蘇軾
人老簪花不自羞
花応羞上老人頭
酔帰扶路人応笑
十里珠簾半上鉤
人は老いて花を簪(かざ)し 自(みずか)ら羞(は)じず
花は応(まさ)に老人の頭(かしら)に上(のぼ)るを羞(は)ずるなるべし
酔帰(すいき)して路(みち)に扶(たす)けらるるを 人は(まさ)に笑うべし
十里(じゅうり)の珠簾(しゅれん) 半(なか)ば鉤(こう)に上(のぼ)る
【訳】
年老いた私は恥じることなく、牡丹の花を髪に挿す。花のほうが老人の頭に挿され、きっと恥ずかしがっているだろう。酔った帰り道、人に支えられた私の姿は、さぞおかしく見えるに違いない。十里の道にならぶ家々が、ほとんど簾を巻き上げているのだから。
【解説】
吉祥寺(きつしょうじ)は杭州にある寺の名で、牡丹の名所とされました。1072年の作で、当時、杭州の通判(副知事)だった蘇軾が、太守の沈立と花見に出かけた帰り道、すっかり酒に酔って牡丹の花を髪に挿し、人に支えられながら歩く姿をユーモラスに歌っています。老人と自称しているものの、このときの蘇軾は37歳です。老人の頭に飾られて花の方が恥じるという発想は、唐の詩人・劉兎錫(りゅううしゃく)の発想だといいます。牡丹は中国原産で、初夏に大輪の花を咲かせます。随代から鑑賞用に栽培されるようになり、唐代には「花の王」として大流行しました。
七言絶句。「羞・頭・鉤」で韻を踏んでいます。〈人〉は、ここでは作者のこと。〈簪〉は、かんざしとして挿す。〈不自〉は、別に~とは思わない。〈羞〉は恥じる、恥ずかしがる。〈応〉は、おそらく~であろう。〈路〉は往来する。〈珠簾〉は美しい簾(すだれ)。〈鉤〉は、簾を巻き上げて引っかける金具。
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