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漢詩を読むがんばれ高校生!

勧学(かんがく)

朱熹

勿謂今日不学而有来日
勿謂今年不学而有来年
日月逝矣歳不我延
嗚呼老矣是誰之愆


謂(い)う勿(な)かれ 今日(こんにち)学ばずして来日(らいじつ)有りと
謂う勿かれ 今年(こんねん)学ばずして来年(らいねん)有りと
日月(じつげつ)逝(ゆ)きぬ 歳(とし)我(われ)と延びず
嗚呼(ああ) 老いたり 是(こ)れ誰(た)れの愆(あやま)ちぞや

【訳】
 言ってはならない、今日学ばなくても明日があると。言ってはならない、今年学ばなくても来年があると。月日は過ぎ去っていき、歳は自分と一緒に延びてはくれない。「ああ、我は老いたり」と嘆くのは、いったい誰の過ちであろうか。

【解説】
 人に学問を勧めることを歌ったもので、あたかも老齢に達した人の嘆きの詩のようですが、朱熹が18歳のときの作とされます。このようにはなりたくないと、戒めを込め、自らを鼓舞したのでしょうか。
 
 絶句。「年・延・愆」で韻を踏んでいます。〈勿謂〉は言ってはならない。〈不学〉は学ぼうとしない。〈来日〉は明日、後日。〈日月〉は歳月。〈歳不我延〉は私を待たずに過ぎ去っていく。〈嗚呼〉は嘆きの声。〈愆〉は、時を誤る、時期を間違える。

朱熹(しゅき)

朱子と尊称される(1130年~1200年)。12世紀の南宋の儒学者で、宋学を大成し儒教に新しい哲学体系をあたえた。その学を朱子学といい、わが国江戸時代の儒学に大きな影響をあたえた。19歳で科挙に合格したが、ほとんどの期間、名目だけの官にとどまり、もっぱら儒学の研究に打ち込んだ。

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妥協なき政治姿勢と晩年の悲劇

 朱熹は地方官(知事など)として非常に優秀で、災害時の救済システム(社倉法)を確立するなど民政に尽力しました。しかし、中央政界ではその「正論を曲げない頑固さ」ゆえに、多くの敵を作りました。時の皇帝・寧宗に仕え、皇帝の家庭教師(煥章閣待制)となった際も、朱熹は講義の場で皇帝の私生活のだらしなさや政治の姿勢を容赦なく厳しく批判しました。これに煙たがられたことや、当時の権力者である韓侂冑(かんたくちゅう)と激しく対立した結果、わずか40日余りで罷免されてしまいます。

 その後も韓侂冑ら政敵による弾圧はエスカレートし、朱熹の思想は「偽学(うそ偽りの学問)」と糾弾され、朱子学派の官僚や学者たちが次々と処罰される「慶元の党禁(けいげんのとうきん)」という大弾圧へと発展しました。朱熹自身もすべての官職を剥奪され、一時は命すら危ぶまれる状況に追い込まれました。門弟たちの多くが連座を恐れて彼のもとを去っていく中、朱熹は決して自らの学説を曲げることなく、黙々と古典の注釈(『楚辞集注』など)を書き続けました。

 そして慶元6年(1200年)、彼が病で世を去る際、見送ったのはわずか数人の熱心な弟子だけだったと伝えられています。生前はこれほどまでに迫害された朱子学ですが、彼の死後、数十年を経て評価は一変し、元・明・清の時代には国家の公式な学問(科挙の標準)として君臨することになります。 

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がんばる高校生のための文系の資料・問題集。