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日本史年表

先土器時代縄文時代弥生時代古墳時代飛鳥時代奈良時代平安時代鎌倉時代室町時代安土桃山時代江戸時代明治時代大正時代昭和時代平成時代

 日本史年表

先土器時代(旧石器時代)

1万年以上前の日本列島はユーラシア大陸と陸続きになっていた(氷河時代)
日本列島も一つにつながっており、現在の日本海は大きな湖だった
南方からナウマン象やオオツノジカ、北からマンモス
  今から10万年〜数万年前の日本列島には人が住んでいたことがわかっている
浜北人(静岡県)や港川人(沖縄県)
群馬県の岩宿遺跡(相沢忠洋による発見)で発見された石器から。日本にも旧石器時代があったことが証明された
打製石器
土器はまだ使っていなかった(先土器時代・無土器時代

縄文時代

約1万3000年前から紀元前4世紀ごろまでの約10000年間
1万年前ごろになると気候が暖かくなり、氷河がとけて海面が上昇し、今のような日本列島ができた
 縄文土器(縄目の模様がないものもある。黒ずんだ色が特徴)
打製石器・磨製石器・骨角器
 狩りや漁のくらし(弓矢の発明)、貝塚(福井県の鳥浜貝塚)が残っている
 たて穴住居土偶
青森県の三内丸山遺跡(縄文時代についての新たな発見)
住居の作り方や墓地が共同であったことから考えて、身分や差別はなく、貧富の差もなかった

弥生時代

紀元前4世紀ごろから3世紀ごろまでのおよそ700年間
大陸から米づくりの技術が伝わる
静岡の登呂遺跡・・・たて穴住居、高床式倉庫、石ぼうちょう、木製農具
佐賀県の吉野ケ里遺跡
弥生土器青銅器鉄器銅鐸
社会の変化 →定住生活、貧富の差、身分の差
「むら」から「くに」へ。
  • 力のあるむらのかしらは、豪族となって小さなくにを支配した
57 奴国王が中国(後漢)に使いを送り、光武帝から金印を授かる
107 倭の国から後漢に使者を送り、交わりを始める
150  このころ倭の国に大乱が起こる
  小国家の統合が進む
239 邪馬台国卑弥呼が中国(魏)に使いを送る。邪馬台国は30余国を支配
247 卑弥呼が狗奴国と戦う

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古墳時代

285 漢字が中国から伝わる
350 このころ、大和朝廷が国内をほぼ統一する。
  • 大和朝廷は、大王(おおきみ・・・のちの天皇)を中心とした豪族の連合政権。氏と姓にもとづく政治→氏姓制度
古墳文化
  • 各地に古墳がつくられる(前方後円墳・円墳・方墳)。大阪府堺市の仁徳陵古墳(大山古墳)は日本最大。前方後円墳は日本独特の形。埴輪
391  大和朝廷の軍が朝鮮で高句麗と戦い、任那に日本府を設ける。
  • このころ、朝鮮からの渡来人が多く、百済から織物・彫刻・陶芸などの技術が伝わる
421 倭王讃(仁徳天皇?)が宋に使者を送る
478 倭王武(雄略天皇?)が宋に使者を送り、安東大将軍の号を受ける
538 百済から仏教が伝わる(552年の説もある)
562 新羅が任那の日本府を滅ぼす

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飛鳥時代

574 厩戸王(聖徳太子)の誕生
587 蘇我氏物部氏を滅ぼす。・・・豪族の争い
589 隋(ずい)が中国を統一
593 聖徳太子(厩戸王)が推古天皇摂政となる
  • 蘇我馬子と協力して、天皇中心の政治をうちたてようとした
  • 大阪に四天王寺を建てる。
594 推古天皇が仏教をさかんにする詔を出す 
603 冠位十二階を定める。
  • 家柄(氏や姓)に関係なく、能力重視の人材登用をすすめた
604 十七条の憲法を定める・・・朝廷に仕える役人の心得
607 小野妹子を隋に送る(遣隋使) 
奈良に法隆寺を建てる・・・飛鳥文化の代表(仏教中心の文化)
618 唐が中国を統一
622 聖徳太子が死去
630 遣唐使の派遣・・・894年までの間、10数回送られる
645 乙巳の変
  • 聖徳太子がなくなると、朝廷では蘇我馬子の子の蘇我蝦夷蘇我入鹿が権勢をふるう。中大兄皇子中臣鎌足と協力し、蘇我入鹿を殺し蘇我氏をほろぼす
645 大化改新の詔
  • 中大兄皇子は皇太子となって新しい政府をつくり、政治の改革をはじめる→公地公民の制、班田収授の法など
663 白村江(はくすきえ)の戦い
  • 新羅と唐が結んで百済を攻めたため、日本が百済を助けて朝鮮に出兵した。日本軍は敗れ、朝鮮半島から手を引き、北九州の守りをかためた →防人、水城
667 大津宮に都を遷す
668 中大兄皇子が即位、天智天皇となる
  • わが国最初の法典(近江令)やわが国最初の戸籍(庚午年籍)をつくる
671 天智天皇が崩御
672 壬申の乱
  • 皇位の後継ぎ問題、これに勝った大海人皇子が天武天皇となる
684 八色の姓を制定。
686 天武天皇が崩御
690 持統天皇が即位
694 持統天皇が飛鳥の藤原京に都を遷す
701 大宝律令の制定。
  • 文武天皇のとき、刑部親王と藤原不比等らの編さんによる法典が完成。
708 和同開珎がつくられる

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奈良時代

710 平城京に都を遷す
  • 元明天皇が唐の長安(今のシーアン)にならい、現在の奈良市の西に平城京をつくる
    あをによし 奈良の都は さく花の にほふがごとく 今さかりなり」(万葉集)
712 古事記ができる
  • 稗田阿礼太安万侶らによる日本最古の歴史書
713 国ごとに「風土記」の編さんを命じる(日本最古の地理書)
718 藤原不比等らが「養老律令」をつくる
720 日本書紀ができる
  • 舎人親王、太安万侶
723 三世一身の法が出される
  • 土地の開墾の奨励のため。班田制がくずれる
724 聖武天皇が即位する
729 長屋王の変 
729 聖武天皇が藤原不比等の娘を皇后とする(光明皇后
730 奈良の興福寺に悲田院・施薬院をもうける
740 藤原広嗣の乱
聖武天皇が恭仁京の建設を開始する
741 国分寺国分尼寺の建設がはじまる
743 墾田永年私財法が出される。→律令制のくずれ、荘園の発生
大仏造立の詔 
752 東大寺の大仏ができる・・・天平文化がさかえる
  • 多くの民衆と、僧行基の力を借りる
754 鑑真が来日
  • 唐の高僧。6回目の船出で日本にたどり着く
  • 奈良に唐招提寺を建てる
756 東大寺の宝庫、正倉院ができる
  • 聖武天皇の遺品などを保存、校倉造り
757 橘奈良麻呂の変
759 万葉集ができる
  • 日本で最も古い歌集。大伴家持らによって編さんされる
761 僧の道鏡が孝謙天皇に接近
764 藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱
764 孝謙上皇が重祚して称徳天皇として即位
765 道鏡が太政大臣禅師となり、権力をふるう
  • 僧の力の台頭、政治に口出し
766 道鏡が法王になる
766 和気清麻呂が大隅(おおすみ)に流される
769 宇佐八幡宮神託事件
770 道鏡が下野(しもつけ・・・栃木県)に流される 
阿倍仲麻呂が唐で客死する 
781 桓武天皇が即位
784 長岡京に都を遷す
785 藤原種継暗殺事件

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平安時代

794 平安京に都を遷す
  • 律令制の乱れ。桓武天皇和気清麻呂らの考えを用い、遷都
797 坂上田村麻呂征夷大将軍になる。→蝦夷の平定
  このころ勘解由使を設置
  坂上田村麻呂が胆沢城を築く
804 最澄空海が唐に渡る
805 最澄(伝教大師)が唐から帰り、天台宗を伝える
  • 比叡山に延暦寺を建てる
806 空海(弘法大師)が唐から帰り、真言宗を伝える
  • 高野山に金剛峰寺を建てる
816 検非違使を置く 
828 空海が綜芸種智院を創立
842 承和の変 
857 藤原良房が太政大臣になる
858 藤原良房が人臣ではじめて摂政となる
866 応天門の変
873 皇子皇女に源姓を賜う→清和源氏
874 このころ「竹取物語」「伊勢物語」などが著される
887 藤原基経が関白になる。(関白の始まり)
888 阿衡の紛議
889 高望王らに平朝臣の姓を賜う→桓武平氏
894 遣唐使を停止する
  • 菅原道真の意見による。→国風文化の発達
  • このころ、唐の勢いはおとろえていた
901 菅原道真が藤原氏によって大宰府に左遷される
902 荘園の大整理をする 
905 古今和歌集ができる
  • 紀貫之らによる編さん。最初の勅撰和歌集
935 平将門の乱・藤原純友の乱 
このころ、紀貫之が「土佐日記」を著す
このころ、各地の政治が乱れて武士が起こる
960 中国にが起こる
995 藤原道長が右大臣となり、政治の実権をにぎる 
このころ「枕草子」ができる
  • 一条天皇の皇后定子につかえた清少納言が、宮廷生活の感想を書いた随筆
1010 このころ「源氏物語」ができる
  • 紫式部による、藤原氏の全盛時代の平安貴族の生活をえがいた、全54帖からなる長編物語
1016 藤原道長が摂政となる →摂関政治
1017 藤原頼通が摂政となる
1019 刀伊の入寇
1045 新しく荘園をつくることを禁止する
1051 前九年の役
  • 東北地方で起きた戦乱
1053 藤原頼通が平等院鳳凰堂を建てる
1069 後三条天皇が記録所をもうけ荘園の整理をする
1083 後三年の役
  • 奥羽地方で争われた清原一族と源義家の戦い
1086 院政の開始
  • 白河上皇による。→摂政・関白はしだいに無力になる
1095 院に北面の武士を置く
1105 藤原清衡が平泉に中尊寺を建てる 
1129 鳥羽上皇の院政が始まる 
1156 保元の乱 
  • 天皇と上皇の対立に、源氏と平氏が動員されて戦った
  • 勝った天皇側についた平清盛源義朝は力を認められる
1159 平治の乱
  • 平清盛と源義朝の争い
  • 清盛は義朝を討ち、その子頼朝を伊豆に流す
1167 平清盛が武士で最初の太政大臣になる。→日宋貿易
1175 法然浄土宗を開く
1180 福原に遷都 
源頼朝が平氏を討つため、伊豆の豪族北条時政の力を借りて関東で兵をあげる
1181 平清盛が死去
1183 木曽の源義仲が平氏を攻めて京都に入る
このころ「保元物語」「平治物語」ができる
1184 源頼朝が公文所・問注所を設置
1185 平氏が北九州にのがれ、壇ノ浦で滅びる
  • 源範頼、義経らに攻められる
  源頼朝が全国に守護・地頭をおく
1189 藤原泰衡に義経討伐を命じ、源義経を討つ
1191 栄西が宋から帰り、臨済宗を伝える 
 

先土器時代縄文時代弥生時代古墳時代飛鳥時代奈良時代平安時代鎌倉時代室町時代安土桃山時代江戸時代明治時代大正時代昭和時代平成時代

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がんばれ中学受験生!

中学受験をめざす小学生のためのページです。

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三内丸山遺跡

青森県青森市にある三内丸山遺跡は、およそ5500年前から4000年ほど前までの約1500年間続いた縄文時代を代表する遺跡。約40ヘクタールの広大な範囲に広がっており、掘立て柱の建物跡、竪穴住居、墓、貝塚やクリなどを栽培した跡などが発見された。

また、おびただしい数の出土品があり、石器と土器に加え、刃物に加工しやすい黒曜石、飾りに使う琥珀(こはく)、ヒスイなども出土している。ヒスイは当時は新潟県の糸魚川でしか採れなかったため、交易があったことが分かる。最盛期には、500人ほどが定住していたと推測されている。

この遺跡の発掘により、縄文時代の文化が、従来考えられていたものより進んでいたことが分かった。ただし、遺跡は他の近くの遺跡に繋がっている可能性があり、未だに全容は把握しきれていない。また、これほどの集落がなぜ終焉を迎えたのかは謎とされている。

日本文化史

飛鳥文化
中国の六朝文化やギリシャ・インドの影響もみられる。わが国の仏教芸術の始まり。

白鳳文化
遣唐使によって唐の文化がもたらされる。生命力、創造力の充実した文化。

天平文化
唐文化の影響や仏教的性格が顕著。律令政治を背景にした貴族文化。古典的様式の完成。

国風文化
遣唐使が廃止され、日本独自の貴族文化が誕生。仮名文学、寝殿造、大和絵、浄土教美術など。

鎌倉文化
武家政権の成立により、それまでの優雅な公家文化と素朴で力強い武家文化が共存して新しい文化が発展。

北山文化
禅宗を背景とした武家文化と公家文化が融合。足利義満の時代に開花。水墨画、能など。

東山文化
武家文化と公家文化の融合に加え、文化の地方への普及。足利義政の時代。わび、さびという新しい美意識。

桃山文化
南蛮文化の影響が加わった自由清新な文化。振興の権力者や豪商が担い手。現実色が強く、豪放、絢爛。

元禄文化
上方の富裕な町人を中心とした、現実主義的で儒教的道徳に束縛されない自由な文化。

化政文化
江戸の町人を中心とした文化。刹那的、退廃的な色合いが強い。粋、通がもてはやされた。

おもな歴史・軍記物語

栄花物語
 40巻。宇多天皇から堀河天皇まで15代、約200年間の歴史を編年体で記す。藤原道長の栄華を中心に、宮廷貴族の生活が仮名書きで描かれている。作者は、正編30巻を赤染衛門、続編10巻を出羽弁とする説が有力だが、不詳。

今鏡
 10巻。『大鏡』の延長線上に位置し、後一条天皇の万寿2年(1025)から高倉天皇の嘉応2年まで約150年間の歴史を紀伝体で記す。長谷寺詣での途上に出会った老女の昔語りという形式。作者未詳。

水鏡
 3巻。神武天皇から仁明天皇まで57代、約1500年間の歴史を仮名書きで編年体で記す。『大鏡』にならい、長谷寺で老尼が修行者を通じて葛城山の仙人から話を聞くという形式。作者未詳。

増鏡
 17巻。19巻、20巻の増補本もある。治承4年(1180)の後鳥羽院の誕生から、元弘3年(1333)の後醍醐天皇の隠岐島より京都への還幸まで約150年間の歴史を、編年体で記す。嵯峨の清涼寺で老尼が回想談をするという形式。「四鏡」の成立順では最後に位置する作品。作者未詳。

保元物語
 3巻。1156年に起こった保元の乱の顛末を和漢混交文で記した軍記物語。作者未詳。

平治物語
 3巻。1159年に起こった平治の乱の顛末を和漢混交文で記す。作者未詳。

平家物語
 平家一門の興亡を流麗な和漢混交文で描いた軍記物語。「徒然草」226段は作者を信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)としているが、成立事情は複雑で多くの諸本が伝わり、成立年次も未詳。琵琶で語られ仏教的無常観が貫流、国民的一大叙事詩として現在に生きつづけている。

太平記
 40巻。第一部は後醍醐天皇の討幕計画から北条氏滅亡まで、第二部は建武新政の失敗、足利尊氏の離反、楠木正成の戦死、後醍醐天皇の死まで。第三部は足利政権の内部抗争を経て、幼将軍義満を補佐する細川頼之の執事就任まで。50年余りにわたる全国的な戦乱を描いた軍記物語。作者未詳。

愚管抄
 7巻からなる史論書。作者は比叡山の学僧、慈円。神武天皇から第84代・順徳天皇までの歴史を記す。日本の政治の変遷を「道理」によって捉え、漢字片仮名文で述べたもの。

吾妻鏡
 47巻または52巻。1180年の源頼朝挙兵から1266年までの歴史を、和風漢文・編年体で記す。作者未詳。

神皇正統記
 3巻。北畠親房が常陸小田城で執筆。歴代天皇の事績を後村上天皇の代まで述べ、徳のある天皇を摂関家中心に貴族が補佐する政治こそ理想とする政道論を展開、南朝の正統性を論証した史論書。

義経記
 8巻。源義経の生涯を、不遇な生い立ちと悲劇的末路に重点を置き、弁慶や静御前などの活躍と合わせて、一代記風に描いた伝記物語。作者未詳。


(源義経)

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