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韓非子を読む

 韓非子を読む

韓非子について

 紀元前3世紀に書かれた『韓非子』の著者・韓非は、悲劇の人でした。生まれながらの重度の吃音で、口で喋るのはたいへん苦手でしたが、「それなら文章で雄弁に語ろう」と思い立ち、努力して名文家になりました。彼は「人間の本性は悪である」との視点に立ち、帝王たる者が天下を統一するための秘訣を書物に著しました。

 その書物は、韓非の祖国・韓ではほとんど評価されませんでした。皮肉にも、彼の才能を評価したのは、韓の敵国だった秦の王、(のちの始皇帝)でした。若き秦王政は韓非の著作を読んで、「ああ、余はもしこの人と一緒に語り合うことができたら、死んでもいい」と嘆息し、策を講じて韓非を自国に呼び寄せました。

 ところが、秦の大臣が韓非の才能に嫉妬し、彼が自分より重用されることを恐れました。そこで大臣は讒言して韓非を入獄させたあと、ひそかに韓非に毒薬を送り、自殺を強要したのです。のちに秦王政が後悔し、韓非を許そうとしましたが、彼はすでに死んでいました。

 秦王政は『韓非子』を熟読し、やがて中国最初の皇帝・始皇帝となりました。それから後も、『韓非子』は帝王学のバイブルとして読み継がれ、かの諸葛孔明も、『韓非子』を筆写して劉備の子・劉禅に献上したほどです。現代でも、「一流は韓非子を読む」といわれるほどに、企業のトップまたは企業の管理職の必読書として高く評価されています。

 ここでは、『韓非子』の中から、これはと思うお話の現代語訳(要約)をご紹介します。

【目次】
言うを憚る君主の道法について二つの柄君主に説くことの難しさ君主の守りごと忠臣のことば危険な妻?小さいうちに蚤か虱に見える和氏の璧大器は晩成、大音は希声愚かなる人海大魚飾り気のない言葉曾子の教育方針

亡国の理由成功と名声君主のお辞儀世の中の学者権勢と地位こそが礼の段階愛の始まり詐欺師の学説襄公の仁義自ら退くすぐれた官吏とは人民を戦わせるには乱を起こすもの子の養育と親の世話株(くいぜ)を守る偃王の仁義

韓非の言葉《まとめ》

言うを憚る

 私は、王様に申し上げるのを決して渋っているわけではありません。申し上げるのが憚(はばか)られる理由は、こういうことです。

 王様の好みに合わせて、流暢に、のびのびと広がるような感じでお話しすると、王様からは、上辺ばかり華やかで実がないと思われるでしょう。まじめ一方で慎み深く、落ち度なくお話しすると、拙(まず)くて筋が通っていないと思われるでしょう。あるいは例えをあげたりして雄弁にしゃべりたてると、内容がなく無益だと思われるでしょう。

 簡略で飾り気がないと、弁が立たないと思われるでしょう。激しく迫った調子でお話しすると、僭越で無遠慮なやつだと思われるでしょう。大きく高遠なお話をすると、大げさなだけで無益だと思われるでしょう。卑近なお話をすると下品だと思われるでしょう。世俗に合わせ人に逆らわないお話をすると、自分大事で上にへつらっていると思われるでしょう。そこで俗な話ではなく、変わった話題で目を引こうとすると、いい加減だと思われるでしょう。

 機敏に言葉を飾り立ててお話しすると、ただの文章家だと思われるでしょう。かといって文章学問を棄て去り、生地のままお話しすると、下賎だと思われるでしょう。『詩経』や『書経』を取り上げ、歴史を規準にしたりすると、ただの受け売りだと思われるでしょう。以上が、私が王様に事を申し上げるのを憚り、深く心を痛めている理由なのです。

 ですから、いくら規準にかない正しいことを申し上げたとしても、必ず受け容れられるとは限りません。筋道が通り完璧だとしても、必ず用いられるとは限りません。王様がもし今申し上げたような理由で信用してくださらないとなると、軽くても悪口か非難だとみなされ、重ければ死罪にもされましょう。

 たとえば、楚(そ)の伍子胥(ごししょ)は、智謀にすぐれながら呉(ご)王に殺され、孔子は弁舌が巧みだったのに匡(きょう)の人々は彼を包囲し、斉(せい)の管仲は真の賢者だったのに魯の国は彼を捕えました。この三人はまぎれもない賢人でした。つまりは呉と匡と魯の三人の君主が暗愚だったのです。上古の時代には、殷(いん)の湯(とう)王というすぐれた聖人と伊尹(いいん)という知者がいました。そもそも知者が聖人に向かって説くのですから、本来はただちに受け容れられてよいはずなのに、実際は七十回説いても受け容れられず、伊尹はあえて湯王の料理人となり、身近に馴れ親しむようになって、ようやく湯王は彼を認めて登用したのです。

 そこで、「すぐれた知者がすぐれた聖人に説いた場合ですら、すぐに受け容れられるとは限らない。伊尹が湯王に説いたのがその例だ。また、知者が暗愚の王に説いたのでは、決して聞き入れられない。周の文王が殷の紂(ちゅう)王に説いたのがその例だ」と言われます。

 聖者や賢人が、殺されたり辱めを受けたりするのが避けられないのは何故でしょうか。つまりは、愚かな者を説得するのが極めて難しいからです。それに、高度な言葉は耳に逆らい、心に背くものですから、よほどの人でないとなかなか聞き入れてもらうことができません。王様、どうかそこのところをご理解ください。

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君主の道

 道とは万物の起こる始めであり、是非の定まる規準である。明君であれば、その始めを守ることによって万物の始原を知り、その規準を治めることによって成功と失敗の兆しを知る。そこで虚心の静けさに身をおき、じっと待つ。虚心だから周囲の本当の情況が分かり、静かだから周囲の動きの中心となることができる。

 そうなれば、意見のある者は自ら進んで言論を述べ、仕事をしようとする者は自ら進んで実績を示すようになる。君主としては、その実績と言論をつき合わせて符合するかどうかを調べるだけで格別なことをする必要はなく、その実情に任せていける。

 であるから、「君主は自分の望みを外に表してはいけない。君主が自分の望みを知らせると、臣下はきっとそれに合わせて自分を装うだろう。君主は自分の意向を外に表してはいけない。君主が自分の意向を知らせると、臣下はきっとそれに合わせて表面だけを見せるようになるだろう」と言われる。また、「君主が好き嫌いを外に表さないでいると、臣下はありのままにふるまい、君主が知恵の働きを外に表さないでいると、臣下は慎重にふるまうようになる」とも言われる。

 そこで、明君は、知恵があっても思慮をめぐらさず、現状をわきまえて落ち着いている。すぐれた才能があっても自ら動かず、臣下に働かせてその拠り所を観察する。勇気があっても自ら奮い立とうとはせず、臣下にその武勇を尽くさせる。それ故、明君は知恵を出さないことでかえって明知を得、すぐれた才能を隠すことでかえって功績があがり、勇気を捨てることでかえって強さが得られる。

 明君とは、ひっそりと静まりかえり、がらんとした空壺(からつぼ)のようであり、その居場所も分からないほどだという。明君が上にいて何もしないでいると、臣下たちは君主の心をはかりかねて懼(おそ)れおののく。明君のやり方は、知恵者たちに知恵を出し尽くさせ、それをふまえて仕事を任せていくから、君主としての才能に行き詰まることがない。そして、功績があがれば君主が優秀だからだとし、失敗すれば臣下の責任だとするから、君主としての名誉に行き詰まることがない。

 このようなわけで、君主は賢者でなくても賢者たちの先生となり、知者でなくても知者たちの中心となれる。臣下は苦労を引き受け、君主は成果を自分の物とする。これがすぐれた君主の常法である。

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法について

(一)
 法は、高い身分の人にもへつらうことはない。法が適用されれば、どれほどの知恵者でも言い訳をすることができず、どれほどの勇者でも立ち向かうことはできない。過ちを罰するときは相手が重臣であっても例外でなく、善行を称するのは庶民であっても同じだ。

 上に立つ者の過失を正し、下々の邪悪を責め、もつれやからまりを解き、出すぎたものを退けて間違いを整え、人民の守るべき道を統一するためには、法に勝るものはない。官吏を励まし人民を威圧し、不届き者を廃して詐偽をやめさせるには、刑罰に勝るものはない。刑罰が厳格であれば、高い身分の者も低い身分の者を侮ることがなくなり、法が明確であれば上の者の尊厳が貶められることはない。しかし、君主が法をないがしろにして私情に任せるようになれば、上下の区別はなくなってしまう。

(ニ)
 殷(いん)の法律では、街路に灰を捨てた者を処刑した。子貢(しこう)はこれを厳しすぎると考え、仲尼(ちゅうじ)に問うた。仲尼は答えた。「これは人の治め方をよく心得た法だ。そもそも街路に灰を捨てれば必ず人にふりかかる。灰をかけられた人は怒り、人が怒ると争いになり、争いになれば必ず父母・兄弟・妻子を巻き込んでの殺傷沙汰になる。つまりは家門一統を損ないかねない仕業となる。だから、灰を捨てるのを処刑するのはもっともだ。それに、重い罰は誰もが嫌がるが、灰を捨てないようにするのは誰にも簡単にできる。誰にも簡単にできることを行わせて、それで嫌な目にあわないようにさせるのは、これこそ人をうまく治める方法だ」

(三)
 公孫鞅(こうそんおう)の法では、軽い罪をわざと重くしている。重い罪は誰もが簡単には犯さないものであり、小さい過ちは誰もが犯しやすい。人々に、その犯しやすいものを無くさせて、犯しにくい重罪に至らないようにさせるのが、人をうまく治めるやり方である。公孫鞅は言っている。「刑罰を行うには、その軽い罪を重く罰すると、軽いものも起こらず、重いものも出てこない。これこそが、『刑によって刑を去る』ということだ」

(四)
 そもそも、世の愚かな学者たちこそが、治乱の実情も分からずに、口やかましく論じて大昔の書物ばかり熱心に読み、今日の政治を乱している元凶だ。思慮が足らないのに、法の実務をわきまえた士人をやみくもに非難する。彼らの意見を聞き入れた者は危険にさらされ、彼らの考えを採用した者は混乱するばかりだ。これこそ最大の愚行であり、最悪の災害である。彼らは、弁舌だけは法の実務をわきまえた士人たちと対等にわたりあえるが、実際は大違いだ。

 これが聖人であれば、是非の実際に詳しく治乱の実情をよく見通している。聖人は、明確な法を定めて厳しい刑罰を設け、それによって万民の混乱を防ぎ天下の災いを除こうとする。その結果、強い者が弱い者いじめをせず、大勢が小勢に乱暴せず、老人は安楽に長生きし、幼い孤児も無事に成長し、辺境は侵害されず、君と臣が親しみあい、親と子が支えあって、争いごとで命を失ったり捕われたりする心配もなくなる。これこそ、最高の功績というものだ。ところが、愚かな人にはそれが分からず、反対に暴政だといって非難する。

 厳刑重罰は民衆の誰もが嫌うが、しかし国家はそれによってよく治まる。万民をあわれんで刑罰を緩やかにするというのは、民衆が大いに歓迎するところであるが、国家はそれによって危険に陥る。だから聖人が法を行う場合は、必ず世俗の動向に逆らって根本の道理に従う。それが正義というものであり、それが分かる人は賛同して世俗に反対するが、分からない人は正義に背いて世俗に同調する。世の中にそれが分かる人は少ない。だから正義がないがしろにされる。

(五)
 政治をよく知らない者は、みなこう言う。「刑罰を重くすれば民を傷つけるだけだ。刑罰が軽くても悪事は防げるのに、どうして重くする必要があるのか」。これは政治をよく考えていない言葉だ。そもそも、刑が重ければ悪事をやめる者は、刑が軽いからといって必ずしも悪事をやめないものだが、刑が軽くても悪事をやめる者は、重いときは必ずやめる。

 したがって、お上が重い刑を設けると、それにつれて悪事はことごとく無くなる。悪事がことごとく無くなれば、けっきょく民を傷つけないということになる。重い刑とは、悪人が得た利益より科される罰のほうが大きいものをいう。民衆は小さな利益のために大きな罪をかぶるようなことはしないから、悪事は必ず止まる。軽い刑とは、悪人が得た利益より科される罰のほうが小さいものをいう。民衆はその利益を慕って罪を侮るから、そこで悪事は止まらなくなる。

 昔の聖人の言葉にも、「山につまずかずして、蟻(あり)づかにつまずく」というのがある。大きな山には用心するが、小さな蟻づかは侮るからつまずくという意味だ。今、もし刑罰を軽くすれば、それは民衆にたいして蟻づかを作ることになる。罪を犯してもそれを罰しないとなれば、結局は国じゅうの人々を見捨てることになる。

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二つの柄

(一)
 賢明な君主が臣下を御するための拠り所は、二つの柄(え)にほかならない。二つの柄とは、刑と徳とである。厳格な刑と、誉めて賞をあたえることである。君主自身がその権限を行使すれば、臣下たちは刑罰の威力を恐れて褒賞を得ようと向かう。ところが、邪悪な臣下は、自分の嫌いな者がいると、君主の刑罰権をうまくかすめ取ってその者を罰し、自分の気に入った者がいると、君主の褒賞の権利をうまく手に入れてその者を賞する。

 また、君主がその権利を一人で行使できず、その臣下と相談しながら賞罰を行っていれば、国じゅうの人々はみなその臣下を恐れて君主をないがしろにし、人心もその臣下に集まり、君主から離れてしまうだろう。君主がこれらの権限を失うと、たいへんな弊害が起こる。

 斉(せい)の田常(でんじょう)は、君主の簡公(かんこう)に爵位や俸禄をねだって手に入れ、それを多くの家臣に分け与え、民衆には大きな桝目(ますめ)で貸し出したのを小さな桝目で返させ、私的に恩恵を施した。これは簡公が徳を施す権限を田常に移譲したことにほかならず、そのために簡公はついには田常に殺されたのである。

 また、宋(そう)の子罕(しかん)は、宋の君主にこう話を持ちかけた。「いったい褒賞や賜与というものは、民の喜ぶものですから、王様ご自身がそれを与えてやってください。しかし、刑罰は民の嫌がるものですから、どうかそれは私にお任せください」。こうして刑罰権は宋の君主から子罕に移譲され、そのために宋の君主はついには子罕に脅迫されたのである。

 田常はただ徳の柄を手に入れて行使しただけで、簡公は殺される結果となり、子罕はただ刑の柄を手に入れて行使しただけなのに、宋の君主は脅迫される結果となった。今の時代の人臣は、これら二つの柄を手中にして自由に行使しているのだから、世の君主の危険は、簡公や宋の君主のときよりさらにひどくなっている。このようなありさまで、身を危うくし国を滅ぼす結果にならなかった君主は、これまであったためしがない。

(ニ)
 君主が臣下の悪事を止めたいと思うならば、臣下の実績と言葉を突き合わせてよく調べなければならない。君主は、臣下の意見にしたがってそれに見合う仕事を与え、もっぱらそれに応じた実績を求める。そして、実績がそれに見合い、先に述べたとおりの内容であれば賞を与えるが、そうでなければ罰する。

 ここで注意しなければならないのは、大きなことを言いながら実際の業績が小さかった者を罰するのは、業績があがらないことを罰するのではない。実際の業績が言葉と一致しなかったことを罰するのだ。また、言うことが小さいのに実際の業績が大きかった者も罰するが、これは大きな業績が好ましくないというわけではない。言葉と実際の業績が一致しないという害のほうが、大きな業績よりも重大だと考えるからだ。

 昔、韓の昭候が酒に酔ってうたた寝をしたことがあった。冠(かんむり)係の役人は、主君が寒かろうと思って、衣を主君の体の上に着せかけた。昭候は目覚めると、それを嬉しく思って、傍の近臣にたずねた。「誰がこの衣を着せかけてくれたのか?」。近臣は、「冠係の役人でございます」と答えた。

 すると、昭候は、衣服係の役人と冠係の役人とを共に処罰した。衣服係の役人を罰したのは、その仕事を怠ったからだが、冠係の役人を罰したのは、その職務を超えて余計なことをしたと考えたからだ。寒さは厭うものの、他人の職分にまで手を出すという害のほうが、寒いことより重大だと考えたのだ。

 賢明な君主であれば、臣下の言葉と仕事が一致しないのを許さず、職分を超えて業績をあげることも許さない。それぞれに職分を守らせ、言葉どおりの仕事を行わせるならば、臣下たちは私的に徒党を組んで助け合うこともしない。

(三)
 君主が臣下を任用する際、二つの心配事がある。一つは、賢者を選んでそれに任せると、臣下はその賢者を利用して君主を脅かそうとする。二つ目は、それならというので能力に関係なく登用すれば、仕事が渋滞してどうしようもなくなる。

 君主が賢人を好むと、臣下たちは自分の行為を立派に取り繕い主君の望みに合わせようとし、そうなると臣下たちの実情がはっきりしなくなる。たとえば、越(えつ)王が武勇を好んだために、死をものともしない民が増え、楚(そ)の霊王が腰の細い美人を好んだために、都では痩せようとして腹をすかせた女が増えた。斉(せい)の桓公(かんこう)は後宮に通い詰めの色好みだったから、臣下のある男は自分で去勢して後宮に入り込み、その取締りとなった。桓公はまた珍味を好んだので、臣下のある男は自分の子供の頭を蒸してそれを献上した。

 このように、君主が自分の好きなことを外に見せると、臣下たちはそれにあわせてありもしない才能があるように見せかける。君主がその欲望を外に表すと、彼らはその手がかりを得たことになる。そして、それによって君主の権力を侵害したり、君主の位を奪ったりしたのである。斉の桓公などは殺されて、蛆虫(うじむし)がわくまで死体を放置された。君主が自分の実情をさらけ出す害は極めて大きいのだ。

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『韓非子』の哲学

『韓非子』は、徹底した人間不信の哲学のうえに立って、リーダー論を展開しています。多くの諸子百家の説くところは、程度の差はあるものの、リーダー論を主な柱にしていますが、それを人間不信の哲学のうえに立って構築しているところに、『韓非子』の特徴があります。

そして『韓非子』は、人間は利益によって動く動物であると喝破し、しかも、立場によって求める利益も さまざまであるので、頭から相手を信頼するのは、このうえなく危険である、と。

こうした考え方を土台に、『韓非子』は「法」「術」「勢」を中核とする統治理論を展開していきます。「法」は文字通り法律のこと、「術」はその運用方法、「勢」は権限を意味しています。

『韓非子』由来の言葉

蟻(あり)の穴から堤(つつみ)も崩れる
ほんのわずかな不注意や油断から大事が起こることのたとえ。

唯々諾々(いいだくだく)
事の是非にかかわらず、ただ、はいはいと言って人の意見意従うこと。

韋弦(いげん)の佩(はい)
自分の性質の欠点を直すために努力すること。戦国時代の西門豹(せいもんひょう)は、短気な性格を改めようと柔軟ななめし革を身につけ、春秋時代の董安于(とうあんう)は、のんびりした性格を引き締めるために張りつめた弓づるを身につけていたという。

市(いち)に虎(とら)あり
事実でないことも、それを言う人が多いと信用するようになるたとえ。虎は山の中にいるが、大勢の人が町に虎がいると言えば、本当と思うようになる。

一嚬一笑(いっぴんいっしょう)
顔にあらわれるわずかな表情。ちょっと顔をしかめたり、ちょっと笑ったりすること。

遠水(えんすい)近火(きんか)を救わず
遠いものは急場の役に立たないたとえ。遠くにいくら多くの水があっても、近隣の火事を消すには間に合わない。

株(くいぜ)を守る
古い習慣にとらわれて進歩のないこと。兎が木の切り株にぶつかって死んだのを見た男が、働かずにずっと株を見張って兎を得ようとした故事による。

逆鱗(げきりん)に触れる
目上の人の怒りを買ってしまうこと。竜は元来おとなしいが、喉の奥に逆さについた鱗(うろこ)があり、これに触れると人を殺すといわれる。

毛を吹いて疵(きず)を求む
毛を左右に吹き分けて疵を捜すように、好んで人の欠点をあばいて追求するすること。

巧詐(こうさ)は拙誠(せっせい)に如かず
巧みにいつわりごまかすのは、つたなくても誠意があるのに及ばない。

口中(こうちゅう)の虱(しらみ)
口の中の虱はたやすくかみつぶされるところから、きわめて危険であることのたとえ。

玉(たま)の盃(さかずき)底(そこ)無きが如し
外見はきわめてよいが、肝心なところが欠けていて使いものにならないもののたとえ。

長夜(ちょうや)の飲
夜が明けても戸を閉めたまま、夜の延長として灯火をつけて酒宴を続けること。

櫝(とく)を買いて珠(たま)を返す
外面の飾りだけに心がひかれること。「櫝」は、木の箱。珠玉を売る人が、あまりにも立派な箱に入れて売ったために、買い手は、中の珠の値打ちを知らず、箱だけを買って珠を返したという故事。

虎に翼(つばさ)
強い虎に翼をつけるように、勢力のある者にさらに勢いを添えるたとえ。

氷炭(ひょうたん)相(あい)容(い)れず
氷と炭とは性質が違うので、一つ所に置けないように、互いに反対で調和しないたとえ。

水は方円(ほうえん)の器(うつわ)に従う
水は四角な器に入れれば四角に、円い器に入れれば円くなる。そのように、人は交友や環境によって善くも悪くもなるたとえ。

道に遺(お)ちたるを拾わず
世の中が太平で国民の暮らしが豊かな形容。道を行く人が、落ちている物を拾って自分のものとしない意。

矛盾(むじゅん)
盾と矛を売る人があり、「私の盾は非常に堅くて、どんな矛も突き破ることはできない」と言う一方で、「私の矛は鋭くて、どんな盾でも突き通すことができる」と自慢した。そこである人が、「お前の矛でお前の盾を突いたらどうなるのか)」と尋ねると、その商人は答えに詰まってしまったという故事。

山に躓(つまず)かずして垤(てつ)に躓く
重要なことに対しては慎重に対処するが、小さなことに対しては軽視するために、思わぬ失敗をするというたとえ。「垤」は、蟻塚(ありづか)または小高い丘。

老馬(ろうば)の智(ち)
経験の豊かな者は、物事の方針を誤らないたとえ。斉の宰相の管仲(かんちゅう)が桓公(かんこう)に従って雪の中で道に迷い、老馬を放って、そのあとについて道が分かったという故事。

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