孫子に学ぼう

 孫子に学ぼう

孫子について

 中国の兵書の一つ『孫子』は、『呉子』『司馬法』など六つの兵書とともに『七書』とよばれますが、何といっても『孫子』が内容や文章において格段にすぐれているとされます。春秋時代の呉王に仕えた孫武の著と伝えられてきましたが、実際は三国の魏の曹操の編によるのではないかともいわれています。
 『孫子』は、実戦経験にもとづく貴重な戦術が記されたものでありますが、その価値が高いとされるのは、兵法や戦争のためにかぎらず、広く人生のあり方に通ずる深い思想が散りばめられているところにあります。
 『孫子』の内容は、次の十三篇に分かれています。ここでは、それらの中からいくつかの箇所を抜粋してご紹介します。

【目次】

計篇 戦いを始める前に熟慮すべきこと
作戦篇 軍費のこと
謀攻篇 謀りごとによる戦いのこと
形篇 軍の形(態勢)のこと
勢篇 軍の勢いのこと
虚実篇 実によって虚を伐つこと
軍争篇 敵の機先を制して戦うこと
九変篇 臨機応変にとるべき戦法のこと
行軍篇 行軍の際に注意すべきこと
地形篇 戦地の形状のこと
九地篇 九通りの地勢と戦法のこと
火攻篇 火を使って戦うこと
用間篇 スパイのこと
(付録) 孫子のエッセンス

計篇から

 兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。故にこれを経(はか)るに五事を以てし、これを校(くら)ぶるに計を以てして、その情を索(もと)む。
 一に曰わく道、ニに曰わく天、三に曰わく地、四に曰わく将、五に曰わく法なり。道とは、民をして上と意を同じくせしむる者なり。故にこれと死すべくこれと生くべくして、危(うたが)わざるなり。天とは、陰陽・寒暑・時制なり。地とは遠近・険易・広狭・死生なり。将とは、智・信・仁・勇・厳なり。法とは、曲制・官道・主用なり。凡そ此の五者は、将は聞かざること莫(な)きも、これを知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。
 故にこれを校(くら)ぶるに計を以てして、其の情を索(もと)む。曰わく、主いずれか有道なる、将いずれか有能なる、天地いずれか得たる、法令いずれか行なわる、兵衆いずれか強き、士卒いずれか練(なら)いたる、賞罰いずれか明らかなると。吾れ此れを以て勝負を知る。

【現代語訳】
 戦争とは、国家の大事である。国民の死活、国家存亡の分かれ道であるから、よくよく熟慮しなくてはならない。故に、五つの事柄をはかり(七つの)目算で比べて、そのときの実情を求めることとなる。

 五つの事柄とは、第一に道、第二に天、第三に地、第四に将、第五に法である。道とは、上に立つ者が国民を同じ心にならせる政治のありようのこと。これによって民たちは死生を供にして疑わなくなる。天とは、陰陽・気温・時節などの自然のめぐり合わせ。地とは、距離・険しさ・広さ・高低などの土地の状況。将とは、才智・誠信・仁慈・勇気・威厳といった将軍の資質。法とは、軍制のこと。およそこれら五つの事柄は、将軍たる者は知らないはずはないが、深く理解している者は勝ち、そうでない者は勝つことができない。

 故にこれらを比べることとなるが、その際、七つの目算でその実情を求める。すなわち、敵側と比べて、いずれの君主が人心を得ているか、いずれの将軍が有能か、自然のめぐりと土地の状況はいずれに有利か、法令はいずれが遵守されているか、軍隊はどちらが強いか、士卒が訓練されているのはどちらか、賞罰はどちらが公明かということだ。私は、これらによってあらかじめ勝敗の行方が判断できるのだ。

 将、吾が計を聴くときは、これを用うれば必ず勝つ、これを留めん。将、吾が計を聴かざるときは、これを用うれば必ず敗る、これを去らん。計、利として以て聴かるれば、すなわちこれが勢を為して、以て其の外を佐(たす)く。勢とは利に因(よ)りて権を制するなり。

【現代語訳】
 将軍が、以上に述べた私の判断に従うなら、彼を用いれば必ず勝つので任に留め置く。しかし、私の判断に従わない場合は、彼を用いればきっと負けるから辞めさせる。有利な判断だとして従われたならば、それが勢いとなって外謀の助けとなる。勢いとは、有利な情況を見抜いたうえで臨機応変に処することだ。

 兵とは詭道(きどう)なり。故に、能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれをみだし、卑にしてこれを驕(おご)らせ、佚(いつ)にしてこれを労し、親(しん)にしてこれを離す。其の無備を攻め、其の不意に出(い)ず。此れ兵家の勢、先きには伝うべからざるなり。

【現代語訳】
 戦争とは敵を欺く行為である。故に、こちらが強くても敵には弱く見せ、勇敢であっても臆病に見せかけ、近くにいても遠く見せかけ、遠くにあっても近く見せかけ、敵が利を求めていれば誘い出し、敵が混乱していれば奪い取り、充実していれば防備し、強ければ避け、怒り狂っているときはかき乱し、謙虚であれば驕りたかぶらせ、安楽にしていれば疲労させ、結束していれば分裂させる。そうして敵の無備を攻め、敵の不意をつく。これが軍学者のいう「勢」というもので、臨機応変の処置であるから前もって伝えられるものではない。

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作戦篇から

 凡(およ)そ用兵の法は、馳車千駟(ちしゃせんし)、革車千乗、帯甲十万、千里にして糧をおくるときは、即ち内外の費・賓客の用・膠漆(こうしつ)の材・車甲の奉、日に千金を費して、然る後に十万の師挙がる。其の戦いを用(おこ)なうや久しければ即ち兵を鈍(つか)らせ鋭を挫(くじ)く。城を攻むれば即ち力(ちから)(つ)き、久しく師を暴(さら)さば即ち国用足らず。
 夫(そ)れ兵を鈍らせ鋭を挫き、力を屈し貨をつくすときは、即ち諸侯其の弊(へい)に乗じて起こる。智者ありと雖(いえど)も、其の後を善くすること能(あた)わず。故に兵は拙速(せっそく)なるを聞くも、未だ巧(たくみ)の久しきを睹(み)ざるなり。夫れ兵久しくして国の利する者は、未だこれ有らざるなり。故にことごとく用兵の害を知らざる者は、即ちことごとく用兵の利をも知ること能わざるなり。

【現代語訳】
 およそ戦争の原則として、戦車千台、輜重車千台、武装した兵士十万で、千里も食糧を運搬するには、内外の経費、外交上の費用、膠や漆などの材料、戦車や甲冑の供給などで、一日に千金も費やしてはじめて十万の軍隊を動かせるものだ。従って、その戦いを長びかせれば、軍隊を疲弊させ鋭気をくじくことになる。敵の城を攻めれば戦力が尽き、かといって長らく軍隊を露営させれば国家の財政が窮乏する。

 そもそも軍が疲弊し鋭気もくじかれ、力が尽きて財貨がなくなってしまうと、諸侯たちはその困窮につけこんで攻めかかってくる。たとえこちらに智将がいたとしても、とてもそれを防いでうまく後始末することはできない。だから、戦争には拙速(まずくても速い)というのはあっても、巧久(上手いけど長びく)という例を知らない。そもそも戦争が長びいて国家に利益があるなど、あったためしがない。だから、戦争の損害を知っていない者は、戦争の利益も知ることができない。

 善く兵を用うる者は、役(えき)は再びは籍(せき)ず、糧は三たびは載(さい)せず。用を国に取り、糧を敵に因(よ)る。故に軍食足るべきなり。国の師に貧なるは、遠き者に遠く輸(いた)せばなり。遠き者に遠く輸さば即ち百姓貧し。近師なるときは貴売す。貴売すれば即ち百姓は財竭(つ)く。財竭くれば即ち丘役(きゅうえき)に急にして、力は中原(ちゅうげん)に屈(つ)き用は家に虚しく、百姓の費、十に其の七を去る。公家(こうか)の費、破車罷馬(はしゃひば)、甲冑弓矢(かっちゅうゆみや)、戟楯矛櫓(げきじゅんぼうろ)、丘牛大車(きゅうぎゅうだいしゃ)、十に其の六を去る。故に智将は務めて敵に食(は)む。

【現代語訳】
 戦い上手な人は、兵役を二度も繰り返さず、食糧を国から三度も運ぶようなことはしない。軍需品は自国のものを使うが、食糧は敵地に依存する。だから、兵糧には困らない。国家が軍隊のために貧しくなるのは、遠征のときに遠くまで食糧を運ぶからだ。遠征して遠くまで運べば、民衆は貧しくなる。かといって、近くでの戦争なら物価が上がる。物価が上がれば民衆の蓄えがなくなる。蓄えがなくなれば軍役にも苦しむことになり、戦場では戦力が尽きて、国内の家々では財物がとぼしくなって、民衆の生活費は十のうちの七までが減らされる。お上の経費も、戦車がこわれ馬は疲れ、甲冑や弓矢、戟や楯や矛や櫓、大牛や大車などの出費で、十のうち六までも減らされる。であるから、智将はできるだけ敵の兵糧を奪って食べるようにする。

 故に敵を殺す者は怒(ど)なり。敵の貨を取る者は利なり。故に車戦に車十乗 已上(いじょう)を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而(しか)して其の旌旗(せいき)を更(あらた)め、車は雑(まじ)えてこれに乗らしめ、卒は善くしてこれを養わしむ。是れを敵に勝ちて強を益(ま)すと謂(い)う。

【現代語訳】
 そこで、敵兵を殺すのはいきり立った気勢によるが、敵の物資を奪い取るのは利益のためのものだ。だから、車戦で車十台以上を奪ったときは、それを最初に奪った者に賞として与え、敵の旗印を味方のものに取り替え、奪った車は味方の者たちに乗用させ、投降してきた兵は優遇して養わせる。これが、敵に勝ってなお強さを増すということだ。

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謀攻篇から

 凡そ兵を用うるの法は、国を全うするを上(じょう)と為し、国を破るはこれに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るはこれに次ぐ。旅(りょ)を全うするを上と為し、旅を破るはこれに次ぐ。卒(そつ)を全うするを上と為し、卒を破るはこれに次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るはこれに次ぐ。是(こ)の故に百戦百勝は善の善なる者に非(あら)ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。

【現代語訳】
 およそ戦法として、敵国を傷つけずにそのまま降伏させるのがいちばんで、打ち破って屈伏させるのは次善にすぎない。軍団を無傷で降伏させるのが上策で、打ち破って屈伏させるのはそれに次ぐ。旅団を無傷で降伏させるのが上策で、打ち破って屈伏させるのはそれに次ぐ。大隊を無傷で降伏させるのが上策で、打ち破って屈伏させるのはそれに次ぐ。小隊を無傷で降伏させるのが上策で、打ち破って屈伏させるのはそれに次ぐ。そういうわけで、百戦百勝といっても最高にすぐれたものではない。敵兵と戦わずして屈伏させるのが最高の戦い方だ。

 故に上兵は謀(ぼう)を伐(う)つ。其の次ぎは交(こう)を伐つ。其の次ぎは兵を伐つ。其の下は城を攻む。攻城の法は巳むを得ざるが為めなり。櫓(ろ)・フンオンを修め、器械を具(そな)うること、三月にして後に成る。距イン又た三月にして後に巳(お)わる。将、其の忿(いきどお)りに勝(た)えずしてこれに蟻附(ぎふ)すれば、士卒の三分の一を殺して而(しか)も城の抜けざるは、此れ攻の災(わざわい)なり。
 故に善く兵を用うる者は、人の兵を屈するも而も戦うに非ざるなり。人の城を抜くも而も攻むるに非ざるなり。人の国をやぶるも而も久しきに非ざるなり。必ず全(まった)きを以て天下に争う。故に兵(へい)(つか)れずして利全くすべし。此れ謀攻の法なり。

【現代語訳】
 そこで、最上の戦争とは、敵の陰謀を破ることである。その次は敵と連合する国との外交関係を破ることだ。その次は敵軍を破ることで、いちばん下なのは敵の城を攻めることだ。城攻めはやむを得ずに行うものだ。櫓(おおだて)や城攻めの四輪車を整え、武具を準備するのは、三か月かかってやっと出来るもの。土塁はさらに三か月かかって出来上がる。その間、将軍が怒気をおさえきれずに一度に総攻撃をかけることにでもなれば、兵士の三分の一を戦死させても城は落ちず、これこそが城攻めの害悪である。

 それゆえ、戦上手な人は、敵兵を屈伏させてもそれと戦闘したのではなく、敵の城を落としてもそれを攻めたのではなく、敵国を滅ぼしても長期戦におよんだのではない。必ず無傷で獲得する方法によって天下を争う。それゆえ軍も疲弊することなく完全な利益を得られる。これが謀りごとによって攻める方法の原則だ。

 故に用兵の法は、十なれば即ちこれを囲み、五なれば即ちこれを攻め、倍すれば即ちこれを分かち、敵すれば即ち能(よ)くこれと戦い、少なければ即ち能くこれを逃れ、若(し)かざれば即ち能くこれを避く。故に小敵の堅(けん)は大敵の檎(きん)なり。

【現代語訳】
 そこで、戦争の原則としては、こちらの軍勢が十倍であれば敵軍を包囲し、五倍であれば攻撃し、倍であれば敵軍を分裂させ、対等であれば努力して戦い、少なければ何とか退却し、力が及ばなければうまく隠れることだ。だから、小勢なのに強気ばかりでいては、大敵の虜になるばかりだ。

 勝を知るに五あり。戦うべきと戦うべかざるとを知る者は勝つ。衆寡(しゅうか)の用を識(し)る者は勝つ。上下の欲を同じくする者は勝つ。虞(ぐ)を以て不虞を待つ者は勝つ。将の能にして君の御(ぎょ)せざる者は勝つ。此の五者は勝を知るの道なり。故に曰わく、彼れを知り己(おの)れを知れば、百戦しても殆(あや)うからず。彼れを知らずして己れを知れば、一戦一負す。彼れを知らず己れを知らざれば、戦う毎に必ず殆うし。

【現代語訳】
 勝利を知るための方法が五つある。第一に戦ってよいときと戦うべきでないときをわきまえていれば勝つ。第二に大軍と小勢のそれぞれの用い方を知っていれば勝つ。第三に上下の人々が同じ心をもっていれば勝つ。第四に万全の態勢を整えて油断している敵に当たれば勝つ。第五に将軍が有能でしかも主君が干渉しなければ勝つ。これら五つが勝利を知るための方法だ。だから、「敵を知り己を知っていれば百戦しても危険はなく、敵を知らず己のみ知っているのでは勝ったり負けたりし、敵を知らず己も知らないのでは戦うたびに必ず危険な目に遭う」といわれるのだ。

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形篇から

 昔の善く戦う者は、先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ。勝つべからざるは己(おの)れに在るも、勝つべきは敵に在り。故に善く戦う者は、能(よ)く勝つべからざるを為すも、敵をして勝つべからしむること能(あた)わず。故に曰わく、勝は知るべし、而して為すべからずと。
 勝つべからざる者は守なり。勝つべき者は攻なり。守は即ち足らざればなり、攻は即ち余り有ればなり。善く守る者は九地の下に蔵(かく)れ、善く攻むる者は九天の上に動く。故に能く自ら保ちて勝を全うするなり。

【現代語訳】
 昔の戦い上手な者は、まず自軍をしっかり守りだれにもうち勝てない態勢を整えたうえで、敵が弱点をあらわしてだれもがうち勝てるような態勢になるのを待った。だれにもうち勝つことのできない態勢を整えるのは味方のことだが、だれもが勝てる態勢とは敵側のことだ。だから、戦い上手な者でも、味方をだれにもうち勝てない態勢にできても、敵をだれもが勝てるような態勢にはできない。そこで、「勝利は知れていても、それが必ずできるわけではない」と言われる。

 だれにもうち勝てない態勢とは、守備にかかわることだ。だれもがうち勝てる態勢とは攻撃にかかわることだ。守備をするのは戦力が足らないからで、攻撃をするのは余裕があるからだ。守備が上手な者は大地の底の底にひそみ隠れ、攻撃が上手な者は天界の上の上で行動する。だから、(いずれの場合もその態勢をあらわさず)味方を安全に保ち、しかも完全な勝利をとげられるのだ。

 勝を見ること衆人の知る所に過ぎざるは、昔の善なる者に非ざるなり。戦い勝ちて天下善なりと曰うは、善の善なる者に非ざるなり。故に秋毫(しゅうごう)を挙ぐるは多力と為さず。日月を見るは明目(めいもく)と為さず。雷霆(らいてい)を聞くは聡耳(そうじ)と為さず。古えの所謂(いわゆる)善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり。故に善く戦う者の勝つや、奇勝無く、智名も無く、勇功も無し。故に其の戦い勝ちてたがわず。たがわざる者は、其の勝を措(お)く所、巳(すで)に敗るる者に勝てばなり。
 故に善く戦う者は不敗の地に立ち、而して敵の敗を失わざるなり。是の故に勝兵は先ず勝ちて而(しか)る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む。

【現代語訳】
 勝利を読み取るのに一般の人々にも分かる程度では、最高にすぐれているものではない。戦争に打ち勝って天下の人々が称賛しても、最高にすぐれてはいない。であるから、細い毛を持ち上げても力持ちとは言えず、太陽や月が見えても目が鋭いとは言えず、雷が聞こえても耳がよいとは言えない。昔に戦い上手といわれた人は、勝ちやすい機会をとらえて勝ったものだ。だから、その勝利は人目を引く勝利ではなく、智謀すぐれた名誉もないし、その武勇が称賛されることもない。勝つのは間違いないが、それらはすべてすでに負けている敵に勝ったものなのだ。

 それゆえ、戦い上手な人は、味方を不敗の立場におきつつ、敵が負けるようになった機会を逃がさない。そうしたわけで、勝利する者は開戦前にまず勝利を得て戦争しようとするが、敗北する軍は戦争を始めてから勝利を求めるものだ。

 善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。

【現代語訳】
 戦い上手な人は、立派な政治を行い、軍制を遵守する。だから勝敗を決することができるのだ。

 兵法は、一に曰わく度(たく)、ニに曰わく量、三に曰わく数、四に曰わく称、五に曰わく勝。地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称を生じ、称は勝を生ず。故に勝兵は鎰(いつ)を以て銖(しゅ)を称(はか)るが若(ごと)く、敗兵は銖を以て鎰を称るが若し。

【現代語訳】
 兵法とは、第一に度(ものさしではかること)、第二に量(ますめではかること)、第三には数(数えはかること)、第四に称(比べはかること)、第五に勝(勝敗を考えること)である。土地はその広さや距離を考えるという度の問題を生じ、度の結果によって投入すべき物量を考える量の問題を生じ、量の結果によって動員すべき兵数を決めるという数の問題を生じ、数の結果によって敵味方の能力をくらべるという称の問題を生じ、称によって勝敗を考える勝の問題を生じる。故に、勝利する軍は重い鎰の目方で軽い銖の目方にくらべ、敗れる軍は軽い銖の目方で重い鎰の目方に比べるようなものだ。
 ※鎰・銖はいずれも重さの単位。

 勝者の民を戦わしむるや、積水を千仞(せんじん)の谷に決するが若(ごと)きは、形なり。

【現代語訳】
 勝利する者の戦い方は、ちょうど満々とたたえた水を千仞の谷に一気に落とすように、相手に守る態勢を与えない。それが戦う態勢を整えるということだ。

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勢篇から

 凡そ衆を治むること寡(か)を治むるが如くなるは、分数(ぶんすう)(こ)れなり。衆を闘(たたか)わしむること寡を闘わしむるが如くなるは、形名(けいめい)是れなり。ことごとく敵に受(こた)えて敗なからしむべき者は、奇正(きせい)是れなり。兵の加うる所、タンを以て卵に投ずるが如くなる者は、虚実(きょじつ)是れなり。

【現代語訳】
 およそ戦争に際して、大勢の兵士を治めながらまるで小人数のように整然と治められるのは、部隊の編成による。大勢の兵士を戦闘させてもまるで小人数のように整然と戦闘させられるのは、指令にかかわる設備による。敵のどんな出方にもうまく対応して、決して負けないようにさせることができるのは、奇策と正攻法の使い分けによる。戦争で、いつも石を卵にぶつけるようにたやすくできるのは、充実した軍隊で備えのない敵をうつ「虚実の運用」による。

 凡そ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ。故に善く奇を出(い)だす者は、窮(きわ)まり無きこと天地の如く、竭(つ)きざること江河の如し。

【現代語訳】
 およそ戦いは、堂々と相手と対峙し、奇策をもって勝つものだ。だから、うまく奇策を使う軍隊では、その動きは天地の変化のように窮まりなく、長江や黄河の水のように尽きることがない。

 乱は治に生じ、怯(きょう)は勇に生じ、弱は強に生ず。治乱は数なり。勇怯(ゆうきょう)は勢なり。強弱は形なり。

【現代語訳】
 混乱は整治から生じ、おく病は勇敢から生じ、軟弱は剛強から生じる。混乱するか治まるかは、部隊の編成の問題だ。おく病になるか勇敢になるかは戦いの勢いの問題だ。軟弱になるか剛強になるかは軍の態勢の問題だ。

 善く敵を動かす者は、これに形(けい)すれば敵必ずこれに従い、これに予(あた)うれば敵必ずこれを取る。利を以てこれを動かし、詐(さ)を以てこれを待つ。

【現代語訳】
 敵を誘い出すのが上手な者は、敵に分かるような形を示すと敵は必ずそれについてくるし、敵に何かをあたえると必ずそれを取りに来る。つまり利益を見せて誘い出し、裏を書いてそれに当たるのだ。

 善く戦う者は、これに勢を求めて人に責(もと)めず。故に能(よ)く人を択(えら)びて勢に任ぜしむ。勢に任ずる者は、其の人を戦わしむるや木石を転ずるが如し。木石の性は、安ければ即ち静かに、危うければ即ち動き、方なれば即ち止まり、円なれば即ち行く。故に善く人を戦わしむるの勢い、円石を千仞(せんじん)の山に転ずるが如くなる者は、勢なり。

【現代語訳】
 戦い上手な者は、勢いによって勝利を得ようと求め、人材に頼ろうとはしない。だから、うまく人を選んで勢いのままに従わせることができる。勢いに任せる人が兵士を戦わせるありさまは、木や石を転がすようなものだ。木や石の性質は、安置しておけば静かだが、傾斜していれば動き出し、方形であればじっとしているが、丸ければ走り出す。そこで巧みに兵士を戦わせる勢いは、千仞の高い山から丸い石を転がすほどになり、それが戦いの勢いというものだ。

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孫子

 孫子は中国・春秋時代の武将・孫武の尊称。兵法書『孫子』の著者と伝えられる。孫武のこんなエピソードが『史記』『孫子呉起列伝』に記されている。
 
 ある時、孫武は『孫子』を耽読した呉王・闔閭に招かれた。そして、「私の側室である女性たちで軍隊を編成してみよ」との命を受け、孫武は王の愛妾二人を隊長に指名し部隊を編成しようとした。だが、彼女らは孫武の指示に一向に従わない。
 
 すると孫武は、「まだ私の命令の内容が皆によく理解されていなかったのだろう。命令への理解を欠いたまま、兵に不明確な指示を出してしまったのは指揮官たる私の落度である」と言って、指示の内容を何度も繰り返し説いた後に再び指示を出した。
 
 しかしそれでも女性たちは相変わらず孫武を馬鹿にし、ただ笑っているばかりだった。すると孫武は「私は編成の取り決めを再三にわたって説き、皆に申し渡した。命令が全軍に行き届かないことや指示の不明確さなどは私の落度だが、今は指示も命令も間違いなく行き渡っていよう。それなのに誰一人命令に従う者がいないならば、その隊長たる者には軍令に背いた責任を問わねばならない」と言い、隊長である二人の愛妾を斬ろうとした。
 
 その様子を見て驚いた闔廬は慌てて「私の落度だ。私に免じて彼女らを許してやってくれ」と止めようとしたが、孫武は「一たび将軍として命を受けた以上、軍中にあってはたとえ君主の意向といえども従いかねることもございます」と言って、く隊長と定めた闔廬の愛妾を二人とも斬ってしまった。
 
 そうして残った女性たちの中から新たな隊長を選び練兵を行うと、今度はどのような指示にも背こうとする者は一人もいなくなった。
 
 闔廬は甚だ不興であったが、以後孫武の軍事の才の確かさを認め、正規の将軍に任じた。その後、呉は隣国の楚を破り、その都にまで攻め入り、北方では斉、晋を威圧して諸侯の間にその名を知らしめたが、それらの功績は孫武の働きによるところが大きかった。

孟子の言葉

天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず。
〜天の与える好機は地理的な有利さに及ばず、地理的有利さは人心の一致には及ばない。
 

為さざるなり、能(あた)わざるに非(あら)ざるなり
〜やろうとしないからだ、できないからではない。
 

知恵ありといえども、勢いに乗ずるに如かず。
〜いくら知恵があっても、勢いに乗ることには及ばない。
 

志は、気の師なり。
〜志を持てば、気力は自然とわいてくる。
 

本を読んでそれを真に受けるだけなら、読まない方がよい。
 
恒産なきものは恒心なし。
〜一定の財産や定まった職業がなければ、定まった正しい心を持つことはできない。
 

仁は人の心なり。義は人の道なり。
〜他人を思いやる気持ちこそ、人の心である。道徳にかなった行動こそ、人の道である。
 

大人を説くには、則ち之を軽んぜよ。
〜偉い人を説得するには、まず相手を呑んでかかれ。
 

至誠にして動かさざる者は、未だ之あらざるなり。
〜誠を尽くして人に接すれば、心を動かさない者はこの世にいない。
 

天に従う者は存じ、天に逆らう者は亡ぶ。
 
飢えたるものは食を択(えら)ばず。
 
子供心を失っていない者は偉大である。
 
人の患いは、好んで人の師となるにあり。
〜人の苦悩というものは、好んで人の師となって教えたがることにある。
 

人の患いは、好んで人の師となるにあり。
〜人の苦悩というものは、好んで人の師となって教えたがることにある。
 

自らねじれている者が他人をまっすぐにできるなどとは、聞いたこともない。
 
往く者は追わず、来る者は拒まず。
 
人を愛しても親しまれないときには、自分の仁愛の心が足りないからではないかと反省するがよい。
 
私は人生を愛し、正義をも愛する。しかし、その両者をともに持つことはできぬとしたら、人生を放棄して、正義を選ぶだろう。
 
夫婦別あり。
〜夫婦の間にも、礼儀や遠慮が必要である。
 

天の将(まさ)に大任を是(こ)の人に降(くだ)さんとするや、必ず先(ま)ずその心を苦しむ。
〜天は、大任を任せられるかどうか試すために、まず困難を与え、その心を苦しませてみるのだ。
 

勇にも大勇、小勇の区別あり。
 
居は気を移す。
〜人は地位で気性が変わる。
 

大体に従う者は大人となる。
〜人間の本来備わった心の動きのままに行動すれば大人物になれる。
 

楽しむに天下を以って、憂うるに天下を以ってす。
〜国民の楽しみを楽しみとし、国民の心配を心配とするのが、王としての道である。
 

天下の為に人を得るは難し。
〜世の中の為に有能な人物を獲得するのは難しい。
 

汝に出るものは汝に返る。
〜自分の行為の報いは、いずれ自分返ってくる。
 

人の性は善なり。
 
飽食暖衣逸居して教えなければ禽獣に近し。
〜十分に食べ暖かいものを着て安楽に暮らし、学ぶことをしなければ、鳥や獣と何ら変わるところがない。
 

自ら反みて縮くんば、千万人と雖も吾往かん。
〜自ら反省して、それでも自分が正しいと思ったなら、たとえ相手が千人万人であっても立ち向かおう。
 

道を得る者は助け多く、道を失う者は助け寡し。
〜徳のある人には自然と助力する人が多くなるが、その徳を失うと助力者もなくなる。

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