王維
空山不見人
但聞人語響
返景入深林
復照青苔上
空山(くうざん)人を見ず
但(た)だ人語(じんご)の響(ひびき)を聞く
返景(へんけい)深林(しんりん)に入(い)り
復(ま)た照(て)らす青苔(せいたい)の上
【訳】
ひっそりした山には人影がないのに、どこからか人の声だけが聞こえてくる。夕陽の光が奥深い林の中まで差し込んできて、青い苔の上を照らしている。
【解説】
王維は、晩年に長安郊外の輞川(もうせん)という地に別荘を構え、20の風光明媚な地を詩に詠みました(輞川集)。この詩はそのうちの一つで、人里離れた鹿柴の静かな夕景の趣がうたわれています。別に掲げている『竹里館』『辛夷塢』も、同じくこの地の景の一つを詠った詩です。また、王維には輞川荘の素晴らしい風景を描いた「輞川図」もあり、多くの画家たちに模写されました。
五言絶句。「響・上」で韻を踏んでいます。「鹿柴」は、もともと鹿を囲うための柵を意味し、ここでは王維の別荘があった地名。ここで実際に鹿を飼っていたかどうかは不明。〈空山〉はひっそりした山。別の意味では、秋になってすっかり落葉した山。〈人語〉は人の話し声。〈返景〉は夕陽の光。〈復〉は再び。
前半2句では、人の姿は見えないのに、声だけがどこからか聞こえてくるといって静寂さを強調し、後半2句では、日中は日の光に当たることのない青苔が、夕方のほんのひととき、斜めの夕日によって鮮やかに照らし出されるシーンを詠じています。まことに高雅な境地であり、画家でもある王維らしい描写です。
狭義の「漢詩」は、漢代(前202年~220年)に作られた詩を指しますが、日本では「和歌」に対して中国の詩全般を「漢詩」と言っています。また、これとは別に唐の時代の詩を「唐詩」と呼び、その詩の流れは、初唐・盛唐・中唐・晩唐の四つの時期に分けて考えられています。この時代に詩の形式はほぼ固まり、それまでの時代の詩を「古体詩」、唐の時代からの詩を「近体詩」と呼びます。科挙の試験に作詩が課せられたことから詩は隆盛し、黄金時代を迎えました。
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