ベートーヴェンの《交響曲第3番》
元オーボエ奏者の宮本文昭さんが、ご自身の著書の中でベートーヴェンのことを(愛情をこめて)こき下ろしています。これからクラシックを聴いてみようと思っている方は、いきなりベートーヴェンから入るのは間違いだ、って。ひと言で言えば、とっつきにくい。メロディの美しさに徹することができないから、交響曲第6番《田園》以外は、特に美しい仕掛けのようなものは見当たらない。悲しみを表現するときも、どことなく不器用だし、楽しそうなところですら、ちょっとヘン。何をやるにも直球を投げてこない。
さらには「空気が読めないヤツ」だったに違いないなどと、もう散々な言われようです。もう少し大衆に迎合してもよかっただろうに、とにかく自分の主義主張を曲げない。モーツァルトに憧れていたくせに、ひらめきを生かして自由奔放に、音が持つみずみずしさを引き出すことができなかった、とも。しかしそうは言っても、結論としてやっぱりベートーヴェンはすごい!って。
僭越ながら不肖私も、宮本さんのご批判にはまったく同感です。そして、同じくやっぱりベートーヴェンはすごいと感じます。たとえば他のいろいろな作曲家の交響曲をいくつも聴いた後にベートーヴェンに戻ってきますと、「あー、やっぱりこれがベートーヴェンだよなー」って強い感慨を覚えます。風格といいますか、落ち着きといいますか、確かさといったようなものを如実に感じます。どうあっても、やっぱりベートーヴェンはすごい!
ところで、タイトルに掲げました《交響曲第3番》ですが、2016年に英国BBCミュージック・マガジンが実施した、151人の世界の指揮者たちへのアンケートによって選ばれた「交響曲トップ20」で、堂々の第1位を獲得しています。《第5番》でも《第9番》でもなく、この《第3番》が選ばれたというのは、なかなか興味深いところです。私もよく聴く曲ではありますが、第1位かと問われるとちょっと悩みます。素人には分からない、プロならではの着眼点や判断基準というのがあるのでしょうかね。そういえば、ベートーヴェン自身も、9曲の交響曲を作曲し終えた後に、いちばんよくできたと思うのは何番?と訊かれて、「第3番」と答えたといいますからね。
ただし、宮本さんは「大衆に迎合しなかったベートーヴェン」と言っていましたが、実は第4楽章の途中に、当時流行っていたというハンガリアン・ダンスの音楽を取り入れているとこがあるんですね。指揮者の金聖響さんはその部分を「ダサイ!」と評しています。流行を取り入れるのは、その時代にはウケても、時代が進むと古臭くダサくなるって。それはそういうもんだろうと思います。憚りながら私も、そこのとこだけ何だか取ってつけたような違和感があり、ちょっと白けてしまう部分です。決して大衆迎合なんてしなくていいんですよ、ベートーヴェンは。
ベートーヴェンの《交響曲第7番》
ドラマ、映画の『のだめカンタービレ』のオープニングに採用され、国内でひときわ有名になった、ベートーヴェンの《交響曲第7番》。もともと人気があり、演奏機会も多かったこのノリノリの曲は、ベートーヴェンが40歳のときの作品です。ウィーン大学の講堂で行われた一般公開の初演で大ウケし、第2楽章がアンコールで演奏され、新聞には「拍手は陶酔の域に達した」と書かれたそうです。その後の演奏会でも再演され、この曲によってベートーヴェンは国民的作曲家ともいえる人気を獲得したのです。
しかし、いつの世にも新しいものを受けつけないというか、ついていけない人はいるようで、歌劇『魔弾の射手』を作曲したウェーバーは、27歳のときにこの音楽を聴き、「とうとうベートーヴェンも精神病院行きだ」と語ったといわれます。また、大指揮者時代の一人であるワインガルトナーは、この《第7番》を「ほかのどの音楽よりも精神的疲労を感じさせる」と批判。彼らには、ただ狂乱だけの音楽としか受け止められなかったのでしょうかね。
一方で、リストは「リズムの神格化」と賞賛し、ワーグナーは「舞踏の聖化」と表現し、グレン・グールドは「世界で最初のディスコ・ミュージック」だと評しています。ベートーヴェンもきっとノリノリで作ったに違いないこの第7交響曲。フィーナーレでは、魂と身体がどこかにぶっ飛びそうになります。まさにエクスタシー! 不肖私の愛聴盤は、アーノンクール指揮、ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団による1990年の録音です。
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ベートーヴェンの《ヴァイオリン協奏曲》
ベートーヴェンの《ヴァイオリン協奏曲》。メンデルスゾーン、ブラームスの作品と並び「三大ヴァイオリン協奏曲」と称される名曲中の名曲なわけですが、初演時の評価は意外にも高くなかったそうですね。それどころか「前後がつながらず、支離滅裂」「平凡なパートの繰り返し」「無関係に重ねられた大量の楽想」などと新聞で酷評されたとか。時代に合わなかったのか、結局、ベートーヴェンが生きている間には人気は高まらずじまいだったそうです。不思議ですねー。
ひょっとしてこれに気を悪くしたのか、ベートーヴェンが生涯に完成したヴァイオリン協奏曲はこの1曲だけで、ヴァイオリンと管弦楽のための作品は、ほかに2曲の小作品と未完成の協奏曲が1曲あるのみです。あるいは、彼はピアノの名手だったにもかかわらず弦楽器の演奏はそれほど得意ではなかったといいますから、ヴァイオリン協奏曲の創作意欲はあまり湧かなかったのでしょうか。いずれにしてもたった1曲だけというのは、実に寂しく残念に思います。
この曲はベートーヴェンが36歳のときの作品です。まさに男盛りといってよい、そして後にフランスの作家ロマン・ロランが「傑作の森」と評したように、名曲が次々に生み出された充実の時期でもあります。雄々しく壮大で激烈な曲と、優しく繊細な曲が織り交ざる作品群のなかにあって、この《ヴァイオリン協奏曲》はひときわ優美であり、全楽章にわたって幸福感に満ちています。これが本当にあの堅物のベートーヴェンの曲なのかと思うほど。聞けばこの時期、ベートーヴェンは9歳年下のヨゼフィーネという女性に恋していたとか。なるほどー。
この名曲に対して私ごときがさらにあれこれ論評するのは憚られますが、まー敢えて言わせていただくなら、優美さはもとより、何より「気品」という言葉に尽きるのではないでしょうか。もし私が死んであの世に持っていけるCDが1枚だけだとしたら、この曲は間違いなく第1候補になります。愛聴盤は、クレーメル+アーノンクール、カール・スズケ+クルト・マズア、パトリシア・コパチンスカヤ+フィリップ・ヘレヴェッヘの3つです。クレーメル盤のピアニッシモの美しさといったらないし、スズケ盤はゆったりした演奏で格調高く、コパチンスカヤ盤はカット弦による緊張感のある繊細な響きが魅力です。
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