スピーカーなどのオーディオ機器にとって、いつも同じジャンルの音楽ばかりを聴くのではなく、たまに全く異なるジャンルの音楽を鳴らせて聴くのがよいという話があります。特定のジャンルの音楽ばかり鳴らしていると、音の出方に特定のクセがついてしまうからだそうです。
うーん、これはどういうもんでしょうかしらね。本当にそういうことがあるのかどうか・・・。むしろ、スピーカー等のクセがどうこうより、自分の耳の方にクセがついてしまうのではないかと思うところです。ですから、たまに違うジャンルの音楽を聴く意義は、機器のためというより、むしろ自分自身の感覚、感性のリフレッシュのためではないかと。
私の場合ですと、クラシック音楽以外の音楽、たとえばジャズっぽい女性ボーカルとか、日本の演歌などがそれに当たります。これら畑違いのジャンルの曲を「ほんのたまに聴く」というのがミソでして、実に刺激的で大いに気分転換になります。経験上、その必要性、有益性は強く感じておるところですが、こういうのは「クリティカルエイジ」の克服という科学的な観点からも大いに意味があるようです。
クリティカルエイジというのは、私たち生物の身体の器官のそれぞれについて、あらかじめ決まっている機能の発達年齢のことだそうです。身体機能が最適化、固定化されるための期間、つまり脳の発達が終わると言われている学習限界年齢です。この段階では、単純記憶能力が優れているため、感覚的な記憶や知識を容易かつ深く身につけることができます。三つ子の魂百までっていうヤツですかね。
しかし、これを反対解釈すれば、クリティカルエイジを過ぎてしまうと、新たな感覚や知識を吸収しにくくなるということでもあります。ある動物実験では、生まれて間もない猫の赤ちゃんに光を当てないと、その猫は一生目が見えなくなるという結果が報告されたそうです。ずいぶん残酷ですが、その実験が行われた一定の期間が、猫の視覚の発達に必要な最適化の期間だったため、その間に光を受けなかった猫の脳が「目は見えなくてもよい」と最適化・固定化してしまったというのです。
音と身体に関しても、クリティカルエイジに似た現象は存在します。幸い私たち大人は、猫の実験のように、その期間内に聴かなかった音が聴こえなくなるわけではありませんが、それでも、常日頃、特定の音色(周波数帯)の音ばかり聴いていると、私たちの脳は「この周波数帯の音が心地よい」と最適化・固定化してしまい、それ以外の音を排除するようになってしまうそうです。
それはそれでよいとする考えもあるかもしれません。好きな音楽だけ聴いていればいいじゃないか、わざわざ嫌いな音楽は聴かなければいい、って。それも一理ある。でも、やっぱり、幅広い感覚やさまざまな音色を聴き分ける能力は身につけておきたいですよね。素晴らしい音楽が素晴らしく聴こえないというのは、実に残念で悲しいことですから。
【PR】
【PR】
→目次へ