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漢詩を読むがんばれ高校生!

金州城(きんしゅうじょう)下の作

乃木希典

山川草木轉荒涼
十里風腥新戰場
征馬不前人不語
金州城外立斜陽

山川草木(さんせんそうもく) 転(うた)た荒涼(こうりょう)
十里(じゅうり)風(かぜ)腥(なまぐさ)し 新戦場(しんせんじょう)
征馬(せいば)前(すす)まず 人語らず
金州城外(きんしゅうじょうがい) 斜陽(しゃよう)に立つ

【訳】
 山も川も、草も木も、ひたすら荒れ果てて寂しい。つい先日戦いがあったこの場所では、十里も先まで血なまぐさい風が吹いている。
 軍馬は歩みを止め、将兵たちは押し黙っている。夕陽が傾くこの金州城外に、私はただ立ちつくす。

【解説】
 陸軍大将の乃木希典が、日露戦争で第3軍の司令官として旅順の攻略に向かう途中、金州で詠んだ詩です。金州の南山は日露両軍が死闘をくりかえした激戦地で、乃木は勇敢に戦った兵士を讃え、また、若くして散った英霊を弔い、この詩を詠じました。彼の長男勝典(かつすけ)もここで戦死しています。日本軍はここから南下して旅順を攻撃しました。
 
 七言絶句。「涼・場・陽」で韻を踏んでいます。〈金州〉は遼東半島にある、旅順の北方の町。旅順港背後の要衝の地。〈轉〉はひたすら、いよいよの意。〈征馬〉は軍馬。〈斜陽〉は夕陽。

乃木希典(のぎまれすけ)

明治期の陸軍軍人(1849~1912年)。 日露戦争では大将、第3軍司令官として出征し、難攻不落といわれた旅順要塞を3回にわたって総攻撃し、203高地を占領した。旅順要塞の司令官ステッセル中将の降伏申し入れに同意し、ステッセルと会見した。旅順陥落までの戦闘で2人の息子が戦死し、悲劇の将軍として国民的敬愛を集めた。明治天皇の信任厚く、後に学習院院長に任じられた。天皇が崩御すると、大葬の日に東京赤坂の自宅で夫人とともに殉死した。

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旅順攻囲戦

日露戦争において熾烈を極めた旅順(遼東半島の南端)攻囲戦(1904~1905年)。ロシアは旅順を艦隊の根拠地とし、港湾を囲む山々に本格的な要塞を築いていた。日本陸軍第三軍は、8月、10月と相次いで失敗した旅順総攻撃を三たび決行し、苦戦しつつも203高地の占領に成功して優位に立ち、遂にロシア軍の守備隊は降伏して旅順要塞は陥落した。またこれと共にロシア海軍第一太平洋艦隊(旅順艦隊)も壊滅した。

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