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若紫

■垣間見

(一)
 日もいと長きにつれづれなれば、夕暮れのいたうかすみたるに紛れて、かの小柴垣(こしばがき)のもとに立ち出でたまふ。人々は帰したまひて、惟光朝臣(これみつあそん)とのぞきたまへば、ただこの西面(にしおもて)にしも、持仏据ゑたてまつりて、行ふ、尼なりけり。簾(すだれ)少し上げて、花奉るめり。中の柱に寄りゐて、脇息(けふそく)の上に経を置きて、いとなやましげに読みゐたる尼君、ただ人と見えず。四十余(よそぢよ)ばかりにて、いと白うあてに、やせたれど、面(つら)つきふくらかに、まみのほど、髪のうつくしげにそがれたる末も、「なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかな」と、あはれに見たまふ。

 清げなる大人二人ばかり、さては童(わらは)べぞ出で入り遊ぶ。中に、十ばかりにやあらむと見えて、白き衣(きぬ)、山吹などのなえたる着て、走り来たる女子(をんなご)、あまた見えつる子供に似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えて、うつくしげなるかたちなり。髪は扇を広げたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。

 「何事ぞや。童べと腹立ちたまへるか」とて、尼君の見上げたるに、少しおぼえたるところあれば、子なめりと見たまふ。「すずめの子を犬君(いぬき)が逃がしつる。伏籠(ふせご)の中(うち)にこめたりつるものを」とて、いと口惜しと思へり。このゐたる大人、「例の、心なしの、かかるわざをしてさいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづ方へかまかりぬる。いとをかしう、やうやうなりつるものを。からすなどもこそ見つくれ」とて立ちて行く。髪ゆるるかにいと長く、目安き人なめり。少納言乳母(せうなごんのめのと)とぞ人言ふめるは、この子の後ろ見なるべし。

【現代語訳】
 日もたいそう長くて、何もすることがないので、夕暮れ時の深くかすんでいるのに紛れて、あの小柴垣の付近にお立ち出でになった。お供の人はお帰しになり、惟光朝臣といっしょに僧都の坊をお覗きになると、ちょうどこの西面に、仏を安置して勤行している人は尼だった。少女たちが簾を少し上げて、花を供えている最中のようだ。中の柱に寄り掛かって座り、脇息の上にお経を置いて、とても大儀そうに読経している尼君は、普通の身分の人とは見えない。四十過ぎくらいで、とても色白で上品で、痩せてはいるが頬はふっくらとして、目もとのぐあいや、髪がきれいに切り揃えられている端も、「かえって長い髪よりも、この上なく現代風な感じだなあ」と興味深くご覧になった。

 小綺麗な女房二人ほど座っており、それから童女が出たり入ったりして遊んでいる。その中に、十歳くらいかと見えて、白い袿の上に、山吹重ねなどの、糊気の落ちた表着を着て走ってきた女の子は、大勢見えた子供たちとは比べものにならず、たいそう成人したときの美しさがうかがわれて可愛らしげな顔かたちである。髪は扇を広げたようにゆらゆらとして、顔は手でこすってとても赤くして立っている。

 「どうなさったの。童女とけんかをなさったのですか」と言って、尼君が見上げた顔に、少し似ているところがあるので、その子どもなのだろうとご覧になる。「雀の子を、犬君が逃がしちゃったの。伏せ籠の中に閉じこめておいたのに」と言って、とても残念がっている。そこに座っていた女房が、「またうっかり屋さんのが、このようなことをして責められるとは、ほんと困ったことね。どこへ飛んで行ってしまいましたか。とても可愛らしくだんだんなってきましたものを。烏などが見つけたら大変」と言って、立って行く。髪はゆったりとたいそう長くて、感じのいい人のようだ。少納言の乳母と人が呼んでいるらしい人は、きっとこの子のご後見役なのだろう。

(二)
 尼君、「いで、あな幼や。言ふかひなうものしたまふかな。おのがかく今日明日におぼゆる命をば、何とも思(おぼ)したらで、すずめ慕ひたまふほどよ。罪得(う)ることぞと、常に聞こゆるを、心憂く」とて、「こちや」と言へば、ついゐたり。面つきいとらうたげにて、眉(まゆ)のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪(かん)ざし、いみじううつくし。ねびゆかむさまゆかしき人かなと、目とまりたまふ。さるは、限りなう心を尽くしきこゆる人に、いとよう似たてまつれるが、まもらるるなりけりと思ふにも、涙ぞ落つる。

 尼君、髪をかきなでつつ、「けづることをうるさがりたまへど、をかしの御髪(みぐし)や。いとはかなうものしたまふこそ、あはれに後ろめたけれ。かばかりになれば、いとかからぬ人もあるものを、故姫君は、十ばかりにて殿に後れたまひしほど、いみじうものは思ひ知りたまへりしぞかし。ただ今おのれ見捨てたてまつらば、いかで世におはせむとすらむ」とて、いみじく泣くを見たまふも、すずろに悲し。幼心地にも、さすがにうちまもりて、伏し目になりてうつぶしたるに、こぼれかかりたる髪、つやつやとめでたう見ゆ。

 生ひ立たむありかも知らぬ若草を後らす露ぞ消えむ空なき

またゐたる大人、「げに」とうち泣きて、

 初草の生ひゆく末も知らぬ間にいかでか露の消えむとすらむ

 と聞こゆるほどに、僧都(そうづ)あなたより来て、「こなたはあらはにやはべらむ。今日しも端におはしましけるかな。この上(かみ)の聖(ひじり)の方に、源氏の中将の、瘧病(わらはやみ)まじなひにものしたまひけるを、ただ今なむ聞きつけはべる。いみじう忍びたまひければ知りはべらで、ここにはべりながら、御とぶらひにもまうでざりける」とのたまへば、「あないみじや。いとあやしきさまを人や見つらむ」とて簾(すだれ)下ろしつ。「この世にののしりたまふ光源氏、かかるついでに見たてまつりたまはむや。世を捨てたる法師の心地にも、いみじう世の愁へ忘れ、齢(よはひ)延ぶる人の御ありさまなり。いで御消息(せうそこ)聞こえむ」とて立つ音すれば、帰りたまひぬ。

【現代語訳】
 尼君が、「何とまあ、若紫は幼いことよ。聞き分けもなくいらっしゃること。私がこのように、今日明日にも知れなくなっている命を何ともお思いにならず、雀を追いかけていらっしゃることよ。生き物を閉じこめるのは罪を得ることですよと、いつも申し上げていますのに、情けないこと」と言って、「こちらへ、いらっしゃい」と言うと、若紫はちょこんと座った。顔つきがとても可愛らしげで、眉のあたりがほんのりとして、子供っぽく髪を掻き上げた額つきや、髪のぐあいも大変に可愛らしい。「成長して行くようすを見たい人だなあ」と、源氏のお目がおとまりになる。それと言うのも、限りなくお慕いしているあの藤壺の方に、とてもよく似ているので、目が引きつけられるのだと、思うにつけても源氏は涙が落ちる。

 尼君は、若紫の髪を撫でながら、「髪を梳くのをお嫌がりになるけど、美しいお髪だこと。ほんとうに子供っぽくいらっしゃるのが、かわいそうで気がかりです。これくらいの年になれば、もっとしっかりした人もありますものを。亡くなった母君は、十歳で父君に先立たれなさった時は、それはよく物がお分かりになっていらっしゃいましたよ。たった今、私があなたを残して逝ってしまったら、どうやって生きていかれるのでしょう」と言って、たいそう泣くのをご覧になると、源氏も何とも言えず悲しい。子供心にも悲しく思うのだろう、尼君の顔をじっと見て、やがて伏し目になってうつむいたところにこぼれかかった髪が、つやつやとして美しく見える。

 尼君が、「これからどこでどう育って行くのかも分からない若草のようなあなたを残してゆく、露のようにはかない私は消えようにも消えていく空がありません」

もう一人の座っている女房が、「本当に」と、涙ぐんで、

 「初草のように若い姫君のご成長もご覧にならないうちに、どうして露は消えようとなさるのでしょうか」

と申し上げているところに、僧都が向こうからやって来て、「ここは人目につくのではないでしょうか。今日に限って、端近にいらっしゃいますね。この上の聖の坊に、源氏中将が瘧(おこり)病のまじないにいらっしゃったのを、たった今、聞きつけました。ひどくお忍びでいらっしゃったので知りませんで、ここにおりながら、お見舞いにも上がりませんでした」とおっしゃると、尼君は、「まあ大変。たいそう見苦しいさまを、誰か見たでしょうかしら」と言って、簾を下ろしてしまった。僧都が、「今、世間で評判の高い光源氏を、この機会に拝見なさいませんか。私のような俗世を捨てた法師の気持ちにも、まったく世の憂いを忘れ、寿命が延びるほどのごようすの方です。どれ、源氏の君にご挨拶を申し上げよう」と言って、立ち上がる音がするので、源氏はお帰りになった。

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■夏四月の短夜の密通

 藤壺の宮、悩みたまふことありて、まかでたまへり。上(うへ)の、おぼつかながり、嘆き聞こえたまふ御気色(けしき)も、いといとほしう見奉りながら、「かかる折だに」と、心もあくがれ惑ひて、何処(いづく)にも何処にも、まうでたまはず、内裏(うち)にても里にても、昼はつくづくと眺め暮らして、暮るれば、王命婦(わうみやうぶ)を責め歩(あり)きたまふ。

 いかがたばかりけむ、いとわりなくて見奉るほどさへ、現(うつつ)とはおぼえぬぞ、わびしきや。宮も、あさましかりしを思し出づるだに、世とともの御物思ひなるを、「さてだにやみなむ」と深う思したるに、いと心憂くて、いみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけず、心深う恥づかしげなる御もてなしなどの、なほ人に似させたまはぬを、「などか、なのめなることだに、うち交じりたまはざりけむ」と、つらうさへぞ思さるる。何ごとをかは聞こえ尽くしたまはむ。くらぶの山に、宿りも取らまほしげなれど、あやにくなる短夜(みじかよ)にて、あさましう、なかなかなり。

 「見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちにやがて紛るる我が身ともがな」
と、むせかへりたまふさまも、さすがにいみじければ、
 「世語りに人や伝へむたぐひなく憂き身を覚めぬ夢になしても」

 思し乱れたるさまも、いと道理(ことわり)にかたじけなし。命婦の君ぞ、御直衣(なほし)などは、かき集め持て来たる。

【現代語訳】
 藤壺の宮は、ご病気になられて、里にお下がりになった。帝が、お気をもまれ、ご心配なさっているようすも、源氏はまことにおいたわしく拝見しながらも、「せめてこのような折りにも藤壺宮に逢いたいと、魂も上の空に迷い、ほかのどの女性のところへもお出かけにならず、宮中にいても自邸にいても、昼間はぼんやりと物思いに沈んで、夕暮れになると、王命婦にあれこれとおせがみになった。

 命婦はどのように手引したのだろうか、とても無理してお逢いできた間さえ、現実とは思われないのは、源氏にとってとても辛いことだった。藤壺宮も、思いもしなかったかつての密会のことをお思い出しになるだけでも、生涯忘れられない悩みなので、「せめてそれきりで終わりにしたい」と深く決心されていたのに、こうして再び逢ってしまったのを、ひどく辛くお感じになり、お怒りのごようすではあったが、優しくいじらしくて、そうかといって源氏に気をお許しにならず、奥ゆかしく気品のある物腰などが、やはりほかの人とは違っていらっしゃるので、源氏は、「どうして、平凡なところが少しも混じっていらっしゃらないのだろう」と、恨めしい気持ちがなさる。どのようなことをお話し尽くせようか。夜明けの来ない暗部(くらぶ)の山に泊まりたいところだが、あいにくの夏の短夜なので、情けなく、かえって辛さが増す逢瀬であった。

 「お逢いしても再びいつ逢えるか分からないのですから、夢の中にそのまま消えてしまいとうございます」
と、源氏が涙にひどくむせんでいられるごようすも、さすがにお気の毒なので、藤壺宮は、

 「世間の語り草として人々が語り伝えるのではないでしょうか、この上なく辛い身の上を覚めることのない夢の中に消してしまったとしても」

 藤壺宮がお悩みになっているようすも、まことにごもっともで恐れ多い。命婦の君が、お直衣などを取り集めて、源氏のもとに持って来た。

(注)くらぶの山・・・近江の国にある山。

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末摘花

■雪の激しく降る日

 いとど、憂ふなりつる雪、かきたれ、いみじう降りけり。空の気色はげしう、風吹き荒れて、大殿油(おほとなぶら)消えにけるを、ともしつくる人もなし。かの、ものに襲はれし折、思し出でられて、荒れたるさまは劣らざめるを、ほどの狭(せば)う、人気(ひとげ)のすこしあるなどに慰めたれど、すごう、うたて寝(い)ざとき心地する夜のさまなり。をかしうもあはれにも、様(やう)かへて、心とまりぬべきありさまを、いと埋(む)もれすくよかにて、何の栄(は)えなきをぞ、口惜しう思す。

 からうして明けぬる気色(けしき)なれば、格子、手づから上げたまひて、前の前栽(ぜんざい)の雪を見たまふ。踏みあけたる跡もなく、はるばると荒れ渡りて、いみじう寂しげなるに、ふり出でて行かむこともあはれにて、「をかしきほどの空も見たまへ。尽きせぬ御心の隔てこそ、わりなけれ」と、恨みきこえたまふ。まだほの暗けれど、雪の光にいとど清らに若う見えたまふを、老い人ども、笑み栄(さか)えて見奉る。

 「はや出でさせたまへ。あぢきなし。心うつくしきこそ」など教へ聞こゆれば、さすがに、人の聞こゆることを、えいなびたまはぬ御心にて、とかう引きつくろひて、ゐざり出でたまへり。

 見ぬやうにて、外(と)の方(かた)を眺めたまへれど、尻目(しりめ)はただならず。「いかにぞ、うちとけまさりの、いささかもあらばうれしからむ」と思すも、あながちなる御心なりや。

【現代語訳】
 ますます、女房たちが辛いと言っていた雪が激しく降ってきた。空模様は険しく、風が吹き荒れて、明かりが消えてしまっているのに点し直す人もいない。源氏は、あの、魔物に襲われた時を思い出しになられて、荒れたようすは劣らないようだが、邸の狭い感じや人気が少しあるなどで安心していたが、物寂しく不気味で、寝つかれそうにない夜のありさまである。このような情景は、趣も感じられ、しみじみと胸を打つものがあり、風変わりに心がひきつけられそうなようすなのに、姫君がひどく引っ込み思案で、潤いや優しさに欠け、何の取り柄もないのを、残念にお思いになる。

 やっと夜が明けた気配なので、源氏はご自分で格子をお上げになり、前庭の植え込みの雪をご覧になった。踏み分けた跡もなく、広々と荒れわたってたいそう寂しそうなので、姫君を振り捨てて帰るのも気の毒に思い、「風情のある空をご覧なさい。いつまでも打ち解けて下さらないお心が、理解できません」と、恨みごとを言われた。まだほの暗いが、雪の光に源氏がますます美しく若々しくお見えになるのを、老いた女房たちはにこにこして拝し上げる。

 「早くお出ましなさいませ。引っ込んでいらしてはいけませんわ。女は素直なのがいちばんですよ」などとお教えすると、何と言っても、人の申すことをお拒みになれないご性格なので、あれこれ身支度して、いざり出てこられた。

 源氏は姫君を見ないようにして、外を眺めていらっしゃるが、横目の使い方は尋常でない。「どんなに、馴れ親しんで見たときに、少しでも良いところを発見できれば嬉しかろうが」とお思いになるのも、身勝手なご注文というものだ。

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■末摘花(すゑつむはな)の醜貌

 まづ、居丈(ゐだけ)の高う、を背長(せなが)に見えたまふに、「さればよ」と、胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは、御鼻なりけり。ふと、目ぞとまる。普賢菩薩(ふげんぼさつ)の乗り物と覚ゆ。あさましう高うのびらかに、先の方(かた)すこし垂りて色づきたること、ことの外(ほか)にうたてあり。色は雪恥づかしく白うて真青(さを)に、額(ひたひ)つき、こよなうはれたるに、なほ下(しも)がちなる面(おも)やうは、おほかたおどろおどろしう長きなるべし。痩(や)せたまへること、いとほしげにさらぼひて、肩のほどなど、痛げなるまで衣の上まで見ゆ。「何に、残りなう見あらはしつらむ」と思ふものから、珍しきさまのしたれば、さすがに、うち見やられたまふ。

 頭(かしら)つき、髪のかかりばしも、うつくしげにめでたしと思ひ聞こゆる人々にも、をさをさ劣るまじう、袿(うちき)の裾にたまりて引かれたるほど、一尺ばかり余りたらむと見ゆ。着たまへる物どもをさへ言ひたつるも、もの言ひさがなきやうなれど、昔物語にも、人の御装束をこそは、まづ言ひためれ。

 ゆるし色の、わりなう上白(うはじら)みたる一襲(ひとかさね)、なごりなう黒き袿重ねて、上着には黒貂(ふるき)の皮衣(かはぎぬ)、いと清らに香ばしきを着たまへり。古体(こたい)のゆゑづきたる御装束なれど、なほ若やかなる女の御よそひには、似げなうおどろおどろしきこと、いともてはやされたり。されど、げに、この皮なうては、肌寒からましと見ゆる御顔ざまなるを、心苦しと見たまふ。

 何ごとも言はれたまはず、我さへ口閉ぢたる心地したまへど、例のしじまもこころみむと、とかう聞こえたまふに、いたう恥ぢらひて、口おほひしたまへるさへ、ひなび古めかしう、ことことしく、儀式官の練(ね)り出でたる肘(ひぢ)もち覚えて、さすがにうち笑みたまへる気色(けしき)、はしたなう、すずろびたり。いとほしくあはれにて、いとど急ぎ出でたまふ。

 「頼もしき人なき御ありさまを、見そめたる人には、疎からず思ひむつびたまはむこそ、本意(ほい)ある心地すべけれ。ゆるしなき御気色なれば、つらう」など、ことつけて、
  「朝日さす軒の垂氷は解けながらなどかつららの結ぼほるらむ」
と、のたまへど、ただ「むむ」とうち笑ひて、いと口重げなるもいとほしければ、出でたまひぬ。

【現代語訳】
 まず第一に、姫君の座高が高く、胴長にお見えなので、源氏は「やはりそうであったか」と、がっかりした。続いて、ああ見苦しいと見えるのは、鼻だった。思わずその鼻に目がとまった。普賢菩薩の乗り物の象と思われるのだ。あきれるほど高く長くて、先の方がすこし垂れ下がって赤く色づいているのが、特に異様である。顔色は、雪も恥じるほど白くまっ青で、額がとても広いうえに、それでも下ぶくれの顔だちは、おおかた、驚くほどの面長なのであろう。痩せ細っていらっしゃるといったら気の毒なくらい骨ばって、肩の骨など痛々しそうに着物の上から透けて見える。源氏は、「どうして何もかも見てしまったのだろう」と思うものの、めったに見られないさまなので、さすがについついそちらを見てしまわれる。

 頭の恰好、髪のかかり具合は、美しく素晴らしいとお思いした人々に少しも引けを取らず、袿の裾にたくさんたまって、その先に引かれた髪も一尺ほど余っているかと見える。着ていらっしゃる物まであれこれ言い立てるのも口が悪いようだが、昔物語にも、人のお召し物についてはまっ先に述べているようだ。

 薄紅色のひどく古びて色褪せた単衣をひと重ね、すっかり黒ずんだ袿を重ねて、上着には黒貂の皮の綿入れで、たいそう美しくて香を焚きしめたのを着ていらっしゃる。古風で由緒あるご衣装であるが、やはり若い女性のお召し物としては似つかわしくなく仰々しいことが、まことに目立つ。しかし、実際、この皮衣がなくては、さぞ寒いだろう、と見えるお顔色なのを、源氏はお気の毒とご覧になる。

 源氏は何もおっしゃれず、自分までが無口になった気持ちがなさるが、いつもの姫君の沈黙を試してみようと、あれこれと話かけられるが、姫君がひどく恥じらって口を覆っていらっしゃるさままでが、野暮ったく古風に大げさで、儀式官が練り歩く時の肘つきに似て、それでもやはり微笑んでいらっしゃる表情がちぐはぐで落ち着かない。お気の毒でかわいそうなので、源氏はたいそう急いでお出になった。

 「頼りになる人がいないごようすですから、あなたを見初めた私には、心を隔てず打ち解けて下さいましたら本望な気がします。お許しにならないごようすなので、情けなく思います」などと、姫君のせいにして、
 「朝日がさしている軒のつららは解けましたのに、どうして氷は解けないでいるのでしょう」
ともおっしゃったが、姫君はただ「うふふ」とちょっと笑って、とても容易に返歌も詠めそうにないのもお気の毒なので、邸からお出になった。

(注)現代語訳は、現代文としての不自然さをなくすため、必ずしも直訳ではない箇所があります。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

源氏物語について

 11世紀初めに紫式部が著した物語で、平安時代の女流文学の代表作。書名は作者が命名したのではなく、『紫式部日記』や『更級日記』などに見える『源氏の物語』が本来の呼び方であったといわれる。一般的に全編54帖(じょう)を3部にわけ、光源氏の栄華への軌跡を第1部、その憂愁の晩年を第2部、次世代の薫や匂宮(におうのみや)の物語を第3部とする。第3部最後の10帖は、宇治を舞台に展開することから「宇治十帖」とよばれる。

 全編は、『竹取物語』『宇津保物語』などの伝奇物語、歌物語の『伊勢物語』、『古今集』『後撰集』、あるいは中国渡来の『白氏文集』『史記』などの影響を受けながら、独自の世界を開き、『蜻蛉(かげろう)日記』から生まれた古歌を引用する引歌(ひきうた)の技法も随所に見られ、対話や心内語を駆使して内面を巧みに掘り下げる描写がなされている。現在、漢詩文や浄土教思想からの影響について、多くの研究がなされているが、ほかに民俗学や文化人類学をはじめ隣接した諸分野の成果をとりいれた多角的な研究も盛んである。

 『更級日記』の作者・菅原孝標(たかすえ)の女(むすめ)が日夜愛読したことが示すように、『源氏物語』は成立直後から人気を博し、のちの物語・絵画・能などにも大きな影響をあたえた。物語では、平安末期の『夜の寝覚』『狭衣(さごろも)物語』や、江戸時代の『好色一代男』(井原西鶴)にもその影響がみられる。絵画では、現存最古の源氏物語絵巻が平安末の作とされ、以後「源氏絵」として様式化された図柄は、調度や服飾などに多く用いられた。また、和歌の規範としての研究から、多くの注釈書が生まれ、なかでも江戸時代の国学者本居宣長が『源氏物語玉の小櫛(おぐし)』で、「もののあはれ」と評したのは有名。

源氏物語のあらすじ

 家柄も身分もそれほど高くなかった一人の更衣(こうい)が、帝に愛され玉のような男子(光源氏)を生むが、周囲に嫉妬されて亡くなった。臣籍に降下した光源氏は、美貌と才能に恵まれ、多くの女性と交渉を持ち、しだいに栄華の道を歩む。光源氏出生を記す巻一「桐壷」から39歳で栄華の頂点に達する巻三十三「藤裏葉(ふじのうらば)」までを第一部、これをさらに紫上(むらさきのうえ)を中心とする物語、玉蔓(たまかずら)中心の物語の甲、乙に分ける考え方もある。

 第二部は、光源氏40歳以降の凋落期へ話が進む。理想の女性紫上との水も漏らさぬ間柄も、先帝朱雀院に末娘女三宮(おんなさんのみや)の後事を託されることによって、しだいに亀裂が生じてくる。光源氏の正妻となった女三宮はやがて、前から自分にあこがれていた柏木と通じてしまう。これを知った光源氏は、若いころ自分が父の思い人藤壺と契ったことを思い起こし、罪の報いに身震いする。

 光源氏に皮肉な言葉を浴びせられた柏木は病死し、女三宮は男子を出産するが、ほどなく出家してしまう。光源氏は我が子ならぬ子を抱くが、愛情が湧いてこなかった。やがて病気がちだった最愛の紫上も死に、落莫の思いに閉ざされた光源氏は出家の用意をする。以上が巻三十四「若葉上」から巻四十一「幻」までの8帖で、このあと巻名のみ伝えられる「雲隠」の巻で光源氏の死が暗示される。

 第三部の巻四十五「橋姫」から最終帖「夢浮橋」はいわゆる「宇治十帖」である。光源氏亡きあと、女三宮の子薫は、仏道と恋愛のいずれにも没頭できない優柔不断な面がある一方、篤実な魂を持つ男として描かれる。「夢浮橋」は「男女の仲」というほどの意であり、さまざまな男女関係を記し、その深さ、重さ、人間存在の深淵にまでたどりつく『源氏物語』の終章にふさわしいタイトルとなっている。

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