
蘇軾
暮雲収盡溢清寒
銀漢無聲轉玉盤
此生此夜不長好
明月明年何處看
暮雲(ぼうん)収(おさ)まり尽(つ)きて清寒(せいかん)溢(あふ)る
銀漢(ぎんかん)声(こえ)無(な)く玉盤(ぎょくばん)転(てん)ず
此(こ)の生(せい)此の夜(よ)長(とこし)えには好(よ)からず
明月(めいげつ)明年(みょうねん)何(いず)れの処(ところ)にか看(み)ん
【訳】
日暮れ時、雲はどこかに去ってしまい、心地よい冷気が辺りに満ちている。天の川は音もなく流れ、玉の盆のような月があらわれた。
この人生、この夜がいつまでも続くとは限らない。この明月を、来年はどこで見ているのだろうか。
【解説】
作者41歳、徐州(江蘇省)の知事であった時に、仲のよい弟の轍(てつ)とともに暮らした彭城(ほうじょう)で詠んだ詩です。第2句で銀漢(天の川)と月の神秘的な美しさを際立たせ、第3・4句では、そうした月夜がいつまでも見られるとは限らないという世の無常に、将来の期待と不安とが入り混じった作者の心情が窺えます。
七言絶句。「寒・盤・看」で韻を踏んでいます。〈中秋月〉は陰暦8月15日の月。〈暮雲〉は夕暮れ時の雲。〈収盡〉は、どこかにしまい込まれて無くなる。〈清寒〉は清々しい冷気。〈銀漢〉は天の川、銀河。〈声無〉は音が無い。〈玉盤〉は月の異名。〈不長好〉は、いつまでも良いとは限らない。「とこしえによからず」と読んで、「いつも良いとは限らない」とするものもあります。
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奇跡の生還
元符3年(1100年)、哲宗皇帝の崩御に伴う大赦により、蘇軾はついに中央(本土)への復帰を許されます。配流地である海南島での生活は3年に及びました。本土へ戻る途中、彼は長江を渡りながら、自分の波乱に満ちた人生を振り返る詩(『自題金山画像』)を詠んでいます。
心似已灰之木(心はすでに火の消えた木のようであり)
身如不繫之舟(身は繋がれていない舟のように漂ってきた)
問汝平生功業(お前の生涯の功績は何かと問われれば)
黄州恵州儋州(黄州、恵州、そして儋州での流刑の日々さ)
政治家として華々しく中央で活躍した時期(杭州や密州、朝廷での高官時代)ではなく、最も苦しかったはずの3つの左遷地(黄州・恵州・儋州)こそが、自分の人生の輝かしい足跡(功績)であると言い切ったのです。苦難をすべて心の糧に変えてみせた、彼の精神的境地が表れた名句です。
過酷な運命に翻弄されながらも、ユーモアと旺盛な好奇心、そして現地の人々への深い愛を失わなかった蘇軾。彼の残した足跡は、今も中国各地に記念館や文化として深く息づいています。
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