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孔子さまの言葉

 孔子さまの言葉

孔子さまの言葉

  • 巧言令色(こうげんれいしょく)、鮮(すく)なし仁(じん)

    心にもないおべっかを使ったり、顔色をつくろったりする者には、本当に他人に誠実な者は少ない。それに、そういう人間は途中まではうまくいっても、どこかで必ず化けの皮がはがれるゾ。

  • 学びて時にこれを習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)あり、遠方より来たる、亦た楽しからずや

    以前に読んだ本をあらためて読み返してみると、こんないいことが書いてあったのかと再発見することがたびたびあって、とても嬉しい。志を同じくする友だちが遠方からやって来るのもまた嬉しく、人生の楽しみの一つだ。

  • (わ)れ未(いま)だ能(よ)く其(そ)の過ちを見て内に自ら訟(せ)むる者を見ざるなり。

    自分の犯した過ちを率直に認めて反省する人間が、どこにもいないではないか。

  • 過ちて改むるに憚(はばか)ることなかれ。

    過ちをおかしたときは、すぐ改めよ。少しも遠慮する必要はない。分かっていても、簡単なようでなかなか難しい。とくに立場や地位の高い人ほど、憚ってしまうもの。

  • 過ちを改めざるこれを過ちという。

    過ちは仕方のないこと。過ちをおかしても改めようとしないことこそ、真の過ちというものだ。

  • 人の生(い)くるは直(なお)し。これを罔(し)いて生くるは、幸いにして免(まぬが)るるなり。

    人は正直に生まれついたものだ。それを無視して曲がった生活をして過ごせていても、たまたま免れているだけだ。

  • 人の己(おの)れを知らざることを患(うれ)えず、人を知らざることを患う。

    他人が自分の真価を知らないことを気にするより、自分が人の才能や力量を知らないことをこそ憂うべきだ。

  • (ふる)きを温めて新しきを知る、以(もっ)て師と為(な)るべし。

    古いことを調べ尋ねて、そこから新しい発見を得られれば、必ず他人に学ばせることができよう。有名な四字熟語「温故知新」の出所。

  • (わ)れ未(いま)だ徳を好むこと色を好むが如(ごと)くする者を見ざるなり。

    私は未だに、徳を好むことを、美人を熱烈に好むようにする人を見たことがない。

  • (とみ)にして求むべくんば、執鞭(しつべん)の士と雖(いえ)ども、吾れ亦(ま)たこれを為(な)さん。如(も)し求むべからずんば、吾が好むところに従わん。

    富というものが求めるに値するものなら、たとえ行列の露払いのような仕事をしてでもそれを求めよう。だが、それほど値打ちがないのなら、私は好きなことをしていたい。

  • (とも)に言うべくしてこれと言わざれば、人を失う。与に言うべからずしてこれと言えば、言を失う。知者は人を失わず、亦(また)言を失わず。

    ともに語り合うべき人物と出会いながらそうしないと、その人との関係を失う。ともに語るに足りない人物とばかり語り合うのは言葉の浪費である。知者は大切な人を失わないし、言葉を無駄に発することもない。

  • 遠慮(えんりょ)なければ近憂(きんゆう)あり。

    遠い将来のことまでよく考えて行動しない人は、必ず急な心配事に苦しむものである。目の前の利害にとらわれた軽率な行動を戒めた言葉。

  • 既往(きおう)は咎(とが)めず。

    過ぎ去ったことは、いまさら咎め立てしても仕方がない。むしろ将来を慎むことが大切である。

  • 朽木(きゅうぼく)は雕(え)る可(べ)からず。

    腐った木には彫刻することができないように、やる気のない怠け者には教えることができない。

  • (おのれ)立たんと欲して人を立て、己(おのれ)達せんと欲して人を達す。

    自分が立ちたいと思ったら、まず人を立たせてやる。自分が手に入れたいと思ったら、まず人に得させてやる。

  • 仁者は難きを先にし獲(う)るを後にす、仁と謂(い)うべし。

    仁者は、難しくて骨の折れる仕事を自ら進んで引き受け、それによる利益は問題にしない、これを仁という。

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  • 先ず其の言を行い、而(しか)して後にこれに従う。

    「まず、言葉を口にせずそれを実行する、その後で自分の主張をする」。弟子の「立派な人間とは?」の問いに答えた言葉。「不言実行」あるいは「先行後言」こそが立派ということ。

  • 匹夫(ひっぷ)も志を奪うべからず。

    「匹夫」は身分の低い男。そのような者でも志が堅固ならば、誰もそれを奪うことはできない。

  • 温にして厲(はげ)し、威(い)あって猛(たけ)からず、恭(きょう)にして安し。

    「優しい一方で厳しく、威厳はあるが威圧的でなく、うやうやしくあるが窮屈なところがない」。孔子の”人となり”を弟子が評した言葉。歳を重ねたら、かくありたいもの。

  • 君子は周(した)しみて比(おもね)らず、小人は比りて周しまず。

    立派な人は、広く親しみ一部の人におもねることをしない。しかしつまらない人は、一部の人におもねって広く親しむことをしない。

  • 君子に三戒(さんかい)あり。少(わか)き時は血気(けっき)未だ定まらず、これを戒(いまし)むること色(いろ)に在り。其(そ)の壮なるに及んでは血気方(まさ)に剛なり、これを戒むること闘(とう)に在り。其の老いたるに及んでは血気既に衰(おとろ)う、これを戒むること得(う)るに在り。

    君子といわれるほどの者は、血気の定まらぬ若いときには色欲を戒め、血気盛んな壮年の時代には人との争いを戒め、血気が衰える年寄りになってからは欲深にならないように戒めなくてはならぬ。

  • 君子は貞(てい)にして諒(りょう)ならず。

    君子は正しいけれども、馬鹿正直ではない。

  • 君子は世を没(お)えて名の称せられざることを疾(にく)む。

    君子は生涯を負えて、自分の名が唱えられないことを無念に思うものだ。

  • 怒りを遷(うつ)さず。

    怒りの気持ちを他人に向けるようなことをしない。八つ当たりをするな。

  • 其の以(な)す所を視(み)、其の由(よ)る所を観(み)、其の安んずる所を察すれば、人いずくんぞ隠さんや、人いずくんぞ隠さんや。

    人間の行動には、必ず動機がある。そして、その動機をどのように発展させて行動しているかを観察すれば、その人は絶対に自分を隠すことはできない、絶対に隠せない。

  • (せい)(あい)近し、習い相遠し。

    人の生まれ育った天性は似たり寄ったりで、それほど違いはないが、その後の習慣や教養が身についたかどうかで、大きな隔たりができてしまう。

  • 人の過つや、各々その党(たぐい)においてす。過ちを観て斯(ここ)に仁を知る。

    人の過ちというのは、それぞれ人物の種類に応じておかすものだ。だから、人がおかした過ちを見て、その人の人徳が分かることがある。たとえば、真面目すぎたり勇気がありすぎたためにおかした過ちは、仁徳の表れであることを理解しなくてはならない。

  • 小人(しょうじん)の過(あやま)つや必ず文(かざ)

    小人というのは、失敗すると必ず言い訳をしたり取り繕ったりする。「文る」は表面を取り繕うこと。

  • 位なきことを患(うれ)えず、立つ所以(ゆえん)を患う。己れを知ることなきを患えず、知らるべきことを為すを求む。

    地位のないことを気にせず、地位を得るための正しい方法を気にかけるべき。自分を認めてくれる人がいないことを気にせず、認められるだけのことをするよう努めるべき。

  • 父母に事(つか)うるには幾(ようや)くに諌(いさ)め、志の従わざるを見ては、また敬して違(たが)わず、労して怨みず。

    父母に仕えて、その悪いところがあれば穏やかに諌め、その心が従いそうになければ、さらに慎み深くして逆らわず、苦労はあるけれども怨みには思わないことだ。

  • これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

    知っているというのは好むのには及ばない。好むというのは楽しむのに及ばない。

  • (とし)寒くして、然る後に松柏(しょうはく)の彫(しぼ)むに後(おく)るることを知る。

    季節が寒くなってから、はじめて松や柏(ひのき)が散らずに残ることが分かる。そのように、人も危難のときにはじめてその人の真価が分かる。

  • 君子は人の美を成す、人の悪を成さず、小人は是れに反す。

    君子は他人の美点を伸ばして成し遂げさせ、他人の悪い点は成り立たないようにするが、小人はその反対だ。

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  • (わ)れ三人行えば必ず我が師を得(う)。其の善き者をえらびてこれに従う。其の善からざる者にしてこれを改む。

    私は、三人で行動したらきっとそこに自分の師を見つける。善い人を選んでそれを見習い、善くない人にはそれを我が身に照らして改める。

  • (ちち)(いま)せば其の志を観(み)、父没すれば其の行いを観る。三年、父の道を改むること無きを、孝と謂(い)うべし。

    父のあるうちはその志を観察し、父の死後にはその行為を観察する。そして三年の間、父のやり方を改めないのを孝行という。

  • (おご)れば即ち不遜、倹なれば即ち固なり。其の不遜ならんよりは寧(むし)ろ固なれ。

    贅沢をしていると尊大になり、倹約をしていると頑(かたく)なになるが、尊大であるよりはむしろ頑なのほうがよい。

  • 貧しくて怨むこと無きは難く、富みて驕(おご)ること無きは易し。

    貧乏でいて怨むことのないのは難しいが、金持ちでいて威張らないのは易しい。

  • (た)だ女子と小人とは養い難しと為す。これ近づくれば即ち不遜なり。これを遠ざくれば即ち怨む。

    女と下々の者とだけは扱いにくい。近づけると無遠慮になり、遠ざけると怨む。

  • 学びて思わざれば即ち罔(くら)し。思いて学ばざれば即ち殆(あや)うし。

    せっかく学んでも、自分で考えてみないと知識は確かなものにならない。自分ひとりで考えるばかりで学ぶことをしなければ、独りよがりになって危険だ。

  • (あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり。

    「朝、真実の道を悟ることができたら、その日の夕方に死んでもかまわない」。人の道の尊さを説いた言葉とされるが、一説には「天下に道理が行き渡り、社会の秩序が回復したと聞きさえしたら、死んでもよい」との解釈もあるようだ。

  • 利に放(よ)りて行えば、怨み多し。

    利益ばかり求めるような行動をしていると、怨みを招くことが多い。

  • 賢を見ては斉(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。

    すぐれた人物に出会ったときは、その人と同じようになりたいと思い、愚かな人を見たときは自分もそうではないかと反省する。

  • 益者三友

    自分の利益になる三種の友だちとは? 正直な人、誠実な人、そして多くの見聞がある人。

  • (おのれ)に如(し)かざる者を友とするなかれ

    自分より劣った者を友人にしてはいけない。自分より優れた人とつきあったほうが、自分を成長させることができる。

  • 知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず。

    知者は物事の道理に通じているから判断に迷うことがない。仁者はきよくよしない。勇者は事にあたって恐れることがない。

  • 知らざるを知らずとなす。これ知るなり。

    知っていることは知っていると認め、知らないことは知らないと認めよ。それが真の知識というものだ。

  • (し)も舌に及ばず。

    言い損ないは取り消しができない「駟」は、4頭立ての馬車のことで、昔のいちばん速い乗り物。一度言ってしまった言葉は、どんなに速い馬車で追いかけても取り消すことはできない。

  • 民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず。

    「為政者が、すべての人民に理解させることは難しい。人民を方針に従わせることはできるが、なぜそう定めたかの理由をいちいち知らせることは、なかなか難しい」。これを、「人民はただ法令によらしむべきで、知らせる必要はない」などと解するのは誤り。

  • 君子に侍(じ)するに三愆(さんけん)あり。言(げん)(いま)だこれに及ばずして言う、これを躁(そう)と謂(い)う。言これに及びて言わざる、これを隠(いん)と謂う。未だ顔色(かおいろ)を見ずして言う、これを瞽(こ)と謂う。

    君子に仕えるときに犯しがちな三つの過ちがある。一つ目は、言うべきでないときに余計なことを言う。これを「躁(落ち着きがない意)」という。二つ目は、言うべきときに必要なことを言わないこと。これを「隠(隠す)」という。三つめは、君子の顔色も見ないで勝手に発言すること。これを「瞽(盲目の意)」という。

  • 君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。

    君子は、人と協調はするが雷同はしない。小人は、人に雷同はするが協調はしない。協調は大切だが、間違った道理にはあくまで反対しなくてはならない。

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  • 吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(みみした)がう。七十にして心の欲するところに従いて、矩(のり)を踰(こ)えず。

    私は十五歳で学問を志した。そして三十歳で一本立ちした。四十歳であれこれと迷うことがなくなり、五十歳になると天が命じたこの世での役割と自らの限界を知った。そして六十歳になったときには、人の言葉を素直に聞けるようになった。七十歳になると、自分の思い通りにふるまっても道に外れることはなくなった。

  • 其の位に在らざれば、其の政(まつりごと)を謀(はか)らず。

    「その地位にいるのでなければ、政治のことに口出ししてはならない」。責任のない立場をいいことに、都合のよい勝手なことばかり言うな、ということ。

  • 後生(こうせい)(おそ)るべし。焉(いずく)んぞ来者(らいしゃ)の今に如かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆること無くんば、斯(こ)れ亦た畏るるに足らざるのみ。

    若者は恐るべき存在だ。彼らが今の我々ほどになれないなどと誰が言えよう。ただし、四十歳や五十歳になっても世間に知られないようなら恐れるに足りない。

  • 徳は孤(こ)ならず。必ず隣(となり)あり。

    徳を守る人は孤立しているように見えるが、決してそんなことはない。必ず親しい隣人が現れるものだ。

  • 君子は言に訥(とつ)にして、行に敏(びん)ならんと欲す。

    「賢人は口数が少なく、行動に敏捷でありたいと思う」。スピード感のある「不言実行」を説く言葉。

  • 知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。

    知者は川の流れを楽しみ、仁者は動じない山の姿を楽しむ。知者は動的で、仁者は静的。知者は人生を楽しみ、仁者は寿命を全うする。

  • 人、遠き慮(おもんばかり)なければ、必ず近き憂いあり。

    遠い将来まで見通して考えない人は、必ず急な心配事に悩むものだ。目先のことばかりにとらわれてはいけない。。

  • (おのれ)の欲せざるところは人に施すことなかれ。

    「自分がしてほしくないことは、人にもしてはいけない」。弟子の「ひと言で一生守るべきこととは何か?」の問いに答えたもの。

  • 成事は説かず、遂事は諌(いさ)めず、既往は咎(とが)めず。

    できてしまったことはとやかく言うまい。やってしまったことは諌めまい。過ぎてしまったことは咎めまい。

  • 君子はこれを己(おのれ)に求め、小人はこれを人に求む。

    人格者は過ちがあるとまず自分を反省し、そうでない人は必ず他人のせいにしようとする。

  • 人を以て言を廃せず。

    どんな人の意見でも、よい意見なら採用する。善くない人だからということで、正しい意見まで採り上げないことはしない。誰が言ったかは重要ではない。

  • 人を使うに及んでは器(うつわ)のままにす。

    人には向き不向きがある。人を使う場合、それを見極め、適当な場所に配すこと。そうすれば、その人は予想以上の力を発揮してくれる。

  • 人にして信なくんば、其(そ)の可なるを知らざるなり。大車(だいしゃ)(げい)なく、小車(しょうしゃ)(げつ)なくんば、其れ何を以ってか之(これ)を行(や)らんや。

    信頼がなければ何をやっても駄目だ。まるで轅(ながえ)の横木がなく、馬車に轅の軛(くびき)止めがないようなもので、どうして走らせることができようか。
    ※「輗」「軏」は、牛車をつなぎ、馬車の舵取りをする重要なパーツのこと。

  • 三たび思いて後これを行う。

    大事を始めるときは、三回考え直してから着手する。熟考してから、ことを実行に移すことが肝心。

  • 道に志し、徳に依り、仁に依り、芸に学ぶ

    正しい道を志し、すぐれた徳を守り、慈愛の心に寄り添い、その上で教養を楽しむ。そんな日常を楽しみたいものだ。

  • (しゅう)これを悪(にく)むも必ず察し、衆これを好むも必ず察す。

    全員が悪く言うからといって鵜呑みにせず、きちんと調べてみるべきだ。全員が褒めているときも同じだ。

  • 民の義を務め、鬼神(きしん)を敬して之(これ)を遠ざくるは、知と謂(い)うべし。

    自分の義務を果たすために力を尽くし、鬼や神を敬いはするが馴れ馴れしく近づくことをしない。これならば知と呼んでよかろう。

  • (ぎ)を見てせざるは勇(ゆう)なきなり。

    人の道として当然行うべきことと知りながら実行しないのは、その人に勇気がないからである。

  • (じ)は達っせんのみ。

    言葉や文章は相手に十分通じればよいのであって、よけいな美辞麗句は必要ない。

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孔子について

孔子
(紀元前552年または551年~紀元前471年)
 中国春秋時代に魯国の太夫の子として生まれた思想家・政治家・指導者。魯の大臣になり、のち諸国を巡歴、理想の道を説いた。再び魯に戻り、子弟の教育にあたりながら、経書を編集、仁を理想の徳として、実生活にも生かそうとした。漢以後もその教えは国教とされた。
 
『論語』について
 孔子の言行や弟子たちとの問答を、孔子の死後に弟子たちが編集したもの。全10巻20篇からなり、紀元前4世紀ごろまでに成立。朱子学における「四書」の一つに数えられ、おもに孔子の根本思想の「仁」の道が説かれ、古来儒教の聖典として尊重されている。その読者は知識人にとどまらず、一般の市民や農民の教科書としても用いられていた。

『論語』の各篇の概要
学而第一
学に関する記述ほか
為政第二
政治や君子に関する記述ほか
八佾第三
礼楽に関する記述ほか
里仁第四
仁徳に関する記述ほか
公冶長第五
仁徳に関する記述ほか
雍也第六
人物評や知に関する記述ほか
述而第七
孔子の行動に関する記述ほか
泰伯第八
聖王や聖人に関する記述ほか
子罕第九
孔子の言行や出処進退に関する記述ほか
郷党第十
孔子の生活に関する記述ほか
先進第十一
門人などの人物評論ほか
顔淵第十二
仁や政治に関する記述ほか
子路第十三
政治に関する記述ほか
憲問第十四
特にまとまりはない
衛霊公第十五
修身出処に関する記述ほか
季氏第十六
箇条書きが多い
陽貨第十七
孔子の出処進退に関する記述ほか
微子第十八
殷末期、周初期の人物に関する記述ほか
子張第十九
高弟の言葉
堯曰第二十
聖人の政治や為政者への訓誡に関する記述ほか

孔子年表

前552年
魯国に生まれる
『史記』では前551年
父は下級武士、母は巫女だったと伝わる
前550年
父が死去
前538年
「学に志す」ことを決意
前536年
母が死去
前534年
結婚する
翌年、息子の鯉が生まれる
葬礼の手伝いをして生計を立てる
前525年
魯に仕官し、委吏(倉庫係)や司職吏(家畜の管理係)の職に就く
前523年
老子に会う
前522年
斉の景公と晏嬰に会う
前517年
昭公が斉へ亡命、あとを追って斉に行く
前516年
斉の景公が孔子を取り立てようとしたが、晏嬰が反対
前510年
魯国に戻り、私塾を開いて弟子の指導を始める
前509年
魯の定公が即位
前499年
魯国の大司寇(最高裁長官)になる
前498年
三桓氏の制圧に失敗する
前497年
再び魯国を離れる。以後14年間、諸国を放浪
前494年
魯の哀公が即位
前485年
夫人が死去
前484年
亡命の旅から魯国に戻り、古典研究の整理を行う
息子の鯉が死去
前483年
哀公に斉の討伐を進言するが、実現せず
前482年
弟子の顔淵が死去
前480年
弟子の子路が死去
前479年
孔子が死去(74歳)

孔子の主張と功績

『仁(人間愛)と礼(規範)に基づく理想社会の実現』。 孔子はそれまでのシャーマニズムのような原始儒教を体系化し、一つの道徳・思想に昇華させた。その根本義は「仁」であり、仁が様々な場面において貫徹されることにより、道徳が保たれると説いた。しかし、その根底には中国伝統の祖先崇拝があるため、儒教は仁という人道の側面と礼という家父長制を軸とする身分制度の双方を持つにいたった。

孔子は自らの思想を国政の場で実践することを望んだが、ほとんどその機会に恵まれなかった。孔子の唱える、体制への批判を主とする意見は、支配者が交代する度に聞き入れられなくなり、晩年はその都度失望して支配者の元を去ることを繰り返した。それどころか、孔子の思想通り、最愛の弟子の顔回は赤貧を貫いて死に、理解者である弟子の子路は謀反の際に主君を守って惨殺され、すっかり失望した孔子は不遇の末路を迎えた。

孔子の死後、孟子、荀子といった後継者を出したが、戦国~漢初期にはあまり勢力が振るわなかった。しかし前漢・後漢時代に徐々に勢力を伸ばし、国教化された。以後、時代により波はあるものの儒教は中国思想の根幹たる存在となった。

20世紀に毛沢東が発動した文化大革命においては、別の意味で孔子が重要な存在となった。毛沢東とその部下達は批林批孔運動という孔子と林彪を結びつけて批判する運動を展開。孔子は封建主義を広めた中国史の悪人とされ、林彪はその教えを現代に復古させようと言う現代の悪人であるとされた。

『論語』の四字熟語

悪意悪食
一日之長
一世木鐸
一瓢一箪
益者三楽
益者三友
遠慮近憂
温故知新
温良恭倹
怪力乱神
下学上達
過庭之訓
過猶不及
侃々諤々
危言危行
金口木舌
朽木糞土
曲肱之楽
君子九思
君子三畏
君子三戒
君子不器
軽裘肥馬
見賢思斉
剛毅木訥
巧言乱徳
巧言令色
後世可畏
五十知命
克己復礼
歳寒松柏
察言観色
三十而立
子為父隠
四海兄弟
子見南子
而今而後
志士仁人
四十不惑
社稷之臣
十五志学
仁者不憂
仁者楽山
尽善尽美
切問近思
先難後獲
草偃風従
造次顛沛
損者三友
託孤寄命
箪食瓢飲
知者楽水
道聴塗説
訥言敏行
博学篤志
博施済衆
伯仲叔季
博文約礼
発憤忘食
匹夫匹婦
肥馬軽裘
被髪左袵
百里之命
富貴在天
富貴浮雲
浮雲之志
膚受之愬
不憤不啓
文質彬彬
分崩離析
暴虎馮河
飽食終日
無信不立
優游涵泳
用行舎蔵
六十耳順
和而不同
 

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