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モーツァルトの『フィガロの結婚』

 一人の作曲家の作品の中から好きな曲を1曲だけ選ぶ、とりわけ天才モーツァルトの作品からとなると、大いに悩むのではないでしょうか。私なんぞ、どれもこれも大好きで、とてもとても1曲だけを選ぶことはできません。

 音楽ジャーナリストの林田直樹さんは、強いて挙げるならとしながら、オペラの『フィガロの結婚』を選ぶとおっしゃっています。ちょっと意外な気がしますが、氏によれば、

 ーーフランス革命の火つけ役になったといわれるボーマルシェの原作芝居をオペラ化したこの作品は、反貴族的な長ゼリフをカットしているものの、根底には十分に革命の精神を宿している。それはすなわち、愛する主体としての人間でありたいという自己表明のようなものだ。それをモーツァルトは全精力を傾けて伝えようとしたのだと思う。――

 だそうです。これは音楽性というより、モーツァルトの思想とか作曲背景に重きを置いた選択ということでしょうか。フランスの劇作家ボーマルシェの戯曲をもとにモーツァルトが30歳のときに作曲したこのオペラは、貴族に仕えるフィガロの結婚を通じて、貴族を痛烈に批判した内容になっています。たびたび上演が禁止されたといわれ、とくにルイ16世は「この上演を許すぐらいなら、バスティーユ牢獄を破壊するほうが先だ」と激怒したとか。よくもまあモーツァルトは無事に過ごせたものです。

 牢獄といえば、映画『ショーシャンクの空に』のなかで、この『フィガロの結婚』の曲が流れる場面がありました。無実の罪で投獄された主人公が、刑務所内の図書係となり、たまたま見つけた『フィガロの結婚』のLPレコードを無断で所内の放送で流すというものでした。流れた曲は、16曲目の二重唱『そよ風に寄せて』。殺伐とした日々を送る囚人たちは、突然聴こえてきたその優しい歌声に耳をそばだて、得も言われぬ安らぎに浸る。そんな印象深いシーンでした。

 実は恥ずかしながら私のオペラ鑑賞はすこぶる邪道でして、ストーリーとか背景などは大まかに把握するものの、セリフの細かなところなどは殆ど意に介さず(というより、分からないまま)、ひたすら美しいアリアや重唱、オーケストラの伴奏に聴き入るばかりです。DVDも持っていますが、もっぱらCDで音楽だけを聴いているんです。馬鹿にされそうですが、まーそういうのもいいんじゃないでしょうか。愛聴盤は、ルネ・ヤーコプス指揮による2003年の録音です。名歌手ぞろいなうえに、テンポよく強弱のついた管弦楽、それからアリアや重唱の間に流れるピアノの通奏低音が特徴的です。

モーツァルトの努力と優しさ

 モーツァルトが、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』の公演を1ヵ月後に控えたとき、親しい友人に対して、作曲、そして自分自身について語った言葉が残っています。

 ―― 「ヴォルフガング、忘れちゃいけないよ。皆が君のような才能の持ち主ではないんだ。君にとっては何もかもが簡単すぎるんだ」と人は言うのです。「簡単だって?」と僕は言い返しました。みんながそんなふうに僕のことを思っているのです。ヨーロッパ中の宮廷を周遊していた小さな子供のころから、ぼくはずっと同じことを言われ続けてきました。目隠しをしてピアノを弾いたこともありますし、いろんな試験をやらされました。でも、こういったことは、長い時間をかけて練習すれば、簡単にできるようになるものです。僕が幸運に恵まれていることは認めます。しかし、作曲となると、それはまるっきり別の問題です。親しい友であるあなたには誓って言いますが、長年にわたって、僕ほど作曲に長い時間と膨大な思考を注いできた人は他に誰もいません。有名な巨匠の作品はすべて念入りに研究しました。作曲家であるということは、精力的な思考と何時間にも及ぶ努力を意味するのです。――

 いかがでしょう、天才、神童と称されるモーツァルトの音楽といえば、誰もが感じてしまうほどの自然そのもののようで、まるで無為のうちにできたように感じられる音楽が大半ですが、決してそういうことではないんですね。普通の人には想像もできない、まさに天才的な努力を重ねていたのでしょうね。

 また、1784年にモーツァルトが友人に宛てた手紙には、彼の音楽を聴く人々にたいして、彼がどのような思いで曲を作っていたかが垣間見える文章が残されています。

 ―― 新しいコンチェルトはかなり特別な曲です。たとえ素人でも「なぜかとても耳に心地よい」と感じられるように作曲し、全体を通してすばらしい楽節を散りばめました。そのすばらしさを論理的に分析できるのは音楽通だけでしょう。作曲家としては常に聴衆のことを考えるべきであり、味気ない、あるいは難しすぎる曲を作ってはならないのです。だって、100人の聴衆がいても、通(つう)といえるのは10人くらいにすぎませんから。――

 ああ、なんと優しいモーツァルトでありましょうか。天才でありながら、私らのような凡百への心配りを決して忘れずにいてくれたんですね。
 

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