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枕草子

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無徳なるもの~第一二五段

 無徳(むとく)なるもの。潮干(しほひ)の潟(かた)にをる大船(おほふね)。大きなる木の、風に吹き倒されて根をささげて横たはれ伏せる。えせ者の、従者(ずさ)(かうが)へたる。人の妻(め)などの、すずろなるもの怨(ゑん)じなどして隠れたらむを、必ず尋ね騒がむものぞと思ひたるに、さしもあらず、ねたげにもてなしたるに、さてもえ旅立ちゐたらねば、心と出(い)で来たる。

【現代語訳】
 
さまにならないもの。潮が引いた潟に乗り上げてる大きな船。大木が風に吹かれて倒されて、根を上に向けて横倒しになったの。くだらない者が従者を叱るの。人妻が、つまらぬ嫉妬なんかして身を隠し、夫がきっと大騒ぎして探すだろうと思ったのにそうならず、憎ったらしくも平然と過ごしてるので、いつまでも家を空けてもいられず、自らのこのこ出てきたの。

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はしたなきもの~第一二七段

 はしたなきもの。異人(ことひと)を呼ぶに、我ぞとて、さし出(い)でたる。物など取らするをりはいとど。おのづから人の上などうち言ひそしりたるに、幼き子どもの聞き取りて、その人のあるに言ひ出でたる。

 あはれなることなど、人の言ひ出で、うち泣きなどするに、げにいとあはれなりなど聞きながら、涙のつと出で来ぬ、いとはしたなし。泣き顔つくり、けしき異(こと)になせど、いと甲斐(かひ)なし。めでたきことを見聞くには、まづただ出で来(き)にぞ出でくる。

【現代語訳】
 きまりの悪いもの。他の人を呼んだのに、自分かと思って出しゃばった時。何かをくれるときは、いっそうきまりが悪い。何となく人の噂話などして悪く言ったことを、幼い子どもが聞き覚えていて、その人の前でしゃべってしまった時。


 悲しいことなどを人が話し出して、ふと泣いたりするのに、まことにたいそう可哀相だと思って聞いていながらも、涙がすぐに出てこないのは、ひどくきまりが悪い。泣き顔をつくり、悲しそうな顔つきをしてみても、全く甲斐がない。それとは反対にすばらしいことを見たり聞いたりして、真っ先に涙がやたらに出てくるのも困ったものだ。

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関白殿、黒戸より~第一二九段

 関白殿、黒戸(くろど)より出でさせ給ふとて、女房のひまなくさぶらふを、「あないみじのおもとたちや。翁(おきな)をいかに笑ひ給ふらむ」とて、分け出でさせ給へば、戸に近き人々、いろいろの袖口(そでぐち)して、御簾(みす)引き上げたるに、権(ごん)大納言の御沓(くつ)取りてはかせ奉り給ふ。いとものものしく清げに、装(よそほ)しげに、下襲(したがさね)の裾(しり)長く引き、所(ところ)(せ)くてさぶらひ給ふ。あなめでた、大納言ばかりに沓(くつ)取らせ奉り給ふよ、と見ゆ。山の井の大納言、その御次々のさならぬ人々、黒きものを引き散らしたるやうに、藤壺の塀(へい)のもとより、登花殿(とうくわでん)の前まで居並みたるに、細やかにいみじうなまめかしう、御佩刀(はかし)などひき繕はせ給ひて、休らはせ給ふに、宮の大夫(だいぶ)殿は、戸の前に立たせ給へれば、居させ給ふまじきなめりと思ふほどに、少し歩み出でさせ給へば、ふと居させ給へりしこそ、なほいかばかりの昔の御行ひのほどにかと見奉りしに、いみじかりしか。

 中納言の君の、忌日(きにち)とてくすしがり行ひ給ひしを、「賜(たま)へ、その数珠、しばし。行ひして、めでたき身にならむ」と借るとて、集まりて笑へど、なほいとこそめでたけれ。御前に聞こしめして、「仏になりたらむこそは、これよりはまさらめ」とて、うち笑(ゑ)ませ給へるを、まためでたくなりてぞ見奉る。大夫殿の居させ給へるを、かへすがへす聞こゆれば、例の思ひ人と笑はせ給ひし、まいて、この後(のち)の御有様を見奉らせ給はましかば、ことわりとおぼしめされなまし。

【現代語訳】
 関白殿(藤原道隆)が黒戸からお帰りになるというので、女房たちがぎっしり並んで伺候しているのをご覧になり、「ああ、何とすばらしいご婦人がたよ。この老人をどれほどお笑いになるだろう」と言って、女房たちをかき分けて出てこられた。戸口に近い女房たちが、色とりどりの袖口をのぞかせて御簾を引き上げると、そこに控えていた権大納言(藤原伊周)がお沓を取って関白殿におはかせになる。権大納言はたいそういかめしく立派なご様子で、装いをこらし、下襲の裾を長く引き、辺りが狭く感じられるほど堂々としていらっしゃる。ああすばらしい、大納言ほどのお方に沓を取らせなさるとは、と思われる。山の井の大納言(藤原道頼)や、これに次ぐ官位でお身内ではない方々が、黒いものを散らしたように、藤壺の塀の際から登花殿の前まで居並んでいる所に、関白殿がほっそりと優雅に御佩刀などをお直しになりながら佇んでいらっしゃると、中宮の大夫殿(藤原道長)は、戸の前に立たれているので、膝まずきはなさるまいと思っていると、関白殿が少し歩まれて行かれると、すっと膝まずかれたのは、やはり関白殿の前世での善業がいかばかりであったかと拝見し、大いに感動したことだ。


 女房の中納言の君(道隆の従妹)が、命日だとして奇特なようすで勤行しておられたのを、他の女房が「その数珠をしばらく貸してください。私もお勤めをして関白のようなけっこうな身分になりたい」と、集まってきて笑うが、それにしても関白殿の御威勢はまことにすばらしい。中宮様がそれをお聞きになって、「いっそ仏になれば、もっとよいでしょうに」とおっしゃって微笑なさるのを、これまたすばらしくお見申し上げる。中宮の大夫様がひざまずかれたことを繰り返し申し上げると、いつもごひいきの人ねとお笑いになったが、まして、もし中宮様がその後の道長様の御繁栄ぶりをご覧になったならば、私が申し上げるのももっともなこととお思いになっただろうに。
 
(注)黒きもの・・・当時の四位以上の人の袍が、すべて黒色だった。
(注)御佩刀・・・貴人が身につける太刀の尊称。

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殿などのおはしまさでのち~第一四三段

(一)
 殿などのおはしまさで後、世の中に事(こと)(い)で来(き)、騒がしうなりて、宮も参らせ給はず、小二条殿といふ所におはしますに、何ともなく、うたてありしかば、久しう里に居たり。御前(おまへ)渡りのおぼつかなきにこそ、なほ、え絶えてあるまじかりける。

 右中将おはして、物語し給ふ。「今日(けふ)、宮に参りたりつれば、いみじうものこそあはれなりつれ。女房の装束(さうぞく)、裳(も)、唐衣(からぎぬ)、折にあひ、たゆまで候(さぶら)ふかな。御簾(みす)のそばの開(あ)きたりつるより見入れつれば、八、九人ばかり、朽ち葉の唐衣、薄色の裳に、紫苑(しをん)、萩(はぎ)など、をかしうて居並みたりつるかな。御前(おまへ)の草のいと茂(しげ)きを、『などか、かき払はせてこそ』と言ひつれば、『ことさら露(つゆ)置かせて御覧(ごらん)ずとて』と、宰相(さいしやう)の君の声にて答(いら)へつるが、をかしうもおぼえつるかな。『御里居(おんさとゐ)いと心憂し。かかる所に住ませ給はむほどは、いみじきことありとも、必ず候ふべきものに思し召されたるに、甲斐(かひ)なく』と、あまた言ひつる。語り聞かせ奉れ、となめりかし。参りて見給へ。あはれなりつる所のさまかな。対(たい)の前に植ゑられたりける牡丹(ぼうた)などの、をかしきこと」など宣ふ。「いさ、人のにくしと思ひたりしが、またにくくおぼえ侍りしかば」と答(いら)へ聞こゆ。「おいらかにも」とて笑ひ給ふ。

 げにいかならむ、思ひ参らする。御気色(みけしき)にはあらで、候(さぶら)ふ人たちなどの、「左の大殿方(おほとのがた)の人、知る筋にてあり」とて、さし集(つど)ひものなど言ふも、下(しも)より参る見ては、ふと言ひやみ、放ち出でたる気色なるが、見ならはず、にくければ、「参れ」など、たびたびある仰せ言(ごと)をも過ぐして、げに久しくなりにけるを、また、宮の辺(へん)には、ただあなた方に言ひなして、虚言(そらごと)なども出で来(く)べし。

【現代語訳】
 道隆公がお亡くなりになって後、世間に事件が起こり、物情騒然となって、中宮様も参内されず、小二条殿という所にいらっしゃるころ、私は、なんとなく面白くない気分だったので、長い間、里に下がっていた。しかし、中宮様のご身辺が気がかりなので、やはりそのまま出仕しないままではいられそうもなかった。

 そんな頃、右中将が尋ねていらして、お話をなさった。「今日、中宮様の御所に参りましたところ、たいそうお寂しいご様子でした。女房の装束は、裳も唐衣も時節に調和し、さすがにきちんとしてお仕えしております。御簾の隙間から中をのぞいたところ、八、九人ほど、朽ち葉の唐衣を着、薄紫色の裳に、紫苑や萩など、趣がある様子で並んで侍っていたことでした。お庭の草がたいそう茂っているので、『どうしてそのままにしておいでなのですか、刈り取らせなさればよろしいのに』と言うと、『わざわざ露を置かせて御覧になるとおっしゃって』と、宰相の君の声で答えたのが、趣深くも思われました。女房たちが、『あなたのお里下がりが、本当に情けない。こうした所にお住みになるような時には、どんなことがあっても、必ずおそばを離れないものと中宮様はお思いになっているのに、その甲斐もなく』と言っていました。私があなたに話してお聞かせするようにいうつもりだったのでしょう。とにかく、参上して、御様子を見てご覧なさい。しみじみとした御殿の様子ですよ。対の屋の前に植えられていた牡丹などの素晴らしいこと」などとおっしゃる。私は、「さあ、気が進みません。皆さんが私のことを憎らしいと思っていたことを、こちらも同じように憎らしく思われましたので」とお答え申しあげる。右中将は、「ぬけぬけとおっしゃることだ」と言ってお笑いになる。

 なるほど、今いらっしゃる御所はどのようであろうか、と思い申しあげる。中宮様は少しも思っておいでではないことなのだが、おそばの女房たちなどが、私が左大臣(藤原道長)方の人と親しくしている、と言って、集まって話などをしている場合でも、私が局から参上するのを見ると、突然話をやめ、のけ者にしている様子が、今までにないことで、憎らしいので、中宮様からの、「参上しなさい」などと度々いただく御伝言もそのままにして、本当に参上しなくなって長くなり、それをまた、中宮様の周囲では、私のことを、左大臣方についてしまったように言いたてて、あらぬ噂なども出てくるに違いない。

(二)
 例ならず、仰せ言などもなくて日ごろになれば、心細くてうち眺むるほどに、長女(をさめ)、文(ふみ)を持て来たり。「御前(おまへ)より、宰相の君して、忍びて賜はせたりつる」と言ひて、ここにてさへ、ひき忍ぶるも、あまりなり。人づての仰せ書きにはあらぬなめりと、胸つぶれて、疾(と)く開けたれば、紙には、ものも書かせ給はず。山吹(やまぶき)の花びら、ただ一重(ひとへ)を包ませ給へり。それに、「言はで思ふぞ」と書かせ給へる、いみじう、日ごろの絶え間(ま)嘆かれつる、みな慰めてうれしきに、長女(をさめ)もうちまもりて、「御前には、いかが、ものの折ごとに思(おぼ)し出で聞こえさせ給ふなるものを。誰(たれ)も、あやしき御長居(おんながゐ)とこそ、侍るめれ。などかは参らせ給はぬ」と言ひて、「ここなる所に、あからさまにまかりて参らむ」と言ひて去(い)ぬる後、御返言(おんかへりこと)書きて参らせむとするに、この歌の本(もと)、さらに忘れたり。「いとあやし。同じ古言(ふること)と言ひながら、知らぬ人やはある。ただここもとにおぼえながら、言ひ出でられぬは、いかにぞや」など言ふを聞きて、小さき童(わらは)の前に居たるが、「下ゆく水、とこそ申せ」と言ひたる、など、かく忘れつるならむ。これに教えらるるも、をかし。

 御返(おんかへ)り参らせて、少しほど経て参りたる、いかがと、例よりはつつましくて、御几帳(みきちやう)に、はた隠れて候ふを、「あれは、今参りか」など、笑はせ給ひて、「にくき歌なれど、この折は、さも言ひつべかりけりとなむ思ふを、おほかた見つけでは、しばしも、えこそ慰むまじけれ」など宣(のたま)はせて、変はりたる御気色(みけしき)もなし。

【現代語訳】
 いつもと違ってお便りもなく何日か経ったので、心細い思いでぼんやりとしている頃、使いの者がお手紙を持って来た。「中宮様から、宰相の君にお命じになって、そっと下されました」と言って、この私の家に来てまでも、人目を避ける様子なのも、あんまりだ。代筆させたお手紙ではなさそうだと、胸がどきどきして急いで開けたところ、中の紙には何もお書きになっていない。山吹の花びらをただ一ひら、お包みになっている。その花びらに、「言はで思ふぞ(口では言わなくても、思っていますよ)」とお書きになっている。たいそう感動し、ここ何日かお便りのなかった悲しみもすっかり晴れたようで嬉しく、使いの者も、私をじっと見つめて、「中宮様には、どんなにか、何かにつけてあなた様を思い出していらっしゃるそうで、女房方の誰もが、どうして長く里に下がったままでいらっしゃるのか、とお噂しているようです。どうして参上なさらないのですか」と言って、「この近所にちょっと寄ってから、すぐにまた参上しますから」と言って去った後、その間に、中宮様に御返事を書いて差しあげようとするけれど、「言はで思ふぞ」の歌の上の句を全く忘れてしまった。「本当におかしい。同じ古歌でも、こんな有名な歌を知らない人があろうか。もう口もとまで出かかっているのに出てこないのは、どういうわけか」などと言うのを聞いて、前に座っている童女が、「下ゆく水、と申します」と言ってくれたが、どうしてこんなにきれいに忘れてしまったのだろう。こんな子に教えられるのも、おかしい。

 お返事を差しあげて、しばらく日がたってから参上したが、中宮様のご様子はどうであろうといつもよりは気がひけて、御几帳に半分隠れるように侍っている私の姿をご覧になり、「あれは、新参の者か」などとお笑いになって、「あの歌は気に入らない歌だけれども、ああいう時にはぴったりした歌だと思いました。それにしても、いつもあなたの顔を見ないでは、心が慰められません」などとおっしゃって、前と変わったご様子もない。

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碁をやむごとなき人の打つとて~第一四六段

 碁をやむごとなき人の打つとて、紐うち解き、ないがしろなるけしきにひろく置くに、劣りたる人の、居ずまひもかしこまりたるけしきにて、碁盤よりはすこし遠くて、及びて、袖の下は、いま片手して控へなどして打ちゐたるも、をかし。

【現代語訳】
 碁を、身分の高い人が打つときに、直衣の紐を解き、無造作な感じで碁石を盤上のあちこちに置くのに対して、身分の下の人は、かしこまった態度で、碁盤より少し離れ、及び腰で、袖の下をもう片方の手で押さえなどして打っているのも、面白い。

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胸つぶるるもの~第一五〇段

 胸つぶるるもの。競馬(くらべむま)見る。元結(もとゆひ)(よ)る。親などの心地あしとて、例ならぬ気色(けしき)なる。まして、世の中など騒がしと聞こゆるころは、よろづのことおぼえず。また、物言はぬ児(ちご)の泣き入りて、乳も飲まず、乳母(めのと)の抱くにも止(や)まで、久しき。

 例の所ならぬ所にて、殊(こと)にまたいちじるからぬ人の声聞きつけたるは道理(ことわり)、異人(ことひと)などの、その上など言ふにも、まづこそつぶるれ。いみじう憎き人の来たるにも、またつぶる。あやしくつぶれがちなるものは、胸こそあれ。昨夜(よべ)来始めたる人の、今朝の文(ふみ)の遅きは、人のためにさへ、つぶる。

【現代語訳】
 はらはらどきどきするもの。競馬の見物。元結のこよりを縒る時。親などが具合が悪いといって普段と違う様子の時。まして、世間で疫病が流行って不穏になると、もう何も手につかなくなる。また、口の聞けない赤ん坊が泣いてばかりで乳も飲まず、乳母が抱いてもずっと泣き止まない時。

 思いがけない所で、特にまだ相手の心をはっきり確かめていない人の声を聞きつけた時は当然のこと、他の人がその噂などをしても、たちまち胸がどきどきする。ひどく嫌な人が来た時もまたどきどきする。不思議にどきどきして縮みっぱなしなのが心臓というもの。昨夜通い始めた男の今朝の手紙が遅いのは、人ごとでもはらはらする。

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うつくしきもの~第一五一段

 うつくしきもの。瓜(うり)に描(か)きたるちごの顔。雀の子の、ねず鳴きするに、躍り来る。二つ三つばかりなるちごの、急ぎて這(は)ひ来る道に、いと小さき塵(ちり)のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなる指(および)にとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。頭(かしら)は尼そぎなるちごの、目に髪のおほえるを、かきはやらで、うち傾(かたぶ)きて、ものなど見たるも、うつくし。大きにはあらぬ殿上童(てんじやうわらは)の、装束(さうぞ)きたてられてありくも、うつくし。をかしげなるちごの、あからさまに抱(いだ)きて遊ばしうつくしむほどに、かいつきて寝たる、いとらうたし。

 雛(ひひな)の調度(でうど)。蓮(はちす)の浮葉(うきは)のいと小さきを、池より取り上げたる。葵(あふひ)のいと小さき。なにもなにも、小さきものは、皆うつくし。

 いみじう白く肥えたるちごの二つばかりなるが、二藍(ふたあゐ)の薄物(うすもの)など、衣長(きぬなが)にて襷(たすき)結ひたるが這ひ出でたるも、また、短きが袖がちなる着てありくも、皆なうつくし。八つ、九つ、十ばかりなどの男児(をのこご)の、声は幼げにて書(ふみ)読みたる、いとうつくし。

 鶏(にはとり)の雛(ひな)の、足高に白うをかしげに、衣(きぬ)(みじか)なるさまして、ひよひよとかしかましう鳴きて、人の後(しり)、前(さき)に立ちてありくも、をかし。また、親の、ともに連れて立ちて走るも、皆うつくし。かりのこ。瑠璃(るり)の壺。

【現代語訳】
 可愛らしいもの。瓜にかいた幼子の顔。雀の子が、人がねずみの鳴き声を真似してみせると、踊るようにしてやって来る。二、三歳くらいの幼子が、急いで這ってくる途中で、とても小さい塵のあるのを目ざとく見つけて、何とも愛らしい指につまんで、大人などに見せたのは、実に可愛らしい。頭をおかっぱにしている幼子が、目に髪がかぶさるのを払いもせずに、首を少しかしげて物など見ているのも、可愛らしい。大きくはない殿上童が、装束を着たてられて歩くのも可愛らしい。愛らしい幼子が、ちょっと抱いて遊ばせたりあやしたりしているうちに、しがみついて寝てしまうのは、とてもいじらしい。


 人形(遊び)の道具。蓮の浮葉のごく小さいのを、池から取り上げたもの。何もかも小さいものは、皆可愛らしい。

 とても白く太った幼子で二歳ばかりなのが、二藍の薄物(の着物)など、丈が長めで、袖をたすきでくくりあげて這い出てくるのも、また短い着物で袖だけが目立って大きく見えるのを着て歩き回るのも、皆可愛らしい。八歳、九歳、十歳くらいの男の子が、幼い声で漢籍を読んでいるのは、とても可愛らしい。

 鶏の雛が、すね長で、白くかわいらしげで、着物が短いような感じで、ぴよぴよとやかましく鳴いて、人の後ろや前に立って歩き回るのも面白い。また親が、一緒に連れ立って走るのも、皆可愛らしい。カルガモの卵も可愛らしい。瑠璃の壺も可愛らしい。
 
(注)殿上童・・・公卿の子弟で元服前に見習のために清涼殿に奉仕する少年。

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人ばへするもの~第一五二段

 人ばへするもの。ことなることなき人の子の、さすがにかなしうしならはしたる。しはぶき。はづかしき人にもの言はむとするにもまづ先に立つ。

 あなた、こなたに住む人の子の、四つ、五つなるは、あやにくだちて物取り散らし、そこなふを、引きはられ制せられて、心のままにもえあらぬが、親の来たるに所得て、「あれ見せよ。や、や。母」など、ひきゆるがすに、大人ともの言ふとて、ふとも聞き入れねば、手づからひきさがし出でて、見騒ぐこそ、いとにくけれ。それを、「まな」とも取り隠さで、「さなせそ。そこなふな」などばかり、うち笑みて言ふこそ、親もにくけれ。我はた、えはしたなうも言はで見るこそ、心もとなけれ。

【現代語訳】
 人がそばにいると調子づくもの。何ということもないつまらぬ子供で、そうはいってもやはり親が甘やかしつけているの。それから、咳。気のおける人に何か言おうとすると、まず出てくる。

 あちらこちらの局に住む人の子で、四、五歳くらいなのは、いたずら盛りで、物を散らかしたり壊したりするのを、普段は止め抑えられて思うままにできないのを、親が訪ねて来たのでいい気になって、「あれを見せてよ、ねえ、ねえ、お母さん」などと言ってゆすぶるが、大人どうしの話の最中で、急にも聞き入れてくれないので、自分で引っ張り出してきて見て騒ぐのは、実に憎らしい。それを母親が「いけません」と言って取り上げもせず、「そんなことはおよし。壊してはいけませんよ」などと笑顔を向けて言うだけなのは、親も憎らしい。自分としても、これまた、ずけずけと言うこともできずに見ているのは、いかにも気が気でない。

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苦しげなるもの~第一五七段

 苦しげなるもの。夜泣きといふわざするちごの乳母(めのと)。思ふ人二人持ちて、こなたかなたふすべらるる男。こはき物怪(もののけ)にあづかりたる験者(げんざ)。験(げん)だにいちはやからば、、よかるべきを、さしもあらず、さすがに人笑はれならじと念ずる、いと苦しげなり。わりなくもの疑ひする男に、いみじう思はれたる女。一の所などに時めく人も、え安くはあらねど、そは、よかめり。心いられしたる人。

【現代語訳】
 辛そうなもの。夜泣きをする赤ん坊の乳母。愛人を二人持ち、どちらからも嫉妬される男。頑固な物の怪を受け持った験者。せめて法力が強ければよいが、そうでもなく、さすがに人の笑いものになるまいと懸命になっているのは、ひどく辛そうだ。やたらと疑い深い男に、ぞっこん惚れられた女。摂政や関白などの邸に仕え羽振りのよい家来も、気楽ではないけれども、それはまあいいだろう。気持ちがいらいらしている人。

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うらやましげなるもの~第一五八段

 うらやましげなるもの。経など習ふとて、いみじうたどたどしく、忘れがちに、返す返す同じ所を読むに、法師はことわり、男も女も、くるくるとやすらかに読みたるこそ、あれがやうにいつの世にあらむと、おぼゆれ。

 心地などわづらひて臥したるに、笑(ゑ)うち笑ひ、ものなど言ひ、思ふことなげにて歩みありく人見るこそ、いみじううらやましけれ。

 稲荷(いなり)に思ひおこして詣(まう)でたるに、中の御社(みやしろ)のほどの、わりなう苦しきを念じ登るに、いささか苦しげもなく、遅れて来(く)と見ゆる者どもの、ただ行きに先に立ちて詣づる、いとめでたし。二月 午(むま)の日の暁(あかつき)に急ぎしかど、坂のなからばかり歩みしかば、巳(み)の時ばかりになりにけり。やうやう暑くさへなりて、まことにわびしくて、など、かからでよき日もあらむものを、何しに詣でつらむとまで、涙も落ちて、休み困(ごう)ずるに、四十余ばかりなる女の、壺装束(つぼさうぞく)などにはあらで、ただ引きはこえたるが、「まろは七度詣でし侍るぞ。三度は詣でぬ。いま四度(よたび)はことにもあらず。まだ未(ひつじ)に下向しぬべし」と、道に会ひたる人にうち言ひて、下り行きしこそ、ただなる所には目にもとまるまじきに、これが身にただ今ならばやとおぼえしか。

 女児(をんなご)も、男児(をのこご)も、法師も、よき子ども持たる人、いみじううらやまし。髪いと長くうるはしく、下がりばなどめでたき人。また、やむごとなき人の、よろづの人にかしこまられ、かしづかれ給ふ、見るもいとうらやまし。手よく書き、歌よく詠みて、もののをりごとにも、まづ取りいでらるる、うらやまし。

 よき人の御前(おまへ)に女房いとあまた候ふに、心にくき所へ遣はす仰せ書きなどを、誰(たれ)も、いと鳥の跡にしもなどかはあらむ。されど、下(しも)などにあるをわざと召して、御硯(すずり)取り下ろして書かせさせ給ふも、うらやまし。さやうのことは、所の大人などになりぬれば、まことに難波(なには)わたり遠からぬも、事に従ひて書くを、これはさにあらで、上達部(かむだちめ)などの、まだ初めて参らむと申さする人の娘などには、心ことに、紙よりはじめてつくろはせ給へるを、集まりて、戯れにもねたがり言ふめり。

 琴、笛など習ふ、また、さこそはまだしきほどは、これがやうにいつしか、とおぼゆらめ。

 内裏(うち)、春宮(とうぐう)の御乳母(めのと)。上の女房の、御方々いづこもおぼつかなからず、参り通ふ。

【現代語訳】
 うらやましく見えるもの。経など習う時、たいそうたどたどしく、忘れやすくて、何度も何度も同じ箇所を読むのに、お坊さんが上手なのは当然だが、男でも女でも、すらすらと簡単に読み上げているのは、あの人のようにいつになったらなれるのだろうかと思ってしまう。

 病気が悪くなって寝ている時に、笑ったり、おしゃべりをしたり、何の苦しみもなくあちこち歩き回っている人を見るのは、たいそううらやましく感じる。

 稲荷神社に、一大決心をしてお参りしたところ、中の御社のあたりでひどく苦しいのを我慢して登っているのに、少しも苦しそうな感じもなく、後から来た人たちが、さっさと追い抜いてお参りをするのは、いかにも颯爽としている。二月の午の日の明け方に早々と家を出たのに、坂の半分ほどを登ったところで、もう十時くらいになってしまった。だんだんと暑くさえなってきて、本当に情けなく、どうしてこんな日に、他にもっとよい日があっただろうに、何で来てしまったのかとまで思って、情けなくて涙もこぼれる始末で、疲れきって休んでいると、四十歳を過ぎたくらいの女で、壺装束といったちゃんとした外出姿ではなく、ただ着物の裾をたくし上げただけの格好なのが、「私は七度詣でをするのです。もう三度はお参りしました。あと四度くらいは大したことありません。二時頃には、もう家へ帰ります」と、途中で会った人に話して、坂を下りて行ったのは、普通の所では目にも留まらないような女だが、その時は、この女の人の身に今すぐなり代わりたいと思ってしまった。

 女の子でも男の子でも、坊さんにした子でも、出来のよい子供を何人も持っている人は、たいそううらやましい。髪がとても長くて立派で、垂れ具合などの素晴らしい女。また、身分の高い人が、皆に頭を下げられ、大事に仕えてもらっているのを見るのもとてもうらやましい。文字が上手で、歌を詠むのも上手くて、何か事があるたびに、最初に選び出されるのは、うらやましい。

 身分の高い人の御前に女房たちが大勢侍っているのに、おろそかにはできない立派な人の所に送られる代筆のお手紙などを、そうした所に仕えている女房なら誰もが、鳥の跡のような下手な字を書きはしないのだが、局に下がっている人をわざわざお呼び出しになり、ご自分の御硯を下賜されてまでお書かせになるのも、うらやましい。そういう事は、そこにお仕えする年輩の女房などになれば、たとえお習字の初歩のような悪筆の人だって、序列に従って若い女房よりも先に書くものだが、これはそうではなくて、上達部の娘とか、宮仕えをさせようとして人に仲介を頼んでいる誰かの娘などに手紙を送られるような時には、特に気を使われて、紙をはじめ何かとよい物をお揃えになるのを、ほかの女房たちは一緒になって、冗談にせよ何かと妬ましげに言うようである。

 琴や笛などを習う時もまた、それほど上達しないうちは、上手な人のようにいつになったらなれるのだろうと、思われるに違いない。

 帝や東宮の御乳母。帝におつきの女房で、方々の後宮のどこにでもお目通りが許されている人。

(注)難波わたり遠からぬも・・・「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の歌は最も初歩の習字に用いられた。

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とくゆかしきもの~第一五九段

 とくゆかしきもの。巻染(まきぞめ)、むら濃(ご)、くくり物など染めたる。人の、子産みたるに、男、女、とく聞かまほし。よき人さらなり、えせ者、下衆(げす)の際(きは)だに、なほゆかし。除目(ぢもく)のつとめて。かならず知る人のさるべき、なきをりも、なほ聞かまほし。

【現代語訳】
 早く結果を知りたいもの。巻染。むら濃、しぼりなどを染めた時。人が子を産んだ時は、男か女かを早く聞きたい。身分の高い人は言うまでもないが、身分の低い者や下々の者の場合でも、やはり知りたい。 除目の翌朝早く。知人が任命される可能性がない時でも、やはり結果は聞きたい。

(注)除目・・・大臣以外の諸官職を任命する宮中の年中行事のこと。 任命の儀式は春と秋にあり、それぞれ「春の除目」「秋の除目」という。

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心もとなきもの~第一六〇段

 心もとなきもの。人のもとに、とみの物縫ひにやりて待つほど。物見(ものみ)に急ぎ出でて、今々とと、苦しう居入りて、あなたを目守(まも)らへたる心ち。子産むべき人の、そのほど過ぐるまで、さる気色もなき。遠き所より思ふ人の文を得て、固く封(ふん)じたる続飯(そくひ)など開くるほど、いと心もとなし。物見に遅く出でて、事成りにけり。白き楚(しもと)など見つけたるに、近く遣(や)り寄するほど、わびしう、降りても去(い)ぬべき心地こそすれ。

 知られじと思ふ人のあるに、前なる人に教へて、物言はせたる。いつしかと待ち出でたる児(ちご)の、五十日(いか)、百日(ももか)などのほどになりたる、行く末いと心もとなし。

 とみの物縫ふに、なま暗うて、針に糸すぐる。されどそれは、さるものにて、ありぬべき所をとらへて人にすげさするに、それも急げばにやあらむ、とみにもさし入れぬを、「いで、ただ、なすげそ」と言ふを、さすがに、などてかと思ひ顔に、えささぬ、にくささへ添ひたり。

 何事にもあれ、急ぎて物へ行くべきをりに、まづ我さるべき所へ行くとて、「ただ今おこせむ」とて出でぬる車待つほどこそ、いと心もとなけれ。大路(おほち)行きけるを、さななりと喜びたれば、外様(ほかざま)に去(い)ぬる、いとくちをし。まいて、物見に出でむとてあるに、「事はなりぬらむ」と人の言ひたるを聞くこそ、わびしけれ。

 子産みたる後のことの久しき。物見、寺詣でなどに、諸共(もろとも)にあるべき人を乗せに行きたるに、車をさし寄せて、とみにも乗らで待たするもいと心もとなく、うち捨てても去ぬべき心地ぞする。また、とみにて煎炭(いりずみ)おこすも、いと久し。

 人の歌の返し、とくすべきを、え詠み得ぬほども、心もとなし。懸想人(けさうびと)などは、さしも急ぐまじけれど、おのづからまた、さるべきをりもあり。まして、女も、ただに言ひかはすことは、ときこそはと思ふほどに、あいなく僻事(ひがごと)もあるぞかし。

 心地のあしく、物の恐ろしきをり、夜の明くるほど、いと心もとなし。

【現代語訳】
 じれったいもの。人の所に、急ぎの縫い物を頼んで、その出来上がりを待っている間。行列見物に急いで出かけて行って、今か今かと、車の中に窮屈に座り込んで、じっと見守っている時の気持ち。子を産む人が、予定の日を過ぎても産まれる気配がない時。遠い所にいる愛しい人から手紙を貰い、固く封をした続飯などを開ける間、とてもじれったい。行列見物に出かけるのが遅くなり、行列がもうやって来てしまって、看督長(かどのおさ)の白い杖などがちらちら見えるのに、近くに車を寄せていく間、情けなくて、いっそ車から降りて帰ってしまいたい気持ちがするものだ。

 自分が居るのを知られたくないと思う人が御簾の前にいるのに、近くに座っている女房に文句を教えて、代わりに応対させている時。早く産まれないかなと待ち焦がれていた赤ん坊がやっと生まれて、五十日、百日のお祝いをするほどに育ったのは、この先の成長がいかにもじれったい。

 急ぎの着物を縫うのに、手元が薄暗い中、針に糸を通す時。しかし、それはそういうものだとして、針穴と思しき箇所を押さえて人に糸を通してもらうのに、相手も急いでいるからか、すぐに通すことができなくて、「もう結構です、もう通さなくても結構です」と言うのだけれど、さすがに、何とかしたいと思う顔つきで頑張っているのに糸が通らない、こんな時は、相手が憎らしくさえなる。

 何事であれ、急いで出かけることになっている時に、先に自分がどこぞへ行く用があるといって、「すぐにお返ししますから」と言い残して出て行った車を待つのは、とてもじれったい。外の大路に車の音がするので、帰ってきたかと喜んだのだが、よそに去って行くのは、全く悔しいものだ。まして、行列見物に出かけようとしている時に、「行列はもうやって来たでしょう」と人が言ったのを聞く気持ちは、何とも情けない。

お産の後、後産(胎盤など)がなかなか下りない時。行列見物やお寺参りなどに、一緒に行く人を乗せに行ったのに、車を横につけて、すぐには乗らないのを待つのも気が気でなく、このまま打ち捨てて行ってしまいたい気持ちがする。また、急いでいり炭を起こすのも、暇がかかってもどかしい。

 人からの歌の返歌を、早くしなければならないのに、うまく歌が詠めない時も、じれったい。相手が恋人などの時は、そんなに急がなくてもよいだろうけれど、それでも時には早く返歌しなくてはならない場合もある。まして、女同士でも、普段のやり取りでは、早いのがとりえだと思っているから、とんでもない間違いを書いてしまうこともあるものだ。

 病気で、物の怪が恐ろしい時、夜が明けるまでの間は、とても気が気でない。

(注)続飯・・・飯粒を練って作った糊。
(注)事成りぬ・・・行列がやって来たことをいう、当時の成語。
(注)白き楚・・・行列の警備のため、検非違使の看督長(かどのおさ)が持つ白い杖。

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女の一人住む所は~第一七八段

 女の一人住む所は、いたくあばれて、築土(ついひぢ)などもまたからず、池などあるところも、水草(みくさ)ゐ、庭なども、蓬(よもぎ)に茂りなどこそせねども、所々、砂子(すなご)の中より青き草うち見え、淋しげなるこそ、あはれなれ。ものかしこげに、なだらかに修理(すり)して、門(かど)いたく固め、きはぎはしきは、いとうたてこそおぼゆれ。

【現代語訳】
 女が一人で住む所は、ひどく荒れ果てて、築地塀などもきちんとしておらず、池などがある所も水草が生え、庭なども蓬が茂りこそしないまでも、所々、砂利の中から青い草がのぞき、淋しげな様子なのが、風情があっていい。いかにもしっかり者のように、体裁よく手入れして、門を固く戸締りして、すべてが几帳面に整えられているのは、とても嫌な感じがする。
 

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宮仕へ人の里なども~第一七九段

 宮仕へ人の里なども、親ども二人あるは、いとよし。人しげく出で入り、奥の方(かた)にあまた声々さまざま聞え、馬の音などして、いと騒がしきまであれど、とがもなし。されど、忍びてもあらはれても、おのづから、「出でたまひにけるを、え知らで」とも、また、「いつかまゐり給ふ」など言ひに、さしのぞき来るもあり。心かけたる人はた、いかがは。門(かど)あけなどするを、うたて騒がしうおほやうげに、夜中までなど思ひたるけしき、いとにくし。「大御門(おほみかど)は、さしつや」など問ふなれば、「今。まだ人のおはすれば」など言ふ者の、なまふせがしげに思ひて答(いら)ふるにも、「人出で給ひなば、疾(と)くさせ。このころ、盗人(ぬすびと)いと多かなり。火危ふし」など言ひたるが、いとむつかしう、うち聞く人だにあり、この人の供なる者どもは、わびぬにやあらむ、この客(かく)今や出づると、絶えずさしのぞきてけしき見る者どもを、笑ふべかめり。真似(まね)うちするを聞かば、ましていかにきびしく言ひとがめむ。いと色に出でて言はぬも、思ふ心なき人は、必ず来(き)などやはする。されど、すくよかなるは、「夜更けぬ。御門(みかど)危ふかなり」など笑ひて、出でぬるもあり。まことに志ことなる人は、「早(はや)」など、あまたたびやらはるれど、なほ居明(ゐあか)せば、たびたび見ありくに、明けぬべきけしきを、いとめづらかに思ひて、「いみじう、御門(みかど)を今宵(こよひ)らいさうとあけひろげて」と聞えごちて、あぢきなく、暁にぞ、さすなるは、いかがはにくきを、親添ひぬるは、なほさぞある。まいて、まことのならぬは、いかに思ふらむとさへ、つつまし。兄(せうと)の家なども、けにくきは、さぞあらむ。

 夜中、暁ともなく、門いと心かしこうももてなさず、何の宮、内裏(うち)わたり、殿ばらなる人々も出であひなどして、格子なども上げながら冬の夜を居明して、人の出でぬる後も見出したるこそ、をかしけれ。有明などはまして、いとめでたし。笛など吹きて出でぬる名残は、急ぎても寝られず、人の上ども言ひあはせて、歌など語り聞くままに寝入りぬるこそ、をかしけれ。

【現代語訳】
 宮仕えをしている女房の里(実家)に、親が二人揃っているのはとてもよい。人が頻繁に出入りして、奥の方で大勢の色んな声が聞こえ、馬の音もして、騒がしいほどだが、それは問題でもない。しかし、人目を忍んでも公然でも、自然と、「里にお下がりなのを知りませんで」とか、「いつ御所にお戻りですか」などと言いに、少しだけ顔を出す者もある。恋人であれば、当然やって来る。そんな人のために門を開けたりすると、騒いで大げさになり、こんな夜中になどと家人が思っている様子は、とても憎らしい。「表門は閉めたか」などと尋ねると、「今、閉めます。でもまだお客さんがいらっしゃいますから」などと召使いが迷惑そうに答えるのも、「お帰りになったらすぐ閉めなさい。最近は、盗人がとても多いようだ。火も危ないから」などと言うのを、聞いていてとても不快に思う客もある。客のお供の者どもはうんざりしないのだろうか。もう帰るだろうかと、始終覗いて様子を見る召使いどもを、笑っているようだ。口真似をしているのを聞いたら、更にうるさく言い咎められるだろう。はっきりと愛情の告白をしなくても、好意を持たない人が、こんな時間にわざわざやって来ようか。しかし、生真面目な人は、「夜も更けた。御門が危ないようですから」などと笑って帰ってしまう人もいる。本当に愛情が深い人は、「早くお帰りください」と何度も急き立てられても、座り込んで夜を明かす。召使いがたびたび見回るうちに、夜も明けそうなのを、珍しい客だと思って、「ひどいなあ、今夜は御門を広々と開け広げて」と聞こえよがしに言い、面白くなさそうに明け方に閉めているのは、とても憎らしいが、親との同居はやはりそうしたものだ。いわんや、実の親でない場合は、どう思っているだろうかと気兼ねする。兄の家などでも無愛想なのは同じようなものだろう。

 夜中、明け方を問わず、門をしっかりと閉めず、どこかの宮様、宮中、その周辺に仕えている女房たちも、一緒に応対に出てきたりして、格子なども上げたまま、冬の夜を座り明かして、客が帰った後にも庭を眺めている、これは風情がある。有明の月の時などは、いっそう素晴らしい。客が笛など吹きながら帰っていった後は、気持ちが高ぶって、すぐには眠る気にもなれず、人々の噂話などを言い合って、歌などを話したり聞いたりしているうちに、寝入ってしまう、こういうのが面白い。
 

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伝本について

 『枕草子』の伝本はきわめて多く、本によって章段の分量や順序が異なっている。これを系統的に整理すると次の4系統になる。
 
伝能因本系統
 本文の奥書に、「能因が本と聞けばむげにはあらじと思ひて書写してさぶらふぞ」とあり、清少納言と姻戚関係にあった能因法師が伝来に関係したとされる系統。江戸時代以後によく流布した。北村季吟の春曙本はこれを底本とし、語句の不明な個所は三巻本によって校訂したもの。この系統のものは、段の順序が分類された様子が見えないため、雑纂型といわれる。
 
三巻本系統
 上中下三巻からなるためこの名称がある。その奥書に、「安貞二年三月耄及愚翁(ぼうきゅうぐおう)」とある。耄及愚翁は藤原定家ではないかとされる。「春はあけぼの」以下「あぢきなきもの」までを欠くのを第一類本とし、全部備わっているものを第二類本とする。「文意あざやかにて」解読しやすく、最も古態に近いと考えられている。
 
堺本系統
 類纂型の室町時代の伝本。泉州堺に住む道巴という人物が所持していた本を、元亀元年(1570年)に清原枝賢が書写したとの奥書がある。この系統の本には、回想の部分と跋文が欠けているのが特色。

前田家本
 加賀国・前田家の伝来本。鎌倉中期の筆写になるもので、上記の能因本、三巻本、堺本の系統にはない章段を含んでいる。記事の性質によって部類分けされており、順序がほかの系統と異なっている(類纂型)。

 これら伝本間の相異はきわめて大きく、たとえば、「三巻本」と「能因本」とでは、作者を別人とするしかないほどの違いがある、との指摘がある。また、古典文学の本文校訂は、できる限り古い写本を底本(基準とする本文)にに用い、『枕草子』の伝本のなかで最古とされるのは前田本であるが、現在においては「三巻本」を底本として読まれている。「前田本」の類纂形態の内容が作者の清少納言の手によるものではなく、後人の手によってまとめられたものとされていることによる。「堺本」も同様の理由により、一般に読まれる本文として使われることはまずない。

清少納言の略年譜

966年
清女、この年に生まれる?

976年
定子が藤原道隆の長女として生まれる

981年
清女、この年に橘則光と結婚?

982年
清女、則長を産む

986年
一条天皇即位

989年
道隆が内大臣に

990年
道隆の娘、定子が入内

990年
道隆が関白、摂政に
定子が中宮に

990年
清女の父・元輔が任国肥後で死去

993年
清女、定子のもとへ宮仕え

994年
定子の兄・伊周が内大臣に
この頃、定子の後宮が最も華やかだった時期

995年
道隆が病死
道隆の弟の藤原道長が内大臣、氏長者に

996年
伊周・隆家の従者が花山院に矢を射る事件が起こる
伊周が大宰府に、弟の隆家が出雲に左遷される
定子が落飾
定子が第一皇女を出産

997年
伊周・隆家が罪を許されて召還

999年
道長の長女・彰子が入内
定子が第一皇子を出産

1000年
定子が皇后、彰子が中宮に
定子が第二皇女を出産
定子が死去

1001年
清女、この年に宮仕えを辞去か?
その後、摂津守・藤原棟世(ふじわらのむねよ)と結婚、一女をもうける
晩年は孤独で、京都郊外の月の輪でひっそり暮らしたという

1025年
清女、このころ死去か?

『枕草子』の各段③

  1. よくたきしめたる薫物の
  2. 月のいと明かきに
  3. 大きにてよきもの
  4. 短くてありぬべきもの
  5. 人の家につきづきしきもの
  6. ものへ行く路に
  7. よろづのことよりも
  8. 細殿にびんなき人なん
  9. 三条の宮におはしますころ
  10. 御乳母の大輔の命婦
  11. 清水にこもりたりしに
  12. 駅は
  13. 社は
  14. 蟻通の明神
  15. 一条の院をば今内裏とぞいふ
  16. 身をかへて、天人などは
  17. 雪高う降りて
  18. 細殿の遺戸を
  19. 岡は
  20. 降るものは
  21. 雪は、檜皮葺
  22. 日は
  23. 月は
  24. 星は
  25. 雲は
  26. さわがしきもの
  27. ないがしろなるもの
  28. ことばなめげなるもの
  29. さかしきもの
  30. ただ過ぎに過ぐるもの
  31. ことに人に知られぬもの
  32. 文言葉なめき人こそ
  33. いみじうきたなきもの
  34. せめておそろしきもの
  35. たのもしきもの
  36. いみじうしたてて婿とりたるに
  37. 世の中に、なほいと心憂きものは
  38. 男こそ、なほいとありがたく
  39. よろづのことよりも情あるこそ
  40. 人の上言へいふを腹立つ人こそ
  41. 人の顔に、とり分きて
  42. 古代の人の指貫着たるこそ
  43. 十月十よ日の月の
  44. 成信の中将こそ、人の声は
  45. 大蔵卿ばかり耳とき人はなし
  46. うれしきもの
  47. 御前にて人々とも
  48. 関白殿、二月廿一日に
  49. たふときこと
  50. 歌は
  51. 指貫は
  52. 狩衣は
  53. 単は
  54. 下襲は
  55. 扇の骨は
  56. 檜扇は
  57. 神は
  58. 崎は
  59. 屋は
  60. 時奏する、いみじうをかし
  61. 日のうらうらとある昼つかた
  62. 成信の中将は、入道兵部卿の宮の
  63. つねに文おこする人の
  64. 今朝はさしも見えざりつる空の
  65. きらきらしきもの
  66. 神のいたう鳴るをりに
  67. 坤元録の御屏風こそ
  68. 節分違などして
  69. 雪のいと高う降りたるを
  70. 陰陽師のもとなる小わらはべこそ
  71. 三月ばかり、物忌しにとて
  72. 十二月廿四日、宮の御仏名の
  73. 宮仕する人々の出で集りて
  74. 見ならひするもの
  75. うちとくまじきもの
  76. 日のいとうららかなるに
  77. 右衛門の尉なりける者の
  78. 小原の殿の御母上とこそは
  79. また、業平の中将のもとに
  80. をかしと思ふ歌を
  81. よろしき男を下衆女などのほめて
  82. 左右の衛門の尉を
  83. 大納言殿参り給ひて
  84. 僧都の御乳母のままなど
  85. 男は、女親亡くなりて
  86. ある女房の、遠江の子なる人を
  87. びんなき所にて
  88. まことにや、やがては下ると
  89. この草子、目に見え心に思ふ事を

※底本は、三巻本に属する柳原紀光自筆本による。なお「一本」として他本から転載した29段は割愛した。
本によって章段の分量や順序が異なっている。
 

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