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漢詩を読むがんばれ高校生!

贈猫(猫に贈る)

陸游

裏塩迎得小狸奴
尽護山房万巻書
慚愧家貧策勲薄
寒無氈坐食無魚

塩(しお)を裏(つつ)みて迎(むか)え得(え)たり 小さき狸奴(りど)
尽(ことごと)く護(まも)る 山房(さんぼう)万巻(ばんかん)の書(しょ)
慚愧(ざんき)す 家は貧しくて勲(いさお)に策(むく)ゆること薄(うす)く
寒きにも氈(せん)の坐(ざ)する無く 食(しょく)に魚(うお)無し

【訳】
 塩をお礼につつみ、小さな猫を迎えることができた。書斎の万巻の書物をネズミから守ってくれた。だが、恥ずかしいのは、家が貧しくて手柄に報いることができない。寒くても座らせる毛氈もなく、食べ物に魚も出してやれないことだ。

【解説】
 陸游が59歳、故郷の紹興(しょうこう)に隠居していた時の作。猫好きだったのか、20余首の猫の詩を作っており、とりわけ、大事な蔵書をネズミから守ってくれながら、その労に報いてやれないのが申し訳ないと呼びかけるこの詩は、猫への優しい愛情に溢れています。宋の時代には多くの人が猫を愛でるようになったらしく、よその家に子猫が生まれると、塩をお礼に贈って貰い受けたといいます。中国内陸では塩は貴重品であり、貨幣に準ずる価値がありました。
 
 七言絶句。「奴、書、魚」で韻を踏んでいます。〈狸奴〉は猫の愛称。〈尽〉は、ことごとく。〈山房〉は書斎。〈万巻書〉は多くの書物。〈慚愧〉は恥じること。〈策勲〉は手柄を記録する、報いる。〈氈坐〉は毛氈の敷物。〈食無魚〉は、斉の孟嘗君(もうしょうくん)の食客だった馮驩(ふうかん)が待遇改善を求めて長鋏(ちょうきょう:剣)を叩き、「長鋏よ帰来らんか、食に魚無し(わが剣よ、故郷へ帰ろうか、ここには食事に魚もない)」と歌った故事をふまえています。

陸游(りくゆう)

南宋時代の詩人(1125~1210年)。生涯にほぼ1万首の詩を残し、中国の大詩人の中で最も多作。当時は中国の北半分を女真族の金が占領しており、地方官だった父陸宰は官界では少数の徹底抗派で、陸游はその影響下に育った。30歳のとき、科挙の試験で宰相秦檜(しんかい:金との和睦派)の孫と首位を争ったが、秦檜のさしがねで落第。のち進士の資格は得たが、抗戦派として政界で疎外され、最終官も名誉職に近い秘書監にとどまった。

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押 韻

押韻(おういん)とは、同じ音または類似の響きの漢字(音読み)を句の末尾に揃える決まり。韻を踏むことによって、文章がリズム感を持ち、読みやすく心に残りやすい詩となる。

古体詩もすべて押韻されていたが、近体詩では、基本的に偶数句末が韻を踏む。五言絶句なら2句と4句目。七言律詩なら2・4・6・8句。逆に奇数句末では韻を外さなくてはならない。なお七言詩の場合に限り、初句でも韻を踏むことがある。

ただし、日本語や現代中国語で発音しても同じ響きにならないものがあるが、時代の推移によって発音が変わったことによる。 

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