本文へスキップ

漢詩を読むがんばれ高校生!

雑詩(ざつし)~其一

陶淵明

人生無根蒂
飄如陌上塵
分散逐風転
此已非常身
落地為兄弟
何必骨肉親
得歓当作楽
斗酒聚比隣
盛年不重来
一日難再晨
及時当勉励
歳月不待人

人生(じんせい)は根蒂(こんてい)無く
飄(ひょう)として陌上(はくじょう)の塵(ちり)の如(ごと)し
分散(ぶんさん)し風を逐(お)いて転(てん)じ
此(こ)れ已(すで)に常(つね)の身に非(あら)ず
地に落ちて兄弟(けいてい)と為(な)る
何ぞ必ずしも骨肉(こつにく)の親(しん)のみならん
歓(かん)を得ては当(まさ)に楽しみを作(な)すべし
斗酒(としゅ)比隣(ひりん)を聚(あつ)む
盛年(せいねん)重ねて来たらず
一日(いちじつ)再び晨(あした)なり難し
時に及んで当(まさ)に勉励(べんれい)すべし
歳月(さいげつ)は人を待たず

【訳】
 人間には木の根や果実の蔕(へた)のような、しっかりした拠り所がなく、その様は、まるで風に吹き上げられる路上の埃のようなもの。風のまにまに、あちらこちらへ吹き飛ばされて、もはや元の身に帰ることはない。そんなこの世に生まれ出たからには、すべての人が兄弟のようなもの。肉親だけにこだわる必要はさらさらない。嬉しいときには、酒をたっぷり用意し、近所の仲間と大いに楽しむがよい。若いときは二度と戻ってこないし、一日に二度の朝はない。楽しめるときにはせいぜい楽しもう。歳月は人を待ってくれないのだ。

【解説】
 「雑詩」とは、その時々に感じたことをとりとめもなく綴った詩という意味で、ここの詩は、陶淵明(陶潜)が折にふれて感慨を詠んだ「雑詩十二首」のなかの其の一です。制作時期は、わずかに第六首に「五十年」とあることから、50歳前後の作と推定されています。この詩では、とくに最後の四句が人口に膾炙し、歳月は人を待ってくれないから、寸暇を惜しんで勉強すべしという意味に多く受け取られてきました。しかし実はそうではなく、作者は「この定めのない人生、楽しめるときに大いに楽しもう」と呼びかけているのです。楽しむべき時に楽しもうというのは、中国の詩歌では伝統的な発想となっています。
 
 五言古詩。「塵・身・親・隣・晨・人」で韻を踏んでいます。〈人生〉は人の一生と人の命の両方の意。〈根蒂〉は木の根や果実のへた、物事の拠り所。〈飄〉は風に吹き飛ばされるさま。〈陌上〉は路上。〈常身〉は永遠に変わらない身。〈落地〉はこの世に生まれること。〈何〉は「どうして~だろうか、いや~ない」の反語。〈斗酒〉は一斗の酒、大量の酒。〈聚〉は集める。〈比隣〉は隣近所の人。〈盛年〉は若くて元気なころ。〈晨〉は朝。〈盛年〉は若い時。〈及時〉はちょうどよい時に、よい時を逃さず。〈勉励〉は努め励むこと。ただし、ここでは楽しみに励もうと言っています。

陶淵明(とうえんめい)

六朝東晋の詩人・文章家(365年~427年)。清潔な人柄から、死後「靖節先生」と呼ばれた。地主階級に生まれ、幾度か役人生活をする。情熱を内に秘めた平易簡明な詩文は、杜甫や蘇軾など後代多くの文人に愛され、郷里の田園に隠遁後は、自ら農作業に従事しつつ、日常生活に即した詩文を多く残し、「隠逸詩人」「田園詩人」などと称された。

【PR】

目次へ

がんばれ高校生!

がんばる高校生のための文系の資料・問題集。

バナースペース

【PR】

古 詩

唐代になって新たに起こった近体詩(絶句・律詩)以前の詩、すなわち太古から随までの詩。大多数は五言または七言の句で構成されるが、七言古詩にはときに8字以上の句を含むこともある。古詩は、韻を踏むだけで、平仄や句数に制限がない。

なお、近体詩が成立した後も、その規則に従わない、比較的自由な詩も作られた。その自由な歌いぶりをもって、近体詩と詩を二分する形で後世に受け継がれた。

【PR】

VAIO STORE

目次へ