クラシック音楽愛好家で脳機能学者の苫米地英人さんが強調しておられる、クラシック音楽が有する「抽象性」。苫米地さんによれば、その「抽象性」こそが、クラシック音楽が時代を超えて愛される最大の理由だそうです。簡単に言えば「一聴しただけではよく分からない」。しかし、その抽象的な「情報空間」にどれだけ想像力を膨らませて臨場感とか描かれた世界を感じ取ることができるか、そうした知的好奇心の発露による「抽象的思考」の場面を与えてくれるのがクラシック音楽というわけです。
抽象的思考とは、物事の本質や大切なことを見出そうとすること。そして、抽象的思考力を高めるというのは、すなわちIQを高める行為でもあるといいます。そして、自分自身にそうした力を身につけたい、さらに高めたい、そんな欲求をもった人々に少なからず答えてくれてきたのがクラシック音楽だと。ずいぶんなるほどです。そうした要素こそが、長らく愛され続けてきた所以なのかもしれません。
一方で、クラシック音楽と対極にあるのが、「流行歌」といわれる範疇の音楽だろうと思います。そうした音楽は、抽象性も普遍性もなく、短期的に流行るか、あるいは流行に左右され、抽象的思考など入り込む余地など殆どないものです。だから、当代にどれほど大ヒットしたとしても、しだいに飽きられ、数年も経ったら忘れられてしまう。しかし、これはこれで時代の要請があり、時代に合った価値が認められているのは確かです。また、それぞれの時代に有用な色どりを添えてくれる身近で親しみやすい存在でもあります。そして、それらが懐かしい「人生の思い出のメロディー」になったりするわけです。
ところで、苫米地さんによれば、数多いクラシック音楽の中でも、モーツァルトの楽曲は極めて抽象度が高いといいます。この点は、バッハやベートーヴェン、ショパンなどの作曲家と比べても段違いだって。バッハは時代柄、演奏法や楽器が限られていたため表現に不自由さがあり、ベートーヴェンも現世の描写にとどまったため、モーツァルトと比較すると抽象度は劣る。ショパンは演奏家としてはモーツァルトを凌駕しているものの、楽曲の抽象度は負けている、って。
だから、抽象的思考のトレーニングとしてクラシック音楽を聴くなら、断然モーツァルトがオススメだそうです。トレーニングじゃなくてもモーツァルトを聴いてほしい、って。彼の音楽は、音色、揺らぎ、音響などを巧みにコントロールしており、聴いていて本当に幸せな気持ちに浸れるし、生きる力を与えてくれる。さらに、モーツァルトの楽曲に触れることは、人間が生み出したもっとも素晴らしい芸術作品のひとつに触れることであり、人類の叡智に触れることだ、って。
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