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日本史年代の早覚え

 日本史年代の早覚え

年代  ことがらと覚え方
794 平安京に都を移す。
鳴くよ(794)うぐいす平安京
797 坂上田村麻呂が征夷大将軍になる。
泣くな(797)蝦夷征伐の困難に
805 最澄が天台宗を伝える。
やれご(805)苦労、最澄さん
894 遣唐使を廃止。
白紙(894)にもどす遣唐使
905 古今和歌集がつくられる。
暮れて後(905)できた古今集
935 平将門の乱
組ご(935)とに平将門戦わせ
939 藤原純友の乱
救策(きゅうさく)(939)もない瀬戸内海
1016 藤原道長が摂政となる。
藤色(とういろ)(1016)全盛、道長で
1051 前九年の役
奥羽に人来い(ひとこい)(1051)前九年の役
1053 藤原頼通が平等院鳳凰堂を建てる。
人ごみ(1053)あふれる鳳凰堂
1083 後三年の役
東(とう)やみ(1083)開ける後三年の役
1086 院政が始まる。
入れてやろ(1086)うか白河院政
1124 藤原清衡が平泉に中尊寺金色堂を建てる。
日々に知(1124)られる金色堂
1156 保元の乱が起こる。
いいころ(1156)戦った保元の乱
1159 平治の乱が起こる。
平治は平氏の人々ごく(1159)ろうさん
1167 平清盛が太政大臣となる。
平氏以外の人々むな(1167)し
1185 平氏がほろぶ。
人々夜行(ひとびとやこう)(1185)で平氏がほろぶ

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年代  ことがらと覚え方
1192 鎌倉幕府が開かれる。 →(注)
いい国(1192)つくろう鎌倉幕府
1221 承久の乱
人に不意(1221)うち承久の乱
1224 親鸞が浄土真宗を広める。
人にふし(1224)説く浄土真宗
1232 御成敗式目ができる。
式目は人にみに(1232)くい罪示し
1274 文永の役
元軍のむごい仕打ちは人に無し(1274)
1281 弘安の役
勝因は人には言(1281)えぬ暴風雨
1333 鎌倉幕府がほろびる。
一味さんざん(1333)北条氏

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年代  ことがらと覚え方
1334 後醍醐天皇が建武の新政を始める。
「新政の意味見よ(1334)」と後醍醐天皇
1338 室町幕府が開かれる。
一味さわ(1338)がし尊氏幕府
1397 足利義満が金閣を建てる。
金閣は人見たくな(1397)る美しさ
1404 義満が明との勘合貿易を始める。
人知れよ(1404)勘合貿易
1467 応仁の乱が起こる。
一夜(ひとよ)むな(1467)しい応仁の乱
1483 足利義政が銀閣を建てる。
人世(ひとよ)やみ(1483)でも銀閣築く
1543 ポルトガル人が鉄砲を伝える。
以後、予算(1543)出そうよ鉄砲づくり
1549 ザビエルがキリスト教を伝える。
以後よく(1549)見かけるキリスト教徒
1560 桶狭間の戦い
以後、群れ(1560)おさえる桶狭間
1573 室町幕府がほろびる。
以後、なみ(1573)の人だよ足利将軍
1583 豊臣秀吉が大坂城を築く。
秀吉が十五夜見(1583)あげる大阪城
1588 秀吉が刀狩を行う。
以後は刃(1588)物を禁止する
1590 秀吉が全国を統一する。
人ごくお(1590)さまる天下統一
1592 秀吉、朝鮮へ出兵する。
行こう国(1592)あげて朝鮮へ
1597 秀吉がふたたび朝鮮へ出兵。
以後苦難(1597)の慶長の役
1600 関ヶ原の戦い
一路雄々(いちろおお)(1600)しく関ヶ原

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年代  ことがらと覚え方
1603 江戸幕府が開かれる。
人群れ見(1603)える江戸幕府
1635 参勤交代の制度が定められる。
色みご(1635)とな殿様を見に
1637 島原の乱
疲労みな(1637)ぎる島原の乱
1639 鎖国が完成する。
人むさく(1639)るしい鎖国令
1687 徳川綱吉が「生類憐みの令」を出す。
色はな(1687)やかなお犬さま
1716 享保の改革を始める。
人の名広(1716)める享保の改革
1774 杉田玄白らが解体新書をつくる。
すばらしい解体新書に非難なし(1774)
1787 寛政の改革を始める。
いなかに花(1787)咲く寛政の改革
1798 本居宣長が古事記伝を著す。
人の名くわ(1798)しい古事記伝
1837 大塩平八郎の乱
人はみな(1837)心で応援、大塩の乱
1841 天保の改革を始める。
いや善い(1841)政治の天保の改革
1853 ペリーの来航。
人がいっぱい混み(1853)あう黒船見物
1854 日米和親条約
一夜ごし(1854)頭の痛い和親条約
1858 日米修好通商条約
一番こわ(1858)い通商条約
1860 桜田門外の変
いや無礼(1860)者と井伊さけぶ
1866 薩長同盟が成立する。
一藩(いっぱん)じゃ無理無理(1866)薩長同盟
1867 大政奉還が行われる。
将軍の位置はむな(1867)しく大政奉還

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年代  ことがらと覚え方
1868 五箇条の御誓文
五箇条できたぞいばろうや(1868)
1869 版籍奉還が行われる。
天皇へ人は向く(1869)版籍奉還
1871 廃藩置県が行われる。
廃藩置県、武士で迷わぬ人はない(1871)
1877 西南戦争が起こる。
鉄砲の火花な(1877)がめる西南戦争
1889 大日本帝国憲法公布。
いち早く(1889)出された帝国憲法
1894 日清戦争が起こる。
日清やきそば一杯食うよ(1894)
1901 八幡製鉄所が操業開始。
日暮れ、人(1901)いそがし八幡製鉄
1904 日露戦争が起こる。
日暮れし(1904)満州に兵の墓
1910 韓国併合が行われる。
いく十(1910)年も韓国併合
1911 不平等条約が改正される。
低い位置(1911)やっと高めた条約改正
1914 第一次世界大戦が始まる。
行く人死(1914)んだ一次大戦
1918 富山で米騒動が起こる。
人、食いは(1918)ぐれて米騒動
1925 普通選挙法が定められる。
行く、二十五(1925)歳で普通選挙
1937 日中戦争が起こる。
戦(いくさ)な(1937)お広がる日中戦争
1939 第二次世界大戦が起こる。
戦(いくさ)苦(1939)しむ第二次大戦
1941 太平洋戦争が始まる。
行くよ一(ひと)(1941)飛び真珠湾
1945 日本が無条件降伏。
ひどくよご(1945)れて日本降伏
1946 日本国憲法公布。
国民がひどくよろ(1946)こぶ新憲法
1951 サンフランシスコ平和条約
ひどく好意(1951)の平和条約
1956 国際連合に加入する。
そろそろ行くころ(1956)国際連合
1972 沖縄諸島が日本に復帰。
得な日本(1972)、沖縄復帰
1978 日中平和友好条約
日中が仲よくすれば得なは(1978)ず
注)近年では「鎌倉幕府の成立年は1185年」という説が有力になっているようです。その根拠は、1185年に国ごとに守護を、荘園や公領に地頭を設置し、鎌倉幕府の基本的な機能がすでに完成しており、同じ年に平家も滅ぼして実質的に頼朝の天下となっているから、というものです。

 しかしここで「幕府」の定義について紐解いてみますと、辞書には「(中国で、出征中の将軍の幕営を称したことから)武家時代の将軍の居所・陣営。転じて、武家政治の政庁。また、武家政権」とあり、ブリタニカ国際大百科事典では「武家による政治組織、政庁。元来、近衛府の唐名で、のちには近衛大将軍、さらに近衛大将その人をも称した。中国では、出征中の将軍の府署をいった。武家の政庁としては、源頼朝が1190年右近衛大将に任じられたところに名称の契機を求められるが、頼朝は右近衛大将をまもなく辞し、征夷大将軍の官職を望み、同3年これに任じられて以来、鎌倉、室町、江戸時代を通じて、征夷大将軍が武家政権の総帥の地位を表わし、その政権あるいは政庁を幕府と呼んだ。・・・」となっています。

 これらによれば、「幕府」とはすなわち「将軍のいるところ」という意味であることが理解できます。反対に「将軍」がいなければ決して「幕府」とは言えない。極めて明快な定義です。従って源頼朝が「征夷大将軍」に任命された1192年を鎌倉幕府の成立年とすることに何ら問題はないと考えます。(この件、教科書と違っていましてもご容赦願います。)
がんばれ中学受験生!

中学受験をめざす小学生のためのページです。

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日本文化史

飛鳥文化
中国の六朝文化やギリシャ・インドの影響もみられる。わが国の仏教芸術の始まり。

白鳳文化
遣唐使によって唐の文化がもたらされる。生命力、創造力の充実した文化。

天平文化
唐文化の影響や仏教的性格が顕著。律令政治を背景にした貴族文化。古典的様式の完成。

国風文化
遣唐使が廃止され、日本独自の貴族文化が誕生。仮名文学、寝殿造、大和絵、浄土教美術など。

鎌倉文化
武家政権の成立により、それまでの優雅な公家文化と素朴で力強い武家文化が共存して新しい文化が発展。

北山文化
禅宗を背景とした武家文化と公家文化が融合。足利義満の時代に開花。水墨画、能など。

東山文化
武家文化と公家文化の融合に加え、文化の地方への普及。足利義政の時代。わび、さびという新しい美意識。

桃山文化
南蛮文化の影響が加わった自由清新な文化。振興の権力者や豪商が担い手。現実色が強く、豪放、絢爛。

元禄文化
上方の富裕な町人を中心とした、現実主義的で儒教的道徳に束縛されない自由な文化。

化政文化
江戸の町人を中心とした文化。刹那的、退廃的な色合いが強い。粋、通がもてはやされた。

おもな歴史・軍記物語

栄花物語
 40巻。宇多天皇から堀河天皇まで15代、約200年間の歴史を編年体で記す。藤原道長の栄華を中心に、宮廷貴族の生活が仮名書きで描かれている。作者は、正編30巻を赤染衛門、続編10巻を出羽弁とする説が有力だが、不詳。

今鏡
 10巻。『大鏡』の延長線上に位置し、後一条天皇の万寿2年(1025)から高倉天皇の嘉応2年まで約150年間の歴史を紀伝体で記す。長谷寺詣での途上に出会った老女の昔語りという形式。作者未詳。

水鏡
 3巻。神武天皇から仁明天皇まで57代、約1500年間の歴史を仮名書きで編年体で記す。『大鏡』にならい、長谷寺で老尼が修行者を通じて葛城山の仙人から話を聞くという形式。作者未詳。

増鏡
 17巻。19巻、20巻の増補本もある。治承4年(1180)の後鳥羽院の誕生から、元弘3年(1333)の後醍醐天皇の隠岐島より京都への還幸まで約150年間の歴史を、編年体で記す。嵯峨の清涼寺で老尼が回想談をするという形式。「四鏡」の成立順では最後に位置する作品。作者未詳。

保元物語
 3巻。1156年に起こった保元の乱の顛末を和漢混交文で記した軍記物語。作者未詳。

平治物語
 3巻。1159年に起こった平治の乱の顛末を和漢混交文で記す。作者未詳。

平家物語
 平家一門の興亡を流麗な和漢混交文で描いた軍記物語。「徒然草」226段は作者を信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)としているが、成立事情は複雑で多くの諸本が伝わり、成立年次も未詳。琵琶で語られ仏教的無常観が貫流、国民的一大叙事詩として現在に生きつづけている。

太平記
 40巻。第一部は後醍醐天皇の討幕計画から北条氏滅亡まで、第二部は建武新政の失敗、足利尊氏の離反、楠木正成の戦死、後醍醐天皇の死まで。第三部は足利政権の内部抗争を経て、幼将軍義満を補佐する細川頼之の執事就任まで。50年余りにわたる全国的な戦乱を描いた軍記物語。作者未詳。

愚管抄
 7巻からなる史論書。作者は比叡山の学僧、慈円。神武天皇から第84代・順徳天皇までの歴史を記す。日本の政治の変遷を「道理」によって捉え、漢字片仮名文で述べたもの。

吾妻鏡
 47巻または52巻。1180年の源頼朝挙兵から1266年までの歴史を、和風漢文・編年体で記す。作者未詳。

神皇正統記
 3巻。北畠親房が常陸小田城で執筆。歴代天皇の事績を後村上天皇の代まで述べ、徳のある天皇を摂関家中心に貴族が補佐する政治こそ理想とする政道論を展開、南朝の正統性を論証した史論書。

義経記
 8巻。源義経の生涯を、不遇な生い立ちと悲劇的末路に重点を置き、弁慶や静御前などの活躍と合わせて、一代記風に描いた伝記物語。作者未詳。

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ベネッセコーポレーション 進研ゼミ・こどもちゃれんじ