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チャイコフスキーの《ピアノ協奏曲第1番》

 アメリカではチャイコフスキーの音楽の人気が高いんだそうですね。日本ではどうでしょうか。『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』などの親しみやすい音楽をたくさん作曲していますから、とても馴染み深い作曲家でありましょう。しかし、聞くところによると、クラシック音楽「通(つう)」の間ではあまり評価されていないというか、「玄人受け」しないといいます。なぜなのでしょう。「通」と呼ばれる人の思考によくありがちな、あまりに素人受けしているから、同じレベルに思われたくないということでしょうか。

 そういえば、モーツァルトを大絶賛した大評論家の小林秀雄氏が、同じ著作の『モオツァルト』のなかでチャイコフスキーについて次のように述べています。「僕は、ハ調クワルテット(K.465)の第二楽章を聞いていて、モオツァルトの持っていた表現せんとする意志の驚くべき純粋さが現れてくる様を、一種の困惑を覚えながら眺めるのである。若し、これが真実な人間のカンタアビレなら、もうこの先何処に行く処があろうか。例えばチャイコフスキイのカンタアビレまで堕落する必要が何処にあったのだろう」

 もう少し分かりやすい文章で書いてもらえないものかと思いますが、要するにモーツァルトのカンタービレ(歌う)に比べて、チャイコフスキーのそれは「堕落」しているというのです。ずいぶん厳しい言い様ですが、皆さまはどう感じておられるでしょうか。確かに素人耳にも、チャイコフスキーの楽曲の多くは、悪く言えば表情がオーバーというか、音の強弱の幅が広く、さらに情熱的、官能的でロマンチックなメロディーがふんだんに含まれているという印象です。しかしだからといって「堕落」とは・・・。

 前置きが長くなりましたが、彼の《ピアノ協奏曲第1番》も、おそらくそうした範疇に加えられる曲の一つなのでしょう。よく知られている第1楽章の序奏部の派手さ、壮麗さは、実に圧倒的です。いかにも大衆向け、大ホール向けに書かれているというので、演奏するのがちょっと気恥ずかしいという指揮者もいるとか。私はまごうことなき素人の大衆ですので、聴くのが恥ずかしいなんてことはありません。

 ところで、この序奏の主題は最初の一回こっきりで、その後は変形されて再現される以外、二度と出てきません。主部に入ると、もやもやとした旋律が続き、何だか迷路を彷徨うような不思議な感覚になります。聴き進んでいくうち、最初のあのド派手な序奏はいったい何だったんだろうと感じます。もう一回くらい出てくればよいのに・・・。続いてやわらかな第2楽章、そして華やかで躍動感にあふれる終楽章へと続きます。その第1主題は、ウクライナに伝わる舞曲から採られたものだそうで、農民の春の喜びを表現しているとか。まことにリズミカルで心が弾む旋律です。

 私の愛聴盤は、アルゲリッチによる1980年のライブ録音と、上原彩子さんの2005年の録音です。アルゲリッチによる演奏を、南米女性の情熱のほとばしりと評するならば、上原彩子さんのそれは、まさに大和なでしこ、手弱女(たおやめ)の秘めたる情念の吐露とでも言いましょうか。日本人女性ならではの肌理の細かさ、ていねいさ。そして、優しくたおやかで、それでいてしっかりとした芯がある。アルゲリッチの“強さ”に対して、こちらは“凛”としているのであります。

チャイコフスキーの《ヴァイオリン協奏曲》

 1878年に作曲されたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスのヴァイオリン協奏曲と並び、「4大ヴァイオリン協奏曲」と称されています。しかし、初演時の評価は散々だったようで、スポンサー?のメック夫人からは褒められず、当時のロシアで有名なヴァイオリニストのレオポルト・アウアーからは演奏不能だと初演を拒否され、1881年に何とか初演にこぎつけたものの、高名な批評家のハンスリックからは「悪臭を放つ音楽」と酷評されるありさまだったとか。

 しかし、初演のヴァイオリン・ソロを受け持ったアドルフ・ブロツキーはこれにめげることなく、その後もさまざまな機会にこの作品を演奏し続けたことから、しだいに評価を得るようになったんだそうです。最初に拒否したアウアーも後には演奏しだしたといい、もしブロツキーの執念がなかったなら、そのまま消えてしまったかもしれない曲だったわけです。この作品の献呈相手は、当然ながら大恩人となったブロツキー宛でした。しかし、つくづく人の評判なんていい加減なもんだと感じます。さんざん酷評された曲が、今や「4大ヴァイオリン協奏曲」の一つですからね。

 とはいうものの、この曲もドイツの音楽とは明らかに雰囲気が異なり、派手で表現過剰とされるチャイコフスキーの楽曲の範疇に入る作品なのは確かでしょう。気位の高い玄人の方々には、やはりウケが悪いのかも。しかし、全ての楽曲がドイツ風であるのが正しいわけではないでしょうし、彼のファンからすれば、これぞチャイコフスキー!の曲でありますよ。交響曲第6番《悲愴》第1楽章のような、心臓が止まりそうな大音響は勘弁してほしいところですが、いいじゃないですか、たまにはこういう派手なの。
 

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オーディオの話

オーディオは一生の友。ゆる〜いファンではありますが、いろいろと感じることがあります。


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チャイコフスキーの年譜

1840年
ロシアのウラル地方ヴォトキンスクで、鉱山技師の父のもと次男として誕生

1845年
マリヤ・パリチコヴァからピアノを習う

1859年
法律学校を卒業後、法務省の職員として勤務

1861年
アントン・ルービンシュタイン設立の音楽協会(後のペテルブルク音楽院)に入会

1863年
法務省を退職し、協会モスクワ支部の音楽教師に就任

1866年
モスクワ音楽院で音楽理論教師に就任。作曲活動の本格的開始

1875年
ピアノ協奏曲第1番を作曲

1876年
富豪のメック夫人から資金援助を受ける。交響曲第4番を作曲

1877年
アントニーナ・ミリュコーヴァと結婚するが、間もなく事実上離婚。バレエ『白鳥の湖』を作曲

1878年
教職を辞任。ヨーロッパ各地を転々と移住

1885年
ロシアに帰国、モスクワ近郊に住む

1888年
バレエ『眠れる森の美女』を作曲。交響曲第5番を作曲

1891年
バレエ『くるみ割り人形』を作曲

1893年
交響曲第6番を作曲。初演から間もなくコレラに罹り急死(53歳)

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