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漢詩を読むがんばれ高校生!

述懐(じゅっかい)

魏徴

中原還逐鹿
投筆事戎軒
縦横計不就
慷慨志猶存
杖策謁天子
駆馬出関門
請纓繫南粤
憑軾下東藩
鬱紆陟高岫
出没望平原
古木鳴寒鳥
空山啼夜猿
既傷千里目
還驚九逝魂
豈不憚艱険
深懐国士恩
季布無二諾
侯嬴重一言
人生感意気
功名誰復論

中原、還(ま)た鹿を逐(お)い
筆を投じて戎軒(じゅうけん)を事(こと)とす
縦横(じゅうおう)の計(けい)就(な)らざれども
慷慨(こうがい)の志(こころざし)猶(な)お存(そん)す
策に杖(つ)いて天子に謁(えつ)し
馬を駆って関門(かんもん)を出(い)ず
纓(えい)を請うて南粤(なんえつ)を繋(つな)ぎ
軾(しょく)に憑(よ)って東藩(とうはん)を下さん
鬱紆(うつう)高岫(こうしゅう)に陟(のぼ)り
出没(しゅつぼつ)平原を望む
古木(こぼく)に寒鳥(かんちょう)鳴き
空山(くうざん)に夜猿(やえん)啼(な)く
既に千里の目を傷(いた)ましめ
還(ま)た九逝(きゅうせつ)の魂(たましい)を驚かす
豈(あ)に艱険(かんけん)を憚(はばか)らざらんや
深く国士の恩を懐(おも)う
季布(きふ)に二諾(にだく)無く
候嬴(こうえい)は一言(いちごん)を重んず
人生意気に感ず
功名(こうみょう)誰(たれ)か復(ま)た論ぜん

【訳】
 またもや中原に鹿を追う戦乱の世となり、私は文筆を捨て軍隊に身を投じた。弁舌をもって天下を統一する計はならなかったものの、その志は今もなお胸の中にたぎっている。
 馬の鞭を杖がわりにして天子に謁見し、命を受けて、今、馬を駆って関(函谷関)を出るところだ。天子から賜った冠の紐で南粤王を縛り上げた終軍のように、あるいは車の横木に持たれたまま弁舌ひとつで東方の国を征服した酈食其(れきいき)のように、勲功を立てる覚悟である。
 曲がりくねった道をたどって高い峰へと登っていけば、はるかに平原が見え隠れしている。古木には冬の鳥が寂しげに鳴き、人気のない夜の山には猿が悲しげに啼いている。
 千里の彼方を見る目も傷み、魂は幾度も遠い故郷へと飛んでいく。私とて厳しい道を厭わぬわけではないが、国士として遇してくださる天子の御恩を深く思う。
 昔、季布(きふ)という侠客は、一度引き受けたことは必ず実行し、候嬴という人物もたったひと言の約束に自分の命をかけた。男たるもの、意気に感じて事を成すのだ。一身の巧妙など誰が気にかけようか。

【解説】
 隋の末期、唐が興るときに筆(学問)を投げて戦線に向かう魏徴が決意を述べたもので、山東の宣撫(せんぶ)に赴く途中、函谷関(かんこくかん)を越えたところで詠んだ詩とされます。魏徴は、はじめは群雄の一人である李密(りみつ)に仕えましたが、李密が唐王朝に降伏してからは、太子の建成(けんせい)に仕えました。しかし、後継者争いで建成は弟の世民(せいみん:太宗)に敗れ、世民は率直な魏徴を高く評価し、自らの幕下に加えたという経緯があります。
 
 五言古詩。〈中原〉は黄河の中流域。〈逐鹿〉は天下を争うこと。〈戎軒〉は兵車、ここでは戦争の意。〈縦横計〉は合従連衡策。〈繫南粤〉は国の名。〈軾〉は車の横木。〈東藩〉は東方にあった国。〈鬱紆〉は曲がりくねっていること。〈九逝魂〉は故郷に幾度も思いを馳せること。

魏徴(ぎちょう)

初唐の政治家・学者(580年~643年)。若いころから、高祖・太宗の2代に仕え、諫議大夫・左光禄大夫・秘書監・侍中を歴任して、鄭国公に封じられた。節を曲げぬ直言で知られ、太宗を幾度となく諫めたとされる名臣。『隋書』『群書治要』などの編纂にも功があった。なお、明代の文学作品『西遊記』では、魏徴はこの世とあの世を行き来できる人物として描かれている。

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古体詩
 平仄はすべて不定
四言古詩
(一句の字数)四字
(句数)不定
(押韻)自由
五言古詩
(一句の字数)五字
(句数)不定
(押韻)偶数句末
七言古詩
(一句の字数)七字
(句数)不定
(押韻)第一句・偶数句末
楽府
(一句の字数)不定
(句数)不定
(押韻)自由
 
近体詩(唐代以降)
 平仄はすべて一定
五言律詩
(一句の字数)五字
(句数)八句
(押韻)偶数句末
七言律詩
(一句の字数)七字
(句数)八句
(押韻)第一句・偶数句末
五言拝律
(一句の字数)五字
(句数)十句以上
(押韻)偶数句末
七言拝律
(一句の字数)七字
(句数)十句以上
(押韻)第一句・偶数句末
五言絶句
(一句の字数)五字
(句数)四句
(押韻)偶数句末
七言絶句
(一句の字数)七字
(句数)四句
(押韻)第一句・偶数句末

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