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漢詩を読むがんばれ高校生!

省中(しょうちゅう)

王安石

大梁春雪満城泥
一馬常瞻落日帰
身世自知還自笑
悠悠三十九年非

大梁(たいりょう)の春雪(しゅんせつ)満城(まんじょう)の泥(どろ)
一馬(いちば)常(つね)に落日(らくじつ)を瞻(み)つめつつ帰る
身世(しんせい)自(みずか)ら知り還(ま)た自(みずか)ら笑う
悠悠(ゆうゆう)三十九年(さんじゅうくねん)の非(ひ)

【訳】
 開封(かいほう)は春の残雪で、町中が泥だらけだ。一頭の馬に跨る私は、いつも落日を見ながら役所から帰途につく。これまでのわが人生を自ら悟り、また自ら笑う。はるかに辿れば、この三十九年間は誤りだった。

【解説】
 結句にあるとおり、王安石39歳の作。題の「省中」は役所のこと。当時、彼は度支判官(たくしはんがん:会計官)として、開封で役所勤めをしていました。早朝に出勤し、疲れ果てて帰るのは日の落ちるころ。しかも道路は折からの春の雪で泥だらけ。やりきれない思いで馬に乗っての帰途、これまでの自らの半生を振り返れば、誤りの連続だったと臍を噛む・・・。王安石は22歳で科挙に合格するものの、官界では一地方官として不遇が続き、政治改革を訴える上奏文によって皇帝の側近たる翰林学士(かんりんがくし)に抜擢されたのは46歳の時でした。この詩に歌われた不満は、高い志の裏返しだったのでしょうか。
 
 七言絶句。「泥・帰・非」で韻を踏んでいます。〈大梁〉は戦国時代の魏の都。北宋の首都・開封はこの故地に置かれました。〈身世〉はこれまでの自分の人生。〈悠悠〉は遠くはるかなさま。

王安石(おうあんせき)

北宋の政治家・文学者(1021~1086年)。字は介甫。号は半山。撫州臨川県の人。新法党の領袖。神宗の政治顧問となり、制置三司条例司を設置して新法を実施し、政治改革に乗り出す。文章家としても有名で、仁宗に上奏した「万言書」は名文として称えられ、唐宋八大家の一人に数えられる。また詩人としても有名。儒教史上、新学(荊公新学)の創始者であり、『周礼』『詩経』『書経』に対する注釈書『三経新義』を作った。

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翰林学士

翰林(かんりん)学士は唐代以降の官名で、天子の秘書兼顧問として、主に国家的な大事に際しての詔勅の起草をつかさどった。その選任にあたっては文才ある者が求められ、天下の名士が登用されるようになった。宋代には最も名誉ある地位(定員6名)とされ、とくにその筆頭である承旨(しょうし)は、宰相に次ぐ実権を持ち内相と称せられ、やがては宰相に昇進することが慣例となっていた。

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