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高名の木のぼり〜第百九段

 高名の木のぼりといひしをのこ、人を掟(おき)てて、高き木にのぼせて梢(こずゑ)を切らせしに、いと危(あやふ)く見えしほどはいふ事もなくて、降るる時に軒長(のきたけ)ばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降りるとも降りなん。如何(いか)にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候(さうら)ふ。目くるめき、枝危きほどは、己(おのれ)が恐れ侍れば申さず。あやまちは、やすき所に成りて、必ず仕(つかまつ)る事に候ふ」といふ。

 あやしき下臈(げらふ)なれども、聖人の戒(いまし)めにかなへり。鞠(まり)も難き所を蹴出(けいだ)してのち、やすく思へば、必ず落つると侍るやらん。

【現代語訳】
 有名な木登りだといわれている男が、人を指図して高い木に登らせて梢を切らせたとき、とても危なく見える間は何も言わないで、降りてくるときに軒の高さくらいになったところで、「けがをするな。注意して降りろ」と言葉を書けたので、それを見ていた私が「これくらいの高さであれば、たとえ飛び降りたとしても降りられよう。どうしてそう言うのか」と申したところ、「そのことでございます。高くて目がくらみ、枝が折れそうで危ない間は、自分で恐れて用心しますから、注意しろとは申しません。けがは、安全な所になってから必ずするものでございます」と言う。

 賤(いや)しい身分の者ながら、その言葉は聖人の教訓にかなっている。蹴鞠(けまり)の鞠も、難しいのをうまく蹴った後で安心すると、必ず失敗して鞠を落とすそうだ。
 
(注)聖人の戒め・・・『易経』にある、「君子、安くして危うきを忘れず。・・・・・・」

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花はさかりに〜第百三十七段

(一)
 花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。雨にむかひて月をこひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほ哀(あはれ)に情(なさけ)ふかし。咲きぬべきほどの梢(こずゑ)、散りしをれたる庭などこそ見所おほけれ。歌の詞書(ことばがき)にも、「花見にまかれりけるに、はやく散り過ぎにければ」とも、「さはる事ありてまからで」なども書けるは、「花を見て」といへるに劣れる事かは。花の散り、月の傾(かたぶ)くを慕ふならひはさる事なれど、ことにかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし」などは、いふめる。

【現代語訳】
桜の花は、何も盛りだけを、月は、何も曇りなく照りわたっているのだけを見るものではない。雨に向かって月を恋しく思い、簾をおろして春の行方を知らないのも、やはりしみじみと趣深いものだ。今にも咲きそうな桜の梢や、花が散って花びらがしおれている庭にこそ、見るべき所がある。和歌の詞書にも、「花見に参りましたが、すでに散り終わっていましたので」とも、「差し支え事があって花見に参りませんで」とも書いてあるのは、「花を見て」と言っていることに劣ることだろうか、いや、そんなことはない。花が散り、月が西へ傾くのを慕う習慣はもっともなことであるのに、とくにものの情緒を解さない人にかぎって「この枝もあの枝も散ってしまった。今はもう見る価値はない」などと言うようだ。

(二)
 万(よろづ)の事も、始終(はじめをはり)こそをかしけれ。男女(おとこおんな)の情(なさけ)も、ひとへに逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契(ちぎり)をかこち、長き夜をひとり明(あか)し、遠き雲井を思ひやり、浅茅(あさじ)が宿に昔を偲ぶこそ、色好むとは言はめ。

 望月のくまなきを千里(ちさと)の外(ほか)まで眺めたるよりも、暁ちかくなりて持ち出でたるが、いと心ぶかう、青みたるやうにて、ふかき山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたる村雲がくれのほど、またなく哀(あはれ)なり。椎柴(しひしば)・白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらん友もがなと、都恋しう覚ゆれ。

【現代語訳】
 あらゆる事も、始めと終わりがとくに趣深いものだ。男女の恋愛も、ひたすら逢い見ることだけをいうものでは決してない。逢わずに終わった辛さを思い、相手の心変わりから徒となってしまった約束を嘆き、長い夜を一人で明かし、遠い空のかなたに離れてしまった人を思い、浅茅の茂った家で昔をしのんだりするのこそ、恋愛の趣を解すると言えよう。

 満月にくもりなく、遠い千里のかなたまで眺めているよりも、明け方近くまで待ってやっと出た月がまことに情緒深く、青みがかっているようで深山の杉の梢にかかって木の間から見える光や、時雨を降らせた村雲に隠れている情景のほうが、この上なく情緒深い。柴にする椎の木や白樫などの濡れているような葉の上に月の光がきらめいているのは、とても身にしみて、自分と同じようにこの情緒を解する友がいればなあと、そういう友がいる都を恋しく思う。

(三)
 すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨(ねや)のうちながらも思へるこそ、いとたのもしう、をかしけれ。よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑(なほざり)なり。片田舎の人こそ、色こく万(よろづ)はもて興ずれ。花の本(もと)には、ねぢより立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒のみ、連歌して、はては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手・足さしひたして、雪にはおりたちて跡つけなど、万の物、よそながら見る事なし。

【現代語訳】
 すべて月や花を、そう目だけで見るものだろうか、いや、そうではない。春は家から出なくても、月の夜は寝室の中にいるままでも心の中で思うのも、たいそう心豊かで、趣深い。教養のある人は、むやみに風流を好む様子には見えないし、味わう様子もあっさりしている。ところが、片田舎の人は、しつこく何にでもおもしろがる。たとえば花の木の下ににじり寄り、わき目も振らずにじっと見つめて、酒を飲み、連歌をして、しまいには大きな枝を、心なく折り取ってしまう。泉には手や足をさし入れて浸し、雪には降り立って跡をつけたり、あらゆるものをさりげなく見ることをしない。

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悲田院堯蓮上人は〜第百四十一段

 悲田院(ひでんゐんの)堯蓮上人(げうれんしやうにん)は、俗姓は三浦の某(なにがし)とかや、双(さう)なき武者なり。故郷(ふるさと)の人の来(きた)りて物語すとて、「吾妻人(あづまうど)こそ、言ひつる事は頼まるれ。都の人は、ことうけのみよくて、実(まこと)なし」といひしを、聖(ひじり)「それはさこそおぼすらめども、己(おのれ)は都に久しく住みて、慣れて見侍るに、人の心劣れりとは思ひ侍らず。なべて心柔かに、情(なさけ)ある故に、人のいふほどの事、けやけく否(いな)びがたくて、万(よろづ)え言ひ放たず、心弱くことうけしつ。偽(いつはり)せんとは思はねど、乏(とも)しく叶(かな)はぬ人のみあれば、おのづから、本意(ほい)通らぬ事多かるべし。吾妻人は、我がかたなれど、げには心の色なく、情おくれ、ひとへにすくよかなるものなれば、始めより否といひて止みぬ。にぎはひ豊かなれば、人には頼まるるぞかし」とことわられ侍りしこそ、この聖、声うちゆがみ、あらあらしくて、聖教(しやうげう)の細(こまや)かなる理(ことわり)、いと弁(わきま)へずもやと思ひしに、この一言の後、心にくくなりて、多かる中に寺をも住持せらるるは、かくやはらぎたる所ありて、その益(やく)もあるにこそと覚え侍りし。

【現代語訳】
 悲田院の堯蓮上人は、出家する前の名は三浦の某とかいう、並ぶ者のない立派な武士だった。上人と同郷の人が上京してきて話をするといって、その人が、「関東の人が言ったことは信頼できる。それに引き換え都の人は、口先の受け答えだけよくて、誠実さがない」と言ったのを、上人は、「あなたはそう思われるかもしれませんが、私は京都に長い間住んで親しく交わってみますと、京都の人の心が劣っているとは思いません。京都の人はおしなべて心が優しく、人情があるので、人から頼まれることをきっぱり断りにくくて、万事はっきりと言い切ることができない、だから気弱く承諾してしまう。約束をたがえようとは思わないのに、貧乏で思うようにいかない人ばかりなので、自然と、約束をはたそうとする気持ちが達せられない場合が多いのだろう。関東の人は私と同郷だが、ほんとうは心の優しさがなく、人情味が乏しく、ただ一本気なものだから、できないことは始めからいやだと言って終わってしまう。富み栄えて裕福だから、人に信頼されるのです」と道理を説かれたが、この上人は言葉になまりがあり、荒っぽくて仏典の精細な教理を熟知していないのではと思っていたのに、この言葉を聞いて、上人の人柄が奥ゆかしく感じられ、大勢の僧侶のなかで住職になっておられるのは、このような人情味の故こそだと思った。

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心なしと見ゆる者〜第百四十二段

 心なしと見ゆる者も、よき一言いふものなり。ある荒夷(あらえびす)の恐しげなるが、かたへにあひて、「御子(おこ)はおはすや」と問ひしに、「一人も持ち侍らず」と答へしかば、「さては、ものの哀(あはれ)は知り給はじ。情(なさけ)なき御心(みこころ)にぞものし給ふらんと、いと恐し。子故にこそ、万(よろず)のあはれは思ひ知らるれ」と言ひたりし、さもありぬべき事なり。恩愛の道ならでは、かかる者の心に慈悲ありなんや。孝養の心なき者も、子持ちてこそ、親の志は思ひ知るなれ。

 世をすてたる人の、万にするすみなるが、なべてほだし多かる人の、万にへつらひ、望(のぞみ)ふかきを見て、無下(むげ)に思ひくたすは僻事(ひがごと)なり。その人の心に成りて思へば、誠にかなしからん親のため、妻子のためには、恥をも忘れ、盗みもしつべき事なり。されば、盗人(ぬすびと)を縛(いまし)め、僻事をのみ罪(つみ)せんよりは、世の人の飢ゑず、寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。人、恒(つね)の産なき時は、恒の心なし。人、きはまりて盗みす。世治まらずして、凍餒(とうたい)の苦しみあらば、とがの者絶ゆべからず。人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはん事、不便(ふびん)のわざなり。

 さて、いかがして人を恵むべきとならば、上(かみ)の奢(おご)り費(つひや)す所をやめ、民を撫(な)で農を勧めば、下(しも)に利あらん事、疑ひあるべからず。衣食尋常(よのつね)なる上に僻事せん人をぞ、まことの盗人とはいふべき。

【現代語訳】
 情愛がないと見える者でも、よい一言は言うものだ。ある荒々しい田舎武士で恐ろしそうな者が、傍らにいる人に向かって、「お子さんはおられますか」と尋ねたところ、「一人も持っていません」と答えたので、「それでは、あなたにはものの情愛はお分かりにならないでしょう。薄情な心でおありだと思えて、とても恐ろしい。人は子どもを持ってこそ、すべての情愛が自然に分かってくるものです」と言ったのは、まさにその通りだ。妻子を思う心情なくしては、このような荒々しい者にいつくしみの心があろうはずがない。親孝行する心のない者も、子を持ってはじめて親の心が分かるものだ。

 俗世間を捨てて出家した人で、あらゆる点で係累もなく無一物の者が、よく係累の多い人が方々へお追従を言い、欲深いのを見て、いちがいに軽蔑するのは間違いだ。その人の心になって考えると、いとしい親のため、妻子のためならば、ほんとうに恥も忘れ、盗みもしかねないのだ。だから、盗人を捕らえ、不正ばかりを罰するよりは、世の中の人が飢えないよう、また寒さで苦しまないように、天下を治めてほしいものだ。人間は、一定の生業がなければ一定の道義心もない。人間は困りきって盗みをするのだ。世の中がよく治まらないで、こごえや飢えの苦しみがあるならば、罪を犯す者はなくならない。人民を苦しめ、法を犯させておいて、それを処罰するのは可哀想な行いだ。

 それではいかに人民に恵みを与えたらよいかといえば、上に立つ者が贅沢や無駄遣いをやめて、人民をかわいがって農業を奨励するならば、下々の者に利益があるのは疑いない。衣食が人並みであるのに、その上悪事をはたらく人を、ほんとうの盗人と言うべきだ。

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西大寺静然上人〜第百五十二段

 西大寺(さいだいじの)静然上人(じやうねんしやうにん)腰かがまり、眉(まゆ)白く、誠に徳たけたる有様(ありさま)にて、内裏(だいり)へまゐられたりけるを、西園寺(さいをんじの)内大臣殿、「あなたふとの気色(けしき)や」とて、信仰の気色(きそく)ありければ、資朝(すけとも)(きやう)これを見て、「年のよりたるに候ふ」と申されけり。

 後日に、尨(むく)犬のあさましく老いさらぼひて、毛はげたるをひかせて、「この気色(けしき)尊くみえて候ふ」とて、内府(だいふ)へ参らせられたりけるとぞ。

【現代語訳】
 西大寺の静然上人が、年を取って、腰が曲がり、眉毛が白く、まことにありがたそうな徳の高いようすで、宮中へ参上なさったとき、西園寺内大臣殿が、「ああ、何と尊いご様子であろうか」と言って、信仰の念が顔に表れた、資朝卿がそれを見て、「年寄りなだけでございます」と申されたという。

 そして幾日か後、資朝卿はむく毛の犬で、驚くほど年老いてやせ衰え、毛の抜けているのを従者に引かせて、「この犬のようすも尊く見えてございます」と言って、内大臣殿に差し上げられたという。

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世に従はむ人は〜第百五十五段

 世に従はむ人は、まづ機嫌を知るべし。ついで悪しきことは、人の耳にもさかひ、心にも違(たが)ひて、そのこと成らず。さやうの折節を心得べきなり。ただし、病をうけ、子産み、死ぬることのみ、機嫌をはからず。ついで悪しとて止(や)むことなし。生(しやう)・往・異・滅の移り変はるまことの大事は、たけき川のみなぎり流るるがごとし。しばしも滞らず、直ちに行ひゆくものなり。されば、真俗につけて、必ず果たし遂げむと思はむことは、機嫌をいふべからず。とかくのもよひなく、足を踏みとどむまじきなり。

 春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来たるにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏よりすでに秋は通ひ、秋はすなはち寒くなり、十月(かみなづき)は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず。下より兆しつはるに耐へずして落つるなり。迎ふる気、下にまうけたるゆゑに、待ち取るついではなはだ速し。生・老・病・死の移り来たること、またこれに過ぎたり。四季はなほ定まれるついであり。死期(しご)はついでを待たず。死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり。人皆死あることを知りて、待つこと、しかも急ならざるに、おぼえずして来たる。沖の干潟はるかなれども、磯より潮の満つるがごとし。

【現代語訳】
 世間に順応しようと思う人は、まずは時期を知らなくてはいけない。順序が悪いと、人の耳にも逆らい、気持ちにも背いて、しようとしたことがうまくいかない。そういう時期をわきまえるべきだ。ただし、病気になったり、子供を産んだり、死ぬことだけは、時期を考えることができない。時期が悪いからとて止まるものではない。万物が生じ、とどまり、変化し、なくなっていくという四相の移り変わりの大事は、勢いのある川が満ちあふれて流れていくようなものだ。少しの間も止まることなく、まっすぐに進んでいくものだ。だから、仏道修行においても日常生活においても、必ず成し遂げようとすることは時期のよしあしを言ってはいけない。あれこれ準備などせず、足踏みしてとどまってはいけない。

 四季の移り変わりにおいても、春が終わって後、夏になり、夏が終わってから秋が来るのではない。春はやがて夏の気配を促し、夏にはすでに秋が入り交じり、秋はすぐに寒くなり、十月は小春日和で、草も青くなり梅もつぼみをつける。木の葉が落ちるのも、まず葉が落ちて芽ぐむのではない。下から芽が突き上げるのに耐え切れなくて落ちるのだ。次の変化を迎える気が下に準備しているために、交替する順序がとても速いのだ。生・老・病・死が次々にやってくるのも、この四季の移り変わり以上に速い。四季には決まった順序がある。しかし、人の死ぬ時期は順序を待たない。死は必ずしも前からやってくるとは限らず、あらかじめ背後に迫っている。人は皆、死があることを知りながら、それほど急であるとは思っていない、しかし、死は思いがけずにやってくる。ちょうど、沖の干潟ははるかに遠いのに、急に磯から潮が満ちてくるようなものだ。

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一道に携はる人〜第百六十七段

 一道(いちだう)に携(たづさ)はる人、あらぬ道のむしろにのぞみて、「あはれ、我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを」と言ひ、心にも思へる事、常のことなれど、よにわろく覚ゆるなり。知らぬ道のうらやましく覚えば、「あなうらやまし。などか習はざりけん」といひてありなん。我が智(ち)をとり出でて人に争ふは、角(つの)あるものの角をかたぶけ、牙(きば)あるものの牙をかみ出だすたぐひなり。

 人としては善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他に勝(まさ)ることのあるは、大きなる失なり。品(しな)の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉(ほまれ)にても、人にまされりと思へる人は、たとひ言葉に出でてこそ言はねども、内心にそこばくのとがあり。慎しみてこれを忘るべし。をこにも見え、人にも言ひ消(け)たれ、禍(わざはひ)をも招くは、ただこの慢心(まんしん)なり。

 一道にも誠に長じぬる人は、みづから明(あきら)かにその非を知る故に、志(こころざし)常に満たずして、終(つひ)に物に伐(ほこ)る事なし。

【現代語訳】
 一つの道に専従している人が、自分の専門とはちがう席に出て、「ああ、これが私の専門だったら、こんなふうに傍観してはいないのに」と言って、心の中ではがゆく思うことは世間によくあるが、とてもみっともなく感じられる。自分の知らない道をうらやましく思うのなら、「ああうらやましい。なぜ習わなかったのだろう」と言っておればよかろう。自分の知識をひけらかして人と争うのは、角のある動物が角を傾けて相手を突こうとし、牙のある動物が牙をむき出して相手に突っかかっていこうとするのと同じだ。

 人としては自分の善行を誇らず、どのような相手とも争わないのを徳とする。他人よりまさっていると意識することがあるのは、大きな欠点だ。身分や家柄の高さでも、学才や芸にすぐれていても、先祖の名誉でも、自分が人よりまさっていると思う人は、たとえ言葉に出して言わなくても、心の中には多くの欠点がある。自分で自分を戒めて、そういうことを忘れるのがよいのだ。ばかげて見え、人にもそしられ、禍をも招くのは、ひとえにこの慢心である。

 一つの道にほんとうに精通している人は、はっきりと自分の欠点を知っているから、これでよいと自己満足することなく、結局、何事も人に自慢などしないのだ。

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丹波に出雲と云ふ所あり〜第二百三十六段

 丹波に出雲と云ふ所あり。大社(おほやしろ)をうつして、めでたくつくれり。志田(しだ)のなにがしとかやしる所なれば、秋の頃、聖海上人(しやうかいしやうにん)その外(ほか)も、人あまた誘ひて、「いざ給へ、出雲をがみに。掻餅(かいもちひ)めさせん」とて、具しもていきたるに、おのおの拝みて、ゆゆしく信おこしたり。御前(おまへ)なる獅子(しし)・狛犬(こまいぬ)、背(そむ)きて、後(うしろ)さまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子のたちやう、いとめづらし。ふかき故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原(とのばら)、殊勝の事は御覧じとがめずや。無下(むげ)なり」といへば、おのおのあやしみて、「誠に他にことなりけり。都のつとにかたらん」などいふに、上人なほゆかしがりて、おとなしく物しりぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社(みやしろ)の獅子の立てられやう、定めて習ひあることに侍らん。ちと承らばや」といはれければ、「その事に候ふ。さがなきわらはべどもの仕(つかまつ)りける奇怪に候ふことなり」とて、さしよりて、据ゑなほして往(い)にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。

【現代語訳】
 丹波の国に出雲という所がある。そこの神社は、出雲大社の御神霊を勧請して分け移して立派に造営したものだ。志田の某(なにがし)とかいう人が治めている所で、秋のころ、志田が聖海上人やそのほかの人をたくさん誘って、「さあいらっしゃい、出雲神社参詣に。ぼた餅をご馳走しましょう」と言って連れて行き、皆が参拝して厚い信仰心を起こした。拝殿の前にある獅子と狛犬が、背中を向け合い後ろ向きに立っていたのを、上人がたいそう感心して、「ああ、すばらしい。この獅子の立ち方はとても珍しい。何か深いわけがあるのだろう」と涙ぐみ、「何と皆さん、このすばらしいものをご覧になって、不思議に思いませんか、まったく」と言うと、皆それぞれ不思議そうに、「ほんとうに他と違いますね。都への土産話にしよう」などと言う。上人はなおそのわけを知りたく思い、年配で物知りらしい神官を呼んで、「この御社の獅子の立てられ方は、きっと何かいわれがあるのでしょう。ちょっと承りたいものです」と言われたところ、「その事でございます。いたずらな子どもがいたしましたことで、けしからんことでございます」と言って、獅子と狛犬に近寄り、元通りに据え直して行ってしまったので、上人の感涙はむだになってしまったそうだ。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。


書名・内容について

 今日、一般に「徒然草」「つれづれ草」と表記するこの書名は、冒頭に「つれづれなるままに・・・」とあることから名づけられた。しかし、作者自身の命名であるか、後世に他人が名づけたものであるか定かでない。
 
 序段を含めて全244段から成り、作者の随想・見聞などが広範多岐にわたって記されている。
 
 「徒然草」は、清少納言の「枕草子」とともに、随筆文学の双璧と称せられることもあるが、鴨長明の「方丈記」をも含め、古典の三大随筆と称せられることもある。

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古典文学の理念

まこと
 日本の古典文学の根幹を流れる理念。『万葉集』『古事記』など上代の文学には、人間の心をありのままに写し出す素朴な美として表現されている。明・浄(清)・直をかねそなえたものが「まこと」とされ、この理念は時代の推移とともに、「もののあはれ」「幽玄」など多彩な美の概念を生み出していく。
 
ますらをぶり
 男性的でおおらかな歌風。賀茂真淵ら近世の国学にたずさわった歌人たちは、『万葉集』にこの風があるとして尊んだ。
 
たをやめぶり
 女性的な穏やかで優美な歌風。『万葉集』の「ますらをぶり」に対して、『古今和歌集』以降の勅撰和歌集で支配的となった歌風。
 
あはれ
 しみじみとした感動を表現する語として、「あはれなり」などと平安時代の作品にしばしば用いられている。悲哀・優美・調和などに対する感動を伝える語で、「もののあはれ」と呼ばれるこの時期の文芸理念を形作っていく。
 
をかし
 『枕草子』に多用されていて、明るく軽やかな感動をあらわす語。「あはれ」が主情的であるのに対して、「をかし」は客観的な色合いが強く、後に「滑稽(こっけい)」の意味で用いるようになる。
 
もののあはれ
 平安時代の代表的な文芸理念。本居宣長は、『源氏物語』の作中から、「もののあはれ」の用例12か所を抽出してこの物語の本質が「もののあはれ」にあることを論証するとともに、この精神こそが日本文学の本質であると説いた。その意味するところは、「あはれ」の感動が「もの」という他の存在を契機として高められた状態を指し、調和のとれた美感を尊ぶ文化にはぐくまれた感動・情趣が開花したものであるとする。
 
たけ高し
 壮大な美、格調高い美。
 
余情
 平安中期の和歌に始まり、のち連歌・謡曲などにも使われた理念の一つ。表現の外ににじみ出る、ある種の気分・情緒をいう。
 
幽玄
 中世の文芸の中核をなす理念で、奥深い余情や象徴的な情調を内容とする。本来この語は、中国の古典や仏教の経典に用いられ、奥深くしてきわめることのできないもの、本質的で不変なるものを意味する漢語だった。『古今和歌集』真名序などに用いられて日本固有の文芸理念として変質した。
 
有心
 「幽玄」の理念を受け継ぎつつさらにその余情の色合いを濃くしたもの。
 
無心
 中世以前は機知や言葉の洒落(しゃれ)を主とする通俗的なものであったが、室町期になると禅の影響などから絶対無の境地として評価されるようになった。
 
さび
 近世を代表する文芸理念の一つ。「さび」は「寂しさ」から来た語だが、寂しさにそのまま沈潜するのではなく、むしろそれを抑えたところに成立する美。た皇太子妃を指す場合もある。

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