
王安石
石梁茅屋有彎碕
流水濺濺度両陂
晴日暖風生麦気
緑陰幽草勝花時
石梁(せきりょう)茅屋(ぼうおく)彎碕(わんき)有(あ)り
流水(りゅうすい)濺濺(せんせん)として両陂(りょうひ)を度(わた)る
晴日(せいじつ)暖風(だんぷう)麦気(ばくき)を生(しょう)じ
緑陰(りょくいん)幽草(ゆうそう)花時(かじ)に勝(まさ)る
【訳】
石の橋、茅葺きの小さな家、彎曲した川の岸辺。流れる水は両側の土手の間をさらさらと過ぎて行く。晴れた日差しと暖かい風の中に、麦の香りが漂い、青葉の茂った木陰とひっそりと生い茂る草は、花の咲く時節にまさる。
【解説】
王安石が、56歳で北宋の宰相を辞し、南京郊外に隠棲した後の作品。初夏のひととき、自然豊かな自宅の近辺を散策しながら眼前の風景を細やかに歌うこの詩には、激しい政争に神経をすり減らしてきた官界からようやく離れ、のどかで静謐な境地に憩う喜びが映し出されています。「初夏」は陰暦の初夏、陰暦の4月、「即事」は、折に触れて、またはその場のことを題材として詩を作ることを意味し、詩題に用います。
七言絶句。「碕・陂・時」で韻を踏んでいます。〈石梁〉は石の橋。〈茅屋〉は茅葺き屋根の小さな家。〈彎碕〉は彎曲した川岸。〈濺濺〉は水がさらさらと流れる音。このように同じ字を重ねた熟語を「重言(ちょうげん)」または「畳語(じょうご)」といいます。〈両陂〉は両側の土手、堤。〈晴日〉は晴れた日差し。〈麦気〉は、畑から漂う麦の香り。初夏の頃に麦を刈り入れるため、この時節を「麦秋」ともいいます。〈生〉は漂ってくる。〈緑陰〉は青葉の茂った木陰。〈幽草〉は、人目につかずひっそりと生い茂る草。〈花時〉は、色々な花が咲く時節。〈勝〉は、まさる、素晴らしい。
王安石の政治
1058年、王安石は北宋の政治改革を訴える上奏文を出して、大きく注目され、1069年に副宰相となり政治改革に着手、翌年には首席宰相となり、窮乏した国家財政を抜本的に立て直すため「新法」を制定、急進的な改革を推し進めました。これに対し、保守的な司馬光らの「旧法党」が猛反発し、王安石らの「新法党」と激しく争いを繰り返しました。 しかし、1074年に河北で大旱魃が起こり、これがきっかけとなって王安石は職を辞することとなりました。
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妥協なき「頑固一徹」
彼のあだ名は「拗相公(いくじなしのへりくつ男、あるいは強情総理)」でした。一度「これが正しい」と決めたら、周囲の誰が反対しようとも、どれほど批判を浴びようとも、絶対に自説を曲げない頑固さを持っていました。彼のこの徹底した信念は、有名な言葉に表れています。
「天変も畏るるに足らず、祖宗も法るに足らず、人言も恤むに足らず」(天変地異が起きても恐れる必要はない。先祖代々の古い慣習など手本にする価値はない。他人の批判や噂話など気にする必要はない。)
この超合理主義と強靭なメンタルがあったからこそ、数百年変わらなかった北宋の国家システムを大改革できたのですが、同時に多くの敵を作る原因にもなりました。稀代の天才でありながら、私生活はあまりにもズボラで、信念のためには孤独を恐れない。王安石は、そんな強烈なギャップを持った魅力的な人物でした。
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