故事成語
四字熟語となっている故事成語について解説しています。

→ あ行/ か行/ さ行/ た行/ な・は行/ ま行~
あ行
- 阿爺下頷(あやあがん)
物事を見分けることができない愚かな人のたとえ。 または、間違いのこと。 「阿爺」は父親、 「下頷」は下あごのこと。戦死した父親の遺骨をさがしに行った愚かな息子が、戦場に落ちていた馬の鞍の一部を、父親の下あごの骨と思い込んで大切に持ち帰ったという故事から。
- 安嬰狐裘(あんえいこきゅう)
上に立つ者が倹約につとめ、職務に励むこと。春秋時代、斉の宰相だった 晏嬰( あんえい)が、たった一枚の狐の毛皮の衣を三十年も間着続けて、国を治めることに尽力したという故事から。
- 伊尹負鼎(いいんふてい)
大望のために身を落とすたとえ。伊尹が鼎(かなえ)を背負ってやって来る意。「伊尹」は夏末期から殷(商)初期にかけての伝説的な政治家。殷の湯王(とうおう)に仕えるため鼎を背負い料理人として近づき、宰相に昇りつめたという故事から。
- 衣繍夜行(いしゅうやこう)
立派な錦の着物を着て、夜道を行くこと。せっかく立身出世したり、成功したりしても、人に知ってもらえないたとえ。楚の項羽(こうう)が秦の都を攻略したとき、「富貴な身分になっても故郷に帰らないのは、錦を着て夜歩くようなものだ」と言った故事から。
- 韋弦之佩(いげんのはい)
自分の性格上の欠点を改めようと、戒めのための物を身に着けること。「韋」は、なめし革、 「弦」は、弓づる、 「佩」は、身につけるもの。戦国時代、西門豹は短気な性格を柔軟なそれにしようと、なめし皮を身につけ、春秋時代の董安干はのんびりした性格を厳格なものにしようと弓のつるを身につけたという故事から。
- 一字千金(いちじせんきん)
一字の値が千金にもあたるほど立派な文章(または文字)であること。秦の呂不韋(りょふい)が『呂氏春秋』を著し、都の咸陽の門にこれとともに千金を掛け、一字でも書き直すことができた者にはこの千金を与えようと言った故事から。
- 一諾千金(いちだくせんきん)
約束を重んじるたとえ。一度承諾したらそれは千金にも値するほど重みがあるという意。前漢の季布(きふ)は一度承諾したことを確実に実行したことから、楚の人々から「千金を手に入れるより、季布の一度の承諾を得るほうが価値がある」といわれた故事から。
- 一簣之功(いっきのこう)
仕事をやり遂げるための最後のひとふんばり。 また、仕事を遂行するために積み重ねる一つ一つの努力。「簣」は土を乗せて運ぶ道具。山の完成を目前にしてあと一盛りの作業をやめたため山はできなかったことから、最後のわずかな努力を怠ったためにそれまでの努力を台無しにしたという故事。
- 一琴一鶴(いっきんいっかく)
役人が清廉なこと。または旅支度がとても簡易なことのたとえ。宋の趙抃(ちょうべん)が蜀に赴任したとき、わずかに琴一張りと鶴一羽を携えて行った故事から。
- 一酔千日(いっすいせんにち)
非常にうまい酒のたとえ。 少し飲んでひと酔いしただけで、心地よくなり千日も眠る意。むかし酒好きの劉玄石(りゅうげんせき)という男が、酒屋で「千日酒」という強い酒を買った。飲酒の限度を言い忘れた酒屋の店主が、千日たった頃を見計らって劉玄石を訪ねたところ、家人は、酒に酔って寝たのを死んだと思いすでに葬ったという。店主が慌てて墓を暴いて棺を開けると、大きなあくびをしてちょうど目を覚ましたという故事から。
- 一張一弛(いっちょういっし)
弦を強く張ったり、ゆるめたりすること。転じて、人に厳しく接したり、やさしく接したりして、人をほどよく扱うこと。周の文王や武王が中道の政治を行い、人民に対して時には厳しく緊張状態に置き苦労させ、時には楽しみを与えて緩やかな状態に置いたという故事から。「一弛一張」とも。
- 一飯千金(いっぱんせんきん)
わずかな恵みにも厚い恩返しをするたとえ。若い頃に貧しかった韓信(かんしん)が、ある洗濯屋の老婆から数十日の食事を与えられた。のちに出世した韓信は、かつて食事をさせてくれた老婆を呼んで千金を与えたという故事から。
- 倚馬七紙(いばしちし)
素晴らしい文章をあっという間に書き上げる才能。「倚馬」は馬の前に立ったままでいること。晋の袁虎(えんこ)が桓温(かんおん)に布告の文を書くように命ぜられ、馬前に立ったまま七枚の名文を書き上げ、その才能を賞賛された故事から。
- 葦編三絶(いへんさんぜつ)
何度も繰り返し、熱心に本を読むことのたとえ。また、学問に熱心なことのたとえ。「葦編」は木簡や竹簡をなめし皮の紐で綴った昔の書物。孔子が『易経』を何度も詠んだため、その書を綴った紐が幾度となく断ち切れたという故事から。
- 倚門之望(いもんのぼう)
子を思う母親の愛情のこと。「倚門」は、門に倚(よ)りかかる意。春秋時代、衛の王孫賈(おうそんか)の母親が、朝早く外出して夜遅く帰る賈を家の門に寄りかかって待ち望み、夕暮れに外出したときには、村里の門に寄りかかって賈の帰りを待ちわびた故事から。
- 引縄批根(いんじょうへいこん)
力を合わせて他人を根こそぎ排斥すること。また、はじめ慕い後に背を向けた者たちに報復して恨みを晴らすこと。前漢の高官の灌夫(かんぷ)と、その親友の魏其侯(ぎきこう)は、権勢を保持していたときに擦り寄ってきたが、権勢を失うといきなり裏切った者たちに報復したいと思ったという故事から。
- 于公高門(うこうこうもん)
陰徳を積む家の子孫は繫栄することのたとえ。「于公」は漢代の丞相・于定国(うていこく)のこと。于定国の父は裁判官として常に公平な判決を下し、陰徳を積んでいたが、家の門が壊されたとき、修理してくれた村人に「門を高く大きくして、高い屋根の馬車が入れるようにしなさい。私は裁判において陰徳を多く積んでおり、まだ一度も人に無実の罪を着せたことはないので、子孫には必ず家を興す者がでるだろうから」と言い、その言葉どおり、後に息子の于定国が漢の宰相になった故事から。
- 烏白馬角(うはくばかく)
世の中に絶対にありえないこと。「烏白」はカラスの頭が白くなる意、「馬角」は馬に角が生える意。戦国時代、秦王が燕の太子丹(たん)を捕らえたとき、「烏の頭が白くなり、馬に角が生えたら解放してやろう」と言った。丹が天に向かって懸命に祈ったところ、奇跡が起こったという故事から。
- 雲雨巫山(うんうふざん)
男女の交わり。また、密会のこと。「巫山」は一説に湖北省の山の名。ここに神女が住んでいたとされる。戦国時代、楚の懐王(かいおう)が高唐に遊び昼寝をしたとき、夢の中で巫山の神女と情を交わし、別れるとき神女が「朝には雲となり、夕には雨となってここに参りましょう」といった故事から。「巫山雲雨」とも。
- 運斤成風(うんきんせいふう)
人間離れした素晴らしい技術のたとえ。手斧を振るって風を巻き起こす意。昔、大工の棟梁の石(せき)という人がいて、左官屋が自分の鼻の先にしっくい(白い土)をつけてしまい、石にそれを斧で削ってもらおうとした。石は斧をうなるほど振り回して風を起こし、鼻を傷つけることなく白い土をきれいに削り落としたという故事から。
- 郢書燕説(えいしょえんせつ)
うまく理屈をあわせること。こじつけ。「郢」は楚の都で、「燕」は国の名。昔、郢の人が燕の国の宰相に手紙を書いたが、灯火が暗いので召使いに「燭(しょく)を挙げよ」といったのをそのまま筆記してしまった。これを読んだ宰相は「賢人を登用せよ」の意であるとこじつけ、その通り実行したところ国がよく治まったという故事から。
- 詠雪之才(えいせつのさい)
文才のある女性。 また、そのような女性をほめるときのことば。晋の時代、王凝之(おうぎょうし)の妻の謝道蘊(しゃどううん)は、降り出した雪を柳にたとえて、「春の柳絮(りゅうじょ:柳の綿毛で、晩春に綿のように舞い飛ぶ)が空を舞う」と詠んだ故事から。
- 慧可断臂(えかだんぴ)
なみなみならぬ決意を示すこと。「慧可」は南北朝時代の高僧で、 「断臂」は腕を切り落とすこと。禅宗の高僧慧可は、嵩山(すうざん)の少林寺にいた達磨(だるま)に教えを請いたいと思い、自分の左腕を切り落として求道の決意のほどを示し、それによって教えを授けられたという故事から。
- 越俎之罪(えっそのつみ)
自分の分を越えて他人の権限を侵す罪。「俎」は、まな板。聖天子とうたわれた尭帝(ぎょうてい)が隠者の許由(きょゆう)に天子の位を譲ろうとしたとき、許由は「人は分を守ることが大切であり、たとえ料理人が神に供える料理をうまく作らないからといって、神官がそれに代わってまな板の前に立つことはしない」と断った故事から。
- 越鳧楚乙(えつふそいつ)
場所や人によって同じ物でも呼び名が異なるたとえ。「鳧」は鴨(かも)、「乙」は燕(つばめ)の意。空を飛んでいる 鴻(おおとり)を見て、 越(えつ)の国の人は「鴨である」と言い、
楚(そ)の国の人は「燕である」と言ったという故事から。
- 遠交近攻(えんこうきんこう)
遠い国と親交を結び、近い国を攻略する外交政策。遠方の国と手を結び、背後から牽制させながら近国を攻める策。戦国時代、魏の范雎(はんしょ)が考案し、逃れた先の秦の昭王に進言した外交政策で、これによって秦は諸国を征服し、范雎はこの功で宰相になった。
- 猿猴捉月(えんこうそくげつ)
分不相応な大望を抱いて破滅することのたとえ。猿が井戸に映った月を取ろうとして水におぼれたという故事から。
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か行
- 解衣推食(かいいすいしょく)
人に慈悲を施すこと。また、人を重用すること。漢王の劉邦(りゅうほう)が韓信(かんしん)に楚その項王を討たせようとしたとき、項王は使者を送って味方になるよう説得した。しかし、韓信は「以前、項王に仕えたときは自分の進言も策略も取り上げてくれなかった。今仕えている漢王は、進言も策略も聞き入れてくれたばかりか、自分を将軍として数万の軍隊を与えてくれたうえ、自分の衣を解き、食を推すすめてくださった。裏切るわけにはいかない」と言って断った故事から。
- 会稽之恥(かいけいのはじ)
他人から受けた、忘れることのできない屈辱。「会稽」は浙江省にある山の名で、春秋時代の呉越の古戦場。越王の勾践(こうせん)は会稽で呉王の夫差(ふさ)と戦って敗れた。そのときにさまざまな恥辱を受けたが、のちに苦労して夫差を打ち破り、その恥をすすいだという故事から。
- 蝸角之争(かかくのあらそい)
どうでもいいような、つまらないことで争うことのたとえ。「蝸角」は蝸牛(かたつむり)の角のことで、非常に狭いこと、小さいことのたとえ。蝸牛の左の角の上に領土を持つ触(しょく)氏と右の角の上に領土を持つ蛮(ばん)氏が、互いに領土を取り合って争ったという故事から。「蝸牛角上(かぎゅうかくじょう)」も同意。
- 和氏之璧(かしのへき)
めったに手に入らない、とても価値があるもののたとえ。「和氏」は人名、「璧」は玉のこと。春秋時代、楚の卞和(べんか)が山中で宝玉の原石を手に入れて、厲王(れいおう)に献上したが、つまらない石と見られて左足を切られ、のちに武王(ぶおう)に献上したが、またただの石とされて右足を切られた。のちに文王のときになってようやく真の宝玉であると認められたという故事から。
- 華胥之夢(かしょのゆめ)
昼寝のこと。また、よい夢のこと。伝説上の聖天子である黄帝(こうてい)は、ある日、昼寝をして夢の中で華胥という国へ行ったところ、そこには命令する者も欲に目がくらむ者もいない平和な理想郷であった。夢から覚めて、黄帝はその国にならって自分の国を治めたという故事から。
- 臥薪嘗胆(がしんしょうたん)
薪(たきぎ)の中に寝て、苦い肝を嘗(な)める意で、目的を達するために苦労を自身に課して耐え忍び、機会を待つこと。春秋時代、呉王の夫差(ふさ)は、父の仇を忘れないために、薪の上で寝て自分を苦しめ、長い艱難の末に越王の勾践(こうせん)を破った。また、会稽山(かいけいざん)で破れた勾践も、苦い獣の肝を寝所に掛けておき、寝起きのたびにこれをなめることにより、復讐心を忘れないようにし、その後、夫差を破ったという故事から。
- 苛政猛虎(かせいもうこ)
民衆にとって過酷な政治は人食い虎よりももっと恐ろしいということ。あるとき、孔子が墓の前で泣いている婦人に泣いている理由をたずねると、「夫の父親、夫、そして息子が虎に食い殺された」と言う。そこで「そんな恐ろしい土地なら、なぜ出ていかないのか」とたずねると、「ここには過酷な政治がないから」と答えたという故事から。
- 画蛇添足(がだてんそく)
無用なものを付け足すこと。数人が集まり、蛇の絵をいちばん先に描いた者が一杯に酒を飲むことになり、最初に描き上げた者が調子に乗って足まで描いていたところ、他の者が描き上げ「蛇には足がない」と言い、酒を奪われてしまったという故事から。
- 刮目相待(かつもくそうたい)
人や物事の成長や進歩を待ち望むこと。また、今までとは違った目で相手を見ること。「刮目」は目をこすってかっと見開く意。三国時代、呉の武将、呂蒙(りょもう)は主君の孫権(そんけん)に勧められ勉学に励んだ。その進歩の速さに将軍の魯粛(ろしゅく)は驚いたが、呂蒙は「立派な人は三日別れているだけで、もう目を見開いて見なければいけないものだ」と言った故事から。
- 過庭之訓(かていのおしえ)
父の教え、また、家庭での教育のこと。孔子が、庭を通り過ぎる息子の鯉(り)を呼び止めて詩や礼を学ぶように教えた故事から。
- 画龍点睛(がりょうてんせい)
物事の最後の仕上げ。六朝・梁(りょう)の絵の名人・張僧(ちょうそうよう)は、龍を描いて睛(ひとみ)だけ描き入れなかった。人のたっての頼みで睛を描き入れたところ、たちまち絵の龍が抜け出し、天に昇ったという故事から。「がりゅうてんせい」とも読む。また、「画龍点睛を欠く」と用いて、最後の仕上げが不十分なことをいう。
- 韓信匍匐(かんしんほふく)
将来の大きな目的のために、一時の屈辱や苦労を耐え忍ぶことのたとえ。韓信が腹ばいになって人の股またの下をくぐる意。「韓信の股くぐり」という句で有名。韓信がまだ若かったころ、淮陰(わいいん)の若者に、「お前は立派な長剣をさげているが、できるものなら、その剣で俺を一突きにしてみろ。できないなら俺の股下をくぐれ」と挑発され、韓信は腹ばいになって若者の股下をくぐったという故事から。
- 坎井之蛙(かんせいのあ)
広い世間のことを知らず、自分だけの狭い見識にとらわれることのたとえ。「坎井」は壊れた古井戸、「蛙」はカエル。古井戸に住む蛙が、海に住む大亀(おおがめ)に対し、「この広い井戸の中を独り占めして自由に泳ぎ回るのは楽しい。あなたも井戸の中に入ってみなさい」と言ったので、大亀が井戸に入ろうとすると、井桁(いげた)につかえてしまった。そこで大亀が、海の広さや深さについて蛙に語ったところ、蛙はびっくりして気を失ったという故事から。「井の中の蛙、大海を知らず」と同意。
- 邯鄲之歩(かんたんのほ)
自分本来のものを忘れて、やたらと他人の真似をしたため、両方ともうまくいかなくなってしまうことのたとえ。燕の国のある青年が趙の都の邯鄲に行き、その地の人々の歩き方をまねたが、その歩き方を習得しないうちに、故郷の歩き方も忘れてしまい、腹ばいになって帰ってきたという故事から。
- 邯鄲之夢(かんたんのゆめ)
人の世の栄華のはかないことのたとえ。唐の盧生という立身出世を望んでいた若者が、旅の途中の邯鄲の町で、道士から枕を借りて寝ると、栄華に満ちた一生の夢を見た。目が覚めると、宿の主人に頼んでいた粟のかゆが出来上がっていないほどの短い時間しか過ぎていなかったという故事から。
- 管仲随馬(かんちゅうずいば)
聖人の知恵を借りること。春秋時代、名宰相といわれた管仲(かんちゅう)が、戦いの帰途に道に迷ってしまった。そこで馬の知恵を借りようと、年老いた馬を放ち、そのあとについて行ったところ、道を見出したという故事から。管仲のような知恵者ですら馬の知恵に頼るのに、人が聖人の知恵に頼らないことを戒めた語。
- 甘棠之愛(かんとうのあい)
すぐれた為政者を人々が慕う気持ちが深いこと。「甘棠」はからなし、こりんごの木。周の召公(しょうこう)は、善政を行った立派な為政者として人々に慕われ、召公が木蔭で休んだ甘棠の木を大切にし、いつまでも召公を忘れなかったという故事から。
- 管鮑之交(かんぽうのまじわり)
利害得失を超えた信頼の厚い友情のこと。「管」は管仲(かんちゅう)、「鮑」は鮑叔牙(ほうしゅくが)で、共に人名。春秋時代、斉の桓公(かんこう)に仕えた宰相の管仲と大夫の鮑叔牙とは幼い頃から無二の親友で、ことに鮑叔牙は管仲の才能を高く認め、桓公に管仲を推挙したのも鮑叔牙だった。管仲も鮑叔牙の厚意にいたく感動し、二人は終生変わらぬ友情を持ち続けたという故事から。
- 奇貨可居(きかかきょ)
好機はうまくとらえて、利用しなければならないというたとえ。「奇貨」は珍しい価値のあるもの。転じて、絶好の機会のたとえ。趙の人質となった不遇の秦の王子・子楚(しそ)を、豪商の呂不韋(りょふい)が「これは掘り出し物だ」と援助し、のち子楚は秦の荘襄王(そうじょうおう:始皇帝の父)となり、呂不韋はその大臣となった故事から。
- 杞人天憂(きじんてんゆう)
取り越し苦労のこと。「杞」は周代の国名。杞の国に、天が崩れ落ちたらどうしようと心配して、夜も眠れず飯ものどを通らなかった人がいたという故事から。略して「杞憂」ともいう。
- 泣斬馬謖(きゅうざんばしょく)
法や規律を私情で曲げるべきではないということのたとえ。諸葛亮(しょかつりょう)が軍規に違反して敗北した信任厚い馬謖を、私事にとらわれず処刑したという故事から。
- 喬木故家(きょうぼくこか)
古くから代々続いている家には、それを象徴するように大きな樹木があるということ。「喬木」は高く大きな木。「故家」は昔から代々続いている家、旧家。孟子が斉の宣王に、「長く続いている国には、古くからある大木ではなく、代々仕える家臣がいるものである」と言ったという故事から。
- 曲突徙薪(きょくとつししん)
災難を未然に防ぐことのたとえ。「突」は煙突、「徙」は移す意。旅人がある家の前を通ったとき、その家のかまどの煙突がまっすぐになっていて、そばに薪が積んでったので、煙突を曲げて薪を遠くに移した方がよいと忠告した。ところが家の主人はそのまま放っておいたので、まもなく火事になってしまったという寓話から。
- 漁夫之利(ぎょふのり)
両者が争っているすきに、第三者が労せず利益を横取りすること。戦国時代、趙国が燕国を攻めようとしたとき、燕の昭王(しょうおう)は戦になっては困ると燕に重用されていた遊説家の蘇代(そだい)に、攻撃を思いとどまるよう趙の恵文王(けいぶんおう)説得させようとした。蘇代は恵文王に「鷸(しぎ)と蚌(どぶがい)が譲らず争っているところへ漁夫がやってきて、やすやすと両方とも捕らえてしまった」という話をして、今、趙と燕が争えば強国の秦が漁夫となって、いとも簡単に両国とも滅ぼされてしまうと説得した故事から。
- 巾幗之贈(きんかくのぞう)
臆病で女々しい態度を辱めること。三国時代、蜀(しょく)の諸葛亮(しょかつりょう)が、城に籠もって戦おうとしない魏(ぎ)の司馬懿(しばい)に、女性用の髪飾りを贈ってその臆病な態度を辱はずかしめたという故事から。
- 銀盃羽化(ぎんぱいうか)
盗難にあうたとえ。唐の時代、柳公権(りゅうこうけん)は著名な書家で、書のお礼に莫大な金品を得ていたが、使用人の中にこれを盗む者があった。銀の盃(さかずき)の入った箱があり、外側の縄は結ばれたままなのに中身はなくなっていた。すると公権は「銀盃に羽が生えて飛んでいった」と言い、責めなかった故事から。
- 愚公移山(ぐこういざん)
何事も根気よく努力を続ければ、最後には成功することのたとえ。老人愚公は二つの山の北側に住んでいたが、不便なので山を移そうと考えた。それを笑う者もいたが、愚公は子や孫、その子の代までかかればできると山を崩し始めた。天帝は愚公の熱意に感じ入り、二つの山を移してやったという故事から。
- 鶏口牛後(けいこうぎゅうご)
大きな集団や組織の末端にいるより、小さくてもよいから長となって重んじられるほうがよいということ。戦国時代、蘇秦(そしん)が韓の王に「小王とはいえ一国の王であれ。大国の秦に隷属してはならない」と説いて、韓・魏・趙・燕・斉・楚の六国合従を勧めたという故事から。
- 鶏鳴狗盗(けいめいくとう)
つまらないことしかできない人のたとえ。また、つまらないことでも何かの役に立つことがあるというたとえ。戦国時代、秦の昭王に捕らえられた斉の孟嘗君(もうしょうくん)が、犬のように盗みをはたらく食客と鶏の鳴きまねのうまい食客のはたらきで脱出し、無事に逃げ帰ったという故事から。
- 蛍雪之功(けいせつのこう)
苦労して勉学に励むこと。苦学した成果。東晋王朝の時代、車胤(しゃいん)は、家が貧しくて油が買えず、夏は数十匹の蛍を集めて薄い布の袋に入れて、その光で勉強した。また、同じように貧しかった孫康(そんこう)は、冬は窓の雪明かりで勉強した。二人とも、このように苦労して学問をした結果、高級官僚にまで出世したという故事から。唱歌『蛍の光』の冒頭にある歌詞、「蛍の光、窓の雪」も、同じエピソードを下敷きにした表現。苦労しながら共に勉強をしてきた仲間との思い出をうたっている。
- 月下推敲(げっかすいこう)
詩や文章を作るとき、その語句や表現などを何度も練り直すこと。唐の時代、詩人の賈島(かとう)が科挙を受験するため都へのぼり、驢馬に載って詩を作り、「僧は推(お)す月下の門」とするか「僧は敲(たた)く」としようか迷っているうちに、都知事の韓愈(かんゆ)の行列にぶつかってしまった。部下は怒ったが、事情を話すと、韓愈は「それは敲くがよかろう」と意見を述べ、以来二人は親しくなったという故事から。
- 月下氷人(げっかひょうじん)
仲人、媒酌人。また、男女の縁を取り持つ人のこと。晋(しん)の令孤策(れいこさく)が、氷の上に立って氷の下の人と語り合った夢を見た。占いの人に夢占いをしてもらったところ、氷の上と下というのは陽と陰で男女を示し、『詩経』の句に「若者よ、もし妻をめとるならば氷の溶けきらない冬のうちに」とあるのは婚姻に関することであるから、おそらく婚姻の媒酌をして氷が溶ける前には成立する前ぶれであろうと言い、そのとおりになったという故事から。
- 懸頭刺股(けんとうしこ)
苦労して勉学にはげむことのたとえ。また、眠気をこらえて勉強することのたとえ。「頭を懸け股を刺す」とも読む。漢の時代、孫敬(そんけい)は、勉強中の眠気をこらえるために頭を天井から下げた紐にかけて、机にうつぶせになるのを防ぎ、また戦国時代のの蘇秦(そしん)は、眠くなると自分の内股を錐(きり)で刺して読書に励んだという故事から。
- 侯覇臥轍(こうはがてつ)
立派な業績を挙げた人の留任を希望して引き留めること。 「臥轍」は、車の前に伏せて車の進行をさえぎること。王莽(おうもう)の新の時代、地方の長官を務めた侯覇(こうは)は善政を行ったが、天子の命令で都に帰ることになった。すると、土地の人々は侯覇との別れを惜しんで、都から訪れた使者の車の進路に泣き伏せて車が進むのをさえぎり、侯覇の留任を請い願ったという故事から。
- 呉越同舟(ごえつどうしゅう)
仲の悪い者どうしが、同じ場所や境遇にいること。春秋時代、呉・越の両国は敵対関係にあり、しばしば戦ったので、国民どうしは非常に仲が悪かった。しかし、その憎み合っている両国の人が同じ舟に乗って川を渡り、大風に遭ったときは互いに助け合うだろうと孫子がたとえた故事から。
- 呉牛喘月(ごぎゅうぜんげつ)
過度におびえ恐れることのたとえ。また、疑いの気持ちがあると、何でもないものにまで疑いや恐れの気持ちをもつたとえ。「呉牛(ごぎゅう)月(つき)に喘(あえ)ぐ」と読み下す。「呉」は、中国の長江(ちょうこう)下流の南側の地域。「喘」は、あえぐ。呉の地域はあまりにも暑いので、そこにいる牛は月を見ても太陽だと思って、あえいだことから。
- 国士無双(こくしむそう)
国内に並ぶ者がいないほどすぐれた人物のこと。漢の蕭何(しょうか)が、後に軍の指揮官として漢王朝の成立に大功をあげた韓信(かんしん)を評して、劉邦(りゅうほう:漢の高祖)に推薦したときの語。
- 鼓腹撃壌(こふくげきじょう)
太平で安楽な生活を喜び楽しむさま。 善政が行われ、人々が平和な生活を送るさま。 満腹で腹つづみをうち、足で地面をたたいて拍子をとる意。伝説上の聖天子である尭帝(ぎょうてい)が、世の中が治まっているのかどうかを確かめるために、ひそかに市井(しせい)に出たとき、老人が腹つづみをうち、地面をたたいてリズムをとりながら、太平の世を謳歌する歌をうたっていたという故事から。
- 五里霧中(ごりむちゅう)
方角が分からなくなること。どうしてよいか迷い、分からなくなること。後漢の時代に張楷(ちょうかい)という人がいた。張楷は五里四方にわたる霧を起こす術を知っており、世間に出るのが嫌いで、集まってくる人に会いたくないときには、この術を使って姿を隠したという故事。もとは自分の姿を隠す意であったが、現在の意味のように使われるようになった。

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