朱熹
少年易老学難成
一寸光陰不可軽
未覚池塘春草夢
階前梧葉已秋声
少年(しょうねん)老(お)い易(やす)く学(がく)成(な)り難し
一寸(いっすん)の光陰(こういん)軽(かろ)んずべからず
いまだ覚(さ)めず池塘(ちとう)春草(しゅんそう)の夢(ゆめ)
階前(かいぜん)の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声(しゅうせい)
【訳】
少年はあっという間に歳をとってしまい、学問はなかなか完成しにくい。だから、少しの時間も軽々に過ごしてはならない。池の堤の春草のなかで見た夢がまだ覚めないうちに、階段の前の青桐(あおぎり)の葉には早くも秋の風が吹いている。
【解説】
いわゆる「勧学」の詩として最も親しまれている詩です。ただし、朱熹の「詩文集」にこの作品が見当たらないことから、近時は、朱熹の作ではないとする説が有力となっており、日本人(江戸初期の五山の僧侶)の作ではないかともいわれます。詩の前半は何だか説教じみていますが、後半の美しい比喩に趣があり、ストレートな言い方と比喩の巧さとが分かりやすい詩にしています。
七言絶句。「成・軽・声」で韻を踏んでいます。〈偶成〉は、たまたま思いついて作ったという意。〈少年〉は、日本語の「少年」よりもう少し上の年代。〈一寸光陰〉はわずかな時間、ほんのひとときの時間。〈不可軽〉はおろそかにしていけない、軽んじてはいけない。〈池塘〉は池の淵に築いた堤。〈春草夢〉は春草の萌えるころ、まどろんで夢を見ていたこと。〈階前〉は階段の前、庭先のこと。〈梧葉〉は青桐(あおぎり)の葉。〈已秋声〉は、すでに秋の風が吹いている。
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