蘇軾
羅浮山下四時春
盧橘楊梅次第新
日啖荔枝三百顆
不妨長作嶺南人
羅浮山下(らふさんか)四時(しじ)の春
盧橘(ろきつ)楊梅(ようばい)次第(つぎつぎ)に新たなり
日(ひ)びに荔枝(れいし)を啖(く)らうこと三百顆(さんびゃくか)
妨(さまた)げず長(とこし)えに嶺南(れいなん)の人と作(な)るを
【訳】
ここ羅浮山のふもとは一年中春のようだ。金柑や山桃などの果物が次々に実を結ぶ。毎日、三百個ものライチが食べられるのだ。いっそこのまま嶺南の人となって暮らすのも悪くない。
【解説】
大臣職を歴任した蘇軾でしたが、1094年、政争に敗れて恵州(広東省)に流されました。44歳の時の黄州への左遷に続いて二度目の追放でした。この詩は恵州での作で、蘇軾はすでに61歳になっていました。失意の内にあったのではと思うところですが、この詩では、ライチを1日に300個も食べられるので、嶺南の人間になってもよいと語っています。よほどライチが好きだったようで、また、左遷されても全くへこたれていないのです。もっとも、そうした懲りない態度が海南島への再追放を招いたともいわれます。
七言絶句。「春・新・人」で韻を踏んでいます。〈荔枝〉はライチのこと。南方の産物なので北方では珍重され、楊貴妃の好物だったことでも有名です。〈羅浮山〉は恵州の西北にある山で、道教の十大名山の一つ。〈四時〉は四季または一日中。ここでは前者の意。〈盧橘〉は金柑またはビワの別名。〈楊梅〉は山桃。〈次第〉は次々と。〈啖〉は食う、むさぼる。〈顆〉は丸いものを数える助数詞。〈不妨〉はいとわない。〈長作〉は永遠に~となる。〈嶺南〉は今の広東省一帯。
なお、蘇軾が66歳の時に政争の終結と共にようやく許され、提挙玉局観という名誉職を授けられましたが、都に向かう途中に病を得て、常州で死去しました。苛酷な運命にあっても、常に楽天的な強靭さを失わず、中国文学史に屹立する天性のユーモリストでありました。
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