
袁枚
不著衣冠近半年
水雲深處抱花眠
平生自想無官樂
第一驕人六月天
衣冠を著(つ)けざること半年に近し
水雲深き處(ところ)花を抱(いだ)きて眠る
平生(へいぜい)自ら想う無官の楽しみ
第一に人に驕(おご)る六月の天
【訳】
官服や冠を着ける宮仕えを辞めて半年近く、水や雲の大自然の中で、花に囲まれて眠る。日頃から夢想していた無官の気楽さ。今、何よりも人に自慢したいのは、この六月の炎天下での我が暮らし。
【解説】
作者は各地の知事を務め、38歳で引退、南京郊外で80過ぎまで悠々自適の生活を過ごしました。題名の「銷夏(しょうか)」は夏の暑さをしのぐという意味です。役人としての衣冠を脱ぎ捨て、蒸し暑いときには自然に抱かれて自適に過ごすことが何よりの自慢だと言っています。サラリーマンの憧れの境地であり、大いに理解できるものです。作者40歳の風流三昧の作とされますが、しかし、日本の幕末の朱子学者・斎藤拙堂は「狂奴の故態」といって強く批判しています。
七言絶句。「年・眠・天」で韻を踏んでいます。〈花〉は女性の意とする見方もあります。とすると、多くの女弟子に囲まれ、また妓女たちにかしずかれて過ごしていることを言っているのでしょうか。一介のサラリーマンでは、さすがにそこまでとは思いません。〈平生〉は日ごろ、つねづね。〈驕人〉は、他人に対して自慢する、威張る。〈六月〉は新暦7月ごろ。
30代での電撃引退
袁枚は科挙の超難関である「進士」に若くして合格し、官僚としてのキャリアを歩んでいました。しかし、30代半ば(33歳頃)にして「役人生活は窮屈でつまらない」とあっさり辞職してしまいます。その後、南京の小山に廃園同然となっていた庭園を買い取り、大改修を行って「随園(ずいえん)」と名付けました。彼は随園に一切の垣根を設けず、誰でも自由に入れるように一般開放しました。
官職を捨てたものの、彼の文名は天下に轟いており、詩の添削や文章の代筆依頼、著書の出版(印税)で巨万の富を得ました。役人時代よりもはるかに豊かな経済力を背景に、美食と風流を極めた生活を送ったのです。
また、袁枚を語る上で外せないのが、中国料理史における聖典の一つ『随園食単(ずいえんしょくたん)』の執筆です。彼は単に食べるのが好きだっただけでなく、美食に対して非常に熱心であり、かつ執念深い人でした。
他人の家や料亭で美味しい料理に出会うと、お抱えの料理人をその家に派遣し、手土産を持たせて「料理法を習得するまで帰ってくるな」と命じたほどです。
そんな袁枚の味覚を支えた名料理人に王小余(おうしょうよ)という人がいました。彼が亡くなった際、袁枚はあまりの悲しみに「彼を失ってからは、何を食べても味がしない。彼のような理解者(知音)は、詩の世界でも滅多に出会えない」と、大真面目に大泣きして追悼の文章を残しています。
【PR】
平 仄
漢字の韻により「平声」「上声」「去声」「入声」の四声に区別され、さらに平坦な「平声」を「平音」、残り三つを「仄音」に分類したものを「平仄」といいます。
「平仄」は、近体詩の形式の中でもっとも基本的なルールであり、五言詩では各句の2字目と4字目の平仄が違っていなければならず、七言詩では各句の2字目と4字目の平仄と、4字目と6字目の平仄が違っていなければなりません。
→目次へ
|
がんばれ高校生!
がんばる高校生のための文系の資料・問題集。 |