本文へスキップ

諸葛孔明の妻

 諸葛孔明(しょかつこうめい)といえば、中国・三国時代の蜀の宰相をつとめ、劉備(りゅうび)を助けて蜀の建設と維持に尽くした人です。「時代にあった政策と公正な政治を行い、どのように小さい善でも賞せざるはなく、どのように小さい悪でも罰せざるはなかった。多くの事柄に精通し、建前と事実が一致するか調べ、嘘偽りは歯牙にもかけなかった。みな孔明を畏れつつも愛した。賞罰は明らかで公平であった。その政治の才能は管仲、蕭何に匹敵する」とも評され、今でも中国における理想の人間像とされています。

 世に知られる前の孔明は、後漢末期の戦乱を避け、豪族の劉表のもとに身をよせて晴耕雨読の日々を過ごしていたといいます。207年、劉表を頼って当地にやって来た劉備は、孔明の評判を聞いて軍師として招こうと、3度にわたって自ら孔明の家をたずねて口説いた話は有名ですね。いわゆる「三顧の礼」です。

 いろいろと逸話の多い孔明ですが、彼の妻選びとその妻について、とても教訓めいた話が伝わっています。若いころからずっと読書に明け暮れていた孔明は、二十歳を過ぎてもずっと独身でした。そんな孔明にあるとき縁談が持ち上がりました。相手は名のある士の娘で、まだ二十歳前の黄婉貞という名の女性です。

 ところが彼が近所の人たちにその娘の評判を聞いてまわると、色黒で途方もないブスだといいます。とたんに気乗りのしなくなった孔明は、返事を延引しつづけます。娘の父親は、そんな煮え切らない孔明にいらだち、とうとう孔明を自宅に呼び寄せました。

 孔明が娘の家の前までやって来ると、なんと虎や犬が襲いかかってくるではありませんか。孔明は驚き慌てふためきましたが、よく見ると、それらはすべて木でつくられた置き物でした。あまりによくできていたために、生きていると錯覚してしまったのです。そればかりか、部屋に通されお茶を運んできたのも、またもや木製の人形でした。

 すっかり感嘆した孔明は、娘の父親に「すばらしいものを作られるんですね」と言いました。すると彼は「いえ。これらはすべて娘が作ったものです」と言います。これを聞いた孔明は、娘のずば抜けた才能に感動し、ブスを我慢して結婚することを決意しました。

 ところが、そうして孔明の妻となった婉貞は、途方もないブスどころか実はたいへんな美女だったという説があります。結婚式の当日まで、孔明は花嫁の顔を知りませんでした。そして、式の当日に初めて目にしたその花嫁は、なんと世にも稀な絶世の美女だったのです。

 喜びつつも近所のうわさを不可解に思った孔明が、彼女にそのわけを尋ねると、

「私は、自分の外見だけにつられてくるような軽薄な男とは結婚したくありませんでした。外見より私の才能を見抜いてくれる男と結婚したかったのです。だから、自分から醜女だといううわさを流していたのです」

というのです。うーん、これはちょっと出来すぎた話のような気もしますが・・・。

木鶏(もっけい)

 紀悄子(きせいし)という男が、王の依頼を受けて、1羽の強い闘鶏(とうけい)を育てることになりました。そして、闘鶏を訓練し始めて10日たちました。王が彼のところへやってきて、

「もう、ほかの鶏と蹴り合いをしても、負けないか」

と尋ねました。紀悄子は、

「まだでございます。カラ元気で虚勢をはっていますから、だめです」

 また10日たって、王が尋ねると、

「まだでございます。他の鶏の姿を見ると、すぐ飛びかかろうとするから、だめです」

 さらに10日たつと、やっと、

「もう大丈夫でしょう。敵の鶏が鳴いて挑みかかってきても、少しも態度を変えません。少し離れてみると、まるで木彫りの鶏のようです」

 木鶏(もっけい)のように、敵意をまったく持たない人に、抗争心は湧いてきません。敵意を持たない人の周囲は、つねに平穏なのです。
  
〜『荘子』の逸話から


目次へ ↑このページの先頭へ

時の流れがわからなければ、寛大であろうと、厳しくしようと、政治はすべて失敗する。
 
〜諸葛孔明

 

 

 

 

目次へ