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漢詩を読むがんばれ高校生!

偶成(ぐうせい)

朱熹

少年易老学難成
一寸光陰不可軽
未覚池塘春草夢
階前梧葉已秋声

少年(しょうねん)老(お)い易(やす)く学(がく)成(な)り難し
一寸(いっすん)の光陰(こういん)軽(かろ)んずべからず
いまだ覚(さ)めず池塘(ちとう)春草(しゅんそう)の夢(ゆめ)
階前(かいぜん)の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声(しゅうせい)

【訳】
 少年はあっという間に歳をとってしまい、学問はなかなか完成しにくい。だから、少しの時間も軽々に過ごしてはならない。池の堤の春草のなかで見た夢がまだ覚めないうちに、階段の前の青桐(あおぎり)の葉には早くも秋の風が吹いている。

【解説】
 いわゆる「勧学」の詩として最も親しまれている詩です。ただし、朱熹の「詩文集」にこの作品が見当たらないことから、近時は、朱熹の作ではないとする説が有力となっており、日本人(江戸初期の五山の僧侶)の作ではないかともいわれます。詩の前半は何だか説教じみていますが、後半の美しい比喩に趣があり、ストレートな言い方と比喩の巧さとが分かりやすい詩にしています。
 
 七言絶句。「成・軽・声」で韻を踏んでいます。〈偶成〉は、たまたま思いついて作ったという意。〈少年〉は、日本語の「少年」よりもう少し上の年代。〈一寸光陰〉はわずかな時間、ほんのひとときの時間。〈不可軽〉はおろそかにしていけない、軽んじてはいけない。〈池塘〉は池の淵に築いた堤。〈春草夢〉は春草の萌えるころ、まどろんで夢を見ていたこと。〈階前〉は階段の前、庭先のこと。〈梧葉〉は青桐(あおぎり)の葉。〈已秋声〉は、すでに秋の風が吹いている。

朱熹(しゅき)

朱子と尊称される(1130年~1200年)。12世紀の南宋の儒学者で、宋学を大成し儒教に新しい哲学体系をあたえた。その学を朱子学といい、わが国江戸時代の儒学に大きな影響をあたえた。19歳で科挙に合格したが、ほとんどの期間、名目だけの官にとどまり、もっぱら儒学の研究に打ち込んだ。

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「理」への執着

朱熹は子供の頃から、物事の根本的な理由(理)を知りたがる性質を持っていました。彼がわずか4歳か5歳の頃、父親から「あれが天(空)だよ」と教えられた際、幼い朱熹は即座に「天の上には、一体何があるのですか?」と問い返したといいます。普通の子供なら見過ごしてしまうような世界の果てや構造に対して、この頃から並外れた探究心を持っていたことを示す、のちの「格物致知(万物の理を極める)」の思想を予感させるエピソードです。

 また、朱熹の生涯で最も有名な学術的イベントが、淳熙2年(1175年)に鵞湖寺(がこじ)という寺で開かれた「鵞湖の会(がこのかい)」です。ここでは、朱熹ともう一人の天才思想家である陸九淵(りくきゅうえん)が直接対決しました。朱熹の主張する立場は、まず外にある万物の理を学び、知識を積み重ねて聖人に近づくべき(博文約礼・性即理)というものでしたが、陸九淵の立場は、理は人間の心の中に最初から備わっているのだから、外に求める必要はない(明心見性・心即理)というものでした。

 この激論は3日間にわたって続きましたが、お互いに一歩も譲らず、物別れに終わりました。しかし、このライバル関係は単なる敵対ではなく、互いの学問を高め合う高潔なものであり、のちに朱熹が自ら再興した「白鹿洞書院」へ陸九淵を招いて講義を依頼するなど、学問的な敬意を持ち続けました。

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がんばる高校生のための文系の資料・問題集。