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縄文人の航海術

 『古事記』『日本書紀』は、神代を神話として正史と区別して書かれています。そして、神話のもっとも古い部分では、日本の国のことを「大八島国(おおやしまのくに)」と呼んでいます。従って、神話ができる時代の人々は、すでに日本が島国であるのを認識していたことになります。ここでいう八島とは、淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、そして本州をさします。ということは、当時すでに、これらの島々を自由に行き来する航海術が発達していたと考えられるわけです。

 縄文時代中期の大規模集落跡である青森市の三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)では、さまざまな出土品に混じって、ヒスイが出土しています。ヒスイの原石だけでなく、加工途中または完成品の珠なども見つかっているそうです。この時代のヒスイはすべて新潟の糸魚川で産出したものだと分かっており、三内丸山遺跡と糸魚川の間の地域ではヒスイはほとんど発見されていません。同遺跡からは船のオールも発掘されており、かなりの航海術をもって、そんな遠くまで行き来していたようなのです。

 三内丸山遺跡の人たちだけでなく、各地の縄文人たちも、日本周辺の島々だけでなく、日本海を越えて朝鮮半島までも渡っていたようで、伊豆諸島の神津島(こうづしま)で産出された黒曜石が、関東各地の遺跡から発見されたほか、伊勢湾や能登半島にまで分布しているといいます。黒曜石はガラス質で加工しやすく、切れ味が鋭いためナイフ形や槍先の形など幅広い用途の石器として様々に利用されました。また、韓国の遺跡から縄文時代の土器が発見されたりもしています。

 当時の舟はもちろん丸木舟です。これまで見つかった中では、2013年に千葉県市川市の雷下(かみなりした)遺跡で発掘されたものが最古で、約7500年前とされます。縄文後期のものでも、全長5〜6メートル、幅0.5メートル程度の大きさしかなく、そんな貧弱な舟で、波高い外洋をいったいどうやって航海したのでしょうか。すごいです、縄文人!

縄文土器の文様

 大森貝塚を発掘したアメリカの動物学者モースによって見出された縄文土器。私らが小学生のころは「縄文式土器」「弥生式土器」という名称で習ったのですが、1975年に考古学者の佐原真さんが「式」を使うのはおかしいといって「縄文土器」の名称を提唱、以後、一般化したという経緯があります。

 多くの縄文土器には、その名前の由来となった「縄目文様」がありますが、このような文様の装飾がある土器は世界でも珍しいといいます。ただし、縄文人がわざわざあの文様をつけたのには、ちゃんとした理由があったそうです。単に装飾のためではなかったのです。

 その第一の理由は、土器の耐久性を高めるためです。土器は粘土を焼いて作りますが、粘土の中に空気が混じっていると、 途中で割れたり、たとえ出来あがっても割れやすくなってしまいます。そこで、焼く前の土器に縄をぐいぐい押しつけて、粘土の中の空気を追い出したのです。

 そして第二の理由は、すべり止めのためです。縄文土器は種類によって食料の貯蔵や魚や動物の肉の調理、さらには祭祀などに使い分けされましたが、とくに調理の場合、肉の脂肪分が表面についてすべりやすくなります。しかし、土器の表面にざらざらした文様があれば、持ちやすくてすべりにくくなりますね。あの文様が取っ手がわりにもなったというわけです。

 装飾と実用性を兼ねた、すばらしい縄文人のセンスであります。中には装飾が過ぎて?およそ実用的ではないようなのもありますけど。そういうのは、食料の調理とか盛り付け用とかではなく、祭祀用に利用されていたと考えられているようです。いずれにしても、あのプレミティブな美は、見ているだけで楽しくなります。

 なお、縄目の模様を、一種の紋章の意味をなしているのではないかとして、「縄紋土器」の呼称を用いている研究者もいるといいます。
 

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古代から長寿だった日本人

 世界中で、寿命の使用年限がもっとも長いのが私たち日本人です。平均寿命を見ても、男性がおよそ82歳、女性は88歳にもおよびます(2020年)。厚労省が把握する世界の50の国・地域で比べると、日本は男女とも2、3位を争うほどの長寿国となっているそうです。日本人って、いろいろとスゴイもんですね。

 実は、日本は弥生時代から長生きの国だったことが分かっています。中国の史書である『魏志倭人伝』には、倭人(古代日本人)はたいへんに長生きで、「100歳、あるいは80、90歳まで生きる」と記されています。同書で注目されるのが「日本は温暖で冬も夏も生菜を食す」という表現です。「生菜」は生のおかずのことで、魚などの生食を意味します。同じく中国で記された『後漢書倭伝』にも「倭人の多くは長寿で100歳に至る者はなはだ多し」とあり、「菜如(さいじょ)を食す」とあります。これは野菜や山菜を煮込んだ料理のことで、味噌汁のルーツとされます。

 つまり、両書ともに、古代日本人は驚くほど長寿で、魚肉の生食、刺身を食し、野菜汁を常食としているとあるのです。これら古代の日本人の二つの食べ方はその後も今に至るまで続いており、「和食」の定番となっているのであります。和食バンザイ!
 

『魏志』倭人伝に見える日本人の美質

 百田直樹さんの『日本国紀』によれば、かの『魏志』倭人伝には、日本人の性格や日本社会の特徴についても記されており、「風俗は乱れていない」「盗みはしない」「争いごとは少ない」とあるそうです。多くの歴史研究者にとっては些細なことであり見過ごされがちだけど、百田さんはここに注目するとおっしゃっています。1800年も前の私たちの祖先が、すでにそういう美質を備えていたことがとても嬉しい、って。

 『魏志』倭人伝といえば、邪馬台国や卑弥呼の記述ばかりかと思っていましたが、そんなことまで書かれているんですね。ちっとも知りませんでした。百田さんもおっしゃっていますが、わざわざ歴史書に書かれるくらいだから、当時の魏の人たちにとってよほど珍しかったんだろう、って。私はですねー、歴史の勉強において、邪馬台国や卑弥呼ももちろん大事ですが、学校の授業では、むしろこういうことをきちんと教えてほしく思いますね。
 

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