大津皇子
金烏臨西舎
鼓声催短命
泉路無賓主
此夕誰家向
金烏(きんう)西舎(せいしゃ)に臨み
鼓声(こせい)短命(たんめい)を催(うなが)す
泉路(せんろ)賓主(ひんしゅ)無く
此の夕(ゆうべ)誰(た)が家に向う
【訳】
太陽は西側の建物にさしかかり、夕べの鐘に命の短いことを実感する。黄泉路(よみぢ)には客も主人もなくただ一人。この夕べに、私は誰の家に向かうのか。
【解説】
飛鳥時代に生きた大津皇子(おおつのみこ)は、『日本書紀』によれば、天武天皇の第3皇子とされ(『懐風藻』では長子)、大柄で文武に長け、容貌も男らしく人望も厚かった人だといいます。異母兄である草壁皇子に対抗する皇位継承者とみなされていましたが、686年、天武天皇崩御後1ヶ月もたたないうちに、反逆を謀ったとして自死させられました(享年24歳)。ただし、謀反の罪で大津とともに逮捕された30余人は、配流された2人を除き、全員が赦免されています。そのため、この逮捕・処刑劇は、草壁の安泰を図ろうとした皇后(のちの持統天皇)の思惑がからんでいたともいわれます。
この詩は大津が死を賜ったときに作られたとされ、押韻に不完全さがあることから、目前に迫った死を前に蒼惶とした状況で作られたことが察せられます。
なお、『万葉集』には、同じく大津の臨終の歌「ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨(かも)を今日(けふ)のみ見てや雲隠(くもがく)りなむ」(磐余の池に鳴いている鴨を見るのも今日限りで、私は死ぬのだろうか)が収められています。
〈金烏〉は太陽。〈西舎〉は西側にある建物。西方浄土を暗示。〈鼓声〉は時刻を知らせる鐘の音。〈催〉は促す、せかす。〈泉路〉は黄泉路、死出の道。〈賓主〉は客と主人。
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