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モーツァルトの《アヴェ・ヴェルム・コルプス》

 《アヴェ・ヴェルム・コルプス》は、ラテン語で「めでたし、まことの御体(おんからだ)」という意味の、カトリック教会のさまざまな儀式で歌われる賛美歌です。映画『のだめカンタービレ(ヨーロッパ編)』のなかに、大聖堂で少年合唱団が歌う歌声に、のだめがじっと耳を傾けるシーンがあったのを覚えている方もいらっしゃるでしょう。とても印象的なシーンでしたが、そのとき歌われていたのが、モーツァルト作曲による《アヴェ・ヴェルム・コルプス》でありますね。

 あの澄み切った美しく静謐な響きを聴くと、誰もが心が洗われるような敬虔な気持ちになるのではないでしょうか。モーツァルトが亡くなった年(1791年)に作曲され、わずか46小節で時間も約3分の小品ながら、有名な《レクイエム》と並び最後の宗教曲となった傑作とされます。混声四部合唱にヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバス、そして通奏低音のオルガンを加えた簡素な編成で、曲調もゆっくりとしたシンプルな構造ですが、モーツァルトはこの短い中に何と4回も転調を加えているんですね。

 しかも、それが決して唐突でなく、自然にというか、気づかないうちに行われている。NHKの『ららら♪クラシック』の解説によると、「たとえば、短調から長調に変化する部分では、どちらの調にも存在する和音を間に挟み、自然な流れで転調が行われています。グラデーションのようにいつの間にか調が変わっているのです」。そうした「“ひそやかな技”が最大の効果を生み、この曲の厳かな雰囲気を生み出しているのです」って。あの短い曲に、得もいわれぬ深遠さを感じるのはそういうことかと感心しきりです。モーツァルトって、どこまで天才なんでしょうか。

 この曲の作曲経緯は、ウィーン郊外の温泉保養地バーデンで療養生活を送っていた妻・コンスタンツェを何かと気遣ってくれた友人で合唱指揮者のアントン・シュトルに贈るために作ったとされます。病弱な妻に寄せてくれた厚意に、モーツァルトは本当に嬉しくて安心したのでしょうね。キリストへの感謝の気持ちを友人にあてはめて贈った《アヴェ・ヴェルム・コルプス》。苦悩を終えて天に帰ってきたような安らぎに満ち満ちているのであります。

モーツァルトの《オーボエ協奏曲》

 古今東西のオーボエ協奏曲の中でもとりわけ有名なのがモーツァルトの《オーボエ協奏曲》ですね。オーボエ奏者がプロのオーケストラの入団試験を受ける際には必ずといっていいほど演奏される曲だそうです。

 ただし、この《オーボエ協奏曲》と《フルート協奏曲第2番》のケッヘル番号は、どちらも「314」で同じなんですね。すでに1777年に作曲されて評判を呼んでいた《オーボエ協奏曲》を1音上に移調したのが《フルート協奏曲第2番》だといわれています。独奏部分に細かな違いはあるものの、基本は同じ曲。

 何だかお手軽な感じがしないでもないですが、モーツァルトはフルートが大嫌いだったといわれます。父にあてた手紙の中で「我慢ならない楽器のために作曲していると頭が朦朧となるのです」と述べていて、けっきょく、注文を受けたフルート曲を旧作の代用で間に合わせたということでしょうか。よっぽどフルートが嫌いだったんですかね。

 ところで、この《オーボエ協奏曲》で思い出すのが、『のだめカンタービレ』の中でオーボエ奏者の黒木君がソリストとして演奏していた場面であり、また、密かに想いを寄せる”のだめ”に対してオーボエのことを語った場面です。


「オーボエはリードが良くないといい音が出ないけど、天候なんかでも左右されるから、湿度によって変形しちゃうんだ、凄く手がかかるし、いつも冷や冷やだよ。完璧なリードなんてない、なんてよく言われるけど、そういう意味では不完全な楽器なんだ」

「不完全・・・」

「あ、でも、それを含めて好きなんだよ。リード作るの大好きだし、手のかかる子ほどかわいいというか。音も好きだし、地味な楽器だって思われがちだけど・・・」

「えっ、思われがちなんですか?」

「いや・・・」

「のだめ、オーボエの音、大好きですよ」


 私もオーボエの繊細で艶やかな音色は大好きです。かつては弦楽器のみだったオーケストラに初めて入った管楽器がオーボエだといわれます。その発音体であるリードは楽器の先端に差し、これを吹いて音を出すのですが、リードの善し悪しで音の出方が全く変わってしまうそうですね。奏者はリードを削ったり、切ったり、ひもを巻いたり・・・と色々工夫していて、演奏している時間よりむしろリードを削っている時間の方が長いなどと言われるとか。でも、そんな楽器って、きっと愛しさ倍増なんだと思います。


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