陶淵明
天地長不没
山川無改時
草木得常理
霜露栄悴之
謂人最霊智
独復不如茲
適見在世中
奄去靡帰期
奚覚無一人
親識豈相思
但余平生物
挙目情淒洏
我無騰化術
必爾不復疑
願君取吾言
得酒莫苟辞
天地(てんち)長(とこし)えに没(ぼっ)せず
山川(さんせん)改まる時なし
草木(そうもく)常理(じょうり)を得て
霜露(そうろ)之(これ)を栄悴(えいすい)せしむ
人は最も霊智(れいち)なると謂(い)うも
独(ひと)り復(ま)た茲(か)くの如(ごと)からず
適(たま)たま世の中(うち)に在るを見るも
奄(たちま)ち去って帰る期(とき)靡(な)し
奚(なん)ぞ覚(さと)らん一人(いちにん)の無きを
親識(しんしき)も豈(あ)に相(あい)思わんや
但(た)だ平生(へいぜい)の物を余すのみ
目を挙(あ)ぐれば情は悽而(せいじ)たり
我に騰化(とうか)の術(じゅつ)無ければ
必ず爾(しか)らんこと復(ま)た疑わず
願わくは君 吾(わ)が言(げん)を取り
酒を得なば苟(いやし)くも辞(じ)すること莫(な)かれ
【訳】
天地は永久になくなることなく、山川も変わることはない。草木は不変の法則に従い、霜にうたれてしおれても、春の露のおかげでまた花が咲く。
人間は最も叡知な生き物といわれるが、人間だけが天地、山川草木のように不変ではない。つい先ほどまでこの世に生きていたのに、すぐに死に去って再び戻ってくることはない。
一人の人間がこの世からいなくなっても気づくものはおらず、親戚や友人も、いつまでも偲んでくれるわけではない。後にはふだん使っていた遺品が残るのみで、それらを見ると心が痛むばかりだ。
自分には仙人となって不死の世界に昇る術はないのだから、必ずそうなるに違いない。どうか影よ、私の言うことをくみとって、酒を手にしたら決して辞退してはいけない。
【解説】
人間を、形(肉体)と影、神(魂、精神)の三つに分け、その三者が「死生観」をめぐって問答する形式になっている一連の詩のなかの一つです。詩の前の序文には次のように書かれています。「人間は、誰一人として生きることにあくせくし、死を恐れない者はない。私は形(肉体)と影おのおのにその立場を述べさせ、神(精神)に自然の節理を説かせ、形と影の惑いを解消させることにした」。ここでは、肉体が影に贈ったものとして詠っている詩をご紹介します。
形(肉体)は言います。草木の生命のはかなさは人間の命のはかなさと同じようでいて、両者が決定的に違うのは、秋にしおれて冬には枯れる草木は春になると再び生き返るのに対し、人間は一度死んだら二度と戻ってこない。しかも、すぐに忘れ去られてしまう。そうであるなら、せめて生きている間は、酒でも飲んで楽しもう、と。
五言古詩。「時・之・茲・期・思・洏・疑・辞」で韻を踏んでいます。〈長〉は永遠に、とこしえに。〈常理〉は不変の法則。〈霜露〉は寒い季節に降りる霜と、暖かいときの恵みの露。〈栄悴〉は栄えさせたり衰えさせたりする。〈最霊智〉は万物の霊長、最も賢いもの。〈如茲〉は、そのようである。〈適見〉は、たまたま会う。〈奄〉は、たちまち、にわかに。〈帰期〉は帰ってくる時。〈親識〉は親類や友人。〈平生物〉は生前使っていた物。〈挙目〉は目をあげて見る。〈淒洏〉は悲しく寂しい。〈騰化術〉は仙人となって天に舞い上がる術。
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