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孫子に学ぼう

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孫子について

 中国の兵書の一つ『孫子』は、『呉子』『司馬法』など六つの兵書とともに『七書』とよばれますが、何といっても『孫子』が、内容や文章において格段にすぐれているとされます。春秋時代の呉王に仕えた孫武の著と伝えられてきましたが、実際は三国の魏の曹操の編によるのではないかとの説もあるようです。

 『孫子』は、実戦経験にもとづく貴重な戦術が記されたものですが、その価値が高いとされるのは、兵法や戦争のためにかぎらず、広く人生のあり方に通ずる深い思想が散りばめられているところにあります。『孫子』の内容は、次の十三篇に分かれており、ここではその現代語訳をご紹介します。ただし、必ずしも原文に忠実でない箇所もありますのでご了承ください。

【孫子の兵法】~13篇

計篇 戦いを始める前に熟慮すべきこと
作戦篇 軍費のこと
謀攻篇 謀りごとによる戦いのこと
形篇 軍の形(態勢)のこと
勢篇 軍の勢いのこと
虚実篇 実によって虚を伐つこと
軍争篇 敵の機先を制して戦うこと
九変篇 臨機応変にとるべき9つの戦法のこと
行軍篇 行軍の際に注意すべきこと
地形篇 戦地の形状のこと
九地篇 9通りの地勢と戦法のこと
火攻篇 火を使って戦うこと
用間篇 スパイのこと
  孫子のエッセンス

計篇

 戦争とは国家の大事であり、国民の死活、国家の存亡の分かれ道であるから、よくよく熟慮することが肝要である。その為には次の5つの事柄ではかり考え、7つの目算で実情を探らねばならない。5つの事柄とは、一に道、二に天、三に地、四に将、五に法である。

  1. 道とは、人民と君主の心を一つにさせることであり、かくあれば生死を共にし、危機を恐れなくなる
  2. 天とは、昼夜の陰陽や寒暑、天候の加減や四季の移り変わり、すなわち「時勢」をいう
  3. 地とは、距離、険しさ、広さ狭さや高低などの地形、「地の利」をいう
  4. 将とは、智謀、信義、仁慈、勇気、威厳などの将の能力をいう
  5. 法とは、軍の編成、官吏の職責、軍の指揮権、物資などの組織管理に関することをいう

 これら5つの事は、将ともなれば誰もが知っているが、これをよく心得ている者が勝ち、よく理解していない者は負ける。そして、よく心得ている者は、次の7つの目算で比べ合わせて実情を求める。

  1. 敵と味方の君主は、いずれが人心を得ているか
  2. 敵と味方の将帥は、いずれが有能か
  3. 天地の条件はどちらが有利にあるか
  4. 法令はどちらが厳守されているか
  5. 軍隊はどちらが精強か
  6. 兵卒はどちらがよく訓練されているか
  7. 賞罰はどちらが公正に行われているか

 私は以上のような事柄を比較検討することで、戦わずして勝敗の行方を知ることができる。将軍がもし私の説く5事7計の謀を用いるなら、必ず勝つであろうからここに留める。将軍が私の謀に従わないなら必ず負けるであろうから、私は辞めさせる。この謀の有益さがわかって従われたならば、出陣前の内謀が整い、勢いを助けとして出陣後の外謀とすることができる。勢とは、有利な状況に基づいて臨機応変の処置をとり、戦いの主導権を握ることをいう。
 
 戦争とは詭道(きどう=相手をだます、裏をかくこと)である。それ故、有能を隠して無能を装ったり、必要なのに不用に見せたり、近づくと見せかけて遠ざかり、遠ざかると見せかけて近づく。
 
 敵が利を求めているときはそれで誘い出し、混乱していれば崩し、敵が充実していればしっかりと守りを固め、強力な相手とは争いを避け、怒り狂っているときはわざと挑発して疲れさせ、卑屈な態度をとっていれば驕り高ぶらせ、安楽であるときは翻弄して疲れさせ、相手が親しみあっていればそれを分裂させる。また、敵が自軍の進出を予想していない地域に出撃する。そのようにして隙を見つけて攻撃し、相手の意表をつく。
 
 戦いをこのように行う兵は勝つが、これらはあらかじめ伝えにくいものであり実戦となると別である。その状況は常に変化するので、臨機応変に対処する必要がある。事前の目算での勝ちは勝ち目が多いことをいい、逆に目算による敗けは、勝ち目が少ないことをいう。勝算が多ければ実戦でも勝ち、少なければ負ける。勝ち目が全くないとなれば問題外である。私は、このような見通しで、勝敗を見極めることにしている。

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作戦篇

 およそ軍隊を運用するときの原則は、戦車千台、輸送車千台、兵卒十万に及ぶ編成規模で、遠く千里まで兵糧を輸送する態勢を敷くことである。そのためには内外の経費、外交上の費用、皮革を接着したり塗り固めたりする膠や漆などの工作材料費、戦車や甲冑等の兵器の購入費などに一日に千金という莫大な金が必要となり、それらを揃えてようやく十万人の軍隊を動かすことができる。
 
 こうした外征軍がたとえ戦いに勝利したとしても、長期戦ともなれば軍は疲弊し士気も落ちる。そんな状態で城攻めをすれば兵士はさらに疲弊し、かといって野戦も攻城もせず徒に行軍や露営を繰り返していても、国家財政が困窮する。兵士の厭戦気分が高まったところに他国の諸侯が攻め込んで来れば、どんな知恵者によっても立ち向かうことはできない。
 
 そういうわけで、戦争に拙速(まずくとも素早い)というのはあるが、巧久(巧くやるが長い)という成功例はまだない。長期戦となった戦争が国家に利益をもたらしたためしはない。故に、拙い用兵術が害をなすことを知らない者は、上手い用兵術による利益を引き出すことができない。
 
 用兵術の巧い者は、民衆に二度も軍役を課したりせず、食糧の輸送を何度も追加することもしない。戦費は国内で調達するが、食糧は敵の領地で手に入れる。だから、食糧は十分となる。

 戦争によって国が疲弊するのは、補給物資を遠方へ輸送するからである。軍が遠方へ出れば、人民の負担は重くなり、生活も崩れていく。このような事態を避けるため、智将はできるだけ敵地で食糧の確保しようとする。輸送にかかるコストを考えれば、敵から奪った穀物や飼料は、自国から運んだ穀物や飼料の二十倍の値打ちがある。
 
 敵を殺すのは奮い立った気勢によるものだが、敵の物資を奪うのは利益のためである。故に、手柄に見合う褒美を約束して発奮させることが有効である。相手の戦車を十台以上も奪う戦果をあげた者がいたら真っ先に表彰し、そのうえで捕獲した戦車を自軍に取り込み、兵士を大事にして養えば、「敵に勝つほどにますます強くなる」状態となる。
 
 以上のようなわけで、戦争は勝利を第一とするが、長引くのはよくない。戦争の利害をわきまえた将軍は、人民の死活を握る者であり、国家の安危を決する主宰者である。

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謀攻篇

 戦争は、敵国を傷つけずにそのまま降伏させるのが上策であり、打ち破って屈服させるのを次善とする。敵の軍団、旅団、大隊、小隊についても同様に、そのまま降伏させるのが上策で、打ち破って屈服させるのを次善とする。すなわち、百戦百勝が必ずしも最善ではなく、戦わずに相手を降伏させることこそが最善である。
 
 そこで、上手い戦い方とは、敵の策謀を未然に破ることであり、その次は敵の同盟関係を断ち切ることであり、その次は戦って敵の軍を破ることである。もっとも下手なのが、城攻めに訴えることである。城攻めは、他に方法がないときにやむなく用いる手段である。
 
 城攻めをするには、盾や装甲車など攻城用の兵器を準備するのに数か月を要し、土塁を築くにも数か月を要する。勝利を焦った将軍が、準備が整わないうちに城攻めを強行すれば、兵の三分の一を失うほどの大きな害を被っても落とすことはできない。相手の本拠を攻めるには、それほどの犠牲が強いられる。
 
 そのため、戦いの上手い将軍とは、交戦することなく相手を制し、交戦することなく城を手に入れ、長期戦に持ち込むことなく敵国を破る者をいう。傷を負わずに争い、自軍を消耗させずに利益を引き出すことを、謀攻(ぼうこう)の法という、頭を使った賢い戦法である。
 
 そこで戦争の原則としては、自軍が相手に対して十倍の力なら包囲する。五倍の力なら攻撃する。倍の力なら分断する。互角の力なら戦う。相手より少なければ戦いを避ける。自軍の小ささを無視して、ただ強気に大きな相手に戦いを挑めば、餌食となるのみである。軍を用いるには、相手との兵力差を考慮しなければならない。
 
 そもそも、将軍は君主の補佐役である。将軍と君主の関係が密であれば国は必ず強くなるが、その関係に隙が生じれば国は弱くなる。そこで、君主は次の三つに注意して将軍とよく連携しなくてはならない。

  1. 進むべきときではないのに進撃を命じ、退くべきときではないのに退却を命じること。これでは君主が将軍の行動のお荷物になる。
  2. 軍隊の内部事情を知らないのに政治で干渉すること。これでは兵士をいたずらに混乱させてしまう。
  3. 軍隊の指揮系統を無視して直接命令を下すこと。これでは将軍や内部に不信感を植え付けてしまう。

 軍隊が迷い、不信感に陥れば、それに乗じてすかさず敵が攻め寄せてくる。このような君主の行動は、つまるところ軍を乱して勝ちを放棄することになる。だから、勝つためには次の五つの要点がある。

  1. 戦ってよい時と、戦ってはいけない時を知る者は勝つ
  2. 有利不利、情況に応じた行動がとれれば勝つ
  3. 上下の人々が心を合わせていれば勝つ
  4. 態勢を固め、油断している敵に当たれば勝つ
  5. 将軍が有能で、主君が余計な干渉をしなければ勝つ

 これら5つが、勝利を収めるための方法である。すなわち、敵を知り己を知らば、百戦して危うからず。敵を知らず己を知れば、勝敗は五分五分。敵を知らず己も知らざれば、戦うたびに必ず敗れる。

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形篇

 昔の戦いに巧みな人は、まず「絶対に負けない態勢」を固めた上で、敵が弱点をあらわし、「攻撃すれば必ず勝てる態勢」になるのを待った。「絶対に負けない態勢」とは自軍のことであるが、「攻撃すれば必ず勝てる態勢」とは敵方にある。だから、どれほど戦いが巧みであっても、「絶対に負けない態勢」を固めることはできるが、「絶対に勝てる態勢」を作ることはできない。そのため、勝利は予測できても、勝つ時期を決めることはできない。
 
 「絶対に負けない」というのは守りに関わることだ。一方「必ず勝てる」というのは攻撃に関わることだ。守りの態勢をとれば戦力に余裕ができ、攻撃の態勢をとれば戦力が不足する。うまく守る者は地底深く隠れるように進み、うまく攻撃する者は上空高くはばたくように進む。だから自軍を傷つけることなく、完全な勝利を収めることができる。
 
 勝因が衆人の考えうるようなレベルであったなら、それは最高の勝ち方ではない。また、衆人が称賛するような勝ち方も最高の勝ち方とはいえない。細い毛を持ち上げたからといって力持ちとは言わないし、太陽や月が見えたからといって目がいいとは言わないし、雷が聞こえたからといって耳がいいとは言わない。
 
 昔のいわゆる戦上手というのは、勝ちやすい状況で勝つべくして勝ったのである。だから、勝っても智謀が評価されることもなく、武勇が評価されることもない。勝つべくして勝ったのであり、すでに敗れる定めにあった敵に勝ったということだ。戦上手は、勝つための条件を整えた上で、敵の隙を逃さない。勝利する軍隊はあらかじめ勝つ条件を整えてから戦いを始めるが、負ける軍隊は戦いを始めてから勝とうとする。
 
 戦上手は、道理をわきまえ規律を守る。だから、勝敗を思いのまま操れるように軍を統制する。
 
 兵法は、第一に「度」、第二に「量」、第三に「数」、第四に「称」、第五に「勝」である。「度」は戦場の状況や地形を考えること、「量」は投入する物資の量を考えること、「数」は動員する兵数を考えること、「称」は敵と味方の数や能力を比較すること、「勝」は勝敗を予測することである。
 
 「地」がわかれば「度」を生じ、「度」がわかれば「量」を生じ、「量」がわかれば「数」を生じ、「数」がわかれば「称」を生じ、「称」がわかれば「勝」を生じることができる。だから、勝利する軍隊には、重い重りで軽い重りを測るような余裕があるし、負ける軍隊には軽い重りで重い重りを測るような無理がある。勝者の戦いは、満々とたたえられた水の堰を切って千尋の谷底に落とすようなもので、この勢いこそが「形」である。

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勢篇

 大勢の兵士を率いているのに、まるで少数の兵士を率いているかのように行動させられるのは、軍組織の編成がしっかりしているからである。大勢の兵士を機敏に扱えるのは、旗印や鳴り物などによる指揮系統がしっかり整っているからである。全軍が相手の出方にうまく応じて負けない態勢をとれるのは、正攻法と奇策の変幻自在な使い分けを心得ているからである。兵を投入し、卵を石で砕くように敵を簡単に破れるのは、うまく虚実を使い分けられるからである。
 
 およそ戦争とは、まずは正攻法で敵と対峙し、状況の変化に応じた奇策で勝つことである。だから、奇策をうまく用いる者は、天地の動きのように定まるところがなく、長江や黄河のように終わりがない。太陽と月のように没しては現れ、四季のように去ってはまた訪れる。音階の基本は宮、商、角、徴、羽の五つであるが、その組み合わせは多様である。色の基本は青、赤、黄、白、黒の五つであるが、その組み合わせは多様で尽きない。味の基本は辛、酸、鹹、甘、苦の五つであるが、その組み合わせは多様で味わい尽くせない。
 
 戦争も正攻法と奇策の二つがあるが、その組み合わせの変化は、多様で窮め尽くせるものではない。正は奇を生み、奇は正に転じ、丸い輪を巡るように尽きない。誰もその道理を知り尽くすことはできない。
 
 水が激しく流れ岩を押し流していくのが「勢い」であり、鷲や鷹が獲物を一撃で打ち砕いてしまうのが「節目」である。そして、戦上手の者は、「勢い」を溜め、「節目」の瞬間を捉える。例えていえば、「勢い」は弓を引き絞るようなもので、「節目」は一瞬で放たれた矢のようなものである。
 
 もし両軍入り混じった乱戦となっても自軍を乱してはならないし、収拾のつかない混戦となっても相手に隙を与えてはならない。混乱は秩序から生じ、恐れは勇敢さの中から生じ、弱さは強さの中から生じる。秩序と混乱を左右するのは軍の編成であり、勇怯を左右するのは勢いであり、強弱を左右するのは軍の態勢である。
 
 それを心得た戦い方は、自軍の態勢を整え、相手を不利な方向へ導く。つまり、相手に有利となるような餌を与えて誘い出し、それを待機して迎え撃つ。
 
 従って、戦上手は、第一に「勢い」を考え、兵士個々人の働きに過度の期待をかけることはない。適材適所に兵を配置した後は、軍を勢いに乗らしめ、その様子は、坂道で木石を転がすようなものである。木や石は平らな土地では静止しているが、急な坂道に置けば自然と動き出す。角張っていれば転がらず、丸ければ転がっていく。そのように、丸い石を千尋の谷底へ転がすように兵士を戦わせている様を「勢」という。

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虚実篇

 先に戦場にいて敵を待ち受ける軍隊は、余裕をもって戦えるが、遅れて戦場に着き、休む間もなく戦いを強いられる軍隊は疲れる。故に、戦上手は、主導権を握り、敵を思いのままにでき、相手のペースで動かされることはない。敵に自から進んで来させるのは利で釣るからであり、敵を遠ざけるのは害を示して来させないようにするからである。敵が休んで楽にしているならば疲れさせ、食糧が充分ならば糧道を断って飢えさせ、留まり続けているならば動かす。
 
 敵の行く所には必ず駆けつけ、敵の意図しない場所から攻撃を仕掛ける。長い道のりを遠征しても疲れを見せないのは、敵兵がいないところを進むからである。攻撃を加えて悉く成功するのは、手薄なところを攻めるからである。守って必ず守り抜けるのは、攻め難いところを守るからである。だから、戦上手にかかると、敵はどこを守ればいいのかわからなくなり、守備上手にかかると、敵はどこを攻めていいのかわからなくなる。ついには無形となり、音もしなくなり、敵を生かすも殺すも自在となる。
 
 自軍が進んで敵軍が防げないのは、敵の虚をつくからである。自軍が退いて追いつかれないのは、速やかに行動するからである。もしこちらが戦いを望むなら、敵が土塁を高くし、堀を深くし、守りをどんなに固くしていても、こちらと戦わざるを得ないように敵が放置できないところを攻めることである。戦いを望まないなら、こちらの守りがどんなに手薄でも攻めてこられないように、敵の関心を他へ向けさせることである。
 
 戦上手は、敵にははっきりした態勢をとらせておいて、こちらは態勢を隠して無形の状態にするから力を集中でき、敵はすべての可能性に備えようとするから力を分散する。例えれば、こちらが一つに集中し、敵が十に分散すれば、相手一に対し、こちらは十の力で戦えることになる。つまり、味方の兵力は多く、敵の兵力は少なくなるが、これは敵がすでに分散しているからである。
 
 自軍の兵力が集結する地点を敵にわからないようにすると、敵は備えなければならない地点が多くなり、兵力が手薄になる。前を守れば後が手薄となり、後を守れば前が手薄となり、左を守れば右が、右に備えれば左が手薄となる。全ての方面に備えれば全てが手薄となる。つまり、敵が無勢なのは分散しているからであり、こちらが多勢なのは、敵を分散させているからである。
 
 だから、戦うべき場所と時期を計画できるなら、どれほど遠方であっても進軍して戦端を開くべきだ。反対に、戦うべき場所と時期を計画できなければ、左翼の軍は右翼の軍を救うことができず、右翼の軍も左翼の軍を救うことができず、前後の部隊も連携がとれなくなる。それぞれの位置取りがばらばらだったなら、誰も助けることができない。越国のように大軍を擁していても、それだけで勝てる要因とはならない。勝利は、勝利の条件をつくることで得られる。敵がどんな大勢でも、戦えないように仕向けることができる。
 
 勝利できる条件をつくるには、事前に敵情をよく把握し、誘いをかけるなどして敵の行動の基準を観察し、相手に行動させるなどして破ることのできる地形と破ることのできない地形を探り、小競り合いをしてみて相手の足りている部分と不足している部分を知る。
 
 究極の軍の態勢は、形をあらわさないことである。形をあらわさなければ侵入したスパイもかぎつけることができず、智謀の者も予測することができない。相手の出方に応じて行動し勝利するも、ふつうの人間には勝ちの方法が理解できない。彼らは、どのような場所で勝ったかを理解できても、どのようにして勝利を収めたのかがわからない。勝利の態様は一度きりで相手に応じて臨機応変なのだ。
 
 そもそも軍の態勢は水のようなものであり、高い所を避け低い所へ流れるように、敵が備える「実」の部分を避け、手薄な「虚」を突くものである。水は地形に応じて流れを決めるが、戦いもまた敵の態勢に応じて流れる。軍には決まった勢いというものはなく、決まった形もない。敵の出方次第で変化して勝利を収める。これこそ神業(かみわざ)というべきで、絶妙な用兵である。だから、陰陽五行において常に勝ち続けられる者はないし、季節、日月が絶えず変化しながら巡るのと似ている。

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孫 子

孫子は中国・春秋時代の武将・孫武の尊称。兵法書『孫子』の著者と伝えられる。孫武のこんなエピソードが『史記』『孫子呉起列伝』に記されている。
 
ある時、孫武は『孫子』を耽読した呉王・闔閭に招かれた。そして、「私の側室である女性たちで軍隊を編成してみよ」との命を受け、孫武は王の愛妾二人を隊長に指名し部隊を編成しようとした。だが、彼女らは孫武の指示に一向に従わない。
 
すると孫武は、「まだ私の命令の内容が皆によく理解されていなかったのだろう。命令への理解を欠いたまま、兵に不明確な指示を出してしまったのは指揮官たる私の落度である」と言って、指示の内容を何度も繰り返し説いた後に再び指示を出した。
 
しかしそれでも女性たちは相変わらず孫武を馬鹿にし、ただ笑っているばかりだった。すると孫武は「私は編成の取り決めを再三にわたって説き、皆に申し渡した。命令が全軍に行き届かないことや指示の不明確さなどは私の落度だが、今は指示も命令も間違いなく行き渡っていよう。それなのに誰一人命令に従う者がいないならば、その隊長たる者には軍令に背いた責任を問わねばならない」と言い、隊長である二人の愛妾を斬ろうとした。
 
その様子を見て驚いた闔廬は慌てて「私の落度だ。私に免じて彼女らを許してやってくれ」と止めようとしたが、孫武は「一たび将軍として命を受けた以上、軍中にあってはたとえ君主の意向といえども従いかねることもございます」と言って、隊長と定めた闔廬の愛妾を二人とも斬ってしまった。
 
そうして残った女性たちの中から新たな隊長を選び練兵を行うと、今度はどのような指示にも背こうとする者は一人もいなくなった。
 
闔廬は甚だ不興であったが、以後孫武の軍事の才の確かさを認め、正規の将軍に任じた。その後、呉は隣国の楚を破り、その都にまで攻め入り、北方では斉、晋を威圧して諸侯の間にその名を知らしめたが、それらの功績は孫武の働きによるところが大きかった。

『孫子』の内容

全般の特徴
・非好戦的であること
・現実主義であること
・主導権を重視していること

孫子の戦争観
 孫子は戦争を極めて深刻なものであると捉えていた。それは「兵は国の大事にして、死生の地、存亡の地なり。察せざるべからず」(戦争は国家の大事であって、国民の生死、国家の存亡がかかっている。よく考えねばならない)と説くように、戦争という一事象の中だけで考察するのではなく、あくまで国家運営と戦争との関係を俯瞰する政略・戦略を重視する姿勢から導き出されたものである。それは「国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ」「百戦百勝は善の善なるものに非ず」といった言葉からもうかがえる。

 また「兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり」(戦争過程で無理をして素早く決着させた事例はある。決着に時間をかけてしまったが過程は上手だったという事例は無い。)ということばも、戦争長期化によって国家に与える経済的負担を憂慮するものである。この費用対効果的な発想も、国家と戦争の関係から発せられたものであると言えるだろう。孫子は、敵国を攻めた時は食料の輸送に莫大な費用がかかるから、食料は現地で調達すべきだとも言っている。

 すなわち『孫子』が単なる兵法解説書の地位を脱し、今日まで普遍的な価値を有し続けているのは、目先の戦闘に勝利することに終始せず、こうした国家との関係から戦争を論ずる書の性格によるといえる。

 ~Wikipediaから

孫子の故事成語

佚を以て労を待つ(いつをもってろうをまつ)
 自軍を十分に休ませて英気を養った状態で、行軍で疲れた敵兵を迎え撃つこと。

彼を知り己を知れば百戦殆うからず(かれをしりおのれをしればひゃくせんあやうからず)
 敵と味方の情勢をよく知って戦えば、何度戦っても敗れることはない。

巧遅拙速(こうちせっそく)
 上手で遅いよりも、下手でも速い方がよいということ。「巧遅は拙速に如かず」の略。

呉越同舟(ごえつどうしゅう)
 仲の悪い者どうしが、同じ場所や境遇にいること。もとは、反目しあいながらも利害が一致するときは協力し合う意。

五徳(ごとく)
 五つの徳目。智・信・仁・勇・厳。

死地に陥れて後生く(しちにおとしいれてのちいく)
 味方の軍を絶体絶命の状態に陥れ、必死の覚悟で戦わせることではじめて、活路を見いだすことができる。

循環端無きが如し(じゅんかんはしなきがごとし)
 物事はぐるぐる回っていて、どこが初めでどこが終わりなどと決められないということ。

常山の蛇勢(じょうざんのだせい)
 先陣・後陣と右陣・左陣のどれもが互いに呼応して戦う陣法のこと。統一がとれていて、欠陥やすきが全くないこと。

正々堂々(せいせいどうどう)
 手段や態度が正しくて立派なこと。陣容が整って意気盛んなこと。「正々」は軍旗が整うこと。「堂々」は陣列が盛んなさま。

同舟相救う(どうしゅうあいすくう)
 立場を同じくする者は、平素は敵どうしでも、いざというときには助け合う。

始めは処女の如く後は脱兎の如し(はじめはしょじょのごとくのちはだっとのごとし)
 最初はおとなしく弱々しく見せて敵を油断させ、のちには見違えるほどすばやく動いて敵に防御の暇を与えないという兵法のたとえ。

反間苦肉(はんかんくにく)
 敵同士の仲を裂き、敵を欺くこと。「反間」は敵のスパイを逆用して裏をかくこと。「苦肉」は自分の肉体を苦しめてみせて敵をあざむくこと。

百戦百勝(ひゃくせんひゃくしょう)
 戦ってすべて勝つこと。百回戦って百回とも勝つことから。孫子はこれを必ずしも善しとせず、戦わずして勝つことを最善とした。

風林火山(ふうりんかざん)
 動くべき時には風のように迅速に、動くべきでない平常時には林のように静観し、いざ行動を起こすときには烈火の如く侵攻し、守るべき時には山のようにどっしりと構えるよう、状況に応じて柔軟に対応するということ。

兵に常勢無し(へいにじょうせいなし)
 戦争は、敵情に応じて臨機応変に行うべきで、こうすべきだという決まったやり方はない。

兵は拙速を尊ぶ(へいはせっそくをたっとぶ)
 作戦を練るのに時間をかけるよりも、少々まずい作戦でもすばやく行動して勝利を得ることが大切である。