉ざす夕暮れごろに。〔季語〕大雪

戸に犬の寝がへる音や冬籠(ふゆごもり)

閉めた雨戸に、犬が寝返りをする音がひびく、冬籠の夜。〔季語〕冬籠

すす払(はき)や塵に交る夜のとの

煤払いをした夜には、俗塵の男と交わる夜の殿であるよ。(「夜のとの」は夜の狐の異称で、夜に美しく化粧をした遊女の喩え。遊女の昼と夜の対照を詠んだ句。)〔季語〕冬籠

(ねんごろ)な飛脚(ひきゃく)(すぎ)ゆく深雪(みゆき)かな

親しくしている飛脚が通り過ぎて行く、深く積もった雪の中を。〔季語〕深雪

水鳥や枯木の中に駕(かご)二挺(にちょう)

冷たい水面に、水鳥たちが泳いでいる。対岸の冬木立の中には、かごが二挺乗り捨てられていて、辺りには誰もいない。〔季語〕水鳥

※順不同。なお、ふりがなは現代仮名遣いによっています。 

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

バナースペース

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俳句の歴史

 俳諧というと、すぐに俳句を思い出し、5・7・5でよむ短詩型文学と考えるが、元はそうではなかった。俳諧は、「滑稽」の意であり、その形式は連歌から受け継いだ。

 連歌とは、和歌の上下2句を二人で詠み分けるもので、即興と機智とを重んじる遊戯的なものだった。それが鎌倉時代になると、5・7・5に7・7をつけ、さらにそれに5・7・5をつけるという具合に、50も100も長く続ける連歌が生まれてきた。これを従来の「短連歌」に対し、「長連歌(または鎖連歌)」という。この長連歌は、中世の和歌衰退の気運にかわって、「有心(うしん)連歌」と称して、高度の芸術性と完成度を求めるようになった。

 その一方、連歌本来の諧謔性を求める「無心連歌」は、おもに僧侶・武家・下級貴族の間で行われ、これも同じく長連歌化しつつあった。有心連歌を行った人々を「柿の本衆」というのに対し、無心連歌の人々は「栗の本衆」と称した。

 有心連歌は室町初期に最も盛んになったが、その後は衰退、中世末期になると、次第に無心連歌が民衆の間に広まった。

 安土桃山期になると、山崎宗鑑、荒木田守武の二人が出て、無心連歌をさらに滑稽化して、俳諧の連歌というものを創り出し、既成の和歌的情緒を破壊し、大胆な諧謔精神を発揮した。これが俳諧の文学の本格的な開始となった。 

 貞門がやや格式重視だったのに対し、その枠を破り、まったく自由奔放な俳諧を唱えたのが西山宗因であり、その門流を「談林(だんりん)」と呼ぶ。この派は町人の旺盛な生活力を基盤としたが、次第に無秩序に流れ、品位を失うに至った。

 江戸時代になると、松永貞徳が出て、俳諧を用語上から連歌と区別し、俳諧とは俳言(はいごん)をもってよむ連歌なりと定義、その法則を定めた。彼の門流を「貞門(ていもん)」と呼ぶ。

 これらの反省は、池西言水、小西来山、上島鬼貫らによって唱えられていたが、松尾芭蕉の出現をみて、俗語を用い俗生活を題材としながら古典的伝統の品位を保持する排風(蕉風)が確立した。

 芭蕉の時代には、俳句は連句ともいわれ、やはりいくつかの続く形でよまれるのが原則だった。特に36句でよむ歌仙形式が行われたが、一方、発句(連句の一番初めの句)の独立性も次第に確立してきた。

 芭蕉の死後、その弟子たちの活躍はあったものの、俳諧は次第に芸術的香気を失っていったが、天明期に与謝蕪村が現れ、空気を刷新した。

 天明以後は、小林一茶など人生派の俳人を除けば、俳諧は再び衰退し、いわゆる月並調の平凡な詠風に堕し、その復興は明治の正岡子規に待たねばならなかった。

 子規は、蕪村を尊重し、明治の俳壇を革新したが、その際、連句を遊戯とみなし、文学としては発句のみがその独自性を持ちうると主張し、「俳句」と称した。

俳句の用語

一物仕立
単一概念(一つの素材、ことば)によって断絶(句切れ)なく作ること。

歌仙
長句と短句を交互に36句連ねた俳諧の連歌の一形式。

季重なり
一句のうちに2つ以上の季語が含まれること。

季語
俳句の中で、その季節を表すことばとして用いられるもの。「季題」とも呼ばれる。

切れ字
句中または句末に用いて、句に曲折をもたせたり、特別に言い切る働きをしたりする語。 終助詞や用言の終止形・命令形などが多い。 「や」「かな」「けり」など。

吟行
俳句を作るために実景を見に、また季題と出会うため外へ出て行くこと。

句またがり
読みが5・7・5音でなく、他の文節にまたがっている、7・5・5のような句。

兼題
歌会・句会などを催すとき、あらかじめ出しておく題。また、その題で詠んでおく歌・句。

口語俳句
定型を重視する文語俳句に対して、話し言葉で書かれた俳句。

歳時記
季題、季語を月別、四季別に分類して解説、例句を加えたもの。

雑詠
詩歌や俳句で、特に題を決めずによむこと。また、その作品。

さび
「しおり」とともに代表される蕉風俳諧の根本理念。閑寂味の洗練されて純芸術化されたもの。句に備わる閑寂な情調。

字余り
5・7・5、計17音の定まった形よりも字数の多い俳句。

しおり
「さび」とともに代表される蕉風俳諧の根本理念。人間や自然を哀憐をもって眺める心から流露したものがおのずから句の姿に現れたもの。

字足らず
5・7・5、計17音の定まった形よりも字数の少ない俳句。

自由律
5・7・5の17音や季語といった定型の制約に制限されることなく、感じたままを自由に表現する長短自由の型の俳句。

嘱目
実際に見た景色、目に触れたものを題材として俳句を作ること。

席題
句会の席で出される題のこと。

川柳
季題・切れ字を使わない17音の定型詩。 世相・人事・人情を軽妙に詠むところに特徴がある。「穿ち」「おかしみ」「かるみ」がその三要素。

即吟
句会の席で出された題を即席で詠むこと。

題詠
句会などで季語や言葉を題にして俳句を作ること。雑詠や自由詠に対して言う。

多行俳句
俳句を3行ないし4行の多行書きで表記する形式。昭和時代の俳人・高柳重信が創出した。

投句
短冊など所定の用紙に俳句を書いて、句会や雑誌等に出すこと。

倒句
意味を強めるために、普通の語法の位置を逆にして置いた句。

二句一章
句中に切れがあり、相互になんの関連がないものを一句に仕立てる句。「一句一章」は句中にそういう切れがなく一つの事柄を表している句。

俳諧
俳句(発句)・連句の総称。広義には俳文・俳論を含めた俳文学全般を指す。

俳壇
俳人の仲間。俳句を作る人々の社会。

破調
各文節の決まった音数に多少が生じること。字余り、字足らずなど。

披講
俳句会の席上で選句された俳句を読み上げたり発表すること。

発句
連歌・連句の第一句目。5・7・5の17音からなる。また、それが独立して一つの詩として作られたもの。正岡子規により俳句として独立した。

前書き
俳句の前に付して、其の俳句に付け加えることば。俳句のつくられた場所や月日を記す場合が多い。

無季
一句の中に季語がないこと、またその俳句。

余韻/余情
物事が終わった後になお深く残っている風情、また表現の外に漂う情趣。表現を抑えて、心を内に込め、あらわにしないのは、余韻、余情につながる。

わび
茶道や俳諧などでいう閑寂な風趣。外観的あるいは感覚的な装飾美を否定し、精神的余情美を追求しようとする芭蕉のすべてを貫いた根本的理念の一つ。

蕪村の俳句集

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