孔子さまの言葉
心にもないおべっかを使ったり、顔色をつくろったりする者には、本当に他人に誠実な者は少ない。それに、そういう人間は途中まではうまくいっても、どこかで必ず化けの皮がはがれるゾ。
以前に読んだ本をあらためて読み返してみると、こんないいことが書いてあったのかと再発見することがたびたびあって、とても嬉しい。志を同じくする友だちが遠方からやって来るのもまた嬉しく、人生の楽しみの一つだ。
自分の犯した過ちを率直に認めて反省する人間が、どこにもいないではないか。
過ちをおかしたときは、すぐ改めよ。少しも遠慮する必要はない。分かっていても、簡単なようでなかなか難しい。とくに立場や地位の高い人ほど、憚ってしまうもの。
過ちは仕方のないこと。過ちをおかしても改めようとしないことこそ、真の過ちというものだ。
人は正直に生まれついたものだ。それを無視して曲がった生活をして過ごせていても、たまたま免れているだけだ。
他人が自分の真価を知らないことを気にするより、自分が人の才能や力量を知らないことをこそ憂うべきだ。
古いことを調べ尋ねて、そこから新しい発見を得られれば、必ず他人に学ばせることができよう。有名な四字熟語「温故知新」の出所。
私は未だに、徳を好むことを、美人を熱烈に好むようにする人を見たことがない。
富というものが求めるに値するものなら、たとえ行列の露払いのような仕事をしてでもそれを求めよう。だが、それほど値打ちがないのなら、私は好きなことをしていたい。
ともに語り合うべき人物と出会いながらそうしないと、その人との関係を失う。ともに語るに足りない人物とばかり語り合うのは言葉の浪費である。知者は大切な人を失わないし、言葉を無駄に発することもない。
遠い将来のことまでよく考えて行動しない人は、必ず急な心配事に苦しむものである。目の前の利害にとらわれた軽率な行動を戒めた言葉。
過ぎ去ったことは、いまさら咎め立てしても仕方がない。むしろ将来を慎むことが大切である。
腐った木には彫刻することができないように、やる気のない怠け者には教えることができない。
自分が立ちたいと思ったら、まず人を立たせてやる。自分が手に入れたいと思ったら、まず人に得させてやる。
仁者は、難しくて骨の折れる仕事を自ら進んで引き受け、それによる利益は問題にしない、これを仁という。
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「まず、言葉を口にせずそれを実行する、その後で自分の主張をする」。弟子の「立派な人間とは?」の問いに答えた言葉。「不言実行」あるいは「先行後言」こそが立派ということ。
「匹夫」は身分の低い男。そのような者でも志が堅固ならば、誰もそれを奪うことはできない。
「優しい一方で厳しく、威厳はあるが威圧的でなく、うやうやしくあるが窮屈なところがない」。孔子の”人となり”を弟子が評した言葉。歳を重ねたら、かくありたいもの。
立派な人は、広く親しみ一部の人におもねることをしない。しかしつまらない人は、一部の人におもねって広く親しむことをしない。
君子といわれるほどの者は、血気の定まらぬ若いときには色欲を戒め、血気盛んな壮年の時代には人との争いを戒め、血気が衰える年寄りになってからは欲深にならないように戒めなくてはならぬ。
君子は正しいけれども、馬鹿正直ではない。
君子は生涯を負えて、自分の名が唱えられないことを無念に思うものだ。
怒りの気持ちを他人に向けるようなことをしない。八つ当たりをするな。
人間の行動には、必ず動機がある。そして、その動機をどのように発展させて行動しているかを観察すれば、その人は絶対に自分を隠すことはできない、絶対に隠せない。
人の生まれ育った天性は似たり寄ったりで、それほど違いはないが、その後の習慣や教養が身についたかどうかで、大きな隔たりができてしまう。
人の過ちというのは、それぞれ人物の種類に応じておかすものだ。だから、人がおかした過ちを見て、その人の人徳が分かることがある。たとえば、真面目すぎたり勇気がありすぎたためにおかした過ちは、仁徳の表れであることを理解しなくてはならない。
小人というのは、失敗すると必ず言い訳をしたり取り繕ったりする。「文る」は表面を取り繕うこと。
地位のないことを気にせず、地位を得るための正しい方法を気にかけるべき。自分を認めてくれる人がいないことを気にせず、認められるだけのことをするよう努めるべき。
父母に仕えて、その悪いところがあれば穏やかに諌め、その心が従いそうになければ、さらに慎み深くして逆らわず、苦労はあるけれども怨みには思わないことだ。
知っているというのは好むのには及ばない。好むというのは楽しむのに及ばない。
季節が寒くなってから、はじめて松や柏(ひのき)が散らずに残ることが分かる。そのように、人も危難のときにはじめてその人の真価が分かる。
君子は他人の美点を伸ばして成し遂げさせ、他人の悪い点は成り立たないようにするが、小人はその反対だ。
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私は、三人で行動したらきっとそこに自分の師を見つける。善い人を選んでそれを見習い、善くない人にはそれを我が身に照らして改める。
父のあるうちはその志を観察し、父の死後にはその行為を観察する。そして三年の間、父のやり方を改めないのを孝行という。
贅沢をしていると尊大になり、倹約をしていると頑(かたく)なになるが、尊大であるよりはむしろ頑なのほうがよい。
貧乏でいて怨むことのないのは難しいが、金持ちでいて威張らないのは易しい。
女と下々の者とだけは扱いにくい。近づけると無遠慮になり、遠ざけると怨む。
せっかく学んでも、自分で考えてみないと知識は確かなものにならない。自分ひとりで考えるばかりで学ぶことをしなければ、独りよがりになって危険だ。
「朝、真実の道を悟ることができたら、その日の夕方に死んでもかまわない」。人の道の尊さを説いた言葉とされるが、一説には「天下に道理が行き渡り、社会の秩序が回復したと聞きさえしたら、死んでもよい」との解釈もあるようだ。
利益ばかり求めるような行動をしていると、怨みを招くことが多い。
すぐれた人物に出会ったときは、その人と同じようになりたいと思い、愚かな人を見たときは自分もそうではないかと反省する。
自分の利益になる三種の友だちとは? 正直な人、誠実な人、そして多くの見聞がある人。
自分より劣った者を友人にしてはいけない。自分より優れた人とつきあったほうが、自分を成長させることができる。
知者は物事の道理に通じているから判断に迷うことがない。仁者はきよくよしない。勇者は事にあたって恐れることがない。
知っていることは知っていると認め、知らないことは知らないと認めよ。それが真の知識というものだ。
言い損ないは取り消しができない「駟」は、4頭立ての馬車のことで、昔のいちばん速い乗り物。一度言ってしまった言葉は、どんなに速い馬車で追いかけても取り消すことはできない。
「為政者が、すべての人民に理解させることは難しい。人民を方針に従わせることはできるが、なぜそう定めたかの理由をいちいち知らせることは、なかなか難しい」。これを、「人民はただ法令によらしむべきで、知らせる必要はない」などと解するのは誤り。
君子に仕えるときに犯しがちな三つの過ちがある。一つ目は、言うべきでないときに余計なことを言う。これを「躁(落ち着きがない意)」という。二つ目は、言うべきときに必要なことを言わないこと。これを「隠(隠す)」という。三つめは、君子の顔色も見ないで勝手に発言すること。これを「瞽(盲目の意)」という。
君子は、人と協調はするが雷同はしない。小人は、人に雷同はするが協調はしない。協調は大切だが、間違った道理にはあくまで反対しなくてはならない。
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私は十五歳で学問を志した。そして三十歳で一本立ちした。四十歳であれこれと迷うことがなくなり、五十歳になると天が命じたこの世での役割と自らの限界を知った。そして六十歳になったときには、人の言葉を素直に聞けるようになった。七十歳になると、自分の思い通りにふるまっても道に外れることはなくなった。
「その地位にいるのでなければ、政治のことに口出ししてはならない」。責任のない立場をいいことに、都合のよい勝手なことばかり言うな、ということ。
若者は恐るべき存在だ。彼らが今の我々ほどになれないなどと誰が言えよう。ただし、四十歳や五十歳になっても世間に知られないようなら恐れるに足りない。
徳を守る人は孤立しているように見えるが、決してそんなことはない。必ず親しい隣人が現れるものだ。
「賢人は口数が少なく、行動に敏捷でありたいと思う」。スピード感のある「不言実行」を説く言葉。
知者は川の流れを楽しみ、仁者は動じない山の姿を楽しむ。知者は動的で、仁者は静的。知者は人生を楽しみ、仁者は寿命を全うする。
遠い将来まで見通して考えない人は、必ず急な心配事に悩むものだ。目先のことばかりにとらわれてはいけない。。
「自分がしてほしくないことは、人にもしてはいけない」。弟子の「ひと言で一生守るべきこととは何か?」の問いに答えたもの。
できてしまったことはとやかく言うまい。やってしまったことは諌めまい。過ぎてしまったことは咎めまい。
人格者は過ちがあるとまず自分を反省し、そうでない人は必ず他人のせいにしようとする。
どんな人の意見でも、よい意見なら採用する。善くない人だからということで、正しい意見まで採り上げないことはしない。誰が言ったかは重要ではない。
人には向き不向きがある。人を使う場合、それを見極め、適当な場所に配すこと。そうすれば、その人は予想以上の力を発揮してくれる。
信頼がなければ何をやっても駄目だ。まるで轅(ながえ)の横木がなく、馬車に轅の軛(くびき)止めがないようなもので、どうして走らせることができようか。
※「輗」「軏」は、牛車をつなぎ、馬車の舵取りをする重要なパーツのこと。
大事を始めるときは、三回考え直してから着手する。熟考してから、ことを実行に移すことが肝心。
正しい道を志し、すぐれた徳を守り、慈愛の心に寄り添い、その上で教養を楽しむ。そんな日常を楽しみたいものだ。
全員が悪く言うからといって鵜呑みにせず、きちんと調べてみるべきだ。全員が褒めているときも同じだ。
自分の義務を果たすために力を尽くし、鬼や神を敬いはするが馴れ馴れしく近づくことをしない。これならば知と呼んでよかろう。
人の道として当然行うべきことと知りながら実行しないのは、その人に勇気がないからである。
言葉や文章は相手に十分通じればよいのであって、よけいな美辞麗句は必要ない。
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