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60 五月まつ

 昔、男ありけり。宮仕えいそがしく心もまめならざりけるほどの家刀自(いへとうじ)、まめに思はむといふ人につきて人の国へいにけり。この男宇佐の使にていきけるに、ある国の祇承(しぞう)の官人の妻(め)にてなむあるとききて、「女あるじにかはらけとらせよ。さらずは飲まじ」といひければ、かはらけとりて出(いだ)したりけるに、さかななりける橘(たちばな)をとりて、

 五月(さつき)まつ花たちばなの香をかげば昔の人の袖(そで)の香ぞする

といひけるにぞ思ひ出でて、尼になりて山に入りてぞありける。

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。宮廷の勤めが忙しくて、また誠実に妻に愛情をかけることをしないでいた。そのころに妻だった女が、「自分は誠意をもって、あなたを愛する」という人の言葉に従って、地方に行ってしまった。はじめに夫だった男が、宇佐神宮へ派遣される勅使になって赴いたとき、途中のある国の勅使接待の役人の妻に、もとの自分の妻がなっていると聞き、「ここの接待役人の妻である女主人に、私にすすめる素焼きの杯を出させなさい。さもなくば酒は飲みません」と言った。勅使の命にはさからえず、女主人が杯を持って差し出したところ、男は酒のさかなとして出されていた柑子蜜柑(こうじみかん)を取り上げて、
 <五月を待って咲き出す橘の花の香りをかぐと、昔の愛しかった人の袖の香りがまざまざと薫ってくるようだ。>
と言ったので、このかつての夫のもとを去ったころを思い出して、女はやりきれない気持ちになり、尼になって山に籠って暮らしたのだった。

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69 君や来し

 昔、男ありけり。その男伊勢の国に狩(かり)の使(つかひ)にいきけるに、かの伊勢の斎宮(さいぐう)なりける人の親、「つねの使よりは、この人よくいたはれ」といひやれりければ、親のことなりければ、いとねむごろにいたはりけり。朝(あした)には狩にいだしたててやり、夕さりは帰りつつそこに来させけり。かくてねむごろにいたつきけり。
 二日といふ夜、男われて「あはむ」といふ。女もはた、いとあはじとも思へらず。されど人目しげければえ逢はず。使ざねとある人なれば遠くも宿さず。女の閨(ねや)近くありければ、女人をしづめて、子(ね)ひとつばかりに男のもとに来たりけり。男はた寝られざりければ、外(と)の方を見出だして臥(ふ)せるに、月のおぼろなるに小さき童(わらは)を先に立てて人立てり。男いとうれしくて、わが寝る所にゐて入りて、子一つより丑(うしみ)三つまであるに、まだ何事も語らはぬにかへりにけり。男いとかなしくて寝ずなりにけり。
 つとめていぶかしけれど、わが人をやるべきにしあらねば、いと心もとなくて待ちをれば、明けはなれてしばしあるに、女のもとより詞(ことば)はなくて、

 君や来(こ)し我や行きけむおもほえず夢か現(うつつ)か寝てかさめてか

男いといたう泣きてよめる、
 かきくらす心の闇(やみ)にまどひにき夢うつつとはこよひさだめよ

とよみてやりて狩に出(い)でぬ。野にありけれど心は空(そら)にて、こよひだに人しづめていととく逢はむと思ふに、国の守(かみ)斎宮(いつきのみや)のかみかけたる、狩の使ありと聞きて、夜ひと夜酒飲みしければ、もはらあひごともえせで、明けば尾張の国へたちなむとすれば、男も人知れず血の涙を流せどえ逢はず。夜やうやう明けなむとするほどに、女がたより出(い)だす。杯(さかづき)の皿に歌を書きて出だしたり。とりて見れば、

 かち人の渡れど濡れぬえにしあれば
と書きて末(すゑ)はなし。その杯の皿に続松(ついまつ)の炭して歌の末を書きつぐ。

 又あふ坂の関はこえなむ
とて明くれば尾張の国へ越えにけり。

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。その男が伊勢の国に狩りの使いとして行ったおり、その伊勢神宮の斎宮だった人の親が、「いつもの勅使より大切にこの人をお世話しなさい」と言い送っていたので、親の言いつけであることから、斎宮はとても丁寧にお世話をした。朝には、狩りの準備を十分にととのえて送り出し、夕方に帰ってくると、自分の御殿に来させた。このようにして、心を込めた世話をした。
 男が来て二日目の夜、男が無理に「逢いたい」という。女も断固として逢わないとは思っていない。しかし、周りにお付きの者が多く人目が多いので、逢うことができない。男は狩りの使いの中心となる正使だったので、斎宮の居所から離れた場所には泊めていない。女の寝所に近かったので、女は侍女たちが寝静まるのを待って、夜中の十二時ごろに男の泊まっている部屋にやって来た。男もまた、女のことを思い続けて寝られなかったので、部屋から外を眺めながら横になっていると、おぼろ月夜のなか、小柄な童女を前に立たせてその人が立っている。男はたいそう喜び、女を自分の寝室に引き入れて、夜中の十二時ころから三時ころまでいっしょにいたが、まだ睦言(むつごと)を語り合わないうちに女は帰ってしまった。男はずいぶん悲しみ、寝ないまま夜を明かしてしまった。
 翌日の早朝、気にかかりつつも、自分の供の者を使いにやるわけにもいかず、ずっと待ち遠しく思いながら待っていると、夜がすっかり明けてしばらくして、女の所から、詞はなく歌だけ書いた手紙が来た。
 <昨夜は、あなたがいらっしゃったのか、私が伺ったのか、よく覚えていません。夢だったのでしょうか現実でしょうか、寝ていたのでしょうか、起きていたのでしょうか、ちっともはっきりしません。>
 男はひどく泣きながら詠んだ。
 <何がなんだか分からなくなって取り乱してしまいました。昨夜のことが夢か現実かは、今夜いらしてはっきりさせてください。>
と詠んで女におくって、狩りに出かけた。野原に出ても、気持ちは狩りのことから離れてしまってうつろで、せめて今夜だけでも皆が寝静まったら少しでも早く逢おうと思っていたのに、伊勢の国守で斎宮寮の長官を兼任していた人が、狩りの勅使が来ていると聞いて、一晩じゅう酒宴を催したので、まったく逢うことができない、夜が明けると尾張の国を目指して出立しなければならないので、女は悲しみ、男もひそかにひどく嘆き悲しんだが、逢うことができない。夜がしだいに明けようかというときに、女のほうから杯の受け皿に歌を書いてよこした。受け取ってみると、
 <この斎宮寮のところの入り江は、徒歩で渡っても裾が濡れないほど浅いのです。だからこの度は、わざわざ出かけて行っても契りを結ぶに至らない浅いご縁だったので・・・>
と、上の句だけ書いてあり、下の句がない。男はそこで、その受け皿に、たいまつの消え残りの炭で、下の句を続けて書いた。
 <ここではあきらめてお別れしますが、また逢坂の関を越えて都に帰りましょう。そうして、きっとまたお逢いしましょう。>
と書いて、夜明けとともに、尾張の国へ向かい、国境を越えて行ってしまった。

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71 ちはやぶる

 昔、男、伊勢の斎宮(さいぐう)に内(うち)の御使にてまゐれりければ、かの宮にすきごといひける女、わたくしごとにて、

 ちはやぶる神の斎垣(いがき)も越えぬべし大宮人(おほみやびと)の見まくほしさに

男、
 恋しくは来ても見よかしちはやぶる神のいさむる道ならなくに

【現代語訳】
 昔、ある男が、伊勢の斎宮の御殿に勅使として参上していたところ、その御殿で色ごのみの話をした女が、女房の立場をはなれて個人的な気持ちを表して、
 <神聖な神様の場所を囲んでいる垣を越えてしまいそうです。宮廷からおいでになった方にお逢いしたくて。>
男は、こう答えた。
 <恋しいなら飛び越えておいでなさい。神様は恋を禁じたりなんかしませんよ。>

(注)ちはやぶる・・・「神」の枕詞。

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75 大淀の

 昔、男「伊勢の国に率(ゐ)ていきてあらむ」といひければ、女、
 大淀(おほよど)の浜に生(お)ふてふみるからに心はなぎぬ語らはねども
といひて、ましてつれなかりければ、男、
 袖ぬれて海人(あま)の刈りほすわたつうみのみるをあふにてやまむとやする
女、
 岩間(いわま)より生ふるみるめしつれなくは潮干(しほひ)潮満ちかひもありなむ
また男、
 涙にぞぬれつつしぼる世の人のつらき心は袖のしづくか
世にあふことかたき女になむ。

【現代語訳】
 昔、ある男が女に「あなたを伊勢の国に連れて行って、いっしょに住みたい」と言ったところ、その女は、
 <伊勢の大淀に生える海松(みる=海藻)を見にいくとうかがい、お目にかかっただけで、私の心はすっかり安らかになりました。ですから、これ以上親しく睦言を交わさなくても十分です。>
と言って、以前よりいっそう冷淡だったので、男が、
 <袖を濡らしながら漁夫が刈って干す海松を思ってみるだけで、いっしょに浜辺に行こうともしない。袖を涙で濡らして切にたのむ私の顔をちょっと見るだけで、親しく契り一緒に暮らすことの代わりにすませようとするのですか、あなたは。>
女は、
 <岩間から生える海松布(みるめ)がずっと生いのびていれば、海水が引いたり満ちたりして貝がつくこともありましょう。私は今はあなたに逢う気はありませんが、このまま変わらず過ごしていれば、長く知り合っていたかいもきっとあるでしょう。>
また男が、
 <私は涙に濡れながら袖を絞っています。冷たい人の心は、私の袖にたまる涙を絞ってしたたり落ちる滴(しずく)なのでしょうか。私をこのように悲しませて、平然としている。>
まったく逢うことの難しい女であった。

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82 春の心は

 昔、惟喬親王(これたかのみこ)と申す親王おはしましけり。山崎のあなたに、水無瀬(みなせ)といふ所に宮ありけり。年ごとの桜の盛りには、その宮へなむおはしましける。その時、右馬頭(みぎのうまのかみ)なりける人を、常に率(ゐ)ておはしましけり。時世経て久しくなりにければ、その人の名を忘れにけり。狩りはねむごろにもせで、酒をのみ飲みつつ、やまと歌にかかれりけり。いま狩りする交野(かたの)の渚(なぎさ)の家、その院の桜ことにおもしろし。その木のもとにおりゐて、枝を折りてかざしにさして、上中下(かみなかしも)みな歌よみけり。馬頭なりける人のよめる、

 世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

となむよみたりける。また人の歌、

 散ればこそいとど桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき

とて、その木のもとは立ちて帰るに、日暮れになりぬ。

【現代語訳】
 昔、惟喬親王とおっしゃる親王がおられた。山崎の向こうの水無瀬という所に、彼の離宮があった。毎年、桜の花盛りのころにその離宮にお出かけになった。その際、右馬頭であった人をいつも連れていらっしゃった。時を経て、そのころのことはだいぶ昔になってしまったので、その人の名を忘れてしまった。親王のご一行は狩りを熱心にもせず、ただ酒ばかりを飲んで、和歌を詠むことに夢中になっていたものだ。今、狩りをする交野の渚の家、その院の桜がことに趣深い。一行はその木の下に馬から下りて座り、枝を折って飾りとして髪に挿し、身分の上下にかかわりなく皆で歌を詠んだ。馬頭だった人が詠んだ歌、
  <この世の中に全く桜というものがなかったならば、咲くのを待ち遠しく思ったり、散るのを残念に思ったりすることもなく、春の人々の気持ちはゆったりしていただろうに。>
と詠んだ。また別の人は、
  <散るからこそ、いっそう桜はすばらしい。辛いこの世で何が永遠であろうか。>
と詠んで、その木の下から立ち上がって帰ろうとしたら、もう辺りは日暮れになっていた。

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83 草ひき結ぶ

 昔、水無瀬(みなせ)にかよひ給ひし惟喬(これたか)の親王(みこ)、例の狩しにおはします供に、右馬(うま)の頭(かみ)なる翁(おきな)つかうまつれり。日ごろ経て宮にかへり給うけり。御おくりしてとくいなむと思ふに、大御酒(おほみき)たまひ、禄(ろく)たまはむとてつかはさざりけり。この馬の頭心もとながりて、

 枕とて草ひき結ぶこともせじ秋の夜とだにたのまれなくに

とよみける、時はやよひのつごもりなりけり。親王おほとのごもらであかし給うてけり。
 かくしつつまうでつかうまつりけるを、思ひのほかに御髪おろし給うてけり。む月にをがみたてまつらむとて小野にまうでたるに、比叡(ひえ)の山の麓(ふもと)なれば雪いと高し。しひて御室(みむろ)にまうでてをがみたてまつるに、つれづれといと物がなしくておはしましければ、やや久しくさぶらひて、いにしへのことなど思ひ出で聞こえけり。さてもさぶらひてしがなと思へど、公事(おほやけごと)どもありければ、えさぶらはで夕暮にかへるとて、

 忘れては夢かとぞ思ふ思ひきやゆきふみわけて君を見むとは

となむなくなくきにける。

【現代語訳】
 昔、水無瀬の離宮に都から通っていらっしゃった惟喬親王が、いつもの鷹狩りをしにおいでになる供として、馬寮の長官だったある老人がお仕えした。何日か過ごして親王は都の宮の御殿にお帰りになった。馬寮の長官は御殿までお送りしてすぐに自分の邸に戻ろうと思ったが、御酒を下さり、狩りのお供の褒美を下さるとして、お帰しにならなかった。馬寮の長官は早く帰宅のお許しをいただきたいと待ち遠しく、
 <今夜は旅先の仮寝の草枕をつくるために草を結ぶつもりはありません。秋の夜長とさえたのみにできないはかない一夜ですから。>
と詠んだ。時節は(陰暦)三月の末であった。しかし、親王は寝所にはお入りにならず、ともに徹夜をしてしまわれた。
 このように、いつも親密に参上しお仕えしていたのに、親王はまったく思いがけず御剃髪してしまわれた。正月に拝礼申し上げようと小野に参上したが、小野は比叡山のふもとなので、雪がたいそう高く積もっている。難儀を極めて親王の僧房に参上して拝礼申し上げると、親王はなさることもなく、たいそう寂しく悲しい御ようすでいらっしゃったので、かなり長い時間おそばに伺候して昔話などを思い出してお聞かせした。そのようにしてでもおそばにお仕えしたいと思ったが、宮中の行事などがあったので、伺候できずに夕暮れに都へ帰ることになり、
 <現実を忘れると、今のことを私は夢かと思います。訪れる人のない山里の深い雪をふみわけて、このようなわび住まいをしていらっしゃる御前様にお目にかかろうとは、かつては思いもしませんでした。>
といって、泣く泣く都に帰ってきた。

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84 さらぬ別れの

 昔、男ありけり。身はいやしながら母なむ宮なりける。その母長岡といふ所に住み給ひけり。子は京に宮仕へしければ、まうづとしけれどしばしばえまうでず。ひとつごにさへありければ、いとかなしうし給ひけり。さるに、十二月(しはす)ばかりに、とみのこととて御文あり。おどろきて見れば歌あり。

 老いぬればさらぬ別れのありといへばいよいよみまくほしき君かな

かの子いたううち泣きてよめる、
  世の中にさらぬ別れのなくもがな千よもといのる人の子のため

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。身分は低いものの、母親は皇族であった。その母親は長岡という所に住んでおられた。その子である男は都で宮仕えしていたので、母親のもとに赴こうとしてもたびたびは参上できない。その子は一人っ子でもあったので、母親はたいそう可愛がっていらっしゃった。ところが十二月ごろに、急用といって母親の手紙が届いた。驚いてあけてみると歌が書かれていた。
 <年老いてしまえば、避けることのできない死別があり、ますます逢いたいあなたです。>
その子がたいそう泣いて詠んだ歌、
 <この世に避けられない死別などなければよいのに。親に千年も生きてほしいと祈る、親の子の一人である私のために。>

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85 雪のつもるぞ

 昔、男ありけり。童(わらは)よりつかうまつりける君御髪おろし給うてけり。む月にはかならずまうでけり。おほやけの宮仕へしければ、常にはえまうでず。されど、もとの心うしなはでまうでけるになむありける。昔つかうまつりし人、俗なる禅師(ぜんじ)なるあまた参りあつまりて、む月なればことだつとて大御酒(おほみき)たまひけり。雪こぼすがごと降りてひねもすにやまず。みな人ゑひて「雪に降りこめられたり」といふを題にて歌ありけり。

 思へども身をしわけねばめかれせぬ雪のつもるぞわが心なる

とよめりければ、親王いといたうあはれがり給うて、御衣(おほんぞ)ぬぎてたまへりけり。

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。子どものころからお仕えしていた御主君が剃髪なさった。お正月には必ず御主君のもとに参上した。男は宮仕えしていたので、常には参上できない。しかし、それまでの忠誠心を失わず、お正月には必ず参上したのだった。昔お仕えした者で、僧でない在俗の人、出家して法師である人など大勢がやって来て集まり、お正月で年の初めにあらたまって祝儀をするというので御酒をくださった。雪がまるで空の器をかたむけてこぼしたように激しく降り、一日中やまない。みな酔って、「雪にひどく降られて外に出られなくなった」ことを題に歌を詠んだ。
 <御主君をいつも大切にお慕いしていても、身体を二つに分けられないので平素はご無沙汰ばかりで、この雪のように思いは積もり積もっていたが、目も離せぬほど降りしきる雪で帰れなくなり、御主君のもとにとどまる格好の口実ができましたよ。>
と詠んだので、親王はとても感動なされ、御召し物を脱いでごほうびに下さった。

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90 桜花

 昔、つれなき人をいかでと思ひわたりければ、あはれとや思ひけむ、「さらば明日物越しにても」といへりけるを、限りなくうれしく又うたがはしかりければ、おもしろかりける桜につけて、

 桜花けふこそかくもにほふともあなたのみがた明日の夜のこと

といふ心ばへもあるべし。

【現代語訳】
 昔、ある男が、つれなくて少しも相手にしてくれない女を、何とかして自分のほうに気持ちを向かせたいと思い続けていたところ、女がその気持ちに心が動いたのか、「では、明日、几帳か簾(すだれ)を隔ててでもお逢いしましょう」と言ったので、男はとても嬉しく思い、また一方で女の言葉が本心かどうか疑いの気持ちを抱かずにいられなかったので、美しく咲いた桜の枝につけて、
 <桜の花が今日はこんなに美しく咲いていても、明日の夜にも同じかどうかはあてにできません。>
という歌をおくったが、長い間つれなくされてきただけに、このような気持ちになるのも当然だろう。

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94 秋の夜は

 昔、男ありけり。いかがありけむその男住まずなりにけり。のちに男ありけれど、子あるなかなりければ、こまかにこそあたねど時々ものいひおこせけり。女がたに絵かく人なりければ、かきにやれりけるを、今の男のものすとて一日(ひとひ)二日(ふつか)おこせざりけり。かの男いとつらく、「おのがきこゆる事をば今までたまはねば、ことわりと思へど猶(なほ)人をば恨みつべきものになむありける」とて弄(ろう)じてよみてやれりける、時は秋になむありける。

 秋の夜は春日(はるひ)わするるものなれやかすみにきりや千重(ちへ)まさるらむ
となむよめりける。女返し、

 千々(ちぢ)の秋ひとつの春にむかはめや紅葉(もみぢ)も花もともにこそ散れ

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。どうした事情か、その男が女の所に逢いに行かなくなってしまった。女には後に別の男ができていたが、前の男とは子がいる間柄だったので、とくに愛情こまやかというほどではないが、時々便りをよこしてきていた。女は絵を描く人だったので絵をたのんでいたが、今の男が来ているというので、一日、二日、約束の日から遅れるまで描いてよこさなかった。この男はひどく情けなく思い、「私のお願いごとを今までしてくれないのは、それも当然とは思うが、やはりあなたが恨めしく思わずにいられない」といって、皮肉をこめて詠んでやった歌、時節はちょうど秋だった。
 <しみじみとした秋の夜は、過ぎ去った春のおだやかな日など忘れてしまうものなのか。春の霞にくらべると、秋の霧は千倍もまさって濃くすばらしいのだろうか。>
と詠んだ。女が返し、
 <多くの秋を合わせても、一つの春にかなうものですか。今の男より、ずっとあなたの方がすてきです。でも、秋の紅葉も春の花もどちらも散ってしまいます。しょせんはどちらの男も、やがて私のもとを去っていくのです。>

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95 彦星に

 昔、二条の后につかうまつる男ありけり。女の仕うまつるを常に見かはしてよばひわたりけり。「いかで物越しに対面して、おぼつかなく思ひつめたることすこしはるかさむ」といひければ、女いとしのびて物越しに逢ひにけり。物語などして、男、

 彦星に恋はまさりぬ天の河へだつる関を今はやめてよ

 この歌にめでてあひにけり。

【現代語訳】
 昔、清和天皇の二条の后の藤原高子にお仕えしている男がいた。同じくこの后にお仕えしているある女といつも顔を合わせていて求婚しつづけていた。「何とかして簾でも几帳でも物越しに逢って、不安に思いつめている気持ちを少しでも晴らしたい」と言うと、女はこっそりと物越しに逢ってくれた。いろいろ語り合い、男が、
 <織り姫に一年に一度しか逢えない彦星より、私があなたを恋しく思う気持ちのほうがまさっています。天の河のように二人を隔てている関所のようなこの隔てを今はやめてください。>
と詠んだので、女は心を動かされ、親しく男に逢ったということだ。

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99 見ずもあらず

 昔、右近(うこん)の馬場(うまば)のひをりの日、むかひに立てたりける車に、女の顔の下簾(したすだれ)よりほのかに見えければ、中将なりける男のよみてやりける、

 見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなく今日やながめ暮らさむ

返し、
  知る知らぬなにかあやなくわきていはむ思ひのみこそしるべなりけれ

のちは誰(たれ)と知りにけり。

【現代語訳】
 昔、右近の馬場で騎射の試しが行われた日、向かい側に立ててあった車の中に、女の顔が下簾のすきまからかすかに見えたので、近衛の中将だった男が歌を詠んでおくった、
 <全然見なかったわけではない、かといってはっきり見たのではないあなたが恋しくて、今日はわけもなくぼんやり物思いにふけっていますよ。>
女が返し、
<見知るとか知らないとか、どうしてわけもなく無理に区別して言えましょうか。ほんとうに知り合って逢えるのは、ただ熱烈な思いだけが道しるべとなるのです。>
後に、ついに女が誰であるかを知って逢うようになった。

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105 白露は

 昔、男、「かくては死ぬべし」といひやりたりければ、女、

 白露は消(け)なば消ななむ消(き)えずとて玉にぬくべき人もあらじを

といへりければ、いとなめしと思ひけれど心ざしはいやまさりけり。

【現代語訳】
 昔、ある男が、恋に患い「このままでは死んでしまうだろう」と言いやったところ、女は、
 <はかない白露は、消えてしまうなら消えてほしいものです。たとえ消えなくても、飾りの玉として紐にさし通すような人もいないでしょう。だから、どうぞご自由に。>
と言ったので、男はえらく無礼な女だと思ったが、女を思う気持ちはいっそう強くなってしまった。

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123 年を経て

 昔、男ありけり。深草(ふかくさ)にすみける女をやうやうあきがたにや思ひけむ、かかる歌をよみけり。

 年を経て住みこし里を出ででいなばいとど深草野とやなりなむ

 女、返し、
  野とならば鶉(うづら)となりて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ

とよめりけるにめでて、行かむと思ふ心なくなりにけり。

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。山城国の深草の里に住んでいた女を、しだいに飽きてしまったのか、このような歌を詠んだ。
 <長年住んだこの里を出て行けば、今も草深い深草の里は、ますます草が深い野になってしまうのだろうか。>
女が返し、
 <ここが荒れた草深い野になってしまうならば、私は鶉になって悲しく鳴いているでしょう。あなたはせめて、かりそめの狩りにでもおいでにならないでしょうか、いやきっと来てくださいますね。>
と詠んだのに心を打たれ、男は去ろうとする気持ちがなくなったのだった。

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125 つひにゆく

 昔、男わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、

 つひにゆく道とはかねてききしかど昨日今日とは思はざりしを

【現代語訳】
 昔、男が病気になり、死んでしまいそうな気持ちになって、
 <死出の道のことはかねて聞いてはいたが、昨日今日にやってくるとは思わなかった。>

(注)現代語訳は、現代文としての不自然さをなくすため、必ずしも直訳ではない箇所があります。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

「伊勢物語」について

 平安前期に成った歌物語の最初の作品。125の短い章段からなる。作者は不明で、数十年の歳月をへて複数の作者によって成立したと考えられる。

 多くの章段が「昔、男ありけり」と書き出され、この「男」とは多くは六歌仙の一人・在原業平がモデルとされ、業平の実事と虚構が入り交じっている。このため、平安時代には「在五(ざいご)が物語」「在五中将の日記」ともよばれたらしい。

 作品は主人公の元服の段に始まり、その死で終えるという一代記風にまとめられている。

在原業平(825〜880年) 
 阿保(あぼ)親王の5男で、行平の弟、妻は紀有常(きのありつね)の娘。「古今集」の代表的歌人で、六歌仙の一人。官位には恵まれなかったが、右馬頭、蔵人頭などを歴任。容姿端麗な風流人だったとされる。

書名の由来
 古来諸説あるが、一説には、第69段の在原業平と想定される男が伊勢斎宮と恋に落ちる話が重要で中心をなす部分なので、この物語全体の名とした、また、本来はこの章段が冒頭にあったからとする説などがある。

歌物語

 歌物語的なもののはじめは、「万葉集」の桜児(さくらこ)の歌、竹取翁と娘子らの歌、安積山の采女(うねめ)の歌と詞書、左注等にみられるが、歌物語とよばれる作品は「伊勢物語」がはじめ。一人の男の生涯を年齢に沿って書き連ねられたこの物語は、「篁物語」「平仲物語」「多武峰少将物語」といった日記的な、あるいは物語的な作品に受け継がれていく。
 「大和物語」はこれらとは異なった趣向の歌物語であり、多くの実在の人物が、官職やさまざまな人間関係のなか一回的な歌物語として記されている。この系統はやがて説話に移行していった。

 
【大和物語】
 平安時代の天暦5年(951年)ころに成立したとされる歌物語。『伊勢物語』の影響を受けた作品とされ、書名は『伊勢物語』に対する『大和の物語』、女房大和の作によるなどの説がある。
 一般に173段からなり、約300首の和歌が含まれる。146段までの前半は和歌を中心とした歌語りの短編、147段以降の後半は、悲恋や離別、再会など人の出会いと歌を通した古い民間伝説が語られており、説話的要素の強い内容になっている。二人から求婚された乙女が生田川に身を投げる「生田川伝説」(147段)や、「姥捨山伝説」(156段)などがある。
 同じ歌物語でも『伊勢物語』とは異なり、係助詞「なむ」を多用し、当時の歌語りを忠実に伝えようとしており、当時の人々の生態がよく描かれている。

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古典文学の理念

まこと
 日本の古典文学の根幹を流れる理念。『万葉集』『古事記』など上代の文学には、人間の心をありのままに写し出す素朴な美として表現されている。明・浄(清)・直をかねそなえたものが「まこと」とされ、この理念は時代の推移とともに、「もののあはれ」「幽玄」など多彩な美の概念を生み出していく。
 
ますらをぶり
 男性的でおおらかな歌風。賀茂真淵ら近世の国学にたずさわった歌人たちは、『万葉集』にこの風があるとして尊んだ。
 
たをやめぶり
 女性的な穏やかで優美な歌風。『万葉集』の「ますらをぶり」に対して、『古今和歌集』以降の勅撰和歌集で支配的となった歌風。
 
あはれ
 しみじみとした感動を表現する語として、「あはれなり」などと平安時代の作品にしばしば用いられている。悲哀・優美・調和などに対する感動を伝える語で、「もののあはれ」と呼ばれるこの時期の文芸理念を形作っていく。
 
をかし
 『枕草子』に多用されていて、明るく軽やかな感動をあらわす語。「あはれ」が主情的であるのに対して、「をかし」は客観的な色合いが強く、後に「滑稽(こっけい)」の意味で用いるようになる。
 
もののあはれ
 平安時代の代表的な文芸理念。本居宣長は、『源氏物語』の作中から、「もののあはれ」の用例12か所を抽出してこの物語の本質が「もののあはれ」にあることを論証するとともに、この精神こそが日本文学の本質であると説いた。その意味するところは、「あはれ」の感動が「もの」という他の存在を契機として高められた状態を指し、調和のとれた美感を尊ぶ文化にはぐくまれた感動・情趣が開花したものであるとする。
 
たけ高し
 壮大な美、格調高い美。
 
余情
 平安中期の和歌に始まり、のち連歌・謡曲などにも使われた理念の一つ。表現の外ににじみ出る、ある種の気分・情緒をいう。
 
幽玄
 中世の文芸の中核をなす理念で、奥深い余情や象徴的な情調を内容とする。本来この語は、中国の古典や仏教の経典に用いられ、奥深くしてきわめることのできないもの、本質的で不変なるものを意味する漢語だった。『古今和歌集』真名序などに用いられて日本固有の文芸理念として変質した。
 
有心
 「幽玄」の理念を受け継ぎつつさらにその余情の色合いを濃くしたもの。
 
無心
 中世以前は機知や言葉の洒落(しゃれ)を主とする通俗的なものであったが、室町期になると禅の影響などから絶対無の境地として評価されるようになった。
 
さび
 近世を代表する文芸理念の一つ。「さび」は「寂しさ」から来た語だが、寂しさにそのまま沈潜するのではなく、むしろそれを抑えたところに成立する美。

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