現在市販されている「六法」では、刑法第200条は「尊属殺人」という項目のみ残されていて、条文そのものは削除されています。実はかつてここには「自己又は配偶者の直系尊属を殺したる者は死刑又は無期懲役に処す」という条文があったのですが、昭和48年に最高裁による違憲判決が出され、平成7年の法改正によって削除されたのです。
直系尊属というのは、要するに父母や祖父母のことです。刑法第199条に「殺人罪」の規定があるにもかかわらず、あえて「親殺し」を特別な犯罪として、法は厳罰で臨んでいたわけです。そうでなくとも、子が親を殺すなどとはこの上なく恐ろしくけしからんというのが、古今の通常人の感覚でありましょう。そのふつうの感覚に基く尊属殺の規定が違憲とされ、削除されたのはどういう経緯によるのでしょう。実は、これは、まことに辛く悲しい事件が発端でした。その事件のあらましは次のようなものです。
―― 被告人のA女は、中学2年生のときに実の父親から姦淫され、以後10年以上もの間、夫婦同然の生活を強いられ、数人の子まで産まされていました。しかし、たまたま職場で知り合った一人の青年と愛し合うようになり、結婚を考えるまでになったのです。それを知った父親は激昂し、10日あまりにわたってA女を監禁、脅迫、暴行を加え続けます。あまりに惨い仕打ちに、A女は思い余って父親を殺害、そして自首したのです。
裁判官は、当然ながらA女に同情します。何とか実刑は回避したい。しかし、A女が犯した罪はまぎれもなく刑法第200条の尊属殺人に該当します。そして「死刑または無期懲役」という法定刑は、あらゆる減刑事由をあてはめても、3年6ヶ月の懲役にしか縮まらないのです。すなわち心神耗弱などの法律上の減刑で7年まで、さらに情状酌量で3年6ヶ月までというのが精一杯だったのです。執行猶予がつけられるのは懲役3年以下ですから、そのままではA女を刑務所に入れなくてはなりません。これは裁判官ならずとも忍び難いところでした。
そこで最高裁判所は、刑法第200条を、法の下の平等を規定した憲法第14条に違反すると判断、通常の殺人罪を適用して、A女を懲役2年6ヶ月、執行猶予3年に処したのです。――
如何でしょう。法律の条文が追加されたり削除されたりする背景には、立法者の思いもよらなかった出来事があるという典型例ではないでしょうか。ただし、この違憲判決について誤解してはならないのは、最高裁は、「親殺しは重い罪」として差別した規定の”趣旨”そのものを否定したのではありません。その判決文を要約しますと、次のようなものです。
「憲法14条1項の定める平等原則は、一切の差別を禁ずるものではなく、個々の事情に基いた合理的な差別的取り扱いを許容する趣旨である。そしてその差別的取り扱いが許されるか否かは、(1)その目的が正当で、(2)その手段が目的と合理的関連性を持っているか否かによって判断されるべきである。
刑法200条の規定についてみるに、尊属殺と通常殺を差別化している趣旨は、尊属を卑属またはその配偶者が殺害することは一般に高度の社会的道義的非難に値するものであるから、これを重罰化することによって尊属に対する報恩尊重という普遍的倫理に刑法上の保護を与えたものであるといえる。そしてこの規定の目的は正当なものとして是認できる。
しかし加重の程度が極端であって、その立法目的達成のために必要な限度をはるかに超え、普通殺に関する刑法199条の法定刑に比し著しく不合理な差別的取り扱いをするものであり、立法目的との間に合理的関連性があるとは到底いえない。よって、刑法200条は日本国憲法14条1項に違反する規定であり、これを適用することは許されない。刑法199条を適用し、判ずる」
つまり、親に対する報恩尊重は当たり前の倫理として特別扱いするのは肯定しつつも、その扱いの程度があまりに”極端”すぎるから違憲だとしているわけです。このバランス感覚と冷静さには、思わずうならされます。
なお、後日談ですが、この裁判を担当した弁護士のもとには、裁判が終わった後もずっとA女から連絡が届いていたそうです。しかし、弁護士は「もう年賀状を出すのはやめなさい。年賀状を私宛に書くたびにあなたは事件のことを思い出している。一刻も早くすべてを忘れて、あなたの人生を生きなさい」と返事を出し、事件のことも弁護士のことも忘れるよう促したそうです。以後、A女からの連絡は途絶えたといいます。
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