王維
積水不可極
安知滄海東
九州何處遠
萬里若乘空
向國惟看日
歸帆但信風
鰲身映天黑
魚眼射波紅
鄕樹扶桑外
主人孤島中
別離方異域
音信若爲通
積水(せきすい)極(きわ)むべからず
安(いずく)んぞ知(し)らん滄海(そうかい)の東(ひがし)
九州(きゅうしゅう)何(いず)れの処(ところ)か遠(とお)からん
万里(ばんり)空(くう)に乗(じょう)ずるが若(ごと)し
国(くに)に向(むか)って惟(た)だ日(ひ)を看(み)
帰帆(きはん)但(た)だ風(かぜ)に信(まか)すのみ
鰲身(ごうしん)天(てん)に映(えい)じて黒(くろ)く
魚眼(ぎょがん)波(なみ)を射(い)て紅(くれない)なり
郷樹(きょうじゅ)扶桑(ふそう)の外(そと)
主人(しゅじん)孤島(ことう)の中(うち)
別離(べつり)方(まさ)に異域(いいき)
音信(おんしん)若為(いかん)してか通(つう)ぜん
【訳】
海はどこまでも続き、その果ては極めようがない。東の海のさらに東のことなど、どうして分かろうか。中国の外にあるという九つの国のうち、どこが一番遠いだろうか。君が故国に帰る万里の道のりは、空を飛んで行くようなものだろう。帰りゆく船はただ太陽の方角を見て、風に任せて進むよりほかはないだろう。波間に大海亀の甲が大空を背景に黒々と見え、巨大魚の目の光は波を貫くように紅く輝くことだろう。
君の故郷の木々は、扶桑のはるか外にあり、その故郷の家の主(あるじ)である君は孤島の中に住む。今ここで互いに別れてしまえば、私たちは別々の世界の人となる。どのようにして便りを通わせたらよいのだろうか。
【解説】
この詩は、遣唐使として中国に渡った阿倍仲麻呂が日本に帰ることになり、百官が送別の宴を開いた時に詠まれたものです。まだ17歳の若さで留学生として唐に渡った仲麻呂は、自分の名を晁衡(または朝衡:ちょうこう)と中国風に改め、官吏登用試験の科挙に合格し、唐の官吏としての生活を始めました。玄宗の信任も厚く、官位もどんどん上がっていきました。主に文学分野の役職を務めたことから、李白や王維などの詩人との交流もあったようです。その彼も、やがて故国に帰りたいと強く願うようになりましたが、皇帝は彼の帰国をなかなか許してくれません。ようやく752年に到着した第12次遣唐使の船で帰国することが許されたのです。しかし、仲麻呂の乗った船は遭難して今のベトナムあたりに漂着、再び長安に戻って仕え、結局、帰国を果たせないまま、かの地で没しました。なお、李白は遭難の知らせに『晁卿衡を哭す』という詩を作っています。
五言俳律。「東・空・風・紅・中・通」で韻を踏んでいます。〈秘書晁監〉は阿倍仲麻呂のこと。秘書監は官名で、宮中の蔵書を管理する秘書省の長官。〈積水〉は海。〈滄海〉は東方の大海原。そこに仙人の住む島があると伝えられた。〈九州〉は、ここでは中国の外にあると考えられた九つの世界。〈帰帆〉は帰りゆく船。〈鰲〉は巨大な亀。〈扶桑〉は東方の島にあり、日の出る所に生えていると伝えられた神木、あるいはその木の生えている土地。転じて、日本を指すようになる。〈主人〉は仲麻呂のこと。日本の天皇を指すとする説もある。〈異域〉は中国から遠く離れた地方。〈音信〉は便り、手紙。〈若為〉は、どのようにして、どうやって。
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