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石炭の壮大!

 私らが小学生だったころの冬の季節には、各教室に石炭ストーブが焚かれていたもんです。懐かしいですね(年がバレますけど)。そんでもってこの石炭は太古の植物が炭化した化石でして、それらには植物の組織や年輪がつぶれて残っているそうです。植物体が1/10から1/20にぎゅっと圧縮され、長い年月かかって蒸し焼きのようになってできているんです。

 ですから、直径10センチくらいの石炭は、元は少なくとも1メートルくらいの植物体だったということになります。北海道の留萌炭鉱は厚さ4メートルくらいの炭層でしたから、元の植物の厚さは40メートル。それだけ植物が積み重なったということですね。これってすごいことだと思いませんか?

 中国にはさらに厚さ50メートルの炭層があり、あるところでは100メートルとも言われています。50メートルの石炭の層が1/10に縮められたとしても元は500メートルということになります。500メートルも植物がたまるってのは、いったいどういう環境だったのでしょうか。

 ところがもっとすごいのが南極大陸の炭層で、なんと厚さ100メートル以上。あんまり厚くてそれ以上正確には計れないらしく、おそらく300メートル以上あるのではないかといわれています。300メートルの炭層だとしたら、元の植物の厚さは3000メートルです。こんな高さに植物が積もり重なるとは、もはや想像の域を超えています。何万年、いや何億年にもわたる、太古の地球の自然活動による壮大な蓄積なのでしょうね。

朝の気は「鋭」

 かの『孫子』の読み物のなかに、次のような言葉があります。
 
「朝の気は鋭、昼の気は惰、暮の気は帰」
 
 これを解釈しますと「朝の気」、つまり人が朝起きたばかりの気持ちや士気、気力というものは「鋭」、鋭いという字で、盛んで研ぎ澄まされている。ところが、これが昼ごろになってくると「惰」、怠惰のダの字で、何となくだらけてくる。ちょうど昼ご飯を食べて、眠くなるころですね。そしてさらに暮れ、夕方になってくると「帰」、これは帰るという字で、家に帰って休みたくなるものだ、というのです。

 人の一日を通しての気分の移り変わりというか、バイオリズムをそのままなぞった言葉ですが、まさしくそのとおりだと感じますね。『孫子』では、そうした「勢い」の差をうまく利用して戦争に臨むべきだと述べているわけですが、これは何も戦争だけじゃなく、当然ながら私たちの仕事などにも通用する話です。

 年齢を重ねてきますと、どうしても集中力が長続きしなくなります。だから、朝の元気なうちにいかに効率よく仕事をこなすかにかかってきます。私も、朝はむちゃくちゃ元気なんです(その代わり夜は全然ダメですけど)。知り合いに、何と6時半に出社しているという人がいまして、やはり朝の時間をできるだけ大切にしていると言っていました。大いに理解できる行動です。
 

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