本文へスキップ

「〇〇にならないようにする」論法

 いつかの某新聞の投稿欄に、「かすむ憲法 心配でならぬ」と題された、39歳の男性からの投稿が載っていました。そこには、小学6年の息子さんとのやり取りが――

「自衛隊は必要だと思う? それとも必要じゃないと思う?」と息子さんが尋ねてきました。

「キミはどう思う?」 と父親が聞き返します。

「必要ないよ。憲法で禁止されてるし」

「でも、よその国が攻めてきたらどうする?」

 口ごもる息子さんに父親は、

「攻めてくるとしたら、何か原因があるからだよ。だとしたら、原因をつくらないことがまず大事じゃない。よその国と仲良くできる外交政策をとることの方が、武器を持つよりも国を守ることになるという考えでどうだろう」

 と、かなり誇らしく書かれているのですが、実はこの手の論法は、あちらこちらでしばしば見かけます。

「〇〇になったらどうする?」
「〇〇にならないようにする」

 一見、正論に聞こえますが、よくよく考えると、こういうのって全く回答にも結論にもなっていないんですよね。質問から逃げているといってもよい。もちろんこうした努力や考え方自体は必要であり、大切なことでしょうけど、これが責任ある立場の人の発想で、且つこれでよしとしていたら、いざというときに何の解決もできないばかりか、かえって害悪を及ぼしかねません。 というか極めて危険。つねに最悪の事態を具体的に想定し、それに具体的に備えようとするのが、トップマネジメントとしての危機管理ですから。

【PR】

民は由らしむべし、知らしむべからず

 かの孔子の言葉です。正確には「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」。為政者が、すべての人民に理解させることは難しい、人民を方針に従わせることはできるが、なぜそう定めたかの理由をいちいち知らせることはなかなか難しい、と。現代の政治においては、孔子の時代に比べて比較にならないほど社会構造が複雑かつ広範になっていますから、為政者に求められる深謀遠慮はいかばかりでありましょう。

 また、同じく孔子の言葉に、「其の位に在らざれば、其の政(まつりごと)を謀(はか)らず」とも。その地位にいるのでなければ、政治のことに口出ししてはならない。つまり責任のない立場をいいことに、勝手なことばかり言うな、と。孔子の時代から遥か時を経た現代にあっては、さらにその状況は拡大しているようにも感じられます。メディアが著しく発達し、強大な力を得て、無責任発言やきれいごとばかりを言うMCや評論家、評論家もどきの人たちの何と多いこと。

 ところで、それほどの言をなした孔子であっても、私が尊敬してやまない中国春秋時代の斉の宰相・晏嬰(あんえい)は、孔子を単なる「儒学者」だとして、仕官を拒否しましたね。まさに本物の為政者である彼の立場からは、孔子もしょせんはその地位にないのに勝手なことばかり言っている人物に見えたのでしょうか。かの管仲と並び称される名宰相・晏嬰は、後に『史記』を著した司馬遷に「(晏嬰の)御者になりたい」とまで言わしめた人物です。
 

【PR】


目次へ ↑このページの先頭へ

【PR】

マーフィーの法則

作業場で道具を落とすと、もっとも手が届きにくい隅っこに転がり込む。

機械が動かないことを誰かに証明して見せようとすると、動きはじめる。

バスは、いつもは予定時刻に来ないが、自分が予定時刻に遅れた時に限って、定刻にやって来る。

病院に行くと熱は下がっている。

机の上のお茶は、いつも最も重要な書類のほうに向かってこぼれる。

ゴルフにおけるベストショットは、一人でプレイしているときに出る。

人生で楽しいことは、違法であるか、反道徳的であるか、太りやすい。

うっかりトーストを落とすと、バターのついた側が下になる。

急いでいる時に限って何かと信号が赤になる。

悪くなる可能性のあるものは、必ず悪くなる。

探し物は最後に探したところで見つかる。

【PR】

Oisix(おいしっくす)

目次へ