小倉百人一首 ・1〜25 ・26〜50 ・51〜7576〜100

  1. 小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ

    貞信公

    【歌意】 小倉山の峰の紅葉の葉よ、もし心があるのなら、もう一度ある行幸のときまで散らずに待っていておくれ。

    【作者】(ていしんこう)880〜949年 藤原忠平。関白藤原基経の四男。貞信公は諡号(しごう)。

    【説明】 小倉山は京都市右京区嵯峨にある山。宇多上皇が大堰川に御幸した際、紅葉のあまりの美しさに感動して、この紅葉を醍醐天皇にもお見せしたいと言ったのを、貞信公がそれを歌に詠んで天皇に奏上したもの。智天皇の作とされるようになったらしい。晩秋の農作業にいそしむ静寂な田園風景を詠んだ歌。

  2. みかの原 わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ

    中納言兼輔

    【歌意】 瓶原(みかのはら)を二つに分かれて湧き出る泉川の「いつみ」ではないけれど、いつあの人に逢ったというのでこんなに恋しく思われるのでしょう。

    【作者】(ちゅうなごんかねすけ)877〜933年 藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)。紫式部の曽祖父。

    【説明】「みかの原」は山城国(京都府)相楽郡加茂町を流れる木津川の北側一帯。「わきて」は「湧きて」と「分きて」の掛詞。「いづみ」は泉川の「泉」と「出水」の掛詞。そこはかとない恋心を歌っている。

  3. 山里は 冬ぞさびしさまさりける 人目も草もかれぬと思へば

    源宗于朝臣

    【歌意】 山里はいつもさびしいけれど、とりわけ冬はさびしさが増してしまう。訪れる人もなくなり草も枯れてしまうから。

    【作者】(みなもとのむねゆきあそん) ?〜939年 光孝天皇の孫。三十六歌仙の一人。官位が進まず不遇だった。

    【説明】「かれ」は「離れ」と「枯れ」の掛詞。訪ね来る人もなく、草も枯れ果てた冬景色が、生命とのふれあいがなくなったことを実感させ、孤独な寂しさを浮き彫りにしている。

  4. 心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる白菊の花

    凡河内躬恒

    【歌意】 あてずっぽうに折るなら折ってみようか、初霜で見分けがつかなくなった白菊の花を。

    【作者】(おおしこうちのみつね) 9世紀後半から10世紀初頭にかけての人。『古今集』の撰者の一人だが、下級役人だった。

    【説明】 初霜の純白に紛れてしまうほどの白菊の白さを詠んだ歌。

  5. 有明の つれなく見えし別れより 暁ばかり うきものはなし

    壬生忠岑

    【歌意】 有明の月が無情に見え、あなたの態度が冷たく感じられたあの別れのとき以来、夜明けほど私にとって辛く切ないものはありません。

    【作者】(みぶのただみね) 9世紀末から10世紀前半にかけての人。壬生忠見の父。『古今集』撰者の一人。三十六歌仙の一人。

    【説明】 下旬の月である有明の月は、夜明け近くの月。そのころ男が女と別れて帰っていく。それを有明の別れと呼んで、逢瀬の後の余情がこめられた言葉としてよく用いられた。「つれなく」は「月がひややかに」と「女の態度が冷たく」の掛詞。

  6. 朝ぼらけ 有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪

    坂上是則

    【歌意】 ほのぼのと夜が白んできた。ところが、有明の月が照っているのかと見間違うほどに、この吉野の里に白雪が降り積もっていた。

    【作者】(さかのうえのこれのり) 9世紀末から10世紀前半にかけての人で、田村麻呂の子孫。三十六歌仙の一人。

    【説明】 作者が大和の国に行った時に、雪が降るのを見て詠んだ歌。「朝ぼらけ」は「朝びらき(朝開。朝、舟で港を出て行くこと)」が転化したという。

  7. 山川(やまがは)に 風のかけたるしがらみは 流れもあへぬもみぢなりけり

    春道列樹

    【歌意】 山間の谷川に風がかけた柵(しがらみ)は、流れることができずにたまっている紅葉の葉だったよ。

    【作者】(はるみちのつらき) ?〜920年 経歴未詳。

    【説明】 作者が京都から山を越えて大津に至る道筋で詠んだ歌。「しがらみ(柵)」は、流れをせきとめるために、川の中に杭を打って竹などを横に編んだり結びつけたりしたもの。風がそのしがらみをかけ渡したという。

  8. ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく 花の散るらむ

    紀友則

    【歌意】 日の光がのどかな春の日に、どうして落ち着いた気持ちもなく、あわただしく花は散っていくのだろうか。

    【作者】(きのとものり) ?〜905?年 紀貫之の従兄弟(いとこ)。『古今集』撰者の一人。三十六歌仙の一人。

    【説明】「ひさかたの」は「光」の枕詞。桜の花の散るのを詠んだ歌。やわらかな春爛漫の日差しの中、なぜ桜の花だけが落ち着いた心もなく散り急ぐのかという。

  9. (たれ)をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の友ならなくに

    藤原興風

    【歌意】 年老いた私はいったい誰を友としようか。長寿の高砂の松でさえ昔からの友人ではないのに。

    【作者】(ふじわらのおきかぜ) 9世紀後半から10世紀初頭にかけての人。『興風集』がある。

    【説明】 老齢の孤独を嘆いた歌。年を経たものの引き合いとして高砂の松をあげるのは、当時として普通のことだった。親しい友人はみな亡くなり、今さら新しい友人もできない、かといって長寿の象徴である松は語り合えるような相手ではない、という。

  10. 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の香(か)ににほひける

    紀貫之

    【歌意】 いくら親しくしていたとはいえ人の心は変りやすい。だからあなたのお心は、昔のままかどうか分かりませんが、昔馴染みのこの里では、梅の花だけは変らない香りで咲き匂っていますよ。

    【作者】(きのつらゆき) 866?〜945年 『古今集』撰集に主導的役割を果たし、「仮名序」をも執筆。『土佐日記』の作者でもある。官吏としての履歴には恵まれなかったが、文学的業績は偉大。

    【説明】 かつて長谷寺参詣の常宿にしていた家を久しぶりに訪ねた折、その家の主人が疎遠の恨み言を言ったので、この歌で応じたとある。「そういうあなたの心も、変わっているかいないか分かりません」と皮肉で応酬している。

  11. 夏の夜は まだ宵(よひ)ながらあけぬるを 雲のいづこに月やどるらむ

    清原深養父

    【歌意】 夏の夜は、まだ宵だと思っているうちに明けてしまったが、いったい雲のどこに月は宿っているのだろうか。

    【作者】(きよはらのふかやぶ) 9世紀末から10世紀前半にかけての人。清少納言の曾祖父。

    【説明】 暮れたかと思うとすぐに明けてしまう、そんな夏の夜の短さを「月はまだ空に残っているはずだが、いったいどこの雲にに宿っているのだろう」と分析的に推量している歌。

  12. 白露に 風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける

    文屋朝康

    【歌意】 葉の上の白露に風が吹きつける秋の野は、その露が散りこぼれ、まるで紐を通していない玉が飛び散るようだ。

    【作者】(ふんやのあさやす) 9世紀後半から10世紀初頭にかけての人。文屋康秀の子。

    【説明】 風に吹き散らされる秋の野の一面の白露の美しさを詠った歌。白露を玉に見立てて、それを紐で貫くというのは、平安時代の歌の常套的な表現。

  13. 忘らるる 身をば思はず ちかひてし 人の命の惜しくもあるかな

    右 近

    【歌意】 あなたに忘れられてしまう私の身は何とも思いません。しかし、神に愛を誓ったあなたが、神罰を受けて命を落してしまわないか、それが気がかりなのです。

    【作者】(うこん) 10世紀前半期の人。右近少将・藤原季縄(ふじわらのすえなわ)の娘。醍醐天皇の皇后・穏子(おんし)に仕えた。

    【説明】 永遠の愛を神に誓った相手が裏切った。それは神への裏切りでもあり、相手の男は神罰をこうむって命を落すかもしれない。その相手の死を惜しむとともに、諦めたはずの恋への執着がこみあげている。

  14. 浅茅生(あさぢふ)の 小野の篠原(しのはら) しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき

    参議等

    【歌意】 浅茅の生えている小野の篠原の「しの」ではありませんが、私はじっと忍んでこらえています。なのに、どうしてこんなにあなたが恋しいのでしょうか。

    【作者】(さんぎひとし) 880〜951年 源等(みなもとのひとし)。嵯峨天皇の曾孫。

    【説明】「浅茅生の」は「小野」の枕詞。人目を忍ぶ恋ながらも、忍びきれない恋情を詠んだ歌。

  15. しのぶれど 色にいでにけりわが恋は 物や思ふと人の問ふまで

    平兼盛

    【歌意】 誰にも知られないように切ないまでの恋心を包み隠してきたのに、とうとう顔色に出るまでになってしまった。「何かに思い悩んでいらっしゃるのですか」と人に問われるほどに。

    【作者】(たいらのかねもり) ?〜990年 篤行(あつゆき)王の子。

    【説明】 この歌は、天徳4年(960年)に村上天皇主催の歌合で、次の壬生忠見の歌と優劣を競わされた。判者が結論を出すのに困っていたところ、天皇が「しのぶれど」と口ずさんだことから、この歌が勝ちとされた。

  16. 恋すてふ わが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか

    壬生忠見

    【歌意】 恋をしているという私のうわさが、早くも立ってしまった。誰にも知られまいと、ひそかに思い始めたばかりなのに。

    【作者】 みぶのただみ) 10世紀半ばの人。壬生忠岑(みぶのただみね)の子。

    【説明】 前の平兼盛と歌との勝負に負けた忠見は、落胆のあまり食欲がなくなり、病になってついには亡くなったという話がある。

  17. ちぎりきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 波こさじとは

    清原元輔

    【歌意】 固く約束をしたよね、互いに涙で濡れた袖をしぼりながら。あの末の松山を決して波が越えることがないのと同じに、私たちの仲も絶対に変わるまいと。

    【作者】(きよはらのもとすけ) 908〜990年 清少納言の父。『後撰集』の編纂にかかわる。

    【説明】 心変わりした女に、相手の男に代わって詠んだ歌。恨みと未練の気持ちが綯い交ぜとなっている。

  18. あひ見ての 後の心にくらぶれば 昔は物を思はざりけり

    権中納言敦忠

    【歌意】 あなたに逢って一夜の契りを交わした後の今の深い思いに比べると、逢う前のあなたへの思いは、まるで何も思っていなかったようなものです。

    【作者】(ごんちゅうなごんあつただ) 906〜943年 藤原敦忠(ふじわらのあつただ)。左大臣・時平(ときひら)の三男。

    【説明】 逢瀬を遂げた翌朝、自宅へ帰った男が女のもとに贈った歌(後朝の歌)。

  19. あふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも恨みざらまし

    中納言朝忠

    【歌意】 もしもあなたに逢うことがなかったならば、あなたの無情を恨んだり自分の不幸を恨んだりすることもなかったろうに。

    【作者】(ちゅうなごんあさただ) 910〜966年 藤原朝忠。三条右大臣・定方(さだかた)の五男。

    【説明】 まれの逢瀬があり、それを期待するあまり、いらだたしい気持ちになって、相手のつれなさや自分の運命を恨んでしまう、という。」「世の中」「男女の仲」にかかる掛詞。わずかな逢瀬も許されない恋への絶望感を詠んだ歌。

  20. あはれとも いふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな

    謙徳公

    【歌意】 誰も哀れんではくれないと思うので、あなたに恋焦がれる私は、このままむなしく死んでしまいそうです。

    【作者】(けんとくこう) 924〜972年 藤原伊尹(ふじわらのこれまさ)。和歌所の別当として梨壺(なしつぼ)の5人を主宰。

    【説明】 言い寄っていた相手の女が、しばらくして冷たくなり、逢ってもくれなくなったときに詠んだ歌。

  21. 由良(ゆら)のとを わたる舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ恋の道かな

    曾禰好忠

    【歌意】 由良の瀬戸を渡る船頭が、櫂をなくして行く先もわからず漂うように、私の恋路もこの先どうなることか不安でたまりません。

    【作者】(そねのよしただ) 10世紀後半の人。

    【説明】 「由良のと」は丹後国(京都府)の由良川の河口。「と」は「水門(みなと)」の意で、瀬戸や海峡のことで、流れが激しい。作者は丹後国の掾(じょう)(国庁の三等官)だった。

  22. 八重むぐら しげれる宿のさびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり

    恵慶法師

    【歌意】 雑草が幾重にも生い茂ったこの寂しい邸には、誰一人尋ねてこないけれど、秋だけは今年もまたいつものようにやって来てくれた。

    【作者】(えぎょうほうし) 10世紀後半の人。播磨国(兵庫県)の国分寺の僧侶。

    【説明】 源融(みなもとのとおる)の邸宅だった河原院。風流をきわめたとされる河原院も、融の死後は荒れ果て、今は訪れる人もいなくなってしまったが、秋だけはきちんとやって来る、という。『源氏物語』の夕顔の巻の、荒廃した邸「某(なにがし)の院」のモデルともされている。

  23. 風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を思ふころかな

    源重之

    【歌意】 風が激しくて、岩を打つ波がひとりでに砕け散るように、私だけが心砕けて恋に悩んでいるのか。

    【作者】(みなもとのしげゆき) ?〜1000年 清和天皇の曾孫。地方官を歴任し、陸奥国で没した。

    【説明】 相手の女が岩のように冷淡で、自分はその岩に当たって砕け散る波のように、千々に悩み苦しんでいる、という。

  24. みかきもり 衛士(ゑじ)のたく火の 夜はもえ 昼は消えつつ 物をこそ思へ

    大中臣能宣

    【歌意】 宮中の門を守る衛士の焚くかがり火が、夜は燃え昼は消えるように、私の恋心も夜には燃え上がり、昼は悶々と思い悩んでいる。

    【作者】(おおなかとみのよしのぶ) 921〜991年 神職の家柄に生まれる。梨壺の5人の一人。

    【説明】「みかきもり(御垣守)」は、宮中の諸門を警護する兵士。「衛士」は、諸国から交替で集められた兵士で、みかきもりである衛士という意。

  25. 君がため 惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな

    藤原義孝

    【歌意】 あなたのためなら惜しくないと思っていた命も、逢うことがかなった今となっては、ずっと長らえたいと思うのです。

    【作者】(ふじわらのよしたか)954〜974年 藤原伊尹(ふじわらのこれまさ)の三男。三蹟の一人である藤原行成の父。

    【説明】 後朝の歌。逢瀬の願いがかなったとたん、自分の心が大きく変わったという。

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和歌の修辞技法

枕詞
 序詞とともに万葉以来の修辞技法で、ある語句の直前に置いて、印象を強めたり、声調を整えたり、その語句に具体的なイメージを与えたりする。序詞とほぼ同じ働きをするが、枕詞は5音句からなる。
(例)2、3、4、17、33、76の歌
 
序詞(じょことば)
 作者の独創による修辞技法で、7音以上の語により、ある語句に具体的なイメージを与える。
(例)3、13,14、46、48、49、77、92、97の歌
 
掛詞(かけことば)
 縁語とともに古今集時代から発達した、同音異義の2語を重ねて用いることで、独自の世界を広げる修辞技法。一方は自然物を、もう一方は人間の心情や状態を表すことが多い。
(例)8、9、10、16、19、20、22、25、27、28、51などの歌
 
縁語(えんご)
 1首の中に意味上関連する語群を詠みこみ、言葉の連想力を呼び起こす修辞技法。掛詞とともに用いられる場合が多い。
(例)14、19、25、27、46、51、55、57、60などの歌
 
体言止め
 歌の末尾を体言で止める技法。余情が生まれ、読み手にその後を連想させる。新古今時代に多く用いられた。
(例)2、10、31、64、70、76、87などの歌
 
倒置法
 主語・述語や修飾語・被修飾語などの文節の順序を逆転させ、読み手の注意をひく修辞技法。
(例)9、14、17、23、28、29、34、40、42、51などの歌
 
句切れ
 何句目で文が終わっているかを示す。万葉時代は2・4句切れが、古今集時代は3句切れが、新古今時代には初・3句切れが多い。
(初句切れの例)42、90の歌
 
歌枕
 歌に詠まれた地名のことだが、古今集時代になると、それぞれの地名が特定の連想を促す言葉として用いられるようになった。
(例)2、4、7、8、10、13、14、16、17、18、19、20、25、26、27などの歌

おもな歌枕

宇治
京都府宇治市の一帯で、「宇治山」「宇治川」「宇治橋」などと詠まれる。俗世から離れた隠遁の地とイメージされ、また冬に氷魚漁の網代(あじろ)が設けられたことから、「網代木」「霧」とともに冬の風景として詠まれた。
 
逢坂山・逢坂の関
近江国(滋賀県)と山城国(京都府)との国境にある山が逢坂山で、逢坂の関はその近江側にあった関。伊勢の鈴鹿、美濃の不破とともに三関の一つで、人々の往来が多かった。
 
小倉山
『万葉集』では奈良県桜井市近辺の山をいい、『竹取物語』の石作皇子の話に出てくる「小倉山」もこれにあたる。
平安期以降は京都市右京区嵯峨の嵐山と向き合う山をいう。
 
末の松山
陸奥(みちのく)の古地名で、岩手県二戸郡一戸町にある浪打峠とも、宮城県多賀城市八幡の末の松山八幡宮付近ともいわれる。
 
須磨
神戸市須磨区の海岸に近いあたり。天智天皇のころに関が設けられたことから、「須磨の関(守)」などとも詠まれた。
 
住の江
大阪市住吉区の住吉神社を中心とした一帯。「住吉」ともいう。「波」「松」「忘れ草」とともに詠まれることが多い。
高砂
兵庫県高砂市。常緑の松の名所だったことから、長寿・不変がイメージされた。
 
竜田
奈良県生駒郡斑鳩町の一帯で紅葉の名所。「竜田川」は生駒山地の東側を南に流れる川。
 
吉野
奈良県吉野郡吉野町。春は桜、冬は雪を連想させる歌枕。